セルレス(1)
「ジ~ルフ~コちゃん」
鼻歌まじりにジムドナルドがやってきた。
「何だい?」
素っ気無く応じるジルフーコの眼前にジムドナルドは顔を突きつけた。
「いいか? 絶対に嘘つくなよ。正直に言え」
「ああ、いいよ」
躊躇せず答えるジルフーコにジムドナルドが尋ねた。
「お前とタケルヒノ、俺に隠してることあるだろ」
ジルフーコは顔を動かさずに、一瞬目だけを天井に向け、そして戻した。ジムドナルドの目を真っ直ぐにのぞく。
「胞障壁の実態と近接胞多元宇宙のメカニズム、ようするに宇宙の真理そのものだな」
「お、おう」ジムドナルドは怯んだが、どうにか取り繕った「詳しく話を聞こうじゃないか」
「で、どこから話す?」
「初めから全部だ」
「長いよ?」
「覚悟の上だ」
「まあ、座りなよ」ジルフーコは椅子を勧めた「リラックスして聞いてくれ」
ジムドナルドは言われるままに腰掛けた。
「そうだな、まず星の話からしよう」自分も椅子に腰掛け、対座したジルフーコが言う「太陽以外の恒星と呼ばれてる星だが、あれは全部実体じゃない。胞障壁に映った近接胞宇宙の影だ」
「俺たちに見えてる宇宙は影の映像だ、って情報キューブにあったやつだな」
「そうだ。胞障壁は数学障壁だから、通過するには無限回の手順を踏まなければならない。実質的に通常の慣性航行では、胞障壁を超えて隣接する胞宇宙には侵入できない。実は光も同じだ。光もセルレスで止まる。ボクたちの太陽系に隣接する無限の胞宇宙からの光は胞障壁に阻まれてボクらには届かない」
「じゃあ、影っていうのはどういうことなんだよ」
「胞障壁は数学障壁だが、全域で均等というわけじゃないからさ。手順自体は無限だが航路積分すると有限になるいくつかの道が、たかだか可算無限個存在する」
「だんだんわからなくなってきたぞ」
「わからないところは飛ばしていいよ。セルレスは壁だが、部分的に通過できる道がある、これでどう?」
「それならわかりそうな気がする」
「理解なんてのは、自分に都合のいいように勝手にやればいいんだ。他人と折り合いをつける必要がなければね」
「そういうのは得意中の得意だ」
「それで、そういう道を通ってきた光を地球から見たのが、銀河で、星雲で、準星だ。赤方偏移は道の中でエネルギー消費が大きいところで起こる。エネルギーをロスすると光は振動数が下がるから、それが赤方偏移」
「膨張宇宙論は間違い、ってことか?」
「そうじゃない、あくまで見方の問題だ。近代天動説は無限の周転円を重ねることで、惑星軌道を正確に表現できる。絶対に地動説じゃないと無理だってほどの話じゃないんだ。膨張宇宙論は、全宇宙が均質だという仮定の下で、地球からの観測事実を説明するのに都合がいいということだ。実際問題として、全宇宙の物理法則が不均等で局所的にばらばらだという仮定では、説明が非常に困難だ。普通の天文学者と物理学者では、まず気が狂ってしまう」
「普通じゃなくても気狂いは多いぞ」
「昔は、それで説明してた強者もいたんだけどね。だいぶ廃れたな」
「じゃあ、膨張宇宙論でもセルレスは説明できるのか?」
「できないよ。だいたい、地球人でセルレスまで到達したやつはいないんだから、観測事実もないのに、そんなものを理論にいれこんだら、それこそ気狂いだ」
「セルレスが実際にあることがわかってるやつが情報キューブを作ったから、ああなったってことか?」
「本末転倒してる感じだけど、それで理解しやすいんならそれでいい」
「セルレスを突破するにはどうするんだ?」
「セルレスを実際に踏破してきたものが太陽系に存在する」
「最初の光子体の航跡か」
「まあ、それもあるけど、あれはひとつだけだし。もっとたくさんあるよ。彗星だ」
「彗星だって?」
「そうだよ。あれはセルレスの外から来たものなんだ。天文学で言うところのオールトの雲、っていうのがほぼ位置的にはセルレスに等しい。実際のセルレスはオールトの雲として予想されてた距離よりもう少し内側になるけど」
「彗星の軌道をもとにセルレスの突破口を見つけるのか?」
「そういうことになる。もっとも彗星の軌道からわかるのは入り口で、出口のほうはタケルヒノの言ったとおり、双対解として解き直さなきゃならない。まあ、解の片方がわかってるから、かなり楽なことは確かだけどね」
「出口はどこなんだ」
「言ったろう、道は可算無限個存在するって、ただ赤方偏移の例でもわかるとおり、エネルギーロスの大きいところは避けたい。いま一番安全な道を探索中」
「道は無限にあるんだろ? 大丈夫なのか?」
「彗星は無限には見つかってないからね。まあ、あんまり精度上げても意味ないから、適当なところにするよ。本当は第一光子体が出て行った道がわかれば早いけど、わざわざ消して行ったところをみると、これはボクらに対するテストなんだろう」
「テスト? 何の?」
「ボクらに力があるかどうかさ。第一光子体としては猫の手も借りたい状況なんだろう。よくはわからないけど情報体同士のいざこざの中で助っ人が欲しいのは確かみたいだし。ただ、あまりにも能力が低かったら、足手まといにしかならない。せめてセルレス突破ぐらいは自力でできないと、そんなところじゃないかな」
「有りそうな話だな。俺も間抜けと組んでひどい目にあったことがある。自分の能力を過信してない最初の光子体には好感が持てるな」
それは、ひどい目にあった、ではなくて、ひどい目にあわせた、ではないのかな。ジルフーコは話しながら、ふと、そんなことを考えた。
「だいたいの話はわかった」ジムドナルドは長く息をはいて椅子の背もたれに身をゆだねた「いや、わかった、というか、わかった気にはなった。…あとひとつ、質問があるんだがいいか?」
「なんなりと」
「この考え方に至るまでどれくらい時間がかかった?」
ジルフーコは小首を傾げて肘掛に頬杖をついた。天井を見上げたまま答える。
「タケルヒノとこの件で話してすぐだよ」
「やっぱり、そうか」
「知識については、情報キューブの中に全部入ってたからね。必要なのはパラダイムシフトだけだったから。20世紀初頭、アインシュタインの相対性理論が理解困難だと言われたのは、まさにパラダイムシフトの困難さにつきる。アインシュタイン自身ですら最初は自分が何を言ってるかわからなかったくらいだからね」
「対話による発見、とか、そういう俗っぽい話は俺はしないぞ」ジムドナルドは椅子から立ち上がりジルフーコに詰め寄った「お前のパラダイムシフトは、何故、起こった?」
「全部、タケルヒノに教わったさ」悪びれることなくジルフーコは言ってのけた「自分の能力の寄与度くらいは自分でわかる。ボクの能力がいくばくかでも関与していたら、こんなすぐには結論には至らなかった」
「上出来だ」ジムドナルドは言った「AAAをやるよ。もし社会宗教学の教授になりたいんだったら、どこにでも推薦してやる」
「それは、いやがらせかなにかなの?」
「もちろん、いやがらせだ」これまたジムドナルドは言い切った「今日は気分がいい。気分のいい日はいやがらせをするんだ。やりすぎなくてすむからな」




