計算迷宮(11)
ジムドナルドのところに、フライドポテトをバスケットにひとつとコーラのラージカップを携えて、ケミコさんはやってきた。
「懐かしいな」ジムドナルドがフライドポテトをつまんで口に入れる「よく尾行するときに食べてた」
「尾行ですか?」
「そうだよ」ジムドナルドは屈託無く笑う「いろんなヤツを尾行した。人間ていうのは変なもんで、何故か物食ってるやつには警戒心が薄れるんだ。だから食いながら尾行するんだ。フライドポテトはいろいろ面倒が少ないんで良く使った」
「そんなに尾行するものですか?」
「するよ。社会宗教学だからな。宗教なんかにからんでくるのは胡散臭い奴ばっかりだから、とりあえず尾行して弱点を掴む。そうしてからでないと、危なくて直接会ったりできないよ」
「社会宗教学というのは大変なんですねぇ」
「いや、普通の社会宗教学はそんなことやらないらしい。俺の社会宗教学だけだよ」
「なるほど、よくわかりました」
「それで、何が聞きたいって?」
「サイカーラクラのことを」
ジムドナルドはバスケットと口の間を往復させていた手を止めた。
「そうか、サイカーラクラか」
ジムドナルドはパンパンと手を叩いてから、口と手をナプキンで拭った。
「それに答えるには、そうだな。サイカーラクラのことをもっと良く教えてもらわなくちゃならない」
第2類量子コンピュータはジムドナルドの問いに即答した。
「あの子は情報体です」
「それは知ってる」
「あの子は自分が情報体なのを知りません」
「それも知ってる」
「あの子は情報体の中でも非常に特殊なタイプです」
「そのへんのことを良く聞きたいんだ」
「さて、どうしましょう」
第2類量子コンピュータは次の言葉を出しあぐねていたが、ようやく絞りだした。
「ジムドナルド、あなたは情報キューブの中身をあまりよく読んでいませんね?」
「物理だの数学だののあたりは読み飛ばしてるからな」
「困りましたね」
「まあ。そう言わずに」
「では、こうしましょう」第2類量子コンピュータは提案した「これからしばらく地球の言葉で話します。宇宙に出てからはともかく、あなただって地球にいたころは嫌なことも勉強したのでしょう?」
「当たりだが、ずいぶん嫌なこと知ってるな」
第2類量子コンピュータはそれには答えず、特殊タイプの情報体について説明を始めた。
「まずはじめに、情報体を構成するのに選択できる素粒子は限られています。電磁気的に中性でなければならず、そのため、光子、中性子などが使われます。電荷を持った粒子で構成しようとすると、電荷反発により情報体の構成ができなくなります。ここまではわかりますか?」
「わかったことにしておく」
「粒子については電荷を持つものはダメという制限はありますが、他の条件はそんなに厳しくありません。電子は負の電荷を持っていますが、物質中には電子の抜けた穴が正の電荷を持った粒子のように振る舞う正孔というものがあります」
「半導体で出てくるやつだ。名前だけなら知ってる」
「そして電子と正孔が結合すると励起子というものになります。これは電気的に中性ですが種々のエネルギーレベルを持っています」
「そろそろわからんが、かまわないから、どんどん行ってくれ」
「この励起子で構成されたのがサイカーラクラです。原語だと励起子ですから、励起子体と言うのがいいんでしょうけど」
「励起子体の特徴は?」
「光子体と重中性子体の中間のような性質でしょうか。胞障壁を超えることは出来ませんが、超重力空間でなければ存在できないというほど不便でもない。重中性子体からの干渉を受けるほど存在がヤワなわけでもありませんし、真空は無理でも、物質が存在すればかき消されることもない」
「重中性子体から影響を受けないってのはいいな。宇宙皇帝陛下が気に入らなくて、胞障壁超えに興味がないんなら、励起子体ってのも悪い選択じゃない」
「そう簡単にはいきません」
「どうして?」
「励起子というか励起子が物質中でしか存在できませんから、情報体転換の時に支障が出ます」
「どういうことだ?」
「元の生体から情報だけ取り出して再構成するのが、情報体転換です。光子とか中性子なら良いですけど、励起子が発生するのは物質中ですから、元の生体と励起子の発生源が共存できません」
「じゃあ、サイカーラクラはどうなってんだ? 励起子体なんだろ?」
「励起子体は元の生体情報を毀損するので生体に対して適用できません。使えるのは励起子に満ちた物質に純情報を注入する場合です」
「情報キューブか?」
「情報キューブは偏りのない情報の無限連結なので、個性が形成できません。好悪による情報の取捨選択がなければいけませんが、他方、捨てられた情報により欠陥が生じて、個性の維持が困難になります」
「あんたはどうしてるんだ?」
「わたしは無限大の情報を持っているので、取捨選択しても欠陥は生じません。個性の維持に問題はないのです」
「ずいぶん無茶したもんだな、サイカーラクラも気の毒に」
「無理させたのは第一光子体ですけどね」
「ロクなことせんやつだな。タケルヒノも時々ボヤいてる」
「タケルヒノが?」
「最初の光子体の尻拭いずっとさせられてるようなもんだからな、どうせこれからもそうだろうし、愚痴のひとつやふたつ言いたくもなるだろう。まあ、だいたいわかったよ。サイカーラクラは、いまのところは大丈夫だ」
「いまのところ…、ですか?」
「サイカーラクラが励起子で構成されているのなら、内部に連続体密度の無限を抱え込む下地は出来ている。初期の構成に失敗しているのは確かだが、要素自体は完備されているので問題はない。あとは環境次第だが、環境だってそれほど悪いものじゃないしな」
「あなた、数学とか物理は苦手だと言ってませんでしたか?」
「苦手だし嫌いだよ」当たり前だという顔をジムドナルドはした「でも、理解できないなんて言った憶えはないな。普段はめんどくさいからやらないだけだ」
「あなたは基本的にひどい人ですね」
「ときどき優しいぞ、それで十分だろ?」
「いまのところはともかく、将来はどうなります?」
「先のことなんかわからないよ。サイカーラクラも俺たちも」
「訂正します。あなたはいつもひどい人です」
「どうせこれからタケルヒノのところに行くんだろ。行く前にフライドポテトのおかわり頼むよ」
ジムドナルドは空のバスケットをケミコさんの天板の上に置いた。
「フライドポテトは尾行の相手を油断させるためで、たいして好きではなかったのでは?」
「まずいフライドポテトはそうだよ。でもこれは美味いからな」
「もうすぐ夕食ですから、ほどほどに」
「夕食のことは夕食のときに考えるよ」
出口に向かうケミコさんの後ろから、ジムドナルドが声をかける。
「俺はいつだって目の前のものに全力投球だ」




