ライザケアル(15)
適合性試験の最終チェック中、ボゥシューの顔が2度ほど険しくなった。ラーベロイカは、そのたびに、はっ、としつつも、辛抱強く結果を待った。
「かつかつだが…、なんとかなるだろう」
ボゥシューの顔が緩んだ。
「免疫抑制剤の種類を変えよう。軽いものにする。ここにいる間だけ飲み続ければ、あとは大丈夫だ」
ラーベロイカの緊張がとけ、ほっとして肩が落ちた。
「ありがとう、ボゥシュー、でも…」
礼を言いつつも、ラーベロイカは、何か釈然としない表情だ。
「どうして、私に、こんなに良くしてくれるの?」
ラーベロイカの問いに、ボゥシューは、しばし、腕組みをして考えこんでいたが、やがて、決心したらしく、立ち上がった。
おいで、とボゥシューはラーベロイカを呼び、ラーベロイカは黙ってボゥシューの後ろに付き従った。
実験室の奥、小さな凍結保存庫の前に立つと、ボゥシューは、扉を開けた。
アンプルが3個、凍結保存庫の中に入っていた。ラーベロイカが中を見たのを確認すると、ボゥシューは、扉を閉めた。
「タケルヒノとビルワンジルとジムドナルドの生殖細胞だ」
「あの、それって、…」
ボゥシューの顔と、凍結保存庫を見比べつつ、どう反応していいものかわからないラーベロイカは、とりあえず、あたりさわりのなさそうな言葉を選んだ。
「…遺伝治療用に保存してる原細胞、ですよね」
「治療用なら全員分ないとおかしいだろ。ま、サイカーラクラの分は必要ないだろうけど」
「ええっと、じゃぁ…」
ラーベロイカはごまかそうと必死になったが、ボゥシューの意図はあからさまだ。
「ワタシは姑息で陰険だからな」
ボゥシューは無表情で言った。
「この旅が終わって、ひとりになったとき、使おうかと思ってる」
「あの…、旅が終わって、あなただけがひとり、とか有り得ないと思いますけど」
「世の中、何が起こるかわからんからな」
ボゥシューは、やっと、笑った。
「まあ、こんなくだらんことを考えてるから、同じようなことしようとしてるヤツには、ちょっと同情的になるんだ」
ラーベロイカは耳まで真っ赤にして、うつむいた。
「でも、あなたは…」
あなたは違います、と言いたかったのだが、ボゥシューはその笑みで、ラーベロイカの反論を押し止めた。
「ラーベロイカのこと、どう思います?」
サイカーラクラが聞いた。
「良い子ですね」
ダーが答えた。
「私もそう思います」
サイカーラクラはそう言ってから、ちょっと考えているようだった。
「ラーベロイカは、もう、ライザケアルには帰らないつもりでしょうか?」
「そのように見えますね」
「でも、私たちと一緒には行けませんよ?」
「それは、当たり前です」
あんまりダーが強く言い切るので、サイカーラクラはちょっぴり笑った。
「ラーベロイカは、どうするつもりなんでしょう?」
「それは、あの子が決めることですけれど…」
ダーの言い方は、ある程度の未来を見透かしているような口ぶりだ。
「選択肢はそれほど多くはありませんね」
ダーの言い方がおかしくて、サイカーラクラは、また笑ってしまった。
「ラーベロイカが少しうらやましい気がします」
「まあ、他人のことは、何だってよく見えるものですからね」
それにしても、と、ダーは言う。
「ラーベロイカはともかく、ジムドナルドは、いったい、どうするつもりなのか、本当に心配だわ」
「おや、特使殿、ごきげんうるわしゅう」
廊下ですれ違ったヒューリューリーが、ラーベロイカに話しかけてきた。
「今日は、お友達とご一緒ではないんですね」
「たまには離れないと、親友のありがたみというものを忘れてしまいますからね」
言っていることは、まともだが、なんとなくおかしかったので、ラーベロイカは微笑んだ。
「あの…」
「なんでしょう?」
「ヒューリューリーも、ファライトライメンに行かれるのですか?」
ヒューリューリーは体をゆっくり大きく回した。風切音が生じない速度であったため、翻訳されることもなく、廊下のスピーカーは鳴らなかった。ヒューリューリーの嘆息、に近いものかもしれない。
「お嬢さん」
こんどは、ヒューリューリーはきちんと風切音を出した。
「行きます。と答えたら、あなたは、何故? と聞かれるでしょう。そう、私は、他の7人と違って、第一光子体に呼ばれたわけではありませんからね。…よろしい、まとめてお答えしましょう」
ヒューリューリーは、ことさら体を大きく回して、大声を出した。
「ジムドナルドが心配なのです」
ヒューリューリーは、はっきりそう言った。
「彼は、私がいないと何もできませんからね」
ラーベロイカは、吹き出しそうになるのを、必死にこらえた。それが、せめてものこの場の礼儀だ。
「私も、身の振り方を考えなければいけませんね」
ラーベロイカは息を整え、心を鎮めてそう言った。
「タケルヒノとお話してみようと思います」
「それは、たいへん良い判断です」
ヒューリューリーはすまし顔で言った。
「では、特使殿、これで失礼します。あなたの未来に幸あらんことを」
そう言うと、ヒューリューリーは、するすると廊下を進んでいった。
「お話ししたいことがあります」
話しを持ちかけられたタケルヒノは、どうぞ、とラーベロイカに椅子を勧めた。
「あの、いまじゃなくて」
あわてて尻込みするラーベロイカ。
「その…、あとで、お時間取っていただきたくて、長くなりそうなので…」
「あ、そうですか、じゃあ、夕食後にでも」
「ありがとうございますっ」
僕はいまでもいいんですけど、とタケルヒノが言おうとした時には、もう、ラーベロイカの姿は消えていた。




