再びセルレスへ(3)
「ヒューヒューさんは第2類量子コンピュータに興味はありますか?」
「いいえ、あんまり」
ヒューリューリーはサイカーラクラに体を丸めて見せた。これは発音ではなくて感情表現らしい。
「コンピュータには興味がないんですよ。それより私は胞障壁のほうが気になります」
「そうですよね」
サイカーラクラはちょっぴり残念そうだった。
「胞障壁にはどれくらいかかるんでしょうか?」
「艦内時間であと10日くらいらしいです」
「らしい? ですか」
ヒューリューリーはサイカーラクラが見たこともない仕草で体をくねらせた。
「らしい、のです」サイカーラクラは強調しつつ繰り返した「胞障壁付近では時間の概念が怪しいらしくて、正確には言えないんだそうです。私、よくわからないんですけど…、もし詳しい話が聞きたいのなら、タケ…」
「タケルヒノに聞けばいいんですね」
「はい、そうです」
サイカーラクラは、ホッとした表情で微笑みかける。
ヒューリューリーは迷ったが、思い切って尋ねてみた。
「タケルヒノ以外の人に聞くのはどうなんでしょう? たとえばジルフーコとか?」
「ジルフーコは説明を嫌がりますね」サイカーラクラの目は天井を向いている。それは考え事をしているようでもあり、何かを誤魔化しているようにも見えた「タケルヒノとは胞障壁について話しているのをよく見かけますが、他の人に説明するのは嫌みたいです」
「ボゥシューは?」
「ボゥシューは自分の専門以外では難しい話はしません」
「ビルワンジルは?」
「ビルワンジルも自分の仕事以外は興味ないみたいです」
「イリナ…」
「イリナイワノフは私と同じです」
「ジムドナルドは?」
この時ばかりは、サイカーラクラも真剣な顔で答えた。
「それだけは絶対にやめておいたほうがいいです」
サイカーラクラは更に念押しをした。
「ヒューヒューさん、ジムドナルドにそんなことを聞いてはいけません。きっとヒドイ目に会うと思います」
「と、まあ、こういうことなんですが、わかりました?」
結局、ヒューリューリーはサイカーラクラの助言に従い、タケルヒノを訪れた。とりあえず話を聞いた今、かなり後悔している。
「まあ、他のみなさんと同じくらいには」
「そうですか、それは良かった」
まったくわからなかった、を婉曲に伝えたつもりだったが、タケルヒノには通じないみたいだった。
「落ち着いて考えれば、そんな難しい話ではないんですよ。大事なのは、何かあったら光子体転換して脱出するということです」
「光子体になるのですか?」
「最悪の場合です」タケルヒノは最悪をとくに強調した「胞障壁を超えるのはもう成功してますからね。一度だけですけど。何事にも不測の事態というのは起きるわけですから。もともとこの方法は光子体が他の胞宇宙に機材を持ち込むのに使ったのがはじまりで…」
「何ですって?」
「いや、だって、光子体だけが胞障壁を超えても、そんなにたいしたことはできないから、機械とかコンピュータとかいろいろ持ち込みたいわけじゃないですか、胞宇宙の中にそういうものを持ち込めれば、何をやるにもいろいろ捗るという」
「何故、光子体は、そうしないんですか?」
「いや、やったんですけどね。宇宙船で胞障壁を超えるんだけど、失敗したら光子体は適当な胞宇宙に帰れば良いだけですが、宇宙船はおじゃんです。どこかよくわからない次元の狭間に消えてしまうのかな? 第一光子体の場合で成功率0・11%という記録があります」
「1000回に1回しか成功しない?」
「違います。25481回に28回の成功です」
「他の光子体の成功率はもっと低いんですか?」
「ゼロです」
「え? それは…」
ヒューリューリーの回転は途中で失速した。
「第一光子体以外での成功例はありません。だって、いくらなんでも、こんなこと何万回もやりませんよ。宇宙船造るのだってたいへんなんだし」
「そうですね」
ヒューリューリーの体のキレはあきらかに悪い。相槌すら、自信がない感じだ。
ヒューリューリーはとても大事な何かを聞きにきたはずだった。でも、もうとても疲れてしまって、何を聞きに来たのかすら忘れてしまった。
ヒューリューリーは何故みんなが、タケルヒノに聞け、というのかわかった気がした。誰もが本当のことを知りたい。タケルヒノはそれを教えてくれる。けれど、タケルヒノの話を聞くのはとても疲れるのだ。だから代わりに誰かに聞いて欲しいのだ。
「あの…、ヒューリューリー?」
タケルヒノが声をかけた。心配そうな顔をしている。
ヒューリューリーは力を振り絞って、上半身を回転させた。
「ありがとう、タケルヒノ」ヒューリューリーは言った「いっぺんに全部は無理そうなので、また後で話を聞かせてください」




