ライザケアル(11)
ダーは、ビュッフェでいちばん大きな椅子に向かい、パワーウィンチの先をひっかけると、上昇して座席に収まった。慣れたものだ。
ラーベロイカは、ダーの向かいの席に腰掛ける。
ほどなく、別のケミコさんが、天板にカップを乗せてやってきた
「ホットココアです」
ダーは、作業腕を伸ばすと、ケミコさんの天板からカップを取って、ラーベロイカの前に置いた。
「よろしかったら、どうぞ。他のものが良ければ、遠慮なく言ってくださいね」
「あ、いえ、ありがとうございます」
ラーベロイカは、一口ココアを口に含んだ。暖かくて優しい味がした。
「どうですか? 宇宙船のみんなと、ちゃんとお話しできてますか?」
「ええ…、たぶん」
「そう、良かった」
ダーは言った。
「悪い子たちでは、ないんですが、ほら、ちょっと変わったところがあるでしょう。心配してたんです」
ラーベロイカは困ってしまったが、こういうことはあまり正直に言っても良いことはないので、はあ、まあ、などと適当にごまかした。
「宇宙船の行き先は、ファライトライメンだと伺ってますが」
ラーベロイカは手遅れになる前に、自分から話題を切り替えた。
「ダーはどちらへ行かれるのですか?」
「それは、まだわかりませんね」
ダーは答えた。
「この胞宇宙に接する胞障壁に、わたしが超えられるものがあるのがわかっただけです。抜けた後にどこに出るかは、ちょっと良くわかりませんね」
「そういうものなのですか?」
「そういうものなのです」
オウム返しをしたあと、数秒間停止したダーは、いきなりラーベロイカに問い質した。
「ラーベロイカ、あなた、他に聞きたいことがあるようですね?」
ラーベロイカは、一瞬、頭に浮かんだことがあったのだが、即座にそれをを打ち消し、慎重に言葉を選びながら、話しだした。
「私が胞障壁を超える方法はありますか?」
「それを私に聞かれても」
ダーはときどき笑うのだが、何をもってダーが笑ったというのかは、その場にいた者しかわからない。
「そういうことは、タケルヒノか、ジムドナルドに聞いたほうがいいですよ」
「ジムドナルドは無理だと言いました」
「ジムドナルドが?」
間髪入れずにダーが聞き返し、それもあって、ラーベロイカは急にどぎまぎしだした。
「ジムドナルドが、そんなことを言うはずはありませんよ。思い出して、本当は、ジムドナルドがどう言ったのか」
ああ、と、ラーベロイカは、ここ幾年か分の後悔を一気にした。
「私たちには無理だと言いました。でも、私なら可能性はあるそうです」
「それを聞いて、安心しました」
ダーは言った。
「ジムドナルドが急に馬鹿になったのかと思って、びっくりしたわ」
「ごめんなさい、ジムドナルドのことを悪く言ったつもりはなかったんです」
「そんなに、しょげないで、ラーベロイカ。でも、ジムドナルドが、そう言って、あなたがそれをちゃんと憶えているのなら、もう問題はないですね」
ラーベロイカは、はた、と困った。
意外と良い思いつきだと考えたのだが、ダーには通じなかった。当たり前かも、相手は第2類量子コンピュータなのだし。すると、最初に頭に浮かんだアレを言わなくてはならないのか。
――それは嫌だ
「ねえ、ラーベロイカ」
ダーは、優しくはあるが、何者をも畏怖させる威厳を持ってラーベロイカを促した。
「言いたくなければ、言わなくていいけど、言ったほうが楽になれますよ」
ラーベロイカは、結局、我慢できなかった。
「ボゥシューから、何か聞きました?」
「いえ、ぜんぜん。でも、ボゥシューの医療機器も実験設備もすべてコンピュータに接続されていますから、彼女が何をしているのか、もちろん、全部わかりますけど」
ラーベロイカは長い嘆息をついた。
「他の人も気づいてると思いますか?」
「それは、なんとも」
めずらしくダーの歯切れが悪い。
「でも、あの子たちには、わたしより頭の良い子が何人もいるので」
「理論上は、あなたって、宇宙全体を集めたのと同じくらい賢いのじゃなかったですか?」
「まぁ、そうですけど。あの子たちは、その、宇宙全体よりは少し賢いみたいなので…」
ラーベロイカは、両手で顔を覆った。
「だめです。私、恥ずかしくて、もう、みんなと話せない」
「あー、そう? でもね」
うろたえている風ではないのだが、こういうときのダーは意外と頼りない。
「あなたさえ、気にしなければ、みんな、あまり、そのことは知らないふりをすると思うの」
「知らないふり、って、それ、知ってるってことじゃないですか」
「でもね、ラーベロイカ」
ダーは辛抱強く、語りかけた。
「あの子たち、そういうことには慣れてるの。サイカーラクラのことも、そして、タケルヒノのことも」
「サイカーラクラ、のこと?」
「あの子は励起子体です。みんな、この宇宙船に連れてこられて、すぐそのことに気づいたけど、誰も何も言わなかった」
「本当ですか? でも、どうして?」
「わからない、この宇宙船にはわからないことが多すぎる。でも、それよりわからないのは、タケルヒノのこと」
「タケルヒノ? タケルヒノの何がわからないの?」
「いえ、タケルヒノのことは、わかるのです」
ダーは部分否定した。いや、この場合、部分肯定だろうか。
「納得しづらいけど、でも、事実がそうである以上、認めざるを得ない。タケルヒノのことはいい、そういう者なら、それはそれで仕方のないこと。不思議なのは、他の子たちが、タケルヒノと普通に付き合っていられることです」
「何がそんなに不思議なの?」
一瞬の間を置いて、ダーの口調がとても柔らかなものになった。
「ねぇ、ラーベロイカ」ダーは詠うように言った「あなた、神様と友だちになれる?」
話の突然の飛躍に、ラーベロイカは絶句した。押し黙って身動きもできない。
「わたしは、なれない。コンピュータだから」
ダーは言った。
「だから、とても不思議なのです」




