第十一話 ~天界の萃鬼~
草木をかき分け進路を確保しながら突き進む。自然の豊かな妖怪の山だが、今ではそれがかえってエルミー達を困らせている。人間一人がようやく通れる様な、しかも遠回りの多い獣道をゆき、植物がどうしても邪魔だと判断したときにだけやむを得ず切り倒す。エルミーからしてみればじれったいことこの上ないが、大月がそれを許さないのは香霖堂で買った地球の環境に関する本の影響だそうだ。正直言って、一本や二本切り倒しても余り変わらない気はするが。
暑い、だるい、虫多いと、先程から心中何度も呟いてはいるが、それでも声に出して言わないのは大月が耳を貸すわけないと判っているからだろう。
正午を過ぎれば辺りは暗くなっていき、頭上近くにあった太陽はいつの間にか視線と同じ高さにまで移動し、時の経過と足の疲れを実感させる。天狗たちの住処を出てから少なくとも5時間は歩いているが、それでも大月が空を飛んで移動させないのは、先程から、いや、人里にいた時から感じるこの気配の所為だろうか。そう思っていると、同じことを感じていたのか大月が唐突に口を開いた。
「連中、まだついて来おるで。いい加減鬱陶しくて嫌になるわ」
「本当ねぇ・・・あいつら、退き際ってもんを知らんとちゃう?」
「お、エルミーはんもようやっと関西弁覚えてきたみたいやなぁ」
「そりゃぁ、いくら7年ぶりでも覚えるわよ。毎日朝から晩まで聞いてるんだから・・・と言っても、大月に会って一週間と経ってないけどね」
「そうれもそうやな。それにしても、森の中ならあるいは撒けると思ったんやけどなぁ。一体誰が跟けて来おるんだか」
「・・・流石に、あの二人組ではないわよね」
「判らへん。エルミーはんの話を聞くかぎり、人里の一件では生きててもしゃあないとは思うけど、どうもあの連中は普通じゃない気がするんや」
「それは私も感じた。肉体を失ってなお能力を駆使して魂を鉄で作った体に移し変える・・・少なくとも普通の人間じゃないわね。妖気らしい気配も感じなかったし」
「それじゃあますます変やなぁ。まさか不死身なんて言うんやないやろなぁ、エルミーはん?」
そう言って返答を待つ大月だったが、エルミーは何も言ってこない。だけではなく、足音も、草木を掻き分ける音も聞こえず、大月の耳に届いたのは、獣のような荒々しい息遣いと、何かが地面に落ちたような柔らかい音。彼女が振り向いた先には、胸を押さえて地面に倒れこむエルミーの姿があった。
「エルミーはん、大丈夫でっか!?」
「うん。へ、平気・・・だよ」
意識が遠のき、視界が霞む。左手で胸を鷲掴みにしながら、エルミーは空いた右手で必死にポーチを探るが、段々と映像が不明瞭になっていき、それと共に薬を捉えるのも難しくなってきた。ぼやけた手とポーチが一体化し、自分の手が何処にあるのかさえも分からずにいると、見かねた大月がエルミーの右手を払うと同時に薬を取り出し、エルミーに飲ませようと必死に口元に押し付けた。エルミーも朦朧とする意識の中必死に飲もうとしたが、すんでの所で意識を失ってしまった。
「エルミーはん!まだ逝ったらあかん!飲むんや、早く!」
大月の叫びも虚しくエルミーは目を覚まさない。それでも声をかけ続け、無理やりにでも薬を飲ませようとエルミーの口を開き、薬を流し込む。それでも、エルミーは飲み込めずに目を閉じているままだ。頭の中で五月蝿いほどに警鐘が鳴り響く。じれた大月は、やむを得ないと言う風に舌打ちをすると、薬を自らの口に含み、そのままエルミーに飲ませた。
ほんの1、2秒程度の時間がとても長く感じられた。口を離し、エルミーの胸に手を当てて脈を測る。動悸は段々と落ち着いてきている、順調に回復しているようだ。ただ、意識を取り戻すには少々時間が掛かるだろう。
「さてと、どっかで休めるところ探さんとあかんな。山中やし、このままは流石に無用心や」
若干顔を赤くしながら、誰にともなく大月は言った。ただ、その言葉には、穏やかな口調とは裏腹に強い緊張感がこもっていた。
「そりゃそうね、だって私達が殺しに来るんだから」
大月は振り向くこともなく、そして間髪入れずに声のする方向へ光線を放った。
声の主はいつの間にか大月の頭上に飛び上がっており、大月が頭上を見上げるのと、後ろからもう一人が斬りかかったのはほぼ同時。僅かに横に飛んで躱した大月は人数の整理がつかないのか、手当たり次第に光線を撃ちまくった。しかしながら手応えはなく、それでも顔色一つ変えずエルミーを庇う様に位置取ると、敵の姿を真正面に捉えて光線を放った。その先にいたのは、まごうことなきあの時の赤と青の少女の二人組みだった。
今度はしっかり狙いをつけた。だから、直撃は確実だろう。そう考える大月だったが、二人の方は違った。右腕に何か光るものを持っている。あれは・・・鏡?
