計算迷宮(4)
ドッキングポートを抜けて、ダー側の接続領域に入る。
大気と擬似重力は、ダーには必要ないものであるし、わずか9体の客人のためにダー全域を大気と擬似重力で満たすのは不経済極まりない。というわけで、宇宙船からの客達は、宇宙服着用を義務付けられた。
もう、みんな宇宙服での無重量空間での移動には慣れていたが、ヒューリューリーだけがあまりうまくない。ジムドナルドは、ダー訪問の前に、ヒューリューリーに対する宇宙遊泳特訓を行うことを提案したが、却下された。
「すみません。いつも」
ザワディに巻き付いたヒューリューリーは操作盤を叩いた。ザワディはとくに気にする風でもなく、タケルヒノの持つワイヤーに従って着いて行く。
全員が連絡カプセルに乗り込むと、滑るようにカプセルは動き出した。
ガラス越しに透ける外は、最初、むき出しの構造物が目を引いたが、やがて光も途絶え、次第に闇が満ち満ちた。
なおもカプセルが進む中、周囲にちらほらと光点が見え始め、それが渦流となって回転し始める。
「うわぁ」イリナイワノフが叫んだ「胞障壁だ。胞障壁だよ」
極彩色にきらめく無数の光の渦がそれぞれの速度で回転している。渦から渦へと光の点が放たれては消える。
「うーん、地球から出た時の胞障壁に似てるな」
ビルワンジルの言葉にタケルヒノは肯いた。
「そうだな。第2類量子コンピュータも、地球に建造されていれば、あるいは…」
突然、カプセルがトンネルに入り、周囲が明るくなった。
壁面のパネルボードが淡白く発光している。
カプセルは急激に速度を落とし、止まった。
「着いたみたいだな」
カプセルの扉が開くのとほぼ同時に、ボウシューが廊下に進み出る。
カプセルを出てすぐに扉があり、ボゥシューがその前に進むと扉が開く。
周囲を見回すが、他に行けそうなところは見つけられない。入り口の前でボゥシューが躊躇していると、横を通りすぎてタケルヒノが中に入った。
部屋は広くなく、入り口の反対側の壁に扉があるだけだ。
「みなさん与圧室にお入りください」
ヘルメットの中に声が響く。
「全員が入ったら、外扉を閉じて、与圧を開始します」
言葉通りに、皆が与圧室に入ったところで扉が閉じる。しばらくすると、周囲の機械音が部屋に充填された空気を通して聞こえてくるようになった。
どこかでバルブの閉まる音がした。
「正面扉が開きます。次の部屋に入ったら、座席に腰掛けて擬似重力が発生するまで待っていてください。ヒューリューリーとザワディの座席は特殊なので他の人は使わないように」
部屋は円形のこじんまりとしたホールのような形をしていた。中央に座席が9つ用意されている。
「ザワディ、こっちおいで」
ボゥシューの言葉に従い、ザワディは専用の座席に腹ばいになる。セーフティバーを下ろしてザワディを固定すると、ボゥシューは隣の席に腰掛けた。
ヒューリューリーは専用の止まり木に巻き付いている。
座席に押し付けられる感じがして、擬似重力機構が稼働しだしたのがわかる。
「お疲れ様でした。もうヘルメットを脱いで結構です。適当にゆっくりしてください」
皆、ヘルメットを脱いで、立ち上がってそのへんを歩き出す。
「着いたのか?」
ジムドナルドがタケルヒノに尋ねる。
「まあ、そうだろうね」
タケルヒノの言葉にはさして興味を示さず、ジムドナルドは落ち着きなく周囲を見回す。
「何にもない部屋だなあ」
ジムドナルドの言葉に呼応するように、壁面のあちこちが矩形に輝きだした。ちょうど人が通れるくらいの大きさである。数えると、角の丸い矩形は全部で10個、何もなかった部屋に入り口とは別の10の出口が開いた。
「申し訳ないんだけど、私と話すときは、ひとりずつにして欲しいんです。好きな部屋に入って私を呼んでください。あるいは、ひとりでいるときに私のほうから話しかけるかもしれない」
「わかりました」タケルヒノはホールの天井を向いて言った「ところで、お願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「レモネードをいただけますか?」
声は、ほんのすこしの間を置いて、タケルヒノに語りかけてきた。
「冷たいのがいい? それとも温かいの?」
「温かいのがいいです」
正面の出口からケミコさんが入ってきた。天板にカップが1個載っている。
タケルヒノはカップを手に取ると口をつけ、言った。
「たいへん結構です」
そしてレモネード入りのカップを手に持ったまま、ケミコさんのやってきた出口のほうへと進み、部屋の中に入っていった。




