虚実の果て(5)
通路は、もともと人間のために造られたものだ。
それを言うなら、デルボラ=ゼルも航宙宇宙船として設計されたわけで、これもまた人間の仕様に引きずられている部分がある。
情報体には、本来、宇宙船は必要ない。皮肉なことに、宇宙船を必要としたのは、第一光子体と宇宙皇帝だけだった。
それぞれの理由で。
そしていま、通路は、デルボラ=ゼルが建造されてから初めて、本来の使われ方をしている。
ジムドナルドを先頭に、ビルワンジル、ボゥシュー、サイカーラクラ、そして殿をエイオークニがつとめた。
エイオークニは、先程から、背後に何かの気配を感じている。
何をするでもなく。
つかず離れず、ずっと、エイオークニの後を忍んで来る。
エイオークニは、振り向かなかった。
やがて、気配は、エイオークニの背に張り付き、そのまま浸透するように、包み込みはじめた。
エイオークニは正眼に構えていた木刀を降ろし、前を行く4人に言った。
「どうやら、後ろのものは、私に用があるようです。みなさん、先に行ってください」
エイオークニの言葉が終わるのを待っていたかのように、瞬時に視界が暗転した。
気がつくと、そこは薄暮の空間で、ひとりの男がエイオークニの目の前にいる。
タキシード姿の男は、服以外は、その長い髪も含めて銀白色で、だから、顔色というのはわからなかったが、とても寂しげに見えた。
「私に、ご用ですか?」
エイオークニは男にむかって言った。
「用と言うほどでもありませんが」デルボラは言った「太陽系統一政府の主席が、こんなところに何しに来たのか、気になっただけですよ」
「そういうものができていたなら、確かに、そういう話しもありましたが」ヘルメットがなければ頭をかいていた、そんな口ぶりのエイオークニだった「方便というか、手段にすぎません。胞障壁を超えるためには何でもするつもりでした。結果的に、ダーに連れてきてもらったわけですから、無駄と言えば無駄でしたが」
「あなたに、胞障壁を超えなければならない理由は、なかったと思いますが?」
デルボラの問いは、以前、誰かに聞かれたものと同じだ。確かにダーの言うとおり、2人は似ているのかもしれない。
「そうしなければ、タケルヒノに会えませんから」エイオークニは、至極、当然、という顔で答えた「もう一度、会おう、と約束したのです」
「あなた、まさか…」デルボラの顔に、はじめて狼狽の色が浮かんだ「タケルヒノに会うために、それだけのために、胞障壁を超えたのですか?」
「そうですが…」エイオークニも、また、ヘルメットの中で、気まずさに顔を歪めた「そんなに意外でしょうか?」
「いや、その…」
デルボラの顔から、はからずも笑みがこぼれた。
エイオークニには悪いと思うが、
デルボラは、とても可笑しかったのだ。
「でも、あなたは、タケルヒノには会えませんよ?」
「どうしてですか?」
エイオークニの、真っ直ぐな問いに、デルボラの顔から笑みが消えた。
「なるほど」
デルボラは何かを納得したように独り言ちた。
「あなたは、そういう人なのですね」
しばし、視線を落として、何かを考えているようだったデルボラは、不意に顔を上げた。その顔には再び笑みが浮かんでいたが、それは、さっきとは違う、挑みかけるような不敵な笑いだった。
「賭けをしましょう」
デルボラは、言った。
「あなたが、タケルヒノに会うことができたら、あなたの勝ちです。あなたの望みをひとつ、叶えてあげましょう」
エイオークニは、面くらった。
「あの…、それは…、いいんですか? ずいぶん、あなたに分の悪い賭けのようだが…」
デルボラは、笑った。
デルボラは、とても楽しそうに見えた。
「分が悪い。確かにそうかもしれません。でも、賭けなどというのは、そもそも、誰にとっても分が悪いものです。わたしにも、そして、あなたにもね」
それを最後に、デルボラの声も姿も、薄暮の中へと、溶け去った。
エイオークニは、木刀を上げ、正眼の構えを取る。
「その賭け、お受けしよう」
エイオークニのヘルメットのバイザーに映りこんでいた、彼の現在地を示す位置マーカーは、すでに消えている。
あるいは、ここは、デルボラ=ゼルですらなく、どこか別の空間なのかもしれなかった。
エイオークニは、構えを解いて、木刀をおさめた。
そして、気の抜けた声で、呟く。
「受けるには、受けますが、どう考えても私のほうが有利だし、本当に、いいんですか?」
虚空からの返答はなかったが、エイオークニは、デルボラが聞いていることを確信していた。