そう感じた瞬間、なにか生暖かいものが足首を伝っていく感触があった。そして、遅れて走る激痛。
思わず脇腹を押さえる。見やると、そこには自身の光線が自身の腹を抉っていった痕があった。
掌にべっとりと血が付いたのを見て、それでも怯む事無く相手を睨む。鏡を持っていた、いや、右腕と一体化させていたのは赤い服の少女のほうだ。彼女はさも可笑しそうに手をはたいている。
「かかった、かかった!自分の攻撃で怪我するなんてざまあないわね!」
一方の青い少女は射抜くような冷たい目つきで相方を睨むと言った。
「ふざけてる暇はないわ。この間みたいになる前に片付けること。いい?」
「はいはい。分かったわよもう」
頬を膨らませて返事をする彼女に向かって、大月は再び光線を放つ。油断しきったところを狙われたせいで鏡を使うことは出来なかったが、避けられてしまった。依然、相手は無傷だ。
両腕を砂鉄で固める二人に対して大月は身構える。彼女に戦意はない。身構えたのは、エルミーを攻撃されないようにするためだ。牽制代わりに光線を連射する。やはり相手は再び鏡でもって反射するが、それは大月の能力によって分散し薄れていく。殺傷力を失い消え去ったそれを見た二人は、大月目掛けて砂鉄の剣で斬りかかってきた。
躱す訳にはいかない大月は、渋々といった様子で一枚のスペルを宣言した。
「幻符『夢の世界は目の前に』」
直後、閃光が辺りを埋め尽くし、視界を奪った。思わず踏みとどまった二人は、ほぼ同時に真横に飛んだ。すると、先程まで二人のいた場所を光線が貫いた。見ると、大月の体が薄く光を放っているのが判った。何が光っているのか、先程のスペルにどのような効果があるかは知らないが、より一層警戒を強めながらも二人は大月目掛けて飛び掛った。
大月は一瞬早く繰り出された赤い少女の一撃を横に飛んで躱す。しかしその先には予め打ち合わせていたかのように青い服の少女が回りこんでおり、その喉元に向かって一閃を繰り出した。そこで即座に光線を乱射し二人を牽制した大月は、別々の方向に飛び躱した二人を等分に見ながら、余裕綽々といった表情で不敵に笑った。
「何?何が可笑しいの?」
赤い服の少女が言ったが、大月は取り合わずに再び光線を打ち出す。間一髪で躱した赤い服の少女は、返答が得られなかった所為か、焦れた様に一枚のカードを宣言した。
「引導『ヒジュラ・オブ・ダンテ』」
カードが光るのと同時に、彼女の周囲の地面が割れ、そこから大量の砂鉄が彼女の手元に収束していった。そうして、それらは徐々に何かの一輪花のような形を作っていく。まるで、蒲公英の様な形へと収束していったそれは、赤い服の少女がふっと息を吹きかけると、蒲公英が綿毛を散らすかのごとく、真っ黒に光沢を放つ鉄の刃が空気中へと飛散していった。
一つ一つは小さくとも、それぞれが人の肌を切り裂く凶悪な切れ味を持った剃刀となり、さらにはそれが数百個にも渡って辺り一帯にばら撒かれた。赤い服の少女は、表情一つ変えない大月に向かって、先程大月がやってみせたように不敵に笑いながら言った。
「さあ、虐殺ショーの始まりよ」
狂気を感じさせる笑顔。その瞳の奥の紅は、彼女が今までに見てきた血の色のように思えた。
◆◇◆◇◆◇
一方、ところ変わって玄雲海。大月はエルミーを抱えながら雷鳴の轟く暗雲の中を飛んでいた。
先程宣言した幻符のカード。あれは、相手に幻覚を見せる力を秘めているカードである。光の屈折を操作し、本来その場にないもの、所謂幻覚を見せることができ、その実用性の高さから、大月が最も好んで使うスペルの一つである。
「やれやれ、これはしんどいわ」
と痛む脇腹を押さえながらぼやくが、かといって痛みが治まるわけもなく、むしろ傷口からの出血が着実に大月の体力を奪いつつあった。
「こりゃ早いとこ天界に着かんと、ウチの体が持たんな。急がんと」
とは言ったものの、負傷した体で、しかもエルミーを抱えながらでは思ったように速度が出せないことを自覚した大月としては、最悪のケースを考えざるを得ない。
