計算迷宮(13)
夕食の席。
ダーは最初こそ席についていたものの、挨拶が終わると、そそくさと調理室に入っては、新しい盛皿を持ってくる。
イリナイワノフはなんとかしてダーを席に留めておこうとするのだが、新しい皿の中身に気を取られているうちに、ふと気が付くと、もう調理室のほうに行ってしまうのだ。
イリナイワノフは作戦を変えて、フライドチキンのバスケットを抱えて、椅子を調理室に持ち込んだ。
「なんだ、ザワディ、ここにいたんだ」
ザワディは、ダーが調理している隣でガジガジ骨を噛んでいる。もともと骨付き肉だったものの成れの果てだが、ザワディは砕いてしまわないように骨を甘咬みしながら、うっとりと調理室の床に腹ばいになっている。
「ねぇ、ダー、ダーってば」
イリナイワノフは持参の椅子に腰掛けて、ダーを呼ぶ。
「はいはい、ちょっと待っててくださいね。あ、そうだ、味見しますか?」
ダーは茹で上がったばかりの豆を一個、イリナイワノフに手渡す、一個でも手のひら半分ほどもある大きな豆で、あつっ、などと言いながら、イリナイワノフがそのまま頬張る。
「どうですか?」
「もうちょっと、しょっぱいほうがいいかな」
「わたしはこれぐらいのほうが好きですが」
見るとサイカーラクラも一個取り出して食べている。
「ワタシにもくれ」
ボゥシューはザワディのとなりにクッションを床に直敷して座っている。
「だから、違う、違うのぉ、豆の話じゃないの」
イリナイワノフが大声で叫んだ。
「ね、ダー。ダーは、あたしたちと一緒に行くんだよね?」
「え? ほんとですか?」
「誰に聞いた?」
「タケルヒノが、さっき言ってた。ね、ダー。そうだよね」
ダーは調理の手を止め、振り向いた。
「はい、ご一緒させていただきます」
やったー。
3人同時に歓声があがる。
ザワディがびっくりして骨を落とした。
「なんか料理出てこなくなったな」
「食い足りないのか? オレは腹いっぱいだけどな」
ジムドナルドの呟きにビルワンジルが応じた。
「料理は堪能したし、そっちはもういいんだ」とジムドナルド「ダーが出てこない」
「いないのはダーだけじゃないけどね」
ジルフーコはミルクセーキの半分残ったグラスを傾けた。
「私はいますよ」
ヒューリューリーが言ったが、あまり反応はない。
「みんな調理室だよ」タケルヒノが言った「気になるんなら、行ってみれば?」
「いや、やめとこう」
チキンの骨をくわえたジムドナルドが、タケルヒノのとなりに座った。
「ダーは一緒に行くって?」
「ああ、来てくれるらしいよ」
「こいつごとか?」
ジムドナルドは部屋をぐるりと見回し、最後に顔を天井に向けた。
「いや、ダーの情報核は、もうケミコさんの中にすっぽり収まるくらいコンパクトになっている。立ち上げ機は面倒も多いから置いていくよ」
「それがいいな」ジムドナルドも肯いた「第2類量子コンピュータを作ろうとする奴も出てくるだろうからな」
「きちんと中身がわかってやってみるなら止めないけど」
「あるものをわけもわからず動かすだけで、おかしくしてしまうことのほうが多い」
「ちゃんと胞障壁を超えてここに来られるような人なら、役にたつだろうから置いていくよ」
「そんな奇特な奴がいたら、ダーがいなくなる前にここに来るよ」
「だから、ちゃんと来たじゃないか」
タケルヒノは笑った。
皆も、つられて、笑った。
夕食の後片付けを皆でして、ダーの用意した個室にそれぞれが入った頃。
まだ調理室で忙しくしているダーのところにサイカーラクラが来た。
「あの、お仕事すんでからで良いのですが、お話できますか?」
「朝食の支度をしているだけですから」ダーは手を止めずに言った「もし、あなたが気にしなければ、いくらでも話しかけてもらってかまいませんよ」
「そうですか、そういうことでしたら」
サイカーラクラは、さっきイリナイワノフが持ち込んでそのままになっている椅子に腰掛けた。
「ヒューヒューさんとタケルヒノとの話は終わりました?」
「はい」
「あの…」サイカーラクラは何かとても遠慮しているようにみえた「私…、まだなんです…」
ダーは下ごしらえを続けながら答えた。
「ヒューリューリーは、あの子のちょっとした勘違いを正すだけだったのですぐすみました。タケルヒノは話を続けても得るものはないので諦めました。サイカーラクラあなたは…」
ダーは下ごしらえのすんだ食材を冷蔵庫に入れると、サイカーラクラに向き直った。
「…サイカーラクラ、あなたとは、とてもたくさん話さなければいけないことがあったのです。それで、どうしようか迷っていました、でも、わたしも一緒に旅することにしたので、ゆっくりお話できます。それで、あなたを後回しにしたのです」
「そうだったんですか」サイカーラクラはほっとしたようだ「嫌われているわけではなかったんですね」
「あなたを嫌う理由がありません」
「良かったです」サイカーラクラはにこやかな顔になったが、まだ気になることがあるようだった「どうして私とだけ、たくさん話すことがあるんですか?」
「それは…」
ダーは一瞬躊躇したが、いちばん手っ取り早くて簡単な方法を選んだ。
「わたしがあなたの母親だからです」
真実を話す。いつだってそれがいちばん簡単だ。だが、世の中はそれほど単純でもないし、簡単でもない。
「何ですって?」サイカーラクラは目をまんまるにして驚いた「あなたがお母さんだなんて、そんなことはありえません。だって、私は、とても頭が悪いんですよ?」




