もつれない紐(2)
「調子はどうだい? ヒューリューリー」
「快調ですよ。ジムドナルド」
検疫期間を終えたヒューリューリーは、赤と青のスプリットシームを着ていた。確かに快調なようで、しなやかな体をヒュンヒュン回して話す。
「今日はストレステストなんだ。いろいろテストばかりで申し訳ないが、これがすめば立入禁止エリアを除けば艦内での行動は制限されないから、頑張ってくれ」
「艦内を自由に行動できるって?」ヒューリューリーはものすごい勢いで体を回転させる。驚いているらしい「そんなことして、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。ヒューヒューさん」サイカーラクラが言った「このプレートをお渡ししますから、あなたの位置情報を出すトレーサーが入っています。私たちのスーツについているものと同じものです」
「ありがとう、サイカーラクラ、ヒューリューリーです」
プレートをスプリットシームに固定してもらいながら、ヒューリューリーは、ヒュー、リュー、リー、とちょっとだけ強調してみた。
「ストレステスト、と言っても、簡単な質問に答えていただくだけなんです。それで船内での生活にストレスを感じていないかどうかを調べるだけですから。ヒューヒューさんは雑談のつもりで受け答えしていただければ結構です」
ジムドナルドはちょっと困った顔になったが、サイカーラクラをどうにかするのは面倒なので、ヒューリューリーに我慢してもらうことにした。
「では早速だが」ジムドナルドの言葉が風切音に翻訳される「好きな色は何だい?」
「メンタル面も問題はないぞ、ヒューリューリーにはな」
タケルヒノはジムドナルドの顔を正面から見た。
「どういうことだ?」
「ヒューヒューさんが持参した情報キューブと私たちのものの差分を調べたのです」
ヒューヒューさん? 一瞬よけいなことに気を取られたものの、それは無視して、タケルヒノはサイカーラクラの報告を聞いた。
「情報キューブの特性として、接続されれば、相手に情報を提示するだけでなく、相手側の情報収集も開始します。ヒューヒューさんがサイユルの情報キューブを持参してくれたので、サイユルの全情報を知ることができました。ボゥシューの検疫がかなりスピーディに進行したのもこのおかげです。それで、サイユルの人格スペクトラム上にヒューヒューさんを位置づけると、極端に周辺側にきてしまうのです。簡単に言うとヒューヒューさんはサイユルの中ではヘンな人です」
「ようするに、ヒューリューリーとは相互理解が可能だが、サイユルとは困難かも、と、そういうこと?」
「ちょっと違うかな」
ジムドナルドがサイユルの情報キューブからピックアップしたとあるプロジェクトの内容をスクリーンに表示する。
「最初の光子体がサイユルを去ってすぐにこのプロジェクトが発足している。いろいろな理由で最初の光子体が残したものをサイユルは消化しきれなかった。それを埋めるためのプロジェクトだ」
スクリーンに現れる解析データが特異的に1つの問題を露出する。
「技術レベル、社会熟成度…、その他どれをとっても問題ないのに、何故か心理的バリアの項目だけが限りなく不適合」
「自分たちで分析したにもかかわらず、この結果には不本意だったんだろう、サイユルとしても」ジムドナルドは不思議と神妙な面持ちをしていた「だからこのプロジェクトを推進したわけだ。自分たちは不適合だから、次世代に託す」
「僕にはこのプロジェクトをそういう風に好意的に解釈することはできないが」
「あまり他人の文化に口出しするなって話だが」ジムドナルドは笑った「自分たちには伝統的にこんな恥知らずなことはできないが、この素晴らしい技術は欲しい。自分らが認識を変えることなど不可能なので、これをやれる専門の子供を隔離して育てよう、俺たちからすれば、そうしか見えないな」
「その成果がヒューリューリー?」
「そういうことになる」タケルヒノの不機嫌な顔を眺めるのは、ジムドナルドにはほんのちょっと快感だった「光子体と俺たちの感覚がそこそこ近い、っていうのは偶然だろうが、ヒューリューリーはそれに向けて調整されたということだ。どっちが正しいということでもないんだろうけどな。でも、だからこそ、ヒューリューリーは俺たちのストレステストにも合格したし、たぶん、宇宙船の中でも俺たちとうまくやれる。逆に言ったら、普通のサイユルじゃ無理だ」
ひときわ大きな風切音が聞こえ、コンマ数秒遅れてミーティングルームに翻訳システムの声が響いた。
「あれぇ、もう、バレちゃいましたかぁ」
ミィーティングルームの入り口にヒューリューリーが立っていた。
「もう自由に出歩いていいと言われたので来てしまいました」
ヒューリューリーの動作はいつも独特なので、それだけで判断するのは早計だが、今回に限っては気迫の感じられる言葉だった。
「もちろん自由にしてもらってかまわない」タケルヒノの言葉もすぐに風切音に翻訳される「こっちも聞かれて困るような話はしてないから」
「私のほうはそうでもないんですよ」
ヒューリューリーはするすると部屋の中央まで進んでくるとコンソールの前に向かい、例の一本紐打鍵で筆談を始めた。
「最初3人でお邪魔するという話だったでしょう。あと2人は監視役です。私に交渉の上っ面だけをまかせて収穫のみを持ち帰るつもりだったんです。それが1人にしてくれって言われた時は、もう天にも登る気持ちでした。もちろん渋るアイツらを影でいろいろ説得したんです。でもアイツらもまるっきりの馬鹿じゃありませんからね。私を1人でここに向かわせる前に針を仕込んだ。この頭のなかです。だから、まだ本音で話すことができない」
「そんな針なんかないぞ」
いつの間にコンソールをのぞき込んでいたボゥシューが言う。
「検疫終わったって言ったろう。そんな物騒なもんはすぐわかるし、余計なものを宇宙船に入れるわけにいかないから、とっくの昔に外してるよ。でなきゃ宇宙船の中、自由に歩いていいなんて言うわけないだろ」
ボゥシューの話が始まってすぐに翻訳の風切音が鳴りはじめる。ヒューリューリーは風切音に聞き入っていたが、やがてその意味を理解すると、体をひねってことさら奇妙な動作を繰り返した。
「素晴らしい」
たぶん、あの時ヒューリューリーは笑っていたのだ、その場にいたメンバーがそんな風に思いいたったのは、サイユルとの会話にも慣れただいぶ後のことだ。
「ヒューヒューさん、もう何をお話しても大丈夫ですから」
そう言うサイカーラクラに向かい、ヒューリューリーは、控えめではあるが思い切り、ひゅー、りゅー、りー、と体を振ってみた。
「どうかしましたか? ヒューヒューさん?」
一瞬、棒立ちになったヒューリューリーだったが、しばらく熟考した末に、体全体で歓喜をあらわした。
「ありがとう、サイカーラクラ」体のキレも素晴らしく、ヒューリューリーの風切音が唸る「あなたこそが私の最後の関門だったとは驚きです。そして私は今、見事に関門をくぐり抜けた。本当にありがとう」
部屋の中に拍手が巻き起こった。サイカーラクラだけは理由がわからず、戸惑いの微笑を浮かべるしかなかった。




