壁の中の夢(2)
「ここは危険だよ」
あやふやに漏れ出た光、胞障壁とは違う、それに向かってジルフーコは忠告した。
「早く帰ったほうがいい」
「ボクひとりでは無理だが、アグリアータが支えてくれる」
「くだらないこと言ってると、夫婦そろって共倒れだよ」
淡い光、ラクトゥーナルは、それでも必死に明滅を繰り返す。
「聞きたいことがあるんだ」
あきらめ顔で、ひとつ嘆息をつくと、朧光のほうを向いてジルフーコは言った。
「手みじかにね」
「完全情報体になったのに、励起子体に戻ったのは、何故?」
「どこかの間抜けが、サイカーラクラを完全情報体にしよう、なんて馬鹿な考えを起こさないようにするためだよ。隣りに、完全情報体になって、また戻ったヤツがいたら、いくら馬鹿でも少しは考えを改めるだろう?」
「でも、それなら、デルボラとの対決後に戻ることだってできたはずだ。完全情報体がいれば圧倒的に有利なのに」
「それじゃあ、タケルヒノが、わざわざデルボラの造った胞障壁に入った意味が無い」
「何だって?」
「タケルヒノの能力も、完全情報体も、この時空間に対する作用としてなら大差はない」
ジルフーコは、弱々しく瞬く光球から視線をはずし、外の胞障壁を見やった。
「ボクらは、長い旅をして、ここまで来た。でも、それは、デルボラを滅ぼすためじゃない」
――デルボラを
光球は、それを最後に、はかなく消えた。
「大丈夫でしょうか、あの人」
サイカーラクラの声が、ジルフーコにまとわりつく。
「大丈夫だろう?」ジルフーコは微笑んだ「ラクトゥーナルはともかく、アグリアータは、そこまで馬鹿じゃない。リーボゥディルがいるんだ。これ以上の無茶はしないよ」
「そうですね」
「それにしても、ラクトゥーナル」ジルフーコは、ぽつりと呟いた「こんなときでもボクのほうに来るなんて、よっぽど、ジムドナルドやボゥシューが怖いんだろうなあ」
「どっちかっていうと、いつもの胞障壁なんだけど」
イリナイワノフがボゥシューに話しかけてくる。
「いつもほど、怖くないなあ」
「そうだな」
ボゥシューは、当たり障りの無い答えを返した。
「それって、ジムドナルドが操縦してるから?」
「そうだな」
この返事は、当たったり障ったりしそうだった。
「どうしてかな?」
イリナイワノフの素直な問いかけは、少しばかり、ボゥシューには荷が重い。
「タケルヒノは、怖いと感じたことがないらしい」
「え?」
とまどうイリナイワノフ。ボゥシューは、口火を切ってしまったので、なんとなく、だらだらと説明を続けた。
「タケルヒノも、人間は怖いと感じる、という知識はあるらしいんだが、自分が恐怖を感じないので、その点を配慮するのが苦手なんだ。だから、タケルヒノが操縦していると、ついつい、怖ろしい領域に踏み込んでしまう」
「ジムドナルドは、怖がりだから、怖そうなところは通らないの?」
ボゥシューは、イリナイワノフの顔を、マジと見た。
「うん、そうかな。ちょっと違う気もするけど、そういうことかもしれない」
ふーん、とイリナイワノフは、納得したようだ。
「じゃあ、ジムドナルドのほうがいいな。今度からジムドナルドに操縦してもらおう」
「それは、どうかな」ボュシューの口は、あいかわらず重い「タケルヒノは無意識で進む道を決めていたけど、ジムドナルドはそうじゃないから…、かなり負担が大きいと思う」
ええっ? と、イリナイワノフが、目をまんまるにして驚いた。
「ジムドナルド、ジルフーコみたいになっちゃうの?」
「いや、さすがに、それは…。やり方が違うから、あんなことには、ならないと思うけど…。さっきから、少し、ふらふらと、危なっかしい感じが…」
真っ白な闇が、眼前を覆い、なにもかも、イリナイワノフの顔すら見えなくなった。
「ジムドナルド、操縦、下手なのかなぁ?」
声だけが、はるか遠くに、蜃気楼のように聞こえていた。




