天蓋の杞憂(2)
他人から自分がどう見えるか。
交渉事ではこれが大事だということをジムドナルドは知っている。
いまのジムドナルドの姿はどうだろう。
爪先までを覆う真っ白なラバースーツに、船外用の遮光ガラスの入ったフルフェイスヘルメットだ。もちろん、顔は外からは全く見えない。ダイラタント素材とパワーサポートの入った無駄になめらかな動きは、生物なのかどうかすら怪しく思えるほどだ。
――俺がこんなのに遭遇したら、裸足で逃げ出す
対峙した青年は逃げなかった。
顔には動揺が走り、冷や汗に濡れた衣服が肌に張り付いたまま、その場に立ち尽くしている。
ジムドナルドはずっと待っていたが、もう青年のほうが限界のように見えたので、自分から話しかけた。
「何のようか?」
翻訳拡声された言葉があたりに響く、遠くの小枝が揺れたのは、そのへんに隠れてるのが居るのだろう。
「光の殿よ、なにゆえ…」
ジムドナルドはラバースーツを淡く光らせた、意味はないのだが、コケオドシには効く。
青年は凄まじい勢いでその場にひれ伏す。
「お許しを、なにとぞ、お許しを…」
「何のようか?」
まったく抑揚のない声でジムドナルドが繰り返す。
「我が王が…」青年はやっとの思いで顔を上げる「我が王が、ご挨拶を」
「挨拶などいらぬ」
「ご挨拶を…」
あんまり苛めても先がたいへんか、ジムドナルドは思い直して、さらに居丈高に声を上げた。
「我がカマドを用いるに地上に降りた。焚き上げがすめば、天に戻る」
「カマド…、焚き上げ…」
ぶつぶつと呟く男を残し、ジムドナルドはテントに戻った。
「あんなんでいいのか?」
まだ地面に這いつくばっている男をモニターで眺めながら、ビルワンジルは尋ねた。
「とりあえずの1回戦だからな」ジムドナルドはヘルメットを脱いで一息ついた「まだ、何度か来るだろ。そこそこ脅しといたから、王が出てくるまではもう少しかかるな」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんなのさ」ジムドナルドが笑った「向こうも祭りまであと1月くらいしかないしな。兵隊もそっちに割く必要があるし、かと言ってあまりぐずぐずもしてられない。こっちは適当に合わせとけばいい」
「祭りって何の?」
「フェルトート山の火口に1万人飛び込むやつだ。まあ、今回はそんな簡単にはやらせないけどな」
ビルワンジルはボゥシューに怒られないよう、しっかりとヘルメットを被り、無菌テントを出た。
サイユルとベルガーの1日は地球の2・5倍の長さで昼も夜も長い。
その長い夜の始まりを告げる巨大な青いサイユルが、東の空を占拠している。
サイユルの雲の形はもちろん、視力の良いビルワンジルには海に浮かぶ小さな島々まで見分けることができた。
「おっきいね」
イリナイワノフの声がヘルメットの中に響き、横を見ると宇宙服姿の少女もビルワンジルと同じように夜空を見上げていた。
「ああ」
ビルワンジルは返事とも嘆息ともとれる声を漏らした。
「サイユルから見るベルガーもこんな感じなのかな」
「みたいだな。ベルガーが少し小さくて陸地は多いらしいが」
「サイユルはあまりベルガーの見えるほうには都市をつくらないんですよ」
いつの間にかテントから出てきていたヒューリューリーは操作盤を叩く。
「だからこんな感じの夜空を見るのは、私も初めてなんです」
「へぇ、ヒューヒューはサイユルでベルガー見たことなかったんだ」
「育成区域から外に出られませんでしたからね」
「地球の月の裏側が見えないのと同じか」
ケミコさんが1体、林の向こうを飛んで行く。仕事中なのだろうか、それとも迷子にでもなったのだろうか。
「うまくいくのかなあ」
ケミコさんを見ながらイリナイワノフが呟いた
「さあなあ」ビルワンジルはいつもの調子だ「うまくいかなくても、だから何だ、って話だし、うまくいっても、ベルガーが変わらなけりゃ、どうにもならんしな」
「それって、どっちにしても無駄ってこと?」
「まあ、そうだが、無駄なことしちゃいかん、ってこともないわけだしな」
「無駄はすてきです」ヒューリューリーは操作盤からの入力に加えて体を回して表現した「ここ数日の間、私は初めてのことばかりで、とても興奮しています」
「オレたちもそうだった」
ビルワンジルは言ったが、イリナイワノフの意見は少しだけ違った。
「あたしは、いまでもそうだよ」
「あの星の海をあなたたちは超えてきた」
ヒューリューリーは、ピーンと一本の棒のようになった。天頂の星々を見ているのかもしれない。
「まるで夢のようなお話です。でも私の人生ですら、いまでは私自身の想像をはるかに超えてしまっている」
「その後は、オレに聞くなよ」
ビルワンジルが言った。
「そう、そういう話はタケルヒノに聞くことになってるの」
イリナイワノフが当たり前のことのように言う。
「だから、ヒューヒューもタケルヒノに聞くといいよ。もし本当に答えが知りたければだけど」
ヒューリューリーは答えなかった。彼はもう、なにかを聞かなかったことにすることも、簡単にできるようになっていた。




