揺れる星(5)
エウロパは氷の星、表面だけだが。
数キロメートルにおよぶ氷の下には、深さ100キロメートルのエウロパの海がたゆとう。
公転周期は内側衛星イオの2倍、さらに外側のガニメデはエウロパの2倍の公転周期を持つ。イオ、エウロパ、ガニメデ、この3衛星の共鳴軌道に木星の重力が加わった周期潮汐力は、エウロパの表面氷層を砕き、氷層下の海を露出する。こうしてエウロパの表面に現れた海はマイナス150度という超低温に曝され、瞬時にして氷の表面に戻るのだ。
「発信源はエウロパの海で間違いないんだな?」
多目的機の後部座席に陣取ったジムドナルドは、特製のレシーバーを耳から離さずに尋ねた。
「ここまで来たら間違えようがない、とジルフーコは言ってた」
多目的機をエウロパの氷表すれすれに飛ばすタケルヒノは操縦装置から手を離さない。
「いまちょうど真下あたりだよ。海中を時速250キロで移動中だ」
「海の中で時速250キロって速くない?」
「速いね。ただこっちは飛んでるからなあ、こんな遅いスピードで制御は無理だな。真下に補足したいところだけど、追い越してまた戻って、すれ違いながら近づいていくしかないかな」
「生物ってわけじゃ、なさそうだな」
「かといって人工物かと言われるとなあ。なにか聞こえる?」
「ごちゃごちゃ言ってるが、何わめいてるのかわからん」
ジムドナルドはレシーバーを外した。
「コーデックがずれてるのか、もともと意味のないことをわめいてるのか、記録だけしてあとで解析だなー」
ジムドナルドはタケルヒノの背中に聞いた。
「アレは、打ち込めそうか?」
「少しでも海が覗いてるとこじゃないと無理だ」速度キープのまま、タケルヒノが答える「砕氷機能はあるけど、数キロメートルなんて、無理、無理、無理」
「タケルヒノたち、大丈夫そうか?」
新ミーティングルームの壁一面に映る 多目的機を見つめながら、ボゥシューが尋ねた。
「画像が送られてきてる間は大丈夫かな」ジルフーコが答えた「光子体は光だから、電磁波としていろいろ仕掛けてくる。地球で宇宙船を情報的に隠蔽したのも原理的には似たようなものだ。だから情報体って呼ばれるんだけどね。火星でケミコさんたちがやられたのもそうだし、コンピュータはこの手の攻撃には弱いな」
「こっちに直接来ることはないのか?」ビルワンジルは言ったが、さほど心配している様子ではない「近いほうが危険なんだろうけど、火星くらいまで攻撃できるんだから、こっちにも来るだろ?」
「電磁波だから電磁シルードで防御できる」ジルフーコがくるりと椅子を回転させて皆のほうを向いた「エネルギーが足りてる間はまず心配はいらない。まあ、防御する気もないけどね」
「どうしてですか?」サイカーラクラはフェースガードを開けて、壁面スクリーンに見入っている。
「電磁シールド使うと、タケルヒノとの交信も切れてしまう。いまのところ、そんな不利な状況でもないから、あえて通信を絶つほどのことはないと思うよ」
「何故、発信源は移動しているんだろう?」
「わからない、というより、何故、海中なのかのほうが気になる。水は電磁波吸収体だからな。向こうからの攻撃が減衰されてしまって不利なハズなんだけど」
「それはお互い様だろ」そう言ったのはボゥシューだ「こっちからの攻撃だって減衰する、相手は逃げてるんだろ?」
「逃げる? 何故? こっちから向こうには行けないんだよ」
「じゃぁ、向こうからこっちに来てしまって、帰れないんだろうな」
「帰れないだって?」ジルフーコは驚いてボゥシューに顔を向けた「そんな間抜けなことがあるかな?」
「情報体がみんな賢いと決まってるわけでもないんだろ」
「今の話、聞こえた? タケルヒノ」
「ああ、聞こえたよ」
ここからタケルヒノは突然、英語で話しだした。
「ま、簡易暗号だな。いずれバレるだろうけど、原語以外なら、一時しのぎにはなる。ボゥシューの話はありそうだ。光子体は光だからね。通常の宇宙空間だったらどうということはないが、水の中に入ってしまったら、屈折率の関係で全反射を起こして水から真空には非常に出にくくなる。おまけに水中だと真空と違って、光はどんどん減衰するから、うまく抜けだして帰らないとおしまいだ」
「それでパニック起こしたかな」ジムドナルドはもう一度レシーバーを耳に付けた「あんまりわけがわからないから聞くのやめたんだが、うん、ヤツが吐いてるのは、呪い、とか、それに近い言葉だ」
「呪い、って何?」
イリナイワノフの問いに、ジムドナルドは即答した。
「クソッタレ、って言い続けてるんだよ。さっきからずっとな」
「このまま減衰していってくれたら、いちばん良いんだけど」
氷の下の電波源をレーダーで補足しながら、タケルヒノは多目的機を旋回させる。
「そういうわけには、いかないみたいだ。イリナイワノフ」タケルヒノは無敵の射手をうながした「曳光弾をセットして」
「曳光弾? ここ宇宙だよ?」
「酸素なくても光るようにしてあるから。光子体に実弾は効かないけど、光に弱いから曳光弾くらいでも怯むと思う」
「わかった」
「いきなり撃たないでね。最初は話し合いだから」
「えー、話し合いすんのか?」
めんどくさそうな声でジムドナルドが割り込んでくる。
「ファーストコンタクトだろ」タケルヒノが答えた「ちゃんと手数を踏んでくれ。交渉担当者」
「何語で話せばいいんだよ。先方はめちゃくちゃだぞ」
「原語でいいよ。あっちがわかるかどうかなんてどうでもいい。交渉決裂だと思ったら合図して」
「決裂したらどうする?」
「撃つ」
「いいのか?」
「後で怒られたら、適当に言い訳するさ。年端もいかない少年少女がいきなり遭遇したので、わけもわからず撃ち返してしまいました、とかなんとか」
「前から思ってたんだけどさ」ジムドナルドは操縦席に座るタケルヒノの背中にむけて言った「お前、本当はすごい悪党なんじゃないのか?」
タケルヒノはレーダーを睨んだまま叫ぶ。
「来るぞ、左翼、下からだ」




