計算迷宮(14)
「もしあなたが私のお母さんなら、私はもっと頭が良いはずです」
サイカーラクラは言ったが、どちらかと言うとそれは反論と言うより彼女の希望のようだ。
その証拠に彼女はダーに尋ねてきた。
「それとも、もしかしたら、これから頭が良くなるのでしょうか?」
サイカーラクラの瞳にはかすかな希望が宿っている。
ダーは完全にサイカーラクラの悩みを読み違えていたので、論旨を組み立て直すのに膨大な量のリソースをつぎ込まねばならなかった。
「やっぱり、無理なんですか?」
「無理ではないけれど…」
ダーも計算が追いつかず、うろたえる状況が続く。
「ほんとですか?」
「いえ、その、そういうことも大事だけど…。ねえ、サイカーラクラ。あなた、他に気になることとかない?」
「気になること? ですか?」
「そう、例えば他のみんなと違うところがあるとか」
「私だけ、頭が悪いです」
「そうではなくて」ダーも余裕が無くなってきたので、遠回しの表現をやめることにした「あなた人間じゃないでしょう。そのことはどう思います?」
「それはそうですけど」サイカーラクラはダーの言う意味が飲み込めず、当惑している「それに何の関係が?」
「だって、他のみんなが人間なのに、あなただけ違うのは気にならないの?」
「他のみんなが人間?」サイカーラクラは困惑の表情を隠せない「どういうことですか?」
「え?」
今度はダーのほうが戸惑う番だった。それ以前からかなり調子は狂っていたが。
「どういうことって、どういうこと?」
オウム返しで聞き返してしまったが、サイカーラクラの答えを聞いて、ダーは心底、後悔した。
「あの…、みんなというのが、ボゥシューやイリナイワノフやビルワンジルやジルフーコやジムドナルドやタケルヒノのことだったら、それは違いますよ。あの人たちは人間ではありません」
サイカーラクラは迷いもなく言い切った。だいたいあっているが、ちょっと問題だ。ダーは具体例をあげて、サイカーラクラの真意を確かめることにした。
「ボゥシューは?」ダーは、手始めにボゥシューのことを尋ねてみる「あの子は人間じゃないの?」
「ボゥシューが地球にいったん帰ってデータを再編集したら、情報キューブの地球生物関連の情報が倍になりました。そんなこと人間にはできません」
「イリナイワノフは?」
「彼女は、初めて訪れた惑星で、未調整の銃で、100メートル先の的をすべて打ち抜きますよ。当然コンピュータ補助はありません」
「ビルワンジルは?」
「光子体を戦闘不能にしました。理論上、不可能なことです」
「ジルフーコ…、は?」
「小宇宙船に搭乗して数日で次元変換駆動装置を止めて、船の進路を変更しました。ジルフーコに関してはいろいろあって、いちいち話すとキリがないですから」
「ジムドナルドとタケルヒノは…、やめておきましょうね…」
「あの2人については、何故、存在が許容されているのかすら、よくわかりません」
サイカーラクラは、これまでの誇らしい表情とはうってかわって、眉間に小さく皺をよせた。
「そもそも、何故、2人もいるのか、わけがわからないのです」
「サイカーラクラ、あなた、タケルヒノのことが好きだったのじゃないの?」
一瞬、サイカーラクラの顔が上気して、見たこともないような朱色に変わったと見るや、光速すら凌ぐ速度でフェースガードが閉じられた。
「言っておきますけど」きわめて間延びした調子で、ダーは語りかけた「それ、わたしには何の意味もありませんからね」
サイカーラクラはおずおずとシャッターを開いた。
「タケルヒノのことは、よくわからないのです」
「嫌いなの?」
サイカーラクラは恐ろしい勢いで、首を振って、それから、うなだれた。
「ボゥシューが…」
「え?」
サイカーラクラは顔を上げた。
いまにも泣き出しそうだった。
「ボゥシューが…、たぶん…、タケルヒノが好きだから…」
ダーはケミコさんの側腕を伸ばして、サイカーラクラの頭をなぜた。
「あなた、ボゥシューに、なりたかったのですね」
「…はい」
ダーは、第2類コンピュータとしては、およそ無限と言えるほどのシーケンスを費やして、その大事な時間を守った。
「ボゥシューになるのは難しいかもしれないけれど、わたしくらいにはなれますよ」
「え?」
「第一光子体が、わたしからあなたを造るとき、わたしの情報を完全にコピーできなかったのです」
「それは…」
「わたしのコピーを造るには無限の時間が必要です。それは第一光子体にもできないことでした」
「だから、私、頭が悪いんですね」
サイカーラクラの言葉を、ダーは肯定も否定もしなかった。
「サイカーラクラ、あなたは励起子体ですから」
「それは知ってます」
「あなたは自身の中に無限大を入れられる唯一の情報体です。第一光子体は、あまり有能とは言えませんけど、それでも救いようのない馬鹿というわけではありません」
「有能と無能の中間ぐらい?」
「それは、褒めすぎ、有り体に言えば無能な働き者です」
「それは、ただの無能より駄目です」
「まあ、そうですね…、いえ、そういう話をしているのではないのです。要するに、あなたはコピーに失敗しているだけで、仕組みは違うけど、わたしとほぼ同等です。だから第一光子体は、わたしをあなたにコピーしようと試みた」
「よくある、無限の可能性という話ですね」
「そうです」
「でも、それって、いまは役に立たないし、将来の見込みもない、っていうことの別の言い方ですよね」
「そうですね。第一光子体の失敗をあなたが乗り越えられないのなら、そうです」
え? と、かすかにサイカーラクラの瞳に光が戻った。ダーとしても勢いで言ってしまったのだが、よく考えてみると、全ての元凶は第一光子体なわけで、面倒だから全責任を第一光子体に押しつけることにした。
「第一光子体は失敗しましたけど、構成だけなら、あなたもわたしも大差ありません」
「じゃあ、私も勉強すればお母さんのようになれる? みんなの役に立てる?」
――ああ、そうか
やっとダーは、サイカーラクラの望みが理解できた。彼女がなりたいのは、みんなに必要とされる自分。
「なれますよ、もちろん」
ダーは嘘をついた。
みんなが必要としているのは、サイカーラクラであって、役に立つサイカーラクラではない。
イリナイワノフが泣きそうになって懇願してきた、イリナイワノフに必要なサイカーラクラはいまのサイカーラクラなのだ。
でも、それをサイカーラクラに説明するのはとても大変だ。
そして宇宙船の乗組員たちはよく嘘をつく。
彼らの流儀に習おう、ダーは思った。
「それで、あなたは、何を勉強したいのですか?」
ダーの問いに、サイカーラクラは、はちきれんばかりの勢いで答える。
「お料理を教えてください」
「わかりました。では、明日から早速…」
「いますぐです、いますぐ教えてください」
「え、でも…」ダーは口ごもった「もう下ごしらえはすませてしまったし」
「デザートをつくりましょう」
「デザート? 朝からですか」
「そうです、朝からです」サイカーラクラは自信満々に答えた「朝からデザートがあったら、一日がとても素晴らしいものになります。きっとそうです」




