もつれない紐(4)
「サイユルの心理的バリアっていったい何だったんだい?」
ジルフーコがジムドナルドに質問するのは珍しい。ふふん、と鼻を鳴らして、ジムドナルドが流暢に説明をはじめた。
「心理的バリアってのは複合的なんで、単純にこれだ、とは説明しづらいんだが、まあ、不正確の誹りはあまんじて受けることにして、おおまかな話をするとだな…」
「前置きはいいから、早く説明してよ」
「なんだそれ、偉そうだな、人にものを教わる態度じゃないぞ」
「…じゃあ、いいよ。タケルヒノに聞くから」
「こら、待て、タケルヒノは忙しいだろ、…ったく、なんて気が短いんだ」
ジムドナルドは不承不承に話を再開した。
「手っ取り早く言えば、サイユルは多面的なものの見方というのができない。サイユルはなにか決まった真実があった場合、それを覆すということが自力ではできないんだ。したがって、いわゆるパラダイムシフトを起こすことができない。それがいろんな面に波及している、主に悪い面としてだが」
「ずいぶん、やっかいな話だな」
「そうだ、そのくせ成果はだけは欲しいんだ。最初の光子体が持ち込んだオーバーテクノロジーについては、消化不良でうまく使いこなせない、鎖につながれて届かないところに餌を出されてる状態だ。そこで自らを変革する、という方向に行けば良いところだが、彼らはそうはしなかった」
「例のプロジェクトか?」
「そうだ。生まれた赤ん坊をロボットとコンピュータに育てさせた。情報キューブからのデータで作ったコンピュータだ。教育システムもすべて情報キューブから、オーバーテクノロジーを理解活用するための世代を生み出そうとした」
「微妙にイヤだが、まあ、そのくらいは我慢できるかな」
「お前の好き嫌いはどうでもいいけどな、サイユルがやったことだし。でもまあ、ここまではそれほど問題はないと俺でも思うよ。問題はその後だ」
「新世代と旧世代の対立かい?」
「対立にもならなかったな。新世代側はサイユルの実社会から隔離されているし、反抗の目が出てきそうになったところで光子体転換される。何度も繰り返すが、光子体転換は転換そのものより維持が困難だ。ヒューリューリーが言うとおり、サイユルでの成功例はない。みんな散ってしまったということだ。実はヒューリューリーは3世代目だ。彼の父も母もすでに散っている。特別優秀だったらしいからな」
「しかし、その方法だと、新世代の光子体転換が成功した時点で旧世代はお終いじゃない。なんでそんな無茶ができるんだい?」
「そこがサイユルの面白いところだ」
ジムドナルドはここでいったん説明を切った。ときどき彼はそういうことをする。自分の中で自ら立てた仮説を反問しているのだ。ジルフーコにはジムドナルドのその時の顔がわかるので、こんどは辛抱強く待った。
「面白い、って言ったって、学者の興味として面白い、ってだけだからな」
自己反駁が終了したらしいジムドナルドが一気呵成に話し出す。
「サイユルの旧世代、というか現統治側の意見としては、新世代が反抗するなんてありえないことなんだよ。あくまで正しいのは旧世代側で、新世代、まあ新世代とも呼んでないんだけどなサイユルは、とにかくヒューリューリーたちは、技術利用のためにやむおえず堕落させた思考の持ち主たちであって、旧世代に逆らうことは倫理的にありえないんだ」
「よくわからないけど、話し続けていいよ」
「そもそも、最初の光子体の姿がサイユルに似ていないのにショックを受けたのも、基本的にはこの絶対倫理観が影響している。オーバーテクノロジーの教授者が、正統で善であるサイユルに似ていないばかりか、むしろベルガーに似ているということに対して、最初の光子体に対する怒りなんだ。最初の光子体こそいい迷惑だが、サイユル的には最初の光子体の技術が欲しいのにそれがうまく使えないのは、最初の光子体がサイユルに似ていないからであって、最初の光子体が悪いという理屈だ」
「まあ、なんか、ある意味、素晴らしいな」ジルフーコはやっとコメントをはさむことができた「確か、サイユルに降りる予定はなかったよね。こんなこと言ったらあれだが、新世代にがんばってもらうしかなさそうだね」
「俺もサイユルに降下するのは薦めない。ヒューリューリーも同意見だ」
「ヒューリューリーもか? まあ、気持ちはわからくもないな」
