胞障壁を超えて(5)
「探し物…?」
いまだ焦点の定まらぬまま、熱に浮かされたうわ言のように、デルボラが問い返した。
「そう、あなたの探し物ですよ」タケルヒノは言った「見つかりましたか?」
「確かに、わたしは何かを探していた」
それは、タケルヒノに答えを返している風ではなかった。誰か、デルボラですら知らない誰かに向かって、語りかけているように見えた。
「いったい、わたしは何を探していたのだろう?」
「別に何だっていいじゃないですか」
タケルヒノは言ったが、それは、デルボラを揶揄するでも馬鹿にしているわけでもなく、ただ、坦々と自分の考えを述べているだけのようだった。
「見つかれば、その時、あなたが何を探していたのかわかりますよ」
デルボラは、ここで、やっと、自分の話しているのが、タケルヒノだと気づいたようだ。邪気のない、心底不思議そうな眼で、デルボラはタケルヒノを見つめた。
「君は、自分が何を探しているのかもわからずに、探し物をするのか?」
「ええ、もちろんです。わかっていたら探す必要はないですからね」
「探す必要がない?」
「それが、何かわかったら、必ず手に入りますから」
「つまり、欲しいものが、ない…、と?」
「持っているもので、いいな、と思うものはたくさんありますよ」
「それを失ったら、と、恐くはならない?」
タケルヒノは、少し、困った顔をした。デルボラの言葉の意味はわかるが、理解できない、そんな顔だった。
デルボラは、突然、笑い出した。彼にもわかったのだ。
「そうか、なるほど、君は、そんなヘマはしない」
「しない、と言うより、出来ないんですよ」
デルボラは、なおも、笑う。乾いた笑いが無音の真空に響く。しかし、その笑いは、彼自身を癒した。
「それで、不便だとは思わないんですか?」
「そうじゃない状態がわからないので」タケルヒノの口調は次第に言い訳がましくなる「ジムドナルドは、いつも、僕の悪い癖だと言うんですけど」
彼ならそう言うだろう、とデルボラは、また、笑った。ひとしきり笑った後に、ふと、思い出したデルボラは、タケルヒノに尋ねた。
「君の探し物とは何だったんです?」
これです、とタケルヒノは、金の鎖のついたペンダントをデルボラの眼前にかざした。
デルボラの表情がみるみる変わる。
タケルヒノに促されるまま、おずおずとペンダントを手にしたデルボラは、小さな留め金を外して、ロケットの蓋を開けた。
ロケットの中には、写真があった。それを見たデルボラは、お、と小さく嗚咽をもらし、すぐに蓋を閉めた。
「これを、どこで…?」
「あなたの胞障壁の中で」
デルボラの顔に、安堵とも諦念ともつかぬ表情が浮かぶ。デルボラは、手を差し出し、ペンダントをタケルヒノの手に戻した。
「このペンダントは、もともと彼のものです」デルボラは言った「だから彼に返してほしい」
デルボラの体から、かげろうのように、極彩色の胞障壁が立ちのぼる。それは、もう、闇の形をしておらず、しいてあげれば蜃気楼のように、デルボラの体を曖昧に包んでいく。
「わたしも探しにいきましょう」
驚くほど柔和な顔を見せたデルボラは、自分を包んでいく胞障壁に身を委ねた
「タケルヒノ、君は、わたしが見つけたなら、わたしが何を探していたのかわかると言った。確かに、君は、正しいような気がする。もういちど探してみよう。本当は、わたしが何をしたかったのかを」
曖昧さがデルボラを取り込み、茫漠とした情報へと還元していく。
極彩色が色としての情報を空間へと拡散していくさなか、
いままで、押し黙って、事態を見守るだけだったエイオークニが、突然、声を上げた。
「駄目です。デルボラ。まだ私との約束が残っている」
「約束とは?」
織りなす色は、とまどうように、エイオークニに問うた。
「あなたとの賭けです。私はタケルヒノに会えた。賭けは私の勝ちです。あなたは、私の願いを聞かなければならない」
「ああ…、そう…でした」
声、というには、あまりにもとぎれとぎれで、だが、その意志のこもった音列は、かろうじて意味をエイオークニに伝えようとざわめく。
「賭けは…あなたの…勝ちです。でも…すみません…あなたの…願いを…かなえる力は、もう…、わたしには…」
「私と、もういちど、会ってください」
虚ろに形を崩していく色に向かって、エイオークは叫んだ。
「たとえあなたが、どんな形になろうとも、そして私がどうなろうとも、私とあなたは、かならず会うんだ。それが私の望みです」
色は最後に微笑んだように見えた。
デルボラは胞障壁と共に姿を消し、この胞宇宙に存在するものとは、次元を隔てた存在になった。




