選ばれた7人(4)
「次は日本人?」
「ああ、タケルヒノだ」
ビルワンジルとジルフーコがドック前で浮いている。ポッドの回収ドックは 宇宙船の回転中心にあるので、ここは遠心力の影響はなく、無重量状態だ。
「まだ6分かかるよ」イリナイワノフは作業コンソールの前でカウントダウンを読み上げる。
「じゃあ、あれかな」ビルワンジルがドックを囲む広間の周回スクリーンを指差す。ビルワンジルの人差し指は大きく映る地球の中心にむかっていた。
「いいかげんなこと言うなよ」ジルフーコはビルワンジルの脇腹を肘でこづいた「せめて30秒前くらいにならないと、見えやしないよ」
「いや、オレ、目はいいんだよ」抗弁するビルワンジルだったが…
「無理だし」否定したのはイリナイワノフ「まだ5万メートルあるもの、いくらあなたの目がよくてもスクリーンの解像限界を超えてる。拡大でもできれば見えるだろうけど、変なトコいじって、止まっちゃったら嫌だから」
「まあ、待つさ。あと5分くらい。オレ、こう見えても我慢強いんだ」
「タケルヒノは5分だけど」壁のバーを握り直したイリナイワノフが、ビルワンジルのほうに体を向ける「ボゥシューは39分、ジムドナルドは42分、サイカーラクラは、あと80分かかるよ。ここでじっと待ってる気?」
「ボクは待つよ」答えたのはビルワンジルではなくジルフーコだ「早くみんなに会いたいしね」
あたしも、そうだけど、と言って、イリナイワノフはコンソールに目を戻した。
「やあ、こんにちは」
ドッグゲートを開けて出てきたタケルヒノに、ジルフーコは「やったー」と手を叩いて大喜びだ。逆にビルワンジルは渋い顔。
「絶対、英語で話すと思ったのに」
ビルワンジルの悪態にも、タケルヒノは何のことやら、戸惑いを隠せずに先着の三人の顔を順に見つめるばかり。
「賭けしてたんだよ、この二人」イリナイワノフが壁を蹴って飛んできた「タケルヒノが最初に何語で話すか、って」
ああ、とやっとタケルヒノは得心した「ヘルメットにスピーカーとマイクが組み込んであったから、まあ、それぐらいのサービスはあるんじゃないかと」
支給されたヘルメットは同時翻訳機能を備えていた。
「6ヶ国語、勉強してたんだろ? 絶対、日本語以外でしゃべると思ってたんだよなぁ」
「言ったろ? 彼は合理的だから、いちばん慣れてる言葉で話すって」
「合理的ってほどじゃないよ」タケルヒノは笑った「でも、慣れてる、って言えばそうだけど…、それより、最初の言葉か、もう少しマシなこと言えば良かったかな。こんにちは、じゃ、間抜け?」
「いいんじゃないの? そういうのは、次の人に期待ってことで」
「そりゃ、大期待だよ。つぎは女の子だし」ビルワンジルは、ことさら、女の子を強調した。
「あたしのときは、そんな大歓迎じゃ、なかった気がするけど?」
「大歓迎だったよ」ジルフーコが言う「少なくとも、ボクに対する態度とはまったく違ったな」
「ところでイリナイワノフは最初になんて言ったの?」
「プリヴィエート、ズドラーストヴィチェ」
大爆笑。
「なによ」イリナイワノフが眉をつりあげた「じゃあ、ビルワンジルはなんて言ったの?」
「え? オレ?」ビルワンジルは腹を抱えて、くるくる回っている「オレ、いちばん乗りなのに、ひとりであいさつなんかしてたら、馬鹿みたいじゃないか」
「馬鹿みたいじゃなくて、馬鹿でしょ」イリナイワノフの怒りは収まりそうにない。
「ジルフーコは?」タケルヒノが尋ねた。
「ボンジュール」
タケルヒノは一瞬、吹き出したが、すぐに笑うのをやめた「普通だよね。やっぱり」
「普通だね」ジルフーコはすまし顔で答えた。
ゲートが開いた瞬間に飛び出してきたボゥシューは、いきなりイリナイワノフに抱きついた。
「女性でいちばん地球から遠いところに来たのよ、ワタシたち」目をまんまるにして驚くイリナイワノフを、ボゥシューは抱きしめてはなさない「アナタが一番、ワタシが二番、さすがロシアね。テレシコワの国よ。でも、月へ言った人たちをのぞけば、人類で地球からいちばん遠いところにいる。ワタシたちとても素晴らしい」
ここでやっとイリナイワノフを開放した彼女は、他のメンバーに向き直る「アナタたちも素晴らしい。はじめまして、ボゥシューなの」
男性三人、というか、実はイリナイワノフも含めてだが、当惑しつつ、とりあえず、こちらこそ等と返事する。
「ニイハオって言わなかったな」
「言ったかもしれないが、オレには聞こえなかった」
「元気で可愛い子だね」
わあお、なんてこった、と叫び声がドック出口からあがる。声の主はまっしぐらにビルワンジルに突進、体当りと同時に羽交い締めにした。
