揺れる星(7)
「ダイモスの記録調査に時間がかかったのには訳があるのです」
ミーティングルームの壁スクリーンいっぱいにダイモス基地が表示された。サイカーラクラは説明を続ける。
「ダイモスでの記録の主なものは宇宙船の建設と火星基地での資源収集です。でも、それだけではありませんでした」
スクリーン上のダイモスが縮小し、中央から左隅に移動する。反対側からエリスが現れる。
「これはエリスからダイモスへの航行記録です」
太陽系の惑星が表示され、木星、火星、地球の順に線が結ばれ、最後に火星に戻った。
「ここからは、宇宙船の建設に関する記録になるので、あまり参考にできる部分はありません。当然ですが、火星からの出発の記録も残っていません」
「エリスまでの航行記録は?」
タケルヒノの問いにサイカーラクラの口元がわずかに歪んだ。
「それが、調査に時間のかかった一番の理由なのですが」
エリスが中央に移動し、そこだけ縮尺が大きくなる。いままで太陽系の内側に伸びていた線は、その反対、外縁部に向かって引かれていくも、途中で点線に変わりフェードアウトする。
「どこから来たかわからない、ってことか」
ジムドナルドのつぶやきに対して、サイカーラクラはもどかしく言葉をつなぐ。
「いえ、どこから来たかはわかっていますし、記録もきちんとあるのですけど…、その…、私には…」
「ありがとう、サイカーラクラ、後はボクが引き継ぐよ」
ジルフーコの声に、ホッとした表情を浮かべるサイカーラクラ。乾いた唇にようやく赤みがさす。
ジルフーコがメガネのフレームに手をやると、点線部分が拡大された。ガタガタの直線と曲線を組み合わせたような奇妙な図形が浮かび上がる。
「これは正確な図じゃない」ジルフーコが拡大率を上げるほどに航路はぐちゃぐちゃの線になっていく「逆格子空間上のモジュラー関数の畳込みなんで、実空間だと表現しきれないんだ」
「こんな飛び方できるのか?」
ビルワンジルの疑問はもっともだ。
「できる」答えたのはタケルヒノだ「主駆動機関を実空間以外の次元に向けて駆動すればいい」
「その通り」
このやりとりだけ抜き出すと、あたかも、問題は解決したかのように聞こえるが、それはやりとりしている二人だの話で、他のメンバーにはさっぱりわからない。
「あのな」ボゥシューが重い口を開いた「もしかしたら前に聞いてたのかもしれないけど、よくわからないからもう一度教えてくれ、別次元に移動したらワタシたちはどうなってしまうんだ?」
「ああ、ボクらは関係ないんだよ」ジルフーコの口調は軽い「前に見学したでしょ、鉄の玉、この宇宙船の真ん中にあるでっかいやつ、別次元に出たり入ったりするのはあれだけだから」
「そうなんだよ」タケルヒノが引き継いだ「今は実空間しか移動しないから、真球が実胞内の4次元時空間軸に展開した状態でしか電磁推進してないんだけど、これが多次元に発散している状態で駆動すれば良いだけなんだ」
――怪しい
にこやかに話すタケルヒノとジルフーコを見て、ジムドナルドは確信した。言っていることはおそらく本当だが、根本のところを何か隠してる。
――まあ、あとでとっちめればいいな、どうせみんなのいるところじゃ白状しない
「じゃあ、これを逆にたどれば、目的地に着くんだ」
「いや、それは違う」
真っ向否定されてしょげるイリナイワノフ、あわててタケルヒノは言葉を継いだ。
「この道は一方通行なんだよ、だから、僕らは双子解のもう片方を解いて進まなきゃいけない」
双子解? もう片方?
不安げな顔の5人にタケルヒノは無理やり付け足した。
「これは入り口の方だから、出口を探せばいいんだ。これだけわかれば、あと少しだ」
「おつかれさま、サイカーラクラ」
ミーティングルームを出たイリナイワノフは、サイカーラクラをビュッフェに誘った。ミルクティーもどきをふたつ、テーブルの上に置く。
「ありがとう、イリナイワノフ」
椅子に腰をおろしたサイカーラクラはフェースガードを解いて、ティーカップを口にはこんだ。
「サイカーラクラすごいよねぇ。よくあんな難しいことできるね」
え? という顔でイリナイワノフを見る。サイカーラクラには彼女のほうが不思議だった。
「すごいのはイリナイワノフのほうです。どうして光子体と戦ったりできるのですか?」
「えー、ただ目標にむけて撃っただけだし、あれだけ的が大きかったら、ちょっと練習すればできるよ。それよりサイカーラクラは頭よくていいなあ。ボゥシューもだけど。タケルヒノとかジルフーコの話、聞いててわかるんでしょ、あたし、ちんぷんかんぷんだし」
「あの二人と比べるのはやめて」
サイカーラクラの顔が真っ赤になった。
「ジルフーコ、もそうだけど、タケルヒノは本当に何を考えているのかわからないことがあるから、あの人、思考過程をすべて飛ばして答えだけにたどり着いてしまう感じがします」
「あー、わかるかも、ボゥシューもそんなこと言ってた」
「ジルフーコやジムドナルドは、まだいいんです。何を知っているのかわかるから、彼らが知っていることを聞けばいい、でもタケルヒノは違う」
「違うの?」
「違う」
「どこが?」
「あの人、誰も知らないことを知っているのです」
ミーティングルームにひとり居残ったボゥシューは、スクリーンに広がる木星を眺めていた。さほど苦労しなくても、イオ、エウロパ、ガニメデ、そしてカリスト、木星の前を行くガリレオ衛星も見える。
不思議な気分だった。
こんな経験は人類の誰も、ボゥシューの仲間7人をのぞいては見たこともない光景だ。
本来なら彼女の胸を心底から揺さぶるはずの。
感動がないわけではない。
むしろ感動はしている。
でも、この寂しさはなんだろう。
「行ってみるかい?」
振り向くとタケルヒノがいた。
「あと少し物資を補給しなきゃいけない、アンモニアとか。だから時間はあるよ」
ボゥシューは答えず、スクリーンに目を戻した。
「宇宙に行くのが夢だった」
だから最愛の家族と別れて宇宙船に乗ったのだ。
「これはワタシの夢だった、本当の宇宙」
でも、これから行くのは…
「ワタシは、怖い」ボゥシューは振り向いた「ワタシの知らない宇宙に行く。怖い」
タケルヒノは動かなかった。
声をかけることもなかった。
ああ、と思った。ボゥシューには、やっとわかった。
「怖くないんだな? タケルヒノ」
「すまないと思う」タケルヒノはやっと口を開いた「その通りだよ、ボゥシュー」




