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ワンダー7  作者: 二月三月
始まりの終わり

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リューシューの夢

 リューシューは娘ちゃん(丶丶丶丶)の部屋を掃除していた。


 娘ちゃんが、いなくなって、戻ってきて、またいなくなってから、ずっと部屋はそのままにしてある。


 死んでしまったわけではないのだから、


 リューシューは、そう言って、娘ちゃんの部屋を毎日掃除していた。

 もう帰ってこないことは知っている。娘ちゃんはそう言って出て行ったのだから。たぶん、幸せに暮らしているのだと思う。


 娘ちゃんの持ってきた情報キューブ(丶丶丶丶丶丶)を読み解いて、リューシューはもう宇宙の本当の姿を知っている。

 一介の主婦にそんなことができるわけがない?

 いいや、リューシューはただの主婦ではない。

 その夫は、稀代の天才数学者であり、かつロジスティックスの神様とうたわれる屈指の実業家である。ともすれば凡庸とも誤解されがちな長男は、情報キューブの内容にそって近代物理学をすべて書き直した新進気鋭の物理学者だ。

 そして自身は、カナダ国立研究所の化学部門研究員を長らく務め、辞してなお論文の参照件数は、現役研究者ですらしのぐほど。情報キューブの理解度だけなら、ママのほうが全然、上だ、と息子に言われるほどなのである。


 まあ、そんなことは、どうでもいい。


 娘ちゃんは宇宙にいる。それも私たちのいる胞宇宙(セルベル)とは別の胞宇宙(セルベル)に。ずっと遠いところ、などという曖昧な言い回しよりは、はるかに具体的に娘ちゃんとの距離を認識していたリューシューではあったが、それが、何かの役に立つというわけではなかった。


 子供たちはいつか巣立っていく。それが、ちょっと早かっただけ。リューシューは何度も自分に言い聞かせた。お兄ちゃんも結婚してアメリカに行った。カリフォルニアに住んでいてもうすぐ子供も生まれる。お嫁さんは良い人だ。

 パパは会社をリタイアしていた。もともと家族を養うために始めた仕事だったのだ。もう子供たちもいなくなって、リューシューと2人。働く理由はもうなくて、どうしても断り切れなかった大学の講義で週に1日家を開けるだけだった。リューシューはパパと結婚前の恋人時代のように暮らしていたが、話すことの半分は子供たちのことで、それだけが、昔と違っていた。

 

 リューシューは幸せだった。

 

 パパとはよくショッピングに出かけるし、2人だけだから、たまには、レストランで食事もした。パパも、お兄ちゃんも、お兄ちゃんのお嫁さんも、リューシューを旅行に誘ったが、日帰り以外の遠出はしたがらないリューシューだった。

 

 みんな理由は知っていた。

 

 だからパパも、リューシューが娘ちゃんの部屋を日に3度も掃除するのをとくにとがめはしなかった。他の部屋の掃除は行き届いていたし、リューシューがなまけているわけではなかったから。

 

 リューシューは幸せだった。でも、ときどき思うことはある。


 娘ちゃんの部屋を掃除しているとき、

 リューシューは、ついつい、手を止めて壁の絵に見入ってしまう。


 娘ちゃんの描いた絵だった。


 事のはじまりはある年の夏休みだったと思う。

 娘ちゃんはあまり学校に行きたがらなかったので、家にいることが多かったから、もしかしたら、夏休みではなかったのかもしれない。


 娘ちゃんは学校には行きたがらなかったけれど、家にじっと閉じこもっているわけではなかった。

 天気の良い日はよく外でひとりで遊んでいた。


 そんな娘ちゃんが、友だち(丶丶丶)の話しをしだしたので、リューシューはとても驚いたのだ。


 もちろん、話しは普通に聞いていた。変に態度がかわって娘ちゃんが警戒したら、もう友だちの話しをしてくれなくなるかもしれないし、下手をすると、友だちと遊ぶことをやめてしまうかもしれない。

 リューシューは慎重に娘ちゃんの話しを聞いた。


 友だちは男の子らしかった。

 カナダの子ではないらしい。

 日本、ってドコ? と聞かれたので、

 中国のとなり、とリューシューは答えた。


 日本人の男の子?


