セルレス(4)
サイカーラクラは浮かれている。
あまりに浮かれていて地が足についていないぐらいだ。
「サイカーラクラ」
イリナイワノフだった。
「はい?」
「よかった、元気になったんだ」
サイカーラクラの顔がみるみる真っ赤になった。
「あの、私」サイカーラクラにも少し自覚はあったみたいだ「最近、おかしかったでしょうか?」
「あ、まあ…」イリナイワノフは適当にごまかした「それより、ボゥシューのことなんだけど」
「ボゥシュー?」
しまった忘れていた。ボゥシューが元気ないという話だった。
「ボゥシュー、元気ないのですね」
「うーん、一時期よりはマシになったとは思うんだけど…、それでさ、ビュッフェに誘ってみようと思うんだ。だから、先に行って待っててくれる?」
「あ、はい、わかりました」
サイカーラクラは答えたものの、不思議でしょうがなかった。ボゥシューが元気がないって、どういうことだろう。
イリナイワノフが連れてきたボゥシューを見て、サイカーラクラは心底驚いた。本当に元気がなさそうに見える。
「あ、あの、ボゥシュー?」サイカーラクラは尋ねた「本当にボゥシューですか?」
イリナイワノフは下唇を噛んで必死にこらえた。こんな場でなければ吹き出している。
――天然にもほどがある
サイカーラクラを呼んだことをイリナイワノフはちょっぴり後悔した。
「サイカーラクラは面白いな」ボゥシューは少し笑った「ボゥシューだよ、間違いない」
「すみません、私」サイカーラクラは真っ赤になって謝った「私、最近、おかしいみたいなんです。ごめんなさい、ボゥシュー」
「胞障壁で悩んでるって聞いたけど、そのせい?」
「それはもうやめました」
「やめた? どうして?」
「考えてもわからないから、考えるのをやめました。私は胞宇宙のことを考えます」
「胞宇宙って、多元宇宙のこと?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。難しいことはよくわかりません。でも、宇宙人はたくさんいます」
「宇宙人?」ボゥシューが身を乗り出した「宇宙人がいるの?」
「いますよ」サイカーラクラは胸を張った「この前、あったばかりじゃないですか。情報体は宇宙人です」
「ほんとだ、気がつかなかった」ボゥシューの目が輝きだした「宇宙人だよな、あれ、もっとたくさんいるの?」
「いますよ。可算無限個います」
最近覚えたので使ってみたのだが、実を言うとサイカーラクラにはあまり意味がわからなかった。とても多い、ぐらいのことだと思う。
「どうやって行くんだ?」
「それは知りません。でもタケルヒノが知ってます」
「そうか、そうだよな」
ボゥシューは、さっきのサイカーラクラの言葉を噛みしめた。
「わからないことは考えなくていい」
「そうです」
「よし、一緒に宇宙人を探しに行こう」
「行きましょう」
何かおかしな勢いに、イリナイワノフは呆気に取られてしまった。二人の言っていることは、タケルヒノなどとは別の意味でよくわからない。
――ボゥシュー、元気になったし、いいかぁ
そう思っていちおう納得はしてみたが、イリナイワノフには、宇宙人というのはやっつけるもの、という認識しかないので、ボゥシューとサイカーラクラが何に興奮しているのか、まったく理解できなかった。
「最初の突破点の候補は決まった?」
タケルヒノの問いに、ジルフーコは若干、自信なげだ。
「セドナの遠日点、というか楕円焦点の片方を放物展開した形、かな?」
「いい線だと思うけど、何か不満がある?」
「エリスが気になるね」
「そうだな」
タケルヒノはちょっと間を置いてから切り出した。
「確かにセドナの遠日点のほうが航路積分の結果としてエネルギーロスは少ないみたいなんだけど、これエリスとほとんど差はないよね」
「まあ、誤差範囲内だね」
「とすると、セドナを選んだ理由は?」
「胞障壁までの距離推定の確度だ。推定に使った彗星の軌道から、黄道面付近の胞障壁までの距離は平均2000天文単位、これはほぼ確実なんだけど、黄道面から傾斜すると途端に精度がガタ落ちになる。エリスについては第一光子体の航路データがあるから、そこだけは確かだけど、太陽から胞障壁までの距離が170天文単位で一桁以上違うんだ」
「胞障壁が扁平なら別に問題はないな」
「黄道面に垂直な方向に薄いってこと? まあ、球面だっていう根拠は何もないからね。ただデータが少ないから自信がない」
「エリスのほうがずいぶん近いな」
「そりゃそうだ」
「たとえばの話だけど…、エリスを経由してセドナの遠日点には行ける?」
「行けるけど、かなりの回り道になる。エリスの公転軌道が黄道面から44度傾いてるのがつらい」
「エリスには降着しなくていい、すれ違うだけでいいんだが」
「それなら多少楽だけど」ジルフーコは右手でメガネを抑えた「何か勝算でもあるの?」
「勝算ってほどでもないけどね」タケルヒノはどこか楽しそうだった「第一光子体だよ。いろいろ焦ってるみたいだから。出口の航路を消すのは当たり前として、本来は入り口の航路だって残しちゃいけないんだ。うっかりミスというより、ぎりぎりのルール違反なんじゃないかと」
「試してみる価値はありそうだな。じゃあ全速でエリスに行こう」
「待てよ、他のみんなの意見も聞かないと…」
「無駄なことはやめようよ」ジルフーコは言いながら航路プログラムを変更してしまった「タケルヒノ、ここまできてキミの意見に反対するメンバーなんかいないんだから。もう、みんなの意見を聞くのは来週の献立を決めるときだけにしよう」