「俺がいちばんデカイと思ってたのに、俺よりデカイやつがいるなんて、なんて素敵なんだ」
「身長ぐらいプロファイルに書いてあったろうが」
「そんなもの読んでない、写真しか見てないよ」
ジムドナルドから離れようと、手足をバタつかせてもがくビルワンジル、その二人を眺めていたボゥシューが呟いた。
「なんだ、ホモか」
ホモじゃないよー、と、金髪碧眼の美丈夫は、こんどは美少女二人に飛びかかる、あろうことか、両手で同時に彼女ら二人を抱きしめた。
ぎゃー、やめろー、と凄まじい悲鳴があがるが、そんなものにはおかまいなしに、ジムドナルドは女性二人の顔の間に頭を埋めてヘルメット越しに頬ずりしている。
「男とか女とかそんな細かいことは、俺は気にしないんだー」
「はなせー、変態っ」
「失せろっ、強姦魔」
ピィィィィーッ
鋭い口笛の音が船内に響きわたった。
その音に、皆、唖然とし、声もなくその場に漂う。
口笛の主は、ゆっくりと、ジムドナルドに右手を差し出した。
「なかなか過激な愛情表現だけど」タケルヒノの口調は穏やかだ「ここはまだ無重量区画なんだ。ちょっと危険だと思う」
「会えてうれしいよ、タケルヒノ」ジムドナルドはタケルヒノの右手をとり強く握りしめた「写真よりずっとハンサムだ」
ジムドナルドは握ったタケルヒノの手を引き寄せ、開いている方の腕をまわそうとした。
「おおっと、ボクとも握手してよ」ジムドナルドの左手をつかんだのはジルフーコ「キミ、両手を塞いでおかないと、何しでかすかわからないから」
騒動がひと通り収まると、その後のジムドナルドは意外とおとなしかった。
最初は警戒心むきだしのイリナイワノフとボゥシューだったが、五分もするとジムドナルドの巧みな話術に乗せられて、冗談を言い合うほどになった。
「顔のいいヤツは得だな」ビルワンジルが呟く。
「ビルワンジルもたいして変わらないじゃん」慰めともとれるジルフーコの弁「彼流のパフォーマンスなんじゃないかな。最初の印象が強ければいいとか」
「たとえ、パフォーマンスにしても、素地がなきゃ、あれは無理だ。オレにはできっこない」
「やる必要があるとも思わないけどね」
残るはサイカーラクラだけだが、いまさら彼女一人を残して移動しようというものもなく、適当に談笑しつつ暇をつぶした。
「タケルヒノは日本から来た?」ボゥシューが声をかけてきた。
「そうだよ。お隣りの国だね」
「違う」ボゥシューは首を振る「家族と一緒にカナダにいたから、カナダから来た」
「なるほど、カナダもいいところだね」
「住んだことある?」
「いや、バカンスで」
ふーん、とボゥシューは何か考えている風だったが、ま、いいや、と呟いてイリナイワノフのほうに行ってしまった。イリナイワノフはここが自分の居場所とばかり作業コンソールの前から動かない。
「あと、どれくらい」
「1分40秒」
結局、それが、いまいちばんの関心事だ。
皆が注目する中、軽いモーター音をともなってドッグの扉が開く。
実際にはほんのわずかの間だったのだろう、が、前の二人がいきなり飛び出してきた印象も手伝って、ずいぶん長い時間に感じられた。
長身の彼女は、ヘルメットからはみ出た艶やかな黒髪を腰まで垂らし、ゆっくりと前に進み出た。碧色の瞳に微笑みをたたえて、彼女は胸の前で両手を合わせる。
「サイカーラクラです」サイカーラクラは言った「長い間、お待たせしました。よろしくお願いします」
トンと、扉のふちを蹴って移動しようとするサイカーラクラの手をタケルヒノがそっとつかんだ。
「ごめん、サイカーラクラ」タケルヒノはサイカーラクラを留めて、そして皆に向かって言った「それにみんな、悪いんだけど、もうちょっと待って欲しい」
タケルヒノは壁の周回スクリーンの一点を見つめる。
ほどなく、皆も、タケルヒノが何を見ているのか理解した。
スクリーンに映る、青い星。
止まっているように見えるその星は、もちろん静かに自転しているが、
それは、ほんの、わずかずつ、本当に、ほんのわずか…
小さくなっている。
見かけだけだ。
本当は宇宙船のほうが遠ざかっている。
「もう、戻れないんですね」
そう言ったサイカーラクラの顔を、タケルヒノが驚いたように見る。
「え? どうして」
「え?」
「戻れないなんてことはないよ」さっきまでの、およそ半分になった地球と、仲間たちを交互に見ながら「戻れないなんてことはないんだ」
タケルヒノは三度同じ言葉を繰り返した。
「戻れないなんてことはない…、けれど…」
その次の言葉をタケルヒノは飲み込んだ。