セルレス(7)
「もうだいぶエリスに近くなってきた、結論が出せそうだぞ」
タケルヒノはミィーティングルームのコンソールを操り、エリスの観測を開始した。
「いま光速の3%くらいだ。このスピードだと1天文単位を5時間足らずで通過してしまう。あまり余裕はないよ」
タケルヒノとジルフーコのまわりに他のメンバーも集まってくる。
「プラズマシールドを張ったままだと、雑信号が多すぎてエリスの観測は難しいんじゃないのか」
「そんなことはないよ。ほら」
ボゥシューの質問に答えるかわりに、タケルヒノはコンソール内の情報を壁スクリーンに投影した。
エリスは光速度近傍での相対論的歪みをわずかに受けているが、それ以外の部分はスクリーンに鮮明に映しだされている。画面上で衛星すら確認できるほどだ。
「ディスノミアだ」ボゥシューは驚きの声を上げた「いったい、どうなってるんだ?」
「手品の種は簡単さ」タケルヒノは画面を切り替えた「宇宙船の後方100キロメートルに観測用ポッドを追尾させてる。そこならプラズマシールドの影響は出ないからね。まあ、ポッド自体は保護してないからすぐ駄目になるけど」
「もう、どんどん使い捨ての装置ばっかり作るから」ジルフーコが笑う「資材はまだたっぷりあるけど、タケルヒノの解決方法は贅沢だからなあ」
「そのぶん旅程短縮してるからさ。資材なんて胞障壁超えるまでもてばいいんだから」
「で、どうにかなりそうなのか?」
ビルワンジルがエリスの画面を見ながら誰に問うでもなく呟く
「まあ、ある程度はどうにかしてるけど、まだ1億キロメートル以上離れてるし、相対速度の問題もあるからねぇ」
言い分こそ悲観的だが、ジルフーコの口調はどこか楽しげだ。タケルヒノはジルフーコの言葉を聞き流し、一心にコンソールを見つめながら作業している。
「どうやら、拾えたみたいだ」タケルヒノが、ようやく安堵のため息をもらす「まだ微弱で不確かだが、確かにいる」
「いるって、何がいるんだ?」
ジムドナルドの問いに、タケルヒノはコンソールから目を離さずに答えた。
「宇宙船さ、第一光子体のね。たぶん衛星の反対側の軌道だ」
「最初の光子体がいるのか?」
「いや、いない」タケルヒノは首を振った「宇宙船がここにとどまっているということは第一光子体はもういない。彼にはこの太陽系にもう用はないはずだから」
「緊急停止だ」ボゥシューが声をあげた「エリスに乗り込んで宇宙船の中身を調べよう」
「それは無理な相談だな」ジルフーコは冷静に否定した「減速には1ヶ月かかるし、そこから折り返してエリスに停止するにはさらに2ヶ月かかる。当初の航行旅程に従って通過するしかない」
「でも…」
「ジルフーコの言うとおりだよ。ボゥシュー。ここは通過だ」タケルヒノの手はいそがしくコンソールを操作していたが、不意にその手がピタリと止まる「でも航行旅程は変更だな。ジルフーコ、双子解じゃない四重極解だ」
「ええーっ」ジルフーコが叫び声を上げた「なんだよ、大当たりじゃないか」
「何が当たったの?」
無邪気に問うイリナイワノフに、やっとコンソールから目を離したタケルヒノが微笑みかけた。
「あと6日で、正確には5日と19時間ぐらいだな、ようするに139時間で胞障壁に到達する」
「6日って」サイカーラクラが驚きに口元を手で押さえている。フェースガードはもちろんしているので、ほとんど顔が見えない「ジルフーコは、減速に1ヶ月かかると言ってました。こんなスピードで大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ」タケルヒノは決然と答えた「胞障壁には時間もスピードも関係ない」
エリス通過の顛末も一段落し、皆は個室に戻っていった。胞障壁まで後6日、と宣言されたわけで、いろいろやることもあるのだろう。
タケルヒノだけはミーティングルームに残り、データの解析に没頭していた。
「おーい、タケルヒノ」
ボゥシューがやってきた。
「お願いがあるんだ」
「何だい、ボゥシュー?」
「タケルヒノの、…その、…、…細胞が欲しいんだ」
おっかなびっくりというのがいちばん適当な、そんなとぎれとぎれの話し方だった。
――ああ、例の…
思い当たる節のあったタケルヒノは、ボゥシューの説明を待った。
「これから胞障壁も超えるし、いろいろあるから…、まだ落ち着いてるうちに…、その…、生殖細胞の…」
ボゥシューはいつもと勝手が違って、ずっと下を向いて話す。タケルヒノにまともに視線を向けようとしない。
「いいよ」
「…や、ジムドナルドとか変なこと、言ってるの聞いたかもしれないけど、別に痛いとかそういうことないから…」
「だから、いいよ」
「あくまで、万が一のためなんだ。大怪我したって、別の治療法ですむなら、そっちをもちろん優先するし…」
「だから、あげるってば」
「なんか、…誤解して、え?」ボゥシューが驚いて顔を上げた「いま、何て言った?」
「だから取っていいよ。僕の細胞」
え、え、え、え? ボゥシューは体中の血が一気に頭に上ってくる感覚に己を見失いそうになる。心臓が別の生き物のように脈動し、顔が火照ってパンパンになった。
「いや、そんな、いますぐとかでなくていいんだって、後で落ち着いてからで…」
「胞障壁着く前のほうがいいんじゃないの?」
「それは、そうだけど…」自分から言い出したのに、ボゥシューはすっかり怖気づいてしまった「急に言われても、こっちも心の準備が…」
「準備いるの?」
「そ、そう、準備がいるから」ボゥシューはじりじり後ずさりする「準備出来たら来るから、きっと来るから、だから…、サヨナラっ」
ボゥシューは顔を真っ赤にしたまま走って行ってしまった。
タケルヒノはしばらくボゥシューを待っていたが、消灯時間も近くなったので、自分の個室に戻った。




