壁の中の夢(3)
白濁した闇の奔流が治まるにつれ、視界を取り戻したボゥシューは、見たことのない周囲の景色に戸惑った。
中庭、ではないかと思う。
高層建築物が四方を囲んでいる。ただ、各々の建築物はかなり離れており、逆に言えば、庭はかなり広い。大きな公園、といった方が近い。
建築物は、皆、多くの円形窓を側面にびっしりと並べていた。窓の並びも大きさも、一見、バラバラに見えるが、何かの規則性があるようにも見える。建物には角がなく、全体が優美な曲面で包まれていた。
そこここに見える人影は、ライメン人の特徴を持つ者が多いが、毛色の違う種族も混じっている。
ボゥシューは、彼らの横を通り過ぎるが、宇宙服姿のボゥシューに興味を示すものはない。むこうには見えていないのかもしれない。
ここで、やっと、ボゥシューは思い出した。
――ここは胞障壁だった
ボゥシューは、空間を滑るように飛び、景色の中を進む。
夢の中に良く似ていた、あいかわらず、誰の夢なのかは定かではないが…
夢?
まわりの景色が見えるのなら、音だって聞こえるはずだ。
ボゥシューは、耳をそばだててみた。
――この間のお店おいしかったね
――だね。また行こう
――嫌になるなあ。休み明け早々、レポート再提出とか
――装置のタイマー切れてたけど、いいの?
――やばい、1時間、間違ってた。行ってくる
――だいたいさ、あんなこと、やらないよね、普通
――完全、徹夜なっちゃたなあ。ああ、腹減った
――自転車、貸してー
――レポート出したって、単位出るかどうかわかんないだろ、お前の場合
――言うなぁぁあ。
ボゥシューは、あらためて周囲を見回した。
大学かな? と思った。
最近は、宇宙船から出ることはほとんどないが、それ以外の記憶では、大学が一番近い気がした。
遠くで人の言い争う声が聞こえた。
普段のボゥシューなら、そんなものが聞こえてきた時点で、避けるのが常だが、どうしたわけか、そっちのほうに行ってみたい、と思った。
そうは、思ったが、言い争いの渦中に飛び込む気も、また、なかった。
ボゥシューは、飛ぶスピードを調整しながら、争いがやむのを期待しつつ、ゆっくりと空間を滑っていった。
建物と建物の間をくぐりぬけ、別の広場に出る。
池があった。
まばらに、人が行きかっているが、
1人だけ、おかしなのがいる。
池のほとりに這いつくばって、四つんばいで移動している。それだけなら、落し物かなにかだろうと、気にも留めなかっただろうが、
宇宙服を着ている。
見覚えのあるヘルメットもかぶっていた。
「おい」ボゥシューは近寄って声をかけた「何してるんだ?」
宇宙服は顔を上げて、バイザー越しにボゥシューの顔をまじまじと見つめる。
「ボゥシュー」タケルヒノはとっびきりの笑顔で言った「よく来たね。会えてうれしいよ」
コノヤロウ、と思わないわけでもなかったが、あまりに素直な笑顔だったので、ボゥシューは、つい、負けてしまった。
「他はともかく」ボゥシューは言った「元気そうで、なによりだ」
タケルヒノは起き上がると、その場で胡坐をかいた。ボゥシューも隣りに腰掛けた。
「ジムドナルドが操縦してるの?」
タケルヒノの質問の意味を理解するのに、ボゥシューは少しだけ、時間がかかった。
「ああ、そうだよ。デルボラから、ファライトライメンへはジルフーコの操縦で抜けた。そこでミウラヒノを降ろして、いま、デルボラに帰る途中だよ」
「ジルフーコの操縦じゃ、胞障壁の交叉なんて起こりようがないからなあ」と、笑うタケルヒノ「それで、胞障壁を超えた後のジルフーコはどうだった?」
「一時的に、完全情報体になったけど、ジムドナルドとレウインデに手伝ってもらって、励起子体に戻った」
なるほど、とタケルヒノは肯く。
「レウインデを呼び出したのは卓見だな。思ったより、うまくいってるみたいで良かったよ」
コイツ、いったい、どんなふうにうまくいってない想定してたんだ、タケルヒノの頭をかち割って中身を確かめたいという衝動を、ボゥシューは辛うじて押さえ込んだ。
「で」と、ボゥシューは最初に戻って問いただした「いったい、オマエは何をしてるんだ?」
「それなんだけどね」ここに来て、やっと、タケルヒノは困り顔だ「なかなかうまくいかなくてさ。ほんと、どうしようかな、って…、あ、そうだ」
タケルヒノは、破顔一笑、馴れ馴れしくボゥシューに頼みこんだ。
「いそがしいところ悪いんだけど、ちょっと手伝ってくれないかな?」




