胞障壁を超えて(2)
「君が天才なのは、前から知っているので…」
そう言うデルボラは、口調こそ不満げだったが、その瞳には何某かの光が輝いていた。
「君の天才は、このさい、どうでもいい、それより君は正則空間ではないところを意識的に抜けたわけだが、他の同乗者への配慮は、君の頭の中にはなかったのかな?」
「もう、何度も、タケルヒノが抜けてるからな。非正則空間といっても、正則空間とのつなぎ目は、たかだか可算無限個の不連続点しかない。近傍を見極めれば、何とかなる」
「エイオークニは?」
「まあ、それだけが未知数だったが」ジムドナルドは、ニヤリと笑った「あれだけ本人が大口叩いてるんだ。普通、大丈夫だって思うだろう?」
「彼は自分に正直なだけですよ」デルボラは言った「もっとも、自分に何ができて何ができないのか、まるで、わかってない。非常に迷惑なタイプです」
「でも、馬鹿じゃあない」
「さあ、どうでしょうね?」デルボラは、その点については同意しなかった「無知ではないですが、聡明かというと…、君と似たようなものではないですか?」
「まあ、確かに」ジムドナルドは、渋々ながら、デルボラの意見に賛同した「約束を守るためだけに、胞障壁を超えるなんてのは、頭のネジが飛んででもなけりゃ、できっこないか」
「君は、何のために胞障壁を超えたのです?」
「騙されたんだよ」ジムドナルドは、いまいましげに言った「あいつ、さも簡単なことのように言ったからな。そりゃ、あいつにとっては、鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように、胞障壁を超えるなんてのは、ごくごく普通のことなんだから、嘘ついたつもりはないんだろうが、誰にとっても簡単ってわけじゃない、ってことは、やっぱり、言うべきだろ?」
「いや、言うべきというか…、気がつかなかっただけですよ」デルボラは、嘆息した「そもそも、タケルヒノは、君が胞障壁を超えられない、なんてことは想像すらできなかったのでしょう。誰にとっても簡単でないことぐらいは、彼だって知っていたでしょうが、ジムドナルドにできないことがある、なんてことをタケルヒノが思いつけるわけがないのです」
「まあ、理論のほうは、こんなものですかね」
デルボラは言い、ぐるりと一同を見回した後、再び、ジムドナルドに視線を向けた。
「そろそろ、実技のほうに入りましょうか」
――実技?
デルボラは、自分の言葉の意味を気取られる前に右手を差し出した。さっきジムドナルドが来る前に、ボゥシューの目の前で生み出したばかりの胞障壁、その胞障壁に右手を添え、ゆっくりと、しかし、確実に、ジムドナルドに向けて押し出した。
もう、ビルワンジルの手には、槍は残っていない。
ジムドナルドは、不敵な笑みを浮かべつつ、ゆっくりと自分に向かって進む胞障壁を睨みつける。
胞障壁のさやめく極彩色の臨界が、ジムドナルドに触れる瞬間。
光が、弧を描いて一閃した。
軌道を変え、部屋の隅へと進む、胞障壁。
ジムドナルドの前に1人の男が転げていた。
「思ったより、何とかなるものですね」
刀身の粉々に散った柄だけの木刀を握りしめ、エイオークニが、肩で息をしながら呟いた。
「あなたみたいに吹き飛ばすのは、一朝一夕では難しい」
エイオークニは、ビルワンジルに笑いかける。
「まあ、なんだ、コツがいるんだ」
ビルワンジルは笑った。
「こらあ」ジムドナルドも、笑いながら怒鳴る「せっかくの見せ場だったのに、イイトコ、横取りしやがって」
「すみませんね」体を起こしたエイオークニは、周囲を見回した「呼ばれた気がしたんですが…、誰か私を呼びましたか?」
「さっき噂はしましたよ」さすがにデルボラは、あきれ顔だ「いきなり飛び込んでくるとは思いませんでしたが」
「ワタシが呼んだ」ジムドナルドの背後から、ボゥシューが答えた「アナタは呼べば必ず来てくれるから、前のときもそうだった」
「お役に立てて、何よりです」
エイオークニは、ボゥシューとサイカーラクラの前に立ち、柄だけになった木刀を小太刀のように構え、デルボラに対峙した。
「で? まだ実技は必要か?」
ジムドナルドの問いに、デルボラは、あっさり首を振った。
「いいえ、ただの座興ですからね。どうせ、君が胞障壁に飲み込まれるなんてことは、ありえないのだし…、こんなこと、何度もやるほど、お互いヒマでもないでしょう」
デルボラは、話題をかえた。
「ジルフーコは、どうやって戻したのです?」
「ジルフーコとは、話したんだろ?」
「ええ、まあ。ただ、わたしが話したのは、完全情報体の時のジルフーコなので、矮小化でどこが変わったのかわからない」
「ジルフーコが、完全情報体だったのは、わずかの期間だ。こっちにコンタクトを取ろうと行動している時点で、もう、完全情報体じゃなくなっている。完全平坦化は、完全情報体に必須の条件だが、完全平坦化されていると、まったく何の欲求もわかないからな。ま、完全情報体じゃなくなっているといっても、そこからさらに削り落として励起子体まで落とし込むのも、かなり骨が折れたが…」
「ああ、なるほど、話したときに感じた違和感は、それでしたか。わたしと話していたときには、もう、完全情報体では、なかったのですね。それにしても、完全平坦化状態から、よくひとりで抜け出せたものだ」
「それについては、俺は何もしてないからな。ジルフーコひとりでも励起子体に戻れた可能性は高いが、たぶん、時間がかかりすぎる。少しぐらいの手助けにはなったろう」
さて、と、ジムドナルドは勿体つけて切り出した。
「これだけ、あんたの話しを聞いてやったんだ。いくらなんでも、そろそろ、こっちの質問にも答えてもらう番だよな。あんたも質問ばかりじゃ飽きるだろう」
「いいでしょう。何が聞きたい?」
「あんたの夢は何だ?」ジムドナルドは通りいっぺんの質問をしたが、デルボラに対しては、こう付け足すのを忘れなかった「いいか、最初の光子体の夢じゃないぞ。ほんとうのあんたの夢だ」




