ファライトライメン(11)
「よう、おっさん、暇そうだな」
「別に、暇というほどではない」
ジムドナルドに呼び止められて、やや不満気な顔でミウラヒノが言う。
「誰も、わたしの相手をしてくれないだけだ」
「そりゃ、丁度いい」
ジムドナルドは容赦ない。
「ちょっと、顔貸してくれ、聞きたいことがある」
ジムドナルドは、この前、ジルフーコとミウラヒノが話し合った部屋に、ミウラヒノを連れ込んだ。
念入りに多重シールドを施すジムドナルドに、ミウラヒノが尋ねた。
「そんな内密な話しなのか?」
「いや」ジムドナルドは振り向くと、椅子に腰掛けた「他のみんな、俺の話しは、ごちゃごちゃしてて、あまり聞きたくない、って言うんだよ」
「なんだ」ミウラヒノは拍子抜けした顔で言う「じゃあ、わたしと同じじゃないか、身構えて損したな」
「早速だが」と、何故か揉み手をしつつ尋ねるジムドナルド「胞障壁って、何だ?」
「いきなり、凄いこと聞くな、君は」ミウラヒノも椅子に腰掛ける「どういう意味で聞いている? 物理的、数学的な意味なら、わたしじゃなくて別の人に聞いたほうがいいぞ」
「28回、胞障壁を超えた的な意味で聞いている」
「困ったな」ミウラヒノは薄ら笑いを浮かべた「それじゃあ、わたししか答えられない」
「ばんばん、答えてくれ、あんたの感じたことでいい」
「胞障壁は時空を隔てる壁だ」
ミウラヒノは言った。
「情報だけが通り抜けられ、基本的に物質は通り抜けられない。だから数学障壁と呼ばれる。通り抜ける、と言ったが、これは比喩みたいなもので、実際には入り口で消滅したものが、出口で再構成されてるんじゃないかと思う」
「俺の考えに近いな」ジムドナルドが言う「もっとも、俺は社会宗教学者だ。だから、俺の言い方だと、胞障壁の入口で死んで、出口で生まれかわる、になる」
「それで構わない」ミウラヒノの口調は、いつのまにか教鞭をとる講師のそれに似てきて、滔々と、普段は口に出すこともない考えを露わにしていく「重要なのは、胞障壁の前後で、いったん因果律が切れるということ。胞障壁を超えるというのは、時間と空間を超えることで、その時点で因果律を切らないと、宇宙全体に歪みが生じる」
「2つの胞宇宙間を行ったり来たりすると、時間同期が取れなくなるからな。同じものなら大問題だが、違うものなら、何も問題はない」
ミウラヒノの活弁が講師のそれなら、ジムドナルドの指摘は学生のものではなく、教授のものだ。そして、意味ありげで内容のない論証を付け加えるのも忘れない。
「まあ、あとは気分の問題くらいだ」ミウラヒノが結論づけた「何度も死んでいるというのは、たとえ、その度に生き返っているとしても、人によっては落ち着かないだろう?」
「もう、慣れたかな」ジムドナルドはやっと笑った「最初の胞障壁の時から、薄々、そんな気はしてたんだ。無理やり夢だと思い込もうとしたが、どう考えても、夢じゃあない」
「わたしは、そもそも、そんな余裕はなかった」
ミウラヒノの表情はかたく、心なしか、その青い髪の毛すらこわばって見えた。
「胞障壁は無限大の情報の渦だ。意識が途切れたら、そこで無限大に飲み込まれてしまう。こっちだって必死だ。まあ、その前に、だいたいは逃げ出してたわけだが」
「1000回のうち999回は逃げてたんだから、大変な逃げっぷりだ」
「まあ、そう言わないでくれ」ミウラヒノは笑う「他のことならもっと逃げてる。胞障壁は、これでも逃げずに頑張ったほうだ」
「重中性子体が1人しかいないのは、何故だ?」
突然、切り替わった、ジムドナルドの問いに、しばし、ミウラヒノは沈黙した。ようやく口を開いた彼は、遠い昔を懐かしむような語り口で話し始めた。
「本来、重中性子体そのものの利点というのは、あまりない。情報体の中でも、比較的安定で、環境からの影響を受けにくい、というのは確かだが、大量の中性子源の近傍でなければ、存在すら危ういというのは、あきらかに不利だ。だが、デルボラは、重中性子体の、もうひとつの特性に目をつけた」
何故、1人だ、というジムドナルドの問いは、当然、特定の個人のことを念頭に置いている。だから、ミウラヒノも、そのように話した。
光子体は、光子を操れる。だが、光子には質量がない。ゼロ、無限小、を無限積分すれば、有限値にまでは持ってこれるが、無限大には到達できない。光子体では、無限エネルギーを扱えない。次元変換による無限エネルギーを扱うには、どうしても質量を持った粒子が必要だ」
「しかし、情報体への転換の基質には、無電荷の粒子が必要だ」
ジムドナルドは、ミウラヒノの先回りをして、問いかける。それはミウラヒノへの問いでなく、自分自身への問い、そして答えだった。
「電荷を持つ粒子は、静電反発で、情報体としての構造を維持できない。だから、デルボラが、中性子を選んだのは、極めて自然なことだ」
「何故、誰も、デルボラの後を追わなかった? あんたの後には、皆、こぞって光子体になったのに」
ミウラヒノは笑った。
ジムドナルドの問いかけが可笑しかったのではない。
自分自身のことが、可笑しくてたまらなかったのだ。
「光子体など、なるだけなら誰でもなれる。重中性子体だって、そうだ」
ミウラヒノは言い、椅子から立ち上がった。
「重中性子体になっただけでは、ただ単に中性子の流れを扱えるだけだ。そこから無限エネルギーを引き出すには、次元変換理論の深い理解が必要で、そんなことができるのは、デルボラしかいなかったのだ」
ありがとう、と、ジムドナルドは、言った。
もう、いいのか? と、ミウラヒノが尋ね、それに答えてジムドナルドが言った、
「だいたい俺の予想通りだったからな。あんたの勘違い、って可能性もあるかもしれんが、おっさん、俺とあんたが、2人ともそろって間違うなんてことは、有り得ないと考えていいんだろ?」
ミウラヒノはとても不思議な表情をした。
例えて言うなら、水切りの平たい石を投げた、いたずらっ子が、すぐとなりの子に、後追いで抜かれたときの、唖然とした、そんな顔だった。
「もうひとつだけ質問がある」
ジムドナルドが言った。
「おっさん、あんたの夢、って、何だ?」
「夢、か」
天井を向いたミウラヒノの、口許から笑みがこぼれた。
「昔は、宇宙を駆けまわるだけで楽しかった。それが、夢だと、思ってた。ずっと、何万年も、駆け巡って、そして、気づいたら、誰もいなかった」
ミウラヒノはジムドナルドに顔を向けた。ミウラヒノはもう、笑っていなかった。ジムドナルドのいつものにやけ顔も、どこかに消し飛んでいた。
「ずっと、こういうことを誰かと話したかったのかもしれない。あまりよくわからないが、ここに来てから、わたしは、とても楽しいよ」




