超えられぬ壁(2)
「どうした?」
リーボゥディルが心ここにあらずという感じで、ぼーっ、としている。
ボゥシューは、普段こういう場合、声をかけたりはしないのだが、相手がリーボゥディルなので、まあ、しかたないか、と思ったわけなのだ。
「ママが元気ないんです」
――まあ、そうだろうな
ボゥシューは、やる気まんまんのダーを思い出した。よっぽどやられたんだろう。
「ママはダーに叱られたんだ」ボゥシューは言った「ま、すぐ元気になるんじゃないかな」
「何故?」
「ダーは、オマエのパパとママの古い知り合いらしいんだ。オマエが生まれる前だよ」
「叱られたのはママだけ?」
「いや、パパもだろ?」
「パパは普通でした」
リーボゥディルは、腑に落ちない顔をしている。ボゥシューにも、いろいろ思うところはあるが、面倒なので簡単に片付けることにした。
「オマエのパパは叱られ慣れてるんだよ。ちょっと叱られたくらいじゃ、へこまないんだろ」
あ、そうか、とリーボゥディルは納得した。
「ぼくもそうなんです。ぼくはパパに似たんです」
遺伝学的にも、光子体転換理論からしても、リーボゥディルの言い分はまったくの間違いなのだが、それを無視して、ボゥシューは応じた。
「そうだな、オマエはとてもよく似ているよ。パパにもママにも」
「ママにもですか? どこが?」
勢い込んで尋ねるリーボゥディルに、まさか、考えなしでむちゃくちゃやるところ、とも言えないボゥシューは、苦し紛れに言った。
「…目だな、そうやってムキになったところの目が、そっくりだよ」
「目ですか」
リーボゥディルは不満気だったが、実際、その目はスラゥタディルというより、アグリアータのそれにそっくりだった。スラゥタディルは、普段、猫をかぶっているのだろう。
不思議なもんだな、ボゥシューは思った。
「ねぇねぇ、リーボゥディルのお母さん」
イリナイワノフが呼んでいる。
最初、スラゥタディルは、なんのことやらわからなかったのだが、イリナイワノフが駆け寄ってきて、やっと自分を呼んでいるのだと気づいた。
「お母さん、だいじょうぶ?」
「あ、ええ、だいじょうです、けど…」
スラゥタディルには、彼女のことを、お母さん、と呼んでくる、イリナイワノフの了見がいまいち飲み込めなかった。
「ダーに怒られたでしょ?」
「え、ええ、まあ…」
「だいじょうぶ? ダーって、普段は優しいけど、ときどき、すっごく恐くなるから、心配になっちゃって…」
「あ、でも、ダーの言ってることは正しいので…」
「それは、そうかもしれないけど…、正しいことばかりじゃ、いろいろ…、あー、何て言ったらいいかわかんない」
「落ち着いて、イリナイワノフ」
何故か、スラゥタディルのほうが、なだめる役になってしまった。
「あたし、頭悪いからさぁ」
聞かれてもいないことをイリナイワノフは話し出す。
「他のみんなみたいにうまくできないんだよ。リーボゥディルが元気なかったからさ、それで…」
「あの子が? 元気ないんですか?」
スラゥタディルは驚いて尋ねた。
「うん、それで、聞いたら、お母さんが元気ない、って言うから、それで…、あ、別に慰めるとか、そういうのじゃなくて、あ、それと、別にリーボゥディルになんとかしてって言われたわけじゃなくて、だからリーボゥディルは関係なくて、でも、元気になって欲しいから…、あー、やっぱり、よくわかんない」
「…ごめんなさい」
スラゥタディルが謝ると、ますます焦ったイリナイワノフは、早口でまくし立てる。
「あー、だから、そうじゃなくて、お母さん元気ないと、リーボゥディルも元気ないから、ダーのことは、あとで、そ、あとで考えればいいから、で、ほんとはパフェとか食べよ、って誘おうと思ったんだけど、よく考えたら光子体の人とか、食べないし、で、困ったけど、とりあえず、声かけてみたんだけど、あー、自分でも何言ってるのかわからないー」
「ありがとう」
え? と、一瞬、話すのをやめたイリナイワノフに、スラゥタディルは微笑んだ。
「元気でました」
スラゥタディルはにこやかに両手を上げると、不思議なポーズをとった。彼女の生まれ故郷の元気ポーズらしい。
「イリナイワノフ、あなたのおかげです。本当にありがとう」
サイカーラクラはフラインディルのそばによると、じっと見つめた。
「似ていますね」
え? と、フラインディルは多少引き気味に尋ねた。
「何がでしょう?」
「リーボゥディルが自慢していたのです」
サイカーラクラは答えた。
「ぼくとパパは似ている、と自慢していました。確かによく似ています」
「そ、そうですか。ありがとう」
サイカーラクラは、つ、と一歩前進した。
フラインディルは、あわててその分下がった。
「私はダーに似ていますか?」
「え?」
サイカーラクラの突然の質問に、意味を図りかねたフラインディルは絶句してしまった。
「私とダーは親子なのです」
サイカーラクラは再び問うた。
「親子なので、似ているのではないかと思うのですが、どうでしょう?」
「じゃあ、あなた、もしかして、サイカーラクラ?」
フラインディルはおっかなびっくり訪ねてみた。
「はい、そうです」
真っ直ぐなサイカーラクラの返答に、フラインディルは、ますます、うろたえた。
「いや、その、ずいぶん変わったので、わからなかった」
「あなたは昔の私をご存知なのですね?」
サイカーラクラは意外そうな顔つきでフラインディルを見つめる。
「え、ええ、まあ、最初の光子体と最近まで一緒だったので、そのころはラクトゥーナルという名でした」
「それは、失礼しました。私は昔の記憶が曖昧なのです。あなたのことは記憶にありません」
「それは、まあ、あの状況では、しようがないですね」
「それで、質問なのですが」
サイカーラクラは三度問うた。
「私はダーに似ているでしょうか?」
「ええ、とても」
フラインディルは言ってしまって、非常に驚いた。いったい、この子と第2類量子コンピュータの、どこに共通点を見出したのだろう。
でも、似ているのだけは間違いなかった。
サイカーラクラは、じっと、フラインディルの顔を見つめていたが、やがて安堵の吐息を漏らし、そして言った。
「不躾な質問で失礼しました。お答えくださって、ありがとうございます」
そのまま踵を返すサイカーラクラ、フラインディルは驚いて呼び止めた。
「どこが似ているのかは聞かないの?」
サイカーラクラは振り返ったが、その顔に不可解さがありありと浮かんでいた。
「でも、あなた、ご自分でもどこが似ているのかわかりませんよね。答えられないことは聞かなくても良いと考えました。似ている、と、あなたが感じたことだけで、私には十分です」
――ああ、これだ
フラインディルは、いまやっと了解した。ダーとサイカーラクラ、似ているのはそこなのだ。
フラインディルの表情を確かめたサイカーラクラは微笑んだ。
そして、また振り返ると、去っていった。




