デルボラ(4)
イリナイワノフは球型の檻の中にいる。
管 制 室中央、操縦席の真後ろにあたる場所。その檻は、イリナイワノフ専用操舵システムだ。
ティムナーで宇宙船の外壁を破壊するのに使用した後、ジルフーコが地味に調整を続け、現在、次元変換駆動装置の一端を、イリナイワノフの意志に従って、自在に制御できるようになっている。
次元変換駆動装置自体の進行自由度は実はそれほど大きくない。そのため、こういう用途には微調整にしか使用できない。
おおまかに照準を合わせるには、宇宙船そのものを動かさねばならないのだ。
直径数キロメートルにおよぶ宇宙船には、極めて大きな慣性があり、駆動遅延が大きすぎて、普通は自由に動かすことなどできはしない。
そこをジルフーコが調整して埋めているのだが、最終的にはイリナイワノフの力量次第だ。
イリナイワノフは、この操舵システムに着く前に、慎重に準備をした。ティムナーでの使用時に問題のあった点を、いくつも修正してもらった。
もともと、無重量空間用の座席に、ベルト固定だったのを、その座席を取り外した。結果、イリナイワノフは檻から内側に出ている支持ロッドに腰の部分を固定して、大の字で直立し、4肢を操作用のラダーに固定している。
自分一人では、操舵システムから出ることすらできない。
火器管制ディスプレイはヘルメットの内側に表示される。サイカーラクラのものを改造した。フェースガードは閉じたままだ。
イリナイワノフは3日前から、固形物の取得をやめ、流動補助食しか口にしていない。ボゥシューに頼んで、導尿カテーテルを入れてもらった。
多目的機が出発してから、
イリナイワノフは火器管制システムと一体化することを望んだ。
一瞬を逃さないために。
「お食事です」
サイカーラクラが、ラミネートパックの先端のストローを、軽く、イリナイワノフの唇に当てる。
イリナイワノフが口をつけてストローを吸うのに合わせ、サイカーラクラがラミネートパックを押す。
「ありがとう」
半分飲んだ。イリナイワノフが礼を言う。サイカーラクラがフェースタオルでイリナイワノフの口許を拭った。
「おいしかった。リンゴだね」
「大変でしょう、ずっとそのままの格好だと」
「いや、それほどでもないけど…」
イリナイワノフの唇だけが動く。
「昔、熊を撃ったことがある」
え? とサイカーラクラが聞き返し、イリナイワノフが繰り返した。
「熊だよ。クマを撃った」
突然の話しに、サイカーラクラは相槌を打つのさえ、ためらっていたが、イリナイワノフは、かまわず、話し続ける。
「先生が、急に、クマを撃とう、って言い出したんだ。鳥ぐらいなら撃ったことあるけど、クマは初めてだった」
「それで、どうしました?」
「どうもこうもないよ。冬山に連れて行かれて、持ち物はライフルと実弾20発、あとは少しの食料と水筒だけ。先生は、無理だと思ったら、帰っておいで、って言ったきり、いなくなっちゃうし」
「それは…、何というか…、大変でしたね」
「いや、そんなでも、なかったよ。冬はスキーのトレーニングぐらいしか行かなかったけど、夏場はよく出かけてた山だし、迷子になるようなトコじゃないから。でも、いきなりクマとか言われても、そんな簡単に見つからないしさ」
「まあ、そうですね」
「一日中、探したんだけど、クマのクの字も出やしないんだ。帰ろうかとも思ったけど、なんか、やっぱりダメだったか、みたいな先生の顔が浮かんで、それで、シャクだったから、とりあえず山小屋に泊まった」
「山小屋? ですか」
「うん、誰も住んでないんだけどね。夏の間に見つけて、ちょくちょく遊びに行ってたんだ。薪もため込んでたし、一晩くらい寒さをしのぐ程度ならなんとかなると思った。それで、そのまま泊まって、朝起きたら、小屋の前に足跡があった」
「クマ、ですか?」
「そう、クマ。だから、その日は、外に出るのをやめて、小屋の中で、じっとしてたんだ。それで、夜になって、窓から外をのぞくと」
「いましたか」
「うん、いた」
「じゃあ、そこで、ズドン、と?」
「無理だよ。小屋のほうが明るいから、動いたら、すぐ気づかれる」
「灯りを消せば…」
「暗闇なら、向こうのほうが有利なんだ。だから、その日はそのまま」
「なるほど…、大変なんですね」
「だから、3日めは、暖炉に火を炊いて、小屋の外で待った。足跡は2日とも同じ場所にあったから、そこから風下の木陰に隠れて、じっと待った」
「それって、寒くありませんか?」
「寒いよ。でも、しょうがないし」
「クマは撃てたのですね?」
「うん、一発で。仕留めてからは小屋に入って寝たよ。次の日、家に帰って、先生に言ったら、褒めてくれた。やっと、終わった、って思った」
「クマはどうしました?」
「先生が人を頼んで運んだみたい。剥製にした、とか言ってた気がする。クマのスープ、みたいなのは食べたけど、あまりおいしくなかった」
「それは、残念でしたね」
「うん、でも、クマのスープはどうでもいいんだ。あの時は、何でクマなんか撃たなきゃいけないのかわからなくて、腹がたったけど、今ならわかる」
「何がです?」
「あれは練習だった」
「練習?」
「小屋の前でクマを待っていた時と、今は同じだ。きっと、大事なことには、必ず練習があるんだ。大事なことであればあるほど、練習は絶対に必要なんだって思う」




