虚実の果て(1)
「イリナイワノフ、いいか。これから説明するが、わからないことがあったら、何度でも聞いてくれ」
いつになく真面目な顔のジムドナルドを真っ直ぐ見つめて、イリナイワノフは、こくこく、と肯く。
「これが、いまの、デルボラ=ゼルだ」
ジムドナルドは壁スクリーンいっぱいに、デルボラ=ゼルを映し出す。
極彩色の闇に包まれた、それは、暗色の生き物のように脈動していた。
「デルボラが、デルボラ=ゼルの周りに胞障壁を張っている。これを撃ってくれ」
「どこを撃てばいいの?」
「どこでもいい」
ジムドナルドは本当にそう言った。
「好きなところを撃ってくれ」
「本当に、どこでもいいの?」
「いや、ちょっと、説明をはしょりすぎたか」
ジムドナルドは、デルボラ=ゼルを囲む胞障壁を、ぐるり、とひと回りで指した。
「これが全部、消えるように撃ってくれ。そうしたら、胞障壁の外で待機している俺たちが、中に乗りこむ」
さも、簡単そうに言うのだが、言っていることは、めちゃくちゃだ。なにより、ジムドナルド自身が、めちゃくちゃなことを自覚している。
イリナイワノフは、しばし、目玉をぐるぐる回して考えていた。そうして、もう一度、ジムドナルドの目を真っすぐ見つめると、口を開いた。
「わかった」
イリナイワノフは言った。
「で、その後は? 撃った後はどうする?」
「この前と同じように待機しててくれ、用心のためだ」
「また、デルボラを撃つの?」
「いや、撃たなくていい」
そこだけは、しっかりと、ジムドナルドが請け負った。
「撃たなくてすむように、俺たちが何とかする。もう、イリナイワノフはデルボラを撃たなくていい」
無重量状態の最中、エイオークニが木刀を上段に構え、そこから、ゆっくりと振り下ろしていく。
そうやって下段まで達すると、下ろした木刀の切っ先を返し、さっき下ろした速度よりゆっくりと逆袈裟に切り上げる。
演武の一種なのだろうが、無重量で足腰の踏ん張りが利かない中、よくこんなマネができるものだ。
「おい、まさか、デルボラ=ゼルの中で、そんなモン振り回す気じゃないだろうな?」
笑いながら、ちゃかす、ジムドナルドに、正眼に構えなおしたエイオークニが真顔で問うた。
「いけませんか?」
「行くのか? 本気かよ」
「なるべく邪魔にならないように気をつけますよ」
いつのまにか笑いをおさめたジムドナルドは、低い声で言った。
「あんたには、そこまで義理立てする理由はないはずだが…」
「義理はありませんが、約束があります」
「約束か」
ジムドナルドは、言葉を切り、しばしエイオークニの顔を見つめていたが、一言だけ、付け足した。
「死ぬなよ」
「もちろんです」エイオークには微笑んだ「それも約束のうちですから」
「2人とも行くの?」
尋ねる、と言うより、確認のため、イリナイワノフは、ボゥシューとサイカーラクラに言った。
「まあ、タケルヒノを迎えに行かなきゃならんしな」ボゥシューはめんどくさそうに言った「あれで、けっこう頼りないところがある。ちゃんと帰って来れるかどうか心配だ」
「私は、デルボラに会わなければいけないので…」サイカーラクラは言うが、自信はなさげだった「理由はわからないのですが、そんな気がするのです」
「あたしもデルボラに会ったほうがいいのかなあ?」
そう言って、宙を見上げるイリナイワノフに、ボゥシューが言った。
「もう、会ってるだろ」
「え?」
「イリナイワノフは、デルボラを撃ちぬいた。もう、会っているのと同じだ」
「仕留め損ねたから、あたしの負け、ってこと?」
「勝ち負けの話しじゃないよ。対話っていうのは、言葉のやりとりだけじゃない。次に、イリナイワノフが胞障壁を消したら、それで、デルボラは、イリナイワノフのことがわかる、と思う」
「それじゃ、あたし、物凄く粗暴だって思われるじゃない」
ふくれっ面のイリナイワノフに、ボゥシューは、そうじゃないんだ、と繰り返した。
「いままで誰も、デルボラに全力を出してこなかった。ミウラヒノですらそうだ。いろいろ理由はあるんだろうが、単純に言えば、消えたくなかったってのが本音だろう。だから、ワタシたちは、デルボラに全力をつくさなけりゃならない」
「消えるって、どうして?」
なおも問うイリナイワノフに、サイカーラクラが答えた。
「何故、と言っても、本質的なものらしいですよ。自分より力が上の者に対峙すると、消されてしまう、と思うらしいのです。思うに、デルボラが光子体を消してしまう、という伝説も、その辺りが原因かもしれません」
「何の真似だよ、それは?」
多目的機の前に、ザワディの胴体に巻きついて現れたヒューリューリーに、さすがのジムドナルドも呆れ果て、それだけ言うのがやっとだった。
「何、と言われても。この間の件で、つくづく思い知らされたのですが、ジムドナルドの脚は、巻きつくのにそれほど良い太さとは言えないので、やはり、ザワディがいちばん、と思い至ったわけです」
ヒューリューリーの上半身が、しなやかに回転し、ザワディが、あおん、と哭いた。
「好きにしろ」
ジムドナルドがのくと、ザワディに巻きついたヒューリューリーは、悠然と多目的機に乗り込んだ。
「あはは、ザワディも来るんだ」
操縦席でジルフーコが笑っている。
「残るは2本か」
自分に言い聞かせるように呟いたビルワンジルは、2本の槍を背に担いだ。
なんとも落ち着かない。
理由が本数ではないことは、わかっていた。
ビルワンジルは手を伸ばし、もう一本の槍を取った。
矢尻に朱房のついた槍、手に持つと、宇宙服のグローブごしですら、しっとりと馴染む。
モランの成人の儀に使った槍だ。
「使う、ってことはないな。お守りみたいなもんだ。無駄な荷物と言えば、無駄なんだが…」
自分に言い訳しつつ、その槍を、ビルワンジルは、すでに担いだ2本の槍の間に割り込ませた。
「かっこいいね、ビルワンジル」
イリナイワノフに言われたビルワンジルは、笑顔で片手を上げ、そのまま背を向けると、多目的機へと滑るように飛翔した。
「さあ、わたしたちも準備をしましょう」
険しい表情で、多目的機を見守るイリナイワノフに、ダーが声をかけた。
「イリナイワノフ、辛いのはわかります。でも、がんばらなくてはね」
イリナイワノフは、黙ってうなずき、ダーの後ろをついて管制室へと向かった。




