となりの星(6)
「もう出発なのか」
「ああ、そうだよ」ジルフーコはビルワンジルに答えてから、皆を見回した「新しい宇宙船の外殻はほぼ完成した、主駆動部はまだだけど、補助駆動部が動かせるので、火星軌道は離脱できる」
「いま、ボード、って言ったか?」こういうところだけは耳ざといジムドナルド「それ、新しい宇宙船の名前?」
「いや、名前ってわけじゃないけど」
ジルフーコとタケルヒノが顔を見合わせる。
「新しい宇宙船と古い宇宙船」タケルヒノが説明した「ダーツ・ボードと矢に似てるから、とりあえず僕とジルフーコはそう呼んでたんだ。新しい宇宙船、古い宇宙船とか長くて言いにくいから。正式な名前は、みんなと相談して決めようと思ってたんだ」
「正式な名前って、たとえば、どんなの?」
「え? 人類の希望号、とか?」
イリナイワノフに答えたタケルヒノの言葉に、場は一瞬、沈黙した。そして噴出。
「ださっ」
「それに長いし」
「さすがに、それはちょっと…」
「…」
「だから、やめとけって言ったのに」
「ボードとダートのが良いぞ、タケルヒノ、ネーミングセンスなさすぎ」
タケルヒノ、ひどい言われようである。
「じゃあ、新しい宇宙船と古い宇宙船ということで」ジルフーコが言って、皆、うんうん肯く「必要な資材は90%集まったので、これは全部、新しい宇宙船に積み込む。ケミコさんも全員だ」
「それじゃ、あたしたちもお引越しだね」
イリナイワノフが言うと、ジルフーコは首を振って否定する。
「居住区がまだなんだ、ビオトープゾーンもね」ジルフーコはおとなしく伏せているザワディに向かって強調した「だから古い宇宙船もしばらくは並走する。そのへんができたら、ドッキングして新しい宇宙船を回転させるから、引越しはその後だよ」
「どれくらいかかるの?」
「木星着くまでにはなんとかしたいけど、ケミコさんたちのがんばり次第だなあ」
ひさしぶりに、タケルヒノが食堂の定位置についている。
エウロパのデータも小宇宙船側に移したし、ケミコさんたちへのプログラムも完了しているので、ダイモスでやることがなくなったのだ。
となりにサイカーラクラがやってきた。
「あの…、いまさらですけど…」めずらしくサイカーラクラがタケルヒノに話しかける「人類の希望号って、私、良いと思います」
唐突な話に、最初、タケルヒノは面食らっていたが、クスリと笑った。
「ありがとう、まあ、自分でも、ちょっと長いかなとは思ってたんだ」
「そんなことありません」サイカーラクラは強く否定した「地球の船にはよく人名をそのままつけますが、今回はそういうわけにはいきません。誰も地球人の名前など知らないのですから、説明がたいへんです。そして、人名をのぞけば、人類の希望号というのはとてもオーソドックスなものです。あの場では、反対意見が出しにくかったので、ああいう結果になりましたが、私としては…」
熱弁を奮うサイカーラクラに、タケルヒノはニコニコと笑顔をむけている。ほんの少しの違和感に、サイカーラクラは弁説を止めて尋ねた。
「あの、どうかしましたか?」
「いや、ひさしぶりにサイカーラクラの顔が見れたから、うれし…」
ものすごい勢いでフェースガードが閉じられた。しまった、とタケルヒノは思ったが、後の祭りだ。
「あのね、タケルヒノ」
「ん、どしたの?」
イリナイワノフは、なにかモジモジしている。
「なんていうかなあ、あの、新しい宇宙船の名前ね。さっきはいろいろ言ったけど、そんな、別におかしくないかなあ、って」
「ああ」タケルヒノは微笑んだ「まあ、たとえばの話だからね、いきなり良い名前は出てこないよね」
「うん、なんか、あたしがヘンなこと聞いたから、成り行きであんなになっちゃって、ちょっと、その、ゴメン」
「気にしないで、そんなこと」
「ほんと? 良かったぁ」
イリナイワノフ、実はだいぶ気にしていたらしい。面白いな、タケルヒノは思った。
「だいたい、新しい宇宙船と古い宇宙船が良いってみんな言うけど、そっちもタケルヒノがつけたんだよね」
「そうだけど、何で知ってるの?」
「やっぱり」イリナイワノフがうれしそうに笑う「だって、ボード&ダートって英語だもん。ジルフーコがつけたらフランス語になるんじゃない?」
――へえ、意外と細かいトコ、気がつく子なんだな
ちょっと、うれしいタケルヒノだった。
「センスないのはあんまり気にしないほうがいいぞ。タケルヒノのイイトコはそういうトコじゃないから」
馬鹿にしているのか、持ち上げているのか、ボゥシューの言動は判断に迷うことが多い。
――悪気はないんだろうなあ、その分、かえって怒れないから始末に悪いけど
「ところで、あれって、新しいほうの名前だな。古いほうだと、どうなるんだ?」
「うーん、人類の感涙号かな」
ボゥシューは心の内がものすごく顔に出るタイプだ。
二人は会話を続けるのが不可能になった。
「わーははは、ほら、ザワディ、こっちだ、こっち」
無重量区画で作業をしているビルワンジルとジルフーコ。そのとなりでザワディとジムドナルドが鬼ごっこをしている。
ジムドナルドは上機嫌だ。ワイヤーが使える分、無重量空間ではジムドナルド有利である。ザワディは壁までいかないと向きを変えられないが、ジムドナルドはワイヤーでいつでも壁に戻れる。ジムドナルドは、ザワディを軽くつついてはワイヤーで戻り、己の優位を堪能していた。
「どうなんだろ、アレ」
「ん? ああ」ビルワンジルはジルフーコの指す方をちらりと見た「ザワディはよくやってるよ。アイツがジムドナルドの面倒みてくれるから、こっちの邪魔されないですむ」
「ああ、確かにそうだね」
ジルフーコは笑いながら、壁面スクリーンに小さく写る火星を見上げた。
――結局、降りなかったなあ、興味がないわけじゃないんだけど
反対側のスクリーンには並走する宇宙船が写っている。宇宙船の壁面についたケミコさんも何体か見える。
ジルフーコにとっては、こちらのほうが面白かっただけだ。
たぶん、これからもそうだろう。




