計算迷宮(1)
「胞障壁は超えたが、またダーまで何週間もかかるのか」
「いえ、違います」
ジムドナルドが愚痴っぽく言うのに、サイカーラクラが答えた。
「ダーはこの星系の第11番惑星の衛星です。いまの速度なら3日ほどで着くでしょう」
「えらく辺ぴなとこだな。そんなとこに住んでるやつがいるのか」
「住んでいません」
「あん?」
「誰も住んではいません。第2類量子コンピュータがあるだけです。この星系の住人はもともと第4惑星にいたのですが、第一光子体と一緒に第2量子コンピュータを建造した後に、光子体になってこの星系から離脱しました」
「全員、光子体になったのか?」
「はい」
「ずいぶんと思いきりがいいな」
「もとの住人がこの星系から離脱した原因は、実は第2類量子コンピュータの建造理由にあるのですけど、そのへんの説明は、その、私には…」
言いながら、サイカーラクラはタケルヒノのほうにチラチラと視線を送る。
「おい、タケルヒノ」ジムドナルドはサイカーラクラの思惑など無視で、横柄な声をあげる「もったいぶらないで、さっさと説明しろ」
タケルヒノは憮然とした顔で説明をはじめる。
「第2類量子コンピュータの建設理由は、まさに胞障壁を超えるためだ。胞障壁は何度も言っているが数学障壁だ。通り道によってその内容は様々だが、基本的には無限回の計算が必要だ。普通のコンピュータでは無限回の計算は無限の時間がかかるので、普通のコンピュータでは、実質的に胞障壁を超えるのは不可能だ。だが、第2類量子コンピュータなら、ある種の無限計算を有限時間内で収束させられる。第2類量子コンピュータは、限定的ではあるが、胞障壁を超えられる可能性がある、ということだ」
「第2類量子コンピュータは完成したんだよな?」
「そうだよ」
ジムドナルドがつっけんどんに尋ねてくるので、タケルヒノもぶっきらぼうに返す。それにかぶせて、ジムドナルドが質問した。
「じゃあ、どうして、第2類量子コンピュータは胞障壁を超えないんだ?」
「ダーを囲む胞障壁には第2類量子コンピュータで解が得られる通り道が存在しないからだ」
あーあ、とジムドナルドは天を仰ぐ、天ではなくてミィーティングルームの天井だが。
「良い考えの結末ってのは、だいたい、いつもこうなんだ」
「誰かが責められるような類の話しじゃないんだよ」別にタケルヒノのせいというわけでもないのだが、それでも彼は弁明した「実際に計算してみるまで、解があるかどうかはわからないんだ。解がなかったからと言って、それは第2類量子コンピュータのせいじゃない」
「ここじゃなくて、別の胞宇宙のまわりの胞障壁を計算することはできないのか?」
「計算はできる」
ボゥシューの問いを意外にもタケルヒノはあっさり肯定した。
「じゃあ、そのデータを流せばいいだろ、第2類量子コンピュータは十分役に立つ」
「それができない」
ボゥシューの提案をまるで予想していたようにタケルヒノが言い、そして一気に説明の続きをはじめた。
「第2類量子コンピュータは、情報の伝達ができない、というよりは、定義上、情報の切り出しができないんだ。第2類量子コンピュータの情報は部分集合がもとの集合と同質になる。第2類量子コンピュータは自らの部分集合内に自分自身を含むから、部分を切り出しても、それは元の第2類量子コンピュータと同じになる」
「それの何が問題なんだ?」
ボゥシューは問うたが、ジルフーコを除けば、それは、この場にいるみんなの総意と言えるだろう。
「第2類量子コンピュータは、情報を他に移すには、結局まるごと全部コピーするしかない。そしてそれには無限大の時間が必要だ」
ボゥシューはしばし沈黙した。もっとも、黙っていたのはボゥシューだけではない。
ボゥシューはけじめをつけるために口を開いた。
「事情はわかったよ。でも、それは第2類量子コンピュータのせいじゃないな」
「タケルヒノ、お前なあ」よせばいいのにジムドナルドが口をはさむ「何でそんなに第2類量子コンピュータの肩持つんだよ。あやしいなあ」
「別に肩持ってるわけじゃない」
「そうか?」
「ただ、ちょっと気の毒だな、とは思う」
「お取り込み中わるいんだけどね」ジルフーコが割って入った「その第2類量子コンピュータから連絡が入った」
「プラズマシールド超えてきたのかい?」驚きというより、呆れ顔でタケルヒノが聞いた「相対速度だって、まだ光速の1%あるんだが?」
「使える通信帯域めいっぱいに冗長コード入れてきてるからね」ジルフーコがにやにやしながら言う「耳ふさいでたって聞こえるレベルだよ」
「それで何て言ってきてる?」
「みなさんの来訪を歓迎します。受け入れ体制は万全です。何名で来られてもかまいませんが、タケルヒノ、サイカーラクラ、ヒューリューリーの御三方には、ぜひ、お越しいただきたく、せつに希望いたします、だそうだ」
「私?」
「私もですか?」
サイカーラクラとヒューリューリーはそろって声を上げ、そのまま絶句してしまった。
「何で指名なんだ?」
「そりゃ、凄いコンピュータなら名前ぐらいわかるんだろ」
「サイカーラクラ、大丈夫?」
「…ええ、まあ…」
「なんでこんな紐が呼ばれて、俺が呼ばれないんだ?」
「紐ではなくて、紐型なのです」
「何でサイカーラクラなんだろうな?」
「コンピュータの考えることはよくわからないからね。ケミコさんと同じだよ」
部屋中、騒然となって、話題はサイカーラクラとヒューリューリーばかりになった。もうひとり呼ばれていたわけだが、あまりにも当たり前すぎて、当人以外は誰も気にする者はいなかった。
タケルヒノもそれほど気にしていたわけではない。だから嫌だったんだ、と小さく呟いたが、誰かが聞いてくれたのかどうか、それすら、あまり定かではない。