「宇宙船に乗船するという幸運が、もしなかったら」ジムドナルドの口調はさっきまでの荒々しさが抜けていた「ヒューリューリーは光子体転換を切望していたらしい。それしかない、というのがあいつの結論。まあ、正しいと思う」
「彼にはサイユル最初の光子体になれる自信があったの?」
「いや、いちかばちかの気持ちだったらしい」ジムドナルドはちょっと笑った「逆に宇宙船に来る前に光子体転換してたら確実に失敗してた、といまじゃ確信してるらしい、あいつの言う、サイカーラクラの試練をくぐりぬける前だったからな」
「サイカーラクラの試練?」
怪訝そうな顔のジルフーコを見て、ジムドナルドが大声で笑い出した。
「そうか、お前、あの場所にいなかったもんな。なかなかの見物だったぞ」
ジムドナルドは笑いをおさめて、真顔に戻ってから話しはじめた。
「サイカーラクラはヒューリューリーのことを、なんかおかしな感じで呼ぶんだ。わざとやってる感じでもないから放っておいたんだが。本来、サイユルは名前を間違われるのを極端に嫌う。専用操作盤にわざわざ名前専用のキーがあるくらいだ。ヒューリューリーはかなり調整が進んでいたから、ある程度はやり過ごせるようになっている。それでもやはり気になるようで、何回かサインを送って訂正を促していた」
「名前を間違われるのが試練なのか?」
「いや、そうじゃない。あまりに回数が重なるので、ヒューリューリーは考えたんだろうな。自分は何者なのか、ってね」
「そんな哲学的な話なのか?」
「そりゃそうだ。名前だぞ。哲学に決まってる」そうだ、とジムドナルドはポンと拍手をして両手をひろげた「思い出したぞ、ヒューヒューさんだ。サイカーラクラはヒューヒューさんと呼ぶ、でも自分はヒューリューリーだ。サイユルは、自分と他者を名前以外で区別できない、実際がどうあれ、かたくそう信じている。ヒューリューリーはだいぶサイユル的な考えから自由になったとは言え、まだ完全に独立できたわけではない。名前はまだ心のよりどころだ。でもサイカーラクラは自分をヒューヒューさんと呼ぶ、そして何の不都合もない」
ジムドナルドはとても嬉しそうに話を続ける。
「ヒューリューリーは考えた。自分はヒューリューリーだ。でも、ヒューヒューさんだって悪くない。いや、むしろどっちでもいいじゃないか。サイユルの思考バリアの正体は、多面的なものの見方ができないことだ。それがパラダイムシフトを阻む。ヒューリューリーはサイカーラクラの考えと自分の考えを同調させ、ヒューヒューさんを受け入れた。つまりパラダイムシフトを起こしたわけだ。もう彼には何の問題もないんだ」
「あの…、ヒューヒューさん?」
サイカーラクラはおずおずとヒューリューリーに話しかけた。
「何でしょう? サイカーラクラ」
「あの…、私、ヒューヒューさんに何か失礼なことしたのではないでしょうか?」
ヒューリューリーは思わずピーンと伸びてしまった。
「あ、やっぱり?」
「違います」ヒューリューリーは全力で否定した「いまのはちょっと考えごとをしていたんです。それで、何のお話でしたっけ?」
「私がヒューヒューさんに失礼なことをしたのではないかと…」サイカーラクラはフェースガードを閉めておらず、泣きそうな顔をしていた「みんなの様子がおかしいので、いろいろ聞いてみたのですが、あまりはっきり教えてくれないんです。それが、どうやらヒューヒューさんのことらしくて、私、気になって」
「失礼だなんて、とんでもない」ヒューリューリーは頭部をぐるぐる回す「あなたは、他のみなさん以上に私にとても良くしてくれて、ただ、その…」
「やっぱり、何か?」
「いや、その、お面でしょうか? どうして開けたり閉めたりするのかと…」
サイカーラクラの顔が真っ赤になったと同時に、ぴしゃんとフェースガードが閉じる。
そして、しばらく立ってから、そろそろとフェースガードが開いた。
「これは、その…、地球人は目の上にまぶたというものがあって、閉じたり開いたりするのです。これはちょっと違いますが、それと同じようなものなのです」
「自分で閉じたり開いたりするのですか?」
「そういう場合もあります」
「そうですか…」
「あの、もし気になるようでしたら」サイカーラクラの顔はまだ少し赤みが残っていた「なるべく開けるよう努力はします」
「あ、よく考えたら、あんまり気にならないかも」ヒューリューリーはさり気なく言ったつもりだったが、思ったより風切音は大きかった「あの、とにかく…、いろいろありがとう」




