超えられぬ壁(4)
「リーボゥディル、もう行っちゃったよ。サヨナラしなかったの?」
イリナイワノフは、ボゥシューの実験室をのぞきこんで、言った。
「サヨナラも何も、胞障壁超えたら、また来るよ。治療中だからな」
「そっかー」
言いながら、イリナイワノフはボゥシューの隣に腰掛けた。
「そう言えば、ゴーガイヤも来るんだよね」嘆息をつく、イリナイワノフ「どうしたらいいのかなあ」
「苦手なのか?」
「苦手、ってわけじゃないんだけどさぁ」
イリナイワノフは、両手で頬杖をついた。
「何しゃべったらいいか、わかんないんだよ」
「しゃべんなきゃいいだろ」
分注作業を終えたボゥシューはイリナイワノフに顔を向けた。
「トレーニングの相手でもしてもらえば?」
「あたしのトレーニングは人間向けなんだから、光子体がやったって、意味ないよ」
「そうか?」
ボゥシューは何か考えているふうだ。
「光子体に詳しそうなのは、ダーとサイカーラクラだが、聞くんならサイカーラクラのほうが良さそうだな」
「どうして?」
「体型の問題だ」
イリナイワノフの問いにボゥシューが答えた。
「ダーはいま、ケミコさんのボディを使ってる。体を動かすような話だとワタシたちにボディ形状の近いサイカーラクラのほうが、わかりやすいだろ」
「トレーニングですか?」
サイカーラクラは、面白そうに目をパチパチさせた。
「ゴーガイヤと一緒にできるトレーニングですね?」
「うん、そうなんだけど…」
思いのほかサイカーラクラが乗り気なので、イリナイワノフは面食らっている。
「リーボゥディルは?」
「え?」
「リーボゥディルはトレーニングしないのですか? リーボゥディルも光子体ですよ?」
「え? あ、まあ、しても悪くはないと思うけど…」
「じゃあ、リーボゥディルもですね。わかりました」
なにか、だんだん、話しがおかしなほうに行っているような気がする。イリナイワノフはちょっとずつ不安になってきた。
「イリナイワノフは、いつトレーニングしますか?」
「毎日、やってるよ。今日も、もうすぐ始めようと思ってる」
「じゃあ、私も一緒に行きます。一緒にトレーニングしましょう」
「何でよ?」
驚いたイリナイワノフに、不思議そうな顔でサイカーラクラは問うた。
「だって、私がトレーニングしてみないことには、どんなトレーニングが光子体にいいか、なんて、わかりませんよ。私も情報体ですし、励起子体と光子体の違いはありますが、そのへんはなんとかなるでしょう」
「どうかした?」
訝しげにコンソールを覗くジルフーコに、タケルヒノが声をかけた。
「おかしなヤツがいる」
「ああ、いるね」
タケルヒノは、当たり前のように答えた。
「リーボゥディルたちが出て行く時に入ってきたんだよ。厳密に言うと、リーボゥディルが出るときに、レウインデも出て行ったんだけど、その横をかすめて入ってきた」
「気づいてたんなら、早く言ってよ」
ジルフーコは言ったが、さほど怒っているふうでもない。
「ああ、ごめん、ごめん」
タケルヒノは笑った。
「後で言おうと思ってたんだ。ブロックシールドで閉じ込めたところで、忘れてしまってた」
「まあ、この状態なら、どこにも動けないから大丈夫だろうけど。誰なの?」
「えぇ?」
タケルヒノは急に困った顔になった。
「知らない。ブロックは遠隔操作でやったから、姿は見てないよ。シールド内からは、むこうの声も聞こえないだろうし、誰だろな」
「だいたい見当はつくけどな」
ジムドナルドが、ソファから立ち上がり、大きく伸びをした。
「俺も、会ったことはないから、よくはわからんが、こんなバカそうなことする光子体は、ひとりぐらいしか心当たりがない」
「まあ、誰でもいいよ」
タケルヒノは言った。
「このままで、問題ないんだから、ほっといてかまわないだろ?」
「ああ、そうだね」
ジルフーコが肯くと、タケルヒノは部屋を出て行った。
タケルヒノの姿が見えなくなると、ジムドナルドがジルフーコに近寄って耳打ちした。
「めずらしく怒ってるな」
「だね」
「どうしたんだ、あいつ。何かタケルヒノを怒らせるようなことしたのか?」
「ザワディに対する扱いが悪かったらしいね。うわさだけど」
「誰のうわさだ?」
「ヒューリューリー」
「なるほど」
こんどはジルフーコがジムドナルドの耳元で囁いた。
「このまま胞障壁に突っ込むつもりかな?」
「なにせ、忘れてたらしいからな。忘れてたんなら、そのまま突っ込むだろ。ほうっとくとか、言ってたけど、たぶん、もう、忘れたな」
「タルなんとか、胞障壁で、もつかな」
「さあな」ジムドナルドは欠伸した「最初の光子体は、胞障壁でもなんとか自分を保てた。だが、ラクトゥーナルもアグリアータも無理だった、らしい。たぶん、レウインデもだ」
「逃げ出した?」
「そうだ」
「でも、タルなんとかは、逃げられないよ」
「そうだ」
ジムドナルドは、ごろん、と、ソファに寝転んだ。
「いったい、何しに来たんだろうな?」
ジルフーコはジムドナルドに尋ねたが、返事はなく、かすかに規則正しい寝息が聞こえるだけだった。




