ライザケアル(14)
「あっちから、こう、でっかい金属球が、ほら、あの穴の大きさと同じくらいのヤツ、それが、ここに収まって、次元変換されて、長い棒みたいになるんだ」
ジムドナルドが、簡単だが、あまり意味のない次元変換駆動機関の説明をしている。
ラーベロイカは、新調した宇宙服に慣れないようだが、ジムドナルドの説明にヘルメットの中で、うんうん、と、うなずいている。
次元変換駆動系については、そういうものが存在することと、おおまかな原理は知っているが、実物を見るのは初めてである。そもそも隣接天体がある状況では使用できないものなので、唯一、この胞宇宙で稼働している次元変換駆動機関は、宇宙船のものだけだった。ライザケアルは、光子体転換技術に傾注したため、次元変換駆動については、あまり興味を示してこなかったのだ。
「あの、向こうのほうに行ってみていいですか?」
ラーベロイカは、さっき、ジムドナルドの示した穴のほうを指して言う。
「いいよ」
ジムドナルドはあっさり許可した。
多目的機から伸びるライフワイヤーには、まだ余裕がある。
アンカーを付け替える必要はなさそうだ。
ラーベロイカはスラスターを起動し、そろそろ、と建設中の送出口へと向かう。
ラーベロイカは宇宙遊泳が好きだった。
ライザケアルの軌道ステーションで、船外作業の負荷割当がないときも、積極的に作業に参加した。
禁じられてはいたが、内緒で単独遊泳も何度かしたことがある。
それでも、繰り返しの宇宙遊泳には、少し飽きもあった。
ライザケアルと月と軌道ステーション。
遠くに数多の星はあっても、やはり見慣れた風景しかなかった。
いまは違う。
第6惑星という未踏の域、その衛星軌道上に建造中の巨大宇宙船。
ラーベロイカの育った軌道ステーションより大きいのだ。
軽い目眩すらおぼえつつ、凍れる静寂の中、ラーベロイカは進む。
ちかちかと瞬くケミコさんの発する光が、唯一、動きのある風景。
その光の一群が、移動を始めた。
惹かれるように思わず手を伸ばしたラーベロイカは、急な加速と、軽い衝撃をおぼえた。
スラスターの操作を誤ったらしいのはすぐにわかった。
ライフワイヤーのジョイントの先端が目の前に見え、それが、どんどん遠ざかる。
ああ、はずれたんだ、ラーベロイカは他人事のように思った。
許容限界を超える負荷のかかったジョイントは、破損を免れるべく、自動でラッチを外した。
ジョイントはジョイントの仕事をした。
誤操作をした、悪いのは、ラーベロイカのほうだ。
ジョイントの抜けを感知したスラスターユニットが自動制動をかける。
ラーベロイカは自動操作を止め、スラスターの出力を最大に上げた。
いままで経験したことのないような、ゆっくりとした速度ベクトルが、漆黒の空間へとラーベロイカを連れ去る。
ラーベロイカは幸せだった。
いまが、自分の最高のときかもしれない。
明確な意識は溶けかけていて、それは、意思と妄想の混ざり合った奇妙な暗示。
――ならば、このまま果てまで行こう
右側面から強烈な衝撃が襲った。
体当りしてきた宇宙服は、がっしりとラーベロイカを捕獲し、宇宙の闇から引き剥がす。
驚くほどの加速で、空間を飛翔するラーベロイカは、呆然となすがままにされていた。
多目的機船内に叩きつけられ、ハッチがしまって、室内に煌々とした光が戻ってきたとき。
ラーベロイカは、たいへんなことをしてしまったことに、ようやく気づいた。
瘧のように体が震え、矢も盾もたまらず、宇宙服のジムドナルドにしがみつく。
「わ、わたし、私は、先駆体年齢の中では、いつも、図抜けて一番で…」
ラーベロイカはヘルメットの中で泣きじゃくっている。自分でも何を言っているのかわからない。
「…光子体になるのは、べつに嫌じゃなかった。でも、その前に、先駆体年齢の誰かと結婚して子供を育てなければいけない。子供はいい。でも…」
ラーベロイカがジムドナルドの両腕を握りしめる。細い指がつかむ上腕に食い込んで…。ジムドナルドにとっても、平気というほどのものではなかったが、そのまま好きなようにさせた。
「嫌だった。とにかく嫌だった。そんなときに…、胞障壁を超える人たちの話しを聞いて…」
ジムドナルドはヘルメットを脱いだ。そして、ラーベロイカのヘルメットもはずした。ラーベロイカの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「これだと思った。その人たちがライザケアルに来る…。私は自分を改造して、それを知った両親を罵倒して、兄弟たちを悪し様に怒鳴り散らして、きちがいみたいになって、小さな連絡ポッドに乗った。私は自信満々だった。ライザケアルの未来は私が変えてみせると、本気でそう思ってた」
ジムドナルドは、右手をラーベロイカの頭において、少しやさしく、紫の髪をわしゃわしゃとかき回した。
それでもラーベロイカの慟哭は止まらず、ただ無意味に、言葉だけが止まらない。
「ダメだった。すべてが想像と違ってた。凄すぎた。ボゥシューにはすぐにバレて、それじゃダメだって言われて、治してくれると言われたけど、体じゃない、ダメなのは私、何もかもが違いすぎる。サイカーラクラも、ダーが、第2類量子コンピュータ、お母さん、何それ、って。それとイリナイワノフの髪…」
ラーベロイカは涙で曇る目で、やっと、ジムドナルドの顔を見上げた。イリナイワノフと同じ、金色に輝く髪。
「間違ったのには気づいたけど…、でも、不幸じゃなかった。とても、とっても、楽しかった。私が言うことを理解してもらえて、それに正しい答えが返ってくるの。でも、そんなことは…」
「それが、できるのは、相手が自分より頭が良いときだけだ」
ラーベロイカは、驚いて、ジムドナルドの目をのぞき込んだ。
まっすぐな眼差しだった。憐憫もなにもない、本当のことを言っている目だ。
「しんじられない」ラーベロイカは思ったことをそのまま口にした「まるで、あなたが、そうだったみたいに言うのね」
「何故、お前が翔ぶのがわかったと思う?」
ジムドナルドは言って、そして笑った。その笑顔は寂しそうに見えた。
「俺も翔んだのさ、そして、タケルヒノに助けられた。翔ぶ前のお前は、あの時の俺にそっくりだった」
棒のように固まったラーベロイカを抱きしめ、ジムドナルドはその耳元でささやいた。
「勇気と無謀は同じものだ。結果がその二つを区別する。お前は生きてる。だから、お前がしたのは、まだ、勇気だよ」




