閉塞空間(3)
「あれ? メガネ?」
めずらしく、食事時間以外に現れたジルフーコは、やけに縁の広いメガネをかけていた。
「コンタクト使ってたんだけど、メガネにしたんだ」
「なんで、また?」
「オーダーシステムがね」ジルフーコはタケルヒノに言った「意外と使える」
「どういうこと?」
「あれね、倉庫からケミコさんにモノ出してもらうためのシステムじゃ、ないんだよ。操作はかなり複雑になるけど、そう、完全に理解しているものなら、思い通りに造れる。細かいところは原語で指定しなきゃいけないんで面倒だけど」
「へぇ、原語はやっぱり便利なんだな、ラーニングシステムも原語のほうが効率がいいから、そっちメインにしようかな」
「なんだ、興味あるのはそっちのほう?」笑いながらジルフーコが原語で話しかけてきた。
「勉強はしたんだけどさ。話す相手がいなくてね」とタケルヒノも原語で返した。
原語は情報キューブの構築に使われている基本言語だ。コンソールからの情報は自分の好きな言語を選択できるが、知識ベースの本体は原語で書かれている。原語はもともと地球の言語に翻訳不可能な言葉をかなり含み、本当に欲しい情報を得るには原語を学ぶ必要があった。翻訳不能の言葉の中で、いちばんたくさん出てくるのが「セルレス」だったので、彼らは原語そのものことも「セルレス」と呼ぶようになった。
「いいこと思いついた」そう言いながらタケルヒノはヘルメットを脱いだ「室内でヘルメットって、もうそろそろやめようと思ってたんだけど、日本語以外は下手くそなんでどうしようかと思ってたんだ。いまさら英語特訓もなんだし、英語苦手な人もいるからね。その点、原語なら、絶対、みんな勉強してるし、格別、僕一人が下手ってわけでもないはず」
最近、話題はサイカーラクラだ。
ひきこもりの期間がもっとも長かったのが彼女で、一時期は食事もことかく有り様、個室のコンソールからけっして離れなかった。そんなわけで、みんな心配していたのである。
そのサイカーラクラが、やっと、個室から出て船内をふらつくようになった。本来なら、皆、一安心、というところのハズなのだが…
「いいかげんにしなさい、サイカーラクラ」
ぶちあげたのはボゥシューである。まさかこんなところで、突然はじけるとは思ってなかった。逃げ遅れたタケルヒノは、やむなく成り行きを見守ることにした。
ミーティングルームは不気味な静寂につつまれている。
「何か気に触りましたでしょうか?」サイカーラクラは言ったが、ボゥシューが怒るのにもそれなりの理由はある。
「顔隠して、うろつくな、気になる」
サイカーラクラがひきこもりを脱してから、常にかぶっているフルフェイスヘルメットのことを言っているのだ。
ヘルメットはサイカーラクラの頭部全域をほぼ覆っており、かろうじて見えているのは口の部分だけだ。顔部分の裏側にスクリーンがあって、カメラ映像を透過させていれてあるから、日常生活に問題ありません、とサイカーラクラは言うわけだが…。
問題はそこじゃない。
「隠しているつもりはありませんが、構造上、こうなってしまうので…」
「隠してるじゃないか。顔が見えない」
「本を読んでいるのです」サイカーラクラは答えた「私は本を読むのが好きで、宇宙船は私の知らない物語をたくさんくれたので、私はずっと読んでいたい」
「そんなこと言ってないだろ。顔、出しなさい」
リニアモーターの作動音が小さく聞こえ、ヘルメットの中央が割れて左右にスライドした。
サイカーラクラの、無表情だが美しい顔が現れる。
馬鹿にするなー、言うなり、ボゥシューが立ち上がったので、これまで、とタケルヒノが割って入った。
「落ち着いて、ボゥシュー。サイカーラクラには僕が言っておくから」
ボゥシューは、ぐるり、と背をむけ、部屋から出て行ってしまった。出て行った後の廊下から、絶叫が響いた。
小さく音がして、タケルヒノが振り向くと、サイカーラクラがフェースガードを閉じている。
「すみません」
「まあ、いいけど」タケルヒノはため息をついた「その、情報キューブにアクセスするだけなら、ジルフーコみたいにはできない?」
「ジルフーコ?」
「ジルフーコもあなたも情報キューブとの接続を切りたくないのはわかる。彼、メガネにしたろ、あれ小型のコンソールなんだ」
「私はジルフーコほど器用ではありません。これが、精一杯」
「ジルフーコが似たようなの作ってくれるよ」
「本を読むとき、周囲が映り込むと気が散るのです」
まあ、こんなところか、タケルヒノはそれ以上、続けることはしなかった。たぶん、サイカーラクラにもいろいろ都合があるんだろう。
それにしても…
よく原語なんかで喧嘩できるな、あの二人。
そっちのほうが、びっくりだ。