 娘ちゃんの最初の友だちが日本の男の子だと言うので、リューシューは少なからずうろたえた。

 別に日本人だからどうというわけではない。

 いろいろ急だったので、とにかく驚いたのだ。


 それからしばらくの間、娘ちゃんはご機嫌だった。

 リューシューは、少し、はらはらしながらも、友だちの話しを聞いた。

 理由はよくわからないが、男の子は宇宙の話しをよくするらしい。

 男の子はそういうものかもね、とリューシューが言うと、娘ちゃんは少し納得したようだった。


 そんなある日の夕方、昼まで機嫌のよかった娘ちゃんが、晩御飯前にふさぎこんでいた。

 話しを聞くと、

 男の子は、もう、日本に帰ってしまうのだと言う。

 それは、残念ね、とリューシューは慰めた。

 でも、また会えるよ、と男の子は言ったのだそうだ。

 そう、会えるといいね、とリューシューも同意した。

 いつ会えるかな? と娘ちゃんが聞くので、

 さあ、来年かな、とリューシューは答えた。

 来年? そんな先なの? と娘ちゃんが泣きそうな顔で言うので、

 日本は遠いからね、とリューシューは娘ちゃんを諭した。


 そして、次の年。

 娘ちゃんは夏の間中、外で遊んで真っ黒になったが、男の子は現れなかった。

 今年は都合が悪かったのかもしれないね、とリューシューは慰めた。


 その次の年も男の子は来なかった。

 娘ちゃんに、よく聞いてみると、毎年来ると言ったわけではないらしかった。

 また会える、というのも、男の子の思い込みかもしれないし、あるいは優しい嘘かもしれない。


 その年の夏の終わりに、娘ちゃんは、画用紙とクレパスが欲しいと言った。

 そして、いま、リューシューの見ている絵を描いて壁に張った。

 湖で男の子と女の子がボートに乗っている絵だった。


 次の年、娘ちゃんは、以前のように外では遊ばなくなっていた。

 たまに湖には行っていたようだが、それだけだった。


 次の年は大学院の受験で忙しかった。湖に行っていたかどうかはよくわからない。


 そして、次の年、

 娘ちゃんは、宇宙に行ってしまった。


 もう一度、リューシューは絵の中の男の子を見つめた。

 娘ちゃんが描いた、という贔屓目で見ても、それほど上手な絵ではない。

 でも、男の子の顔は楽しそうに見えた。


――もし、この子と娘ちゃんがもう一度会えていたら


 実は、この絵を娘ちゃんが描いたあと、リューシューは遅ればせながら、男の子のことを探してみたのだ。この近くにすむ日系人のツテで探し回ったが、親戚にそれらしい子がいる家も、ホームステイでそんな子を受け入れた所も見つからなかった。

 リューシューはとても後悔した。最初の年、こっそり娘ちゃんの後をつけていけばよかったのだ。過保護だ。親馬鹿だと笑われようと、この子を見つけて、さりげなく、どこに泊まっているのか聞くだけで良かったのに…


 そうしたら、


 娘ちゃんは宇宙に行ったりしなかったかもしれない。


 たとえ一度は行ったとしても、


 もう一度、帰ってきたときに、宇宙に戻りはしなかったろう。


 こうして、この絵を眺めていると、いつも涙がこみあげてくる。

 もちろん、男の子のせいではなかったが、

 娘ちゃんにあったかもしれない、もうひとつの未来を、リューシューはあきらめきれなかった。



 玄関のベルが鳴る。


 誰だろう? リューシューは思った。

 パパと2人で暮らすようになって、我が家を訪れる人はめっきり少なくなった。

 お兄ちゃんとお嫁さんも、今日、来る予定はないハズだった。

 どなた? と言って扉を開けたリューシューは、その場でそのまま固まってしまった。


「やあ、マム。帰ってきちゃった」


 最後にサヨナラを言ってから、少しだけ背の伸びた、娘ちゃんがそこにいた。

 声も出せずに震えているリューシューを、娘ちゃんは優しく抱きしめた。


「今度は、けっこう長く居られる。すぐ宇宙に帰ったりはしないよ」


 娘ちゃんは、それから、はにかむように振り向いて、後ろの人をリューシューに紹介しようとする。


「この人、一緒に宇宙に行ってた人なんだけど…」


 シャツとジーンズこそ新品で着慣れていないが、片べりしたスニーカーをはいて、ボロボロのリュックサックを背負った青年が、にこにこしながら立っている。


 リューシューは、娘ちゃんの紹介を押しとどめ、青年の前に進み出た。小柄なリューシューより頭ひとつ高い彼の顔を見上げながら、震える声でリューシューは言った。


「わたし、あなたを知ってるわ」


 言われた青年は、とまどいの表情を浮かべつつも、笑みを絶やさず、リューシューを見つめている。


「知ってる。わたし、あなたを(丶丶丶丶)知ってるの(丶丶丶丶丶)


 突然、踵を返したリューシューは、娘ちゃんと青年を置き去りに、家の中へ駆け込んだ。

 2階への階段を駆け上る。

 娘ちゃんの部屋に入ると、壁に貼られた絵の前に立った。


 ああ、

 この子だ。


 心も体も、もう自由のきかない、リューシューの目からとめどなく涙が流れる。


 どこが似ているとか、そんなことではない。

 あの日、クレパスを何本も折りながら描いた、娘ちゃんとボートに乗っている男の子、

 その面影が、照れくさそうに娘ちゃんの後ろに立っていた青年にぴたりと重なった。


 とうとう、見つけたのだ。


 わたしは何もできなかったけど、娘ちゃんは自力であの子(丶丶丶)を見つけた。


 普段の静かな我が家には、ありえない騒々しさに、驚いたパパがボゥシューの部屋まで上がってきた。

 それを見つけたリューシューが、泣きながら、パパの胸にすがりつく。


「わたし…、わたし」


 困惑するパパにはおかまいなしに、リューシューは泣きじゃくった。


「わたし、ずっといままで幸せだと思ってたの。本当に…、幸せだと思ってた」


 パパ、――エンシューの後ろにならぶ2つの顔、事の成り行きに当惑しつつも並んだ2人は、遠い昔の恋人だったころのわたしたち。


「でも違った。ほんとうは違ったの、なぜなら、わたしはもっと幸せになるから」


 涙にかすむリューシューの瞳に見えていたものは、


 ボゥシューとならぶタケルヒノは、エンシューと寄り添う自分自身、何も見えなかったけれど、本当に大事なものだけは見失わなかった、あのときの自分。

 娘ちゃんと青年は、あのころの自分とエンシュー、そのものだった。


「よくお聞き、リューシュー」


 エンシューは言った。


「僕らは幸せになる、そうだろう?」




   みんな幸せになる





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