渇きの星(5)
「タケルヒノは、何故、海を造りたいのですか?」
突然、サイカーラクラが尋ねてきたので、ジルフーコはメガネの奥で目をぱちぱち瞬かせた。
「さあ、どうしてかなあ?」
「ジルフーコにも、わかりませんか」
サイカーラクラが、がっかりしている。珍しいな、と思ったジルフーコは、つい口に出してしまった。
「まったく見当がつかない、ってほどじゃないけど」
「何か知っていますね?」サイカーラクラは顔を上げた「教えてください」
「あまり確証はないんだけどね。ボクがそう思っているだけで」
「かまいません。教えてください」
サイカーラクラが身を乗り出す。
「海じゃなくて、湖なんだろうな、と思う」
ジルフーコは答えた。
「湖? ですか?」
「そう、湖」
怪訝そうな顔のサイカーラクラに、湖だよ、とジルフーコは繰り返した。
「湖にずいぶん思い入れがあるらしいんだよね。タケルヒノ」
「もったいぶらずに教えてください」
ああ、ごめん、ごめん、とジルフーコは笑った。
「とあるバカンス、って言うか小学生のころ、夏休みにホームステイした先での話しらしいんだが…」
「はぁ」
「タケルヒノ、そこで知り合った女の子と、毎日、湖で遊んでたらしい」
「はぁ?」
「楽しかったって、さ。ボクも一回聞いただけなんだけどね」
「よくわかりませんが」
「そうかな」
「はい、全然わかりません」
サイカーラクラは、一生懸命考えているようだが、納得はできないようだ。
「この惑星に湖を造っても、その女の子は現れませんよ」
「そりゃ、そうだね。地球での話しだからね」
「女の子と、もう一度、遊びたいのではないのですか?」
「まあ、会いたいことは、会いたいんじゃないかな」
「湖を造ったら、会えるのですか?」
「それは、ないよ」
ますます困惑した表情のサイカーラクラは三度同じ言葉を繰り返した。
「私にはわかりません」
「ボクだって、わかんないよ」
ジルフーコは笑った。
「タケルヒノのことを理解できるヤツなんていないんだ。いま言ったこともボクの思いつきさ」
「タケルヒノに聞いたらわかりますか?」
何かが抜け落ちた、真っ直ぐな目で、サイカーラクラは問うた。
「無理だろうね」
ジルフーコは答えた。
「タケルヒノのことをタケルヒノに聞いても無駄だよ。それは唯一、彼に答えられない質問だから」
「それって、初恋の人、ってことだよね」
イリナイワノフは、サイカーラクラに聞いた、湖の少女を、こう評した。もっとも、イリナイワノフだって、初恋というものがある、ということを知っているぐらいで、それが何なのかなんてことは、わからないわけだが。
「初恋ですか」
サイカーラクラは、何故か、ショックを受けている。
「じゃ、ないのかなぁ」
イリナイワノフ的には、何かわくわくする話だし、もっといろいろ聞きたいのだが、サイカーラクラに聞いてもダメそうなのは、なんとなくわかる。
「初恋、とか言うのは、この宇宙船に乗っている人とは無縁のものだと考えていました」
ずいぶん失礼な話じゃないか? とはイリナイワノフですら思うのだが、かと言って、自分の経験からは直接反論できない。困った。
「初恋もできるって、やっぱり、タケルヒノは凄いんですね」
「いや、さすがにそれは、褒めるとこが違うんじゃないの?」
あぁ~、ここで、自分の初恋とか言えれば、とイリナイワノフは焦ったが、記憶のすみにも、そういう、ほんわかしたものは浮かんでこない。
「ボゥシュー」
イリナイワノフは叫んだ。
「ボゥシューは、どう思う?」
「え?」
いきなりの名指しに、ボゥシューはベッドから起き上がった。
「どうかしたか?」
「べつに、どうもしないけど」
イリナイワノフは、もう自分で何を言っているのかわからない。
「ボゥシューの、初恋の人、ってどんな人」
「初恋?」
言ってしまってから、イリナイワノフは、しまった、と思った。いくらなんでもボゥシューに振る話じゃない。
「ずいぶん昔の話だからなあ」
その答えに、こんどはイリナイワノフが驚愕した。
「ちょっと、待ってよ。ボゥシュー。初恋だよ。なんか聞き間違えてない?」
イリナイワノフだって、サイカーラクラ以上に、失礼である。
ああ、とボゥシューは、寝ぼけているのか、ぼんやりしている。
「あんまり、昔だから、忘れてしまったな」
ボゥシューは、わずかに口元をゆるめ、笑ったように見えた。そして、再びベッドに寝転んでしまった。
イリナイワノフとサイカーラクラは、ボゥシューを起こさぬよう、ひそひそ声で話したが、当のボゥシューが寝てしまっているので、結論など出ようはずもなかった。




