計算迷宮(20)
「おーい、ヒューリューリー」
ジムドナルドがヒューリューリーを呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
「ダーを知らないか?」
「よく知ってますよ」
「どこにいる?」
「それは知りません」
「おい」ジムドナルドは笑顔でヒューリュリーの頭の付け根をつかんで引き上げる「俺にそういう生意気な口を利くと、あと1000年は後悔することになるぞ」
「私、1000年も生きませんよ?」
「それぐらいのことが出来る奴を少なくとも5人知ってる」
「…ごめんなさい、さっき、ビュッフェで見ました」
降ろされたヒューリューリーは体をぐるりと回した。
「どうしてダーを探しているんですか?」
ジムドナルドはヒューリューリーにはイライラを隠さない。
「立ち上げ機と宇宙船を切り離すんだ。ダーだって、立ち上げ機の最後ぐらいは見たいだろ」
「あいかわらず、優しいんですね」
「おい…」
ジムドナルドが本気の眼の色に変わったので、あわててヒューリューリーは謝った。
「すみません、1000年反省してます」
ダーは農場で草取りをしていた。
「おーい、ダー」
ジムドナルドが呼んでいる。
「はい、なんでしょう?」
「もうすぐ宇宙船を切り離す。最後ぐらい見てみたらどうだ」
「ああ、もう出発なのですね」
ダーは高速で側腕を回転し、泥を落とした。
「ありがとう、ジムドナルド。でもね。最後じゃないのです」
「何でだ? もうここには来ないだろ」
不思議そうな顔のジムドナルドを見上げ、ダーは言った。
「最後じゃなくて、初めてなのです。わたしはずっと立ち上げ機の中にいたのですから」
ミーティングルームには全員が集まっていた。
「ダー、遅いよ」
「もう切り離しは終わってしまいました」
イリナイワノフとサイカーラクラが、ダーのほうに駆け寄ってくる。
ダーはタケルヒノの隣に進み、そこで駆動輪をロックした。
「ごめんなさい、泥土がなかなか落ちなかったので、ボディを変えてたら遅くなってしまいました」
「あんまり気にしなくていいんじゃないか」とビルワンジル「オレ、ときどき泥付きでミーティングルーム来るけど」
「それは気にしてよ」ジルフーコがたしなめる「ミーティングルームは土足可では設計してないよ」
壁スクリーンには、一面に立ち上げ機が映し出されている。
カメラの位置のせいもあるが、背後に見える主星よりも、人工衛星である立ち上げ機のほうがはるかに存在感がある。
「ここまで大きいと、人工衛星というよりただの星だよなあ」
ボゥシューが溜息まじりに言う。
「こうして見ると、確かに奇妙な感じがします」
スクリーンを見上げて、ダーは言った。
「僕らが地球から離れる時とは違う感覚でしょうね」タケルヒノもダーに同意した「地球は僕らの棲家でしたが、あれは、あなた自身ですからね」
「わたし自身というより、わたしのゆりかご、いいえ、わたしの卵の殻、とでも言うべきものでしょう。こうして見ていると、やはり計画に無理があったのがわかります。中にいるときはわかりませんでしたけど」
「計画に無理とは?」サイカーラクラが尋ねた「どんな計画? どんな無理でしょうか?」
「あのままの形で胞障壁を超えようとしたことです」
ダーは答えた。
「外から見ると、とても良くわかります。無理だと。サイカーラクラ、だから第一光子体は、わたしからあなたを抜き出したのでしょう。あの人、そういう妙な勘だけは鋭いですから。そのくせ、タケルヒノとは違って、いい加減なので、物事がうまくいかないのです」
「僕もいい加減だと思うのですが…」
「ああ、やめとけ、やめとけ」
ジムドナルドがタケルヒノを諌めた。
「お前、ほんと、誰かがけなされるとすぐに庇おうとするからな。それ、お前の悪いところの中でもかなり上位だぞ。そんなことしたって、最初の光子体の性根が直るわけじゃないんだから、放っておけ」
――いちばん庇われてるのはジムドナルドな気がするなあ
ヒューリューリーは思ったのだが、1000年後悔するようなハメになってはかなわないので、もちろん黙ったままだった。




