残心(1)
宇宙船、管 制 室中央。
専用操舵システム、鋼鉄の檻の中にいるイリナイワノフの緊張が切れた。
「終わった」
つぶやくイリナイワノフに、ダーが寄り添う。
「終わったのね。イリナイワノフ」
弛緩したイリナイワノフの体を支えるダー。そのダーに向けられたイリナイワノフの目から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「終わった…。終わったけど…」
そう言って泣き続けるイリナイワノフを、ダーは無言で抱きしめ続けた。
「まさか、ほんとうに来てしまうとは、あなたには驚きですよ」
デルボラの消えた空間を見つめていたエイオークニは、タケルヒノに声をかけられ、我に返った。
「まあ、約束を守ることぐらいしか、能のない男ですので」
さっきまで、デルボラ相手に大見得を切っていたのに、タケルヒノに言われると急に恥ずかしくなった。できれば、早くこの場から去りたいぐらいだが、なかなかそうもいかない。
「あの…、賭け、と言うのは?」
そう問うタケルヒノに、エイオークニはますます緊張して、しゃべることすらもどかしいほどだ。
「つまらん、話です。デルボラが…、たとえ、ここまで来ても、あなたに会うことはできないというので、それで、賭けを…」
ああ、なるほど、とタケルヒノは納得した。
「そういうことですか。それで、デルボラが…、いや、助かりました。あなたのおかげです」
「あの…、何のことでしょう?」
面食らって尋ねるエイオークニに、タケルヒノは、さっきまでデルボラのいた空間に目を向けつつ、答えた。
「このペンダントを…」さっきデルボラに返されたペンダントをエイオークニに見せながら、タケルヒノは言う「デルボラに見せればある程度は落ち着いてくれるとは思っていましたが、確信はなかった。あなたがデルボラと約束してくれたから、デルボラは崩壊せずにすんだ。ほんとうにありがとう…」
「いえ、私は、べつに…」
なおも話し続けようとするタケルヒノの左肩を、ビルワンジルがつついた。タケルヒノとエイオークニの顔を交互に見比べてから、気まずそうに、ビルワンジルは、壁にもたれたまま動こうとしないジムドナルドを指さす。
「あ、失礼。…この話しはまた後で」
やっと思い出したタケルヒノは、ジムドナルドのそばまで飛んで、ヘルメットの中をのぞきこむ。
「大丈夫か?」
「ほめろ」
「え?」
「俺をほめたたえろ」
顔を上げたジムドナルドは、タケルヒノに食ってかかった。
「このやろう。お前がいなくなってから、ものすごく苦労したんだぞ。体の半分ちぎれた親父をひっぱって、デルボラの追っ手をかわしながら、宇宙船まで帰った。ボゥシューにお前が帰らないって伝えて、あのクソ親父をファライトライメンまで送り返した。ジルフーコを完全情報体から励起子体に戻した。ヒューリューリーを見捨てた。お前があのみょうちくりんな穴から出てくるまで、デルボラが散らないように、話しをつないだ…」
「…あ、ああ」
「わかるか? すごく、ものすごく苦労したんだ。わかるか?」
「…いや、なんだ…、その…」タケルヒノは、どぎまぎして、思わずジムドナルドから目線をはずす「…いろいろ、すまなかった」
「ちがーう」ジムドナルドは絶叫した「謝るな、このやろう。また、お前の悪い癖だ。謝るんじゃない。お前は何も悪いことしてないだろ? そうじゃなくて、ほめろ。この俺をほめろ。俺はお前にほめられてしかるべきなんだ。とにかく、ほめろ。俺をほめるんだ」
タケルヒノは面食らったが、それでも、背筋を伸ばし、ジムドナルドの前に居ずまいを正した。
そして、そのまま体を折って、深々とお辞儀した。
「どうも、ありがとう」
あっけにとられたジムドナルドは、そして、突然、笑い出した。
「まあいい、もう、なんだか、どうでもいい」ジムドナルドは笑いながら言った。涙も出ていたから、あるいは泣いていたのかもしれない「今日のところは、それぐらいで勘弁しといてやる。いいか、次までは、もっとマシなほめ言葉を考えとけ。もうそんなんじゃ、許さないか…、ちょ…」
ジムドナルドの脇腹に、いきなり体当たりをかましてきた者がいた。
驚いて右横を見たジムドナルドは、狂喜の声を上げる。
「ザワディ、すごいぞ、ザワディ」
ジムドナルドは、巻きつけられたヒューリューリーごとザワディを抱きしめた。ザワディにも、ヒューリューリーにも、絶対にできない巻き付けかたなのは、すぐに気づいたが、そんなことはどうでもいいことだった。
「ザワディ、やっぱり、お前はすごい。いつだって期待を裏切らない、タケルヒノなんかとは大違いだ」
紐が、ひくひくとのたうっているのは宇宙服を通して感じたが、そんなことは無視して、ジムドナルドは力の限りに抱きしめた。
「終わったみたいだねぇ」
多目的機の中で、皆を待つジルフーコの前に、レウインデが現れた。
「そうみたいだね」
ジルフーコは素っ気なく答えた。
「まだ、いろいろやり残しはあるけどね。レウインデ、これで、キミの望みはかなったわけだ」
レウインデの顔から作り笑いが消えた。
「いつ気づいた?」
「一度、完全情報体になってるからね。タケルヒノほどじゃないけど、たいていのことはわかるさ」
「ずっと、デルボラを助けたいと思っていた」
レウインデの体から光の泡沫が飛び、淡くシャボンのようにはじけた。
「でも、私にはその力がなかった。デルボラのほうが私より力が上だったから…。あなたたちは、私の最後の希望だった」
「キミが、最初に宇宙船に現れたときには、もう、あまり時間がなかったんだな?」
「なかったよ。間に合ったのが、ほんとうに奇跡のようだ。みんなにアリガトウと言ってくれ」
「自分で言いなよ」
ジルフーコの言葉に、レウインデは、ほんのすこし躊躇した。
「いやあ、そういうのって、私の性格づけと合わないじゃない?」
レウインデは、再び、その白く輝く顔に、造り物の笑顔を貼りつける。
「だからさ、そういうの、やめにしよう。これでお別れするよ」
「また、会うさ。キミが望む望まないにかかわらず。ボクたちは、まためぐり逢う」
「それが、完全情報体になったあなたの答えか?」
「いや、違うね」ジルフーコは言った「ボクの意見じゃない。宇宙はそういう風にできてるのさ」
レウインデは、否とも応とも答えず、光の泡とはじけて消えた。