「あのスペルも無制限に使えるわけやないしなぁ…追いつかれたらおしまいやで?ほんまに馬鹿野郎やな、ウチ」
行く先に目を凝らしても暗雲の立ちこめた玄雲海に終わりは見えず、追いつかれるかもしれないという恐怖と、それからくる焦りが大月の心を少しずつ蝕んでいった。
大月の手は無意識に震えていた。本人はそれに気づいていたが、それは自分があの二人に怯えている事を証明しているように感じられて不快だった。
死の危険を目の前にして、恐怖心が色濃く現れてきているようだった。普段の物騒だが平和な幻想郷とは違い、今回の相手は本気で殺しにきている。いつもとは違う死と隣り合わせの戦い、文字通りの死闘に対して大月は余りにも不慣れであり、そうであったが故に焦っていた。
「早く、早く天界に着かんと…!」
震える腕に無理矢理力を入れながらも、大月は天界への道を急いだ。急ごうとはするものの、鈍い痛みに強張った体が思うように動かせず、余計に大月の焦りを助長させた。
だが、そんな最中だった。暗雲に浮かぶ一つの影が見えたのは。
長い羽衣を靡かせ、浮くように暗雲の中を飛行するその姿はこの上なく優雅。大月はこの機を逃すまいと大声を張り上げた。
「衣玖!」
「ん?その声は、確か…」
「ウチや、大月やって!」
「ああ、大月さんでしたか…ってどうしたんですか、その怪我は?」
「話は後や!早く天子のトコに連れてったってや!」
「はぁ…イマイチ要領を得ませんが、分かりました…
」
「はぁ…助かったぁ…」
「そんなに慌ててどうしたんですか…って大月さん!?」
安堵のあまりか、気を失った大月は衣玖胸元に倒れ込んだ。慌てて抱き留めた衣玖は、多少訝しげにしながらも、何処か只事ではない雰囲気を感じ取り、天子の館へと急いだ。
◆◇◆◇◆◇
目が覚めたのは、見知らぬ館の見知らぬベッドの上だった。
奇妙に思いながらも身を起こし、自分が何をしていたのか思い出そうとした。最後に覚えているのは、真っ暗に霞んだ視界の中で気を失ったこと。いつの間にか痛みは引いていた。
取り敢えずベッドから出た。足元は素足だった。高級そうなカーペットを踏んで薄暗い部屋を歩いて行こうとして、ふと隣のベッドに目をやった。
そこには、小柄な白髪の少女が穏やかに寝息を立てていた。勿論、すぐに大月だと分かった。布団から覗いた小さな足が寒そうだったので、布団をかけ直してやった。その時、わずかに覗いていた大月の脇腹に巻かれた包帯が目に入った。
すると、後ろの方で誰かが扉を開ける音がして、振り返った。そこに立っていたのは、長く蒼い髪に、美しい真紅色の瞳を持った少女、比那名居天子だった。
「あら、起きてたの?」
「ええ、まあね。ところでさ、一体どうなってるの?何で大月が怪我してるわけ?」
「それは私も知らないわ。大月が怪我して衣玖に運び込まれてきたのよ、貴方と一緒にね」
「そう…」
「ってか、どうして此処に来たの?何か私に用でも?」
「あ、そうそう!実は…」
と、エルミーはこれまでの経緯を天子に話した。
「ふーん…稗田の9代目が消えた、ね…」
「そうなのよ、だから何か知ってる事はない?」
「私は知らないけど…あ、そうだ、萃香が貴方に会いたがってたわよ?彼女なら何か知ってるかも知れないし、行ってみたら?」
「萃香が?まあ良いけど…」
余り期待は出来そうにないが、会いたがっていると聞いて、エルミーは大月の看護を天子に任せて部屋を出た。
◆◇◆◇◆◇
天界といっても、その世界は幾つかの場所に分かれている。その中でも、非想天と呼ばれる場所の外れに、その小鬼はいた。
小柄な体格に似合わない大きな角を二本生やし、両腕と髪から下げた3つの色彩豊かな立体は、それぞれが調和、無、不変を表している。
その鬼の名は伊吹萃香。古来より代々日本に生き続けた鬼の一人である。
その鬼は、何かを待ち構えるように大きな岩の上に座って瓢箪の中身の酒をあおっていた。
「萃香ー、いるのー?」
「お、エルミーじゃないか、待ちくたびれたよ!」
「どうかしたの、私に何か用?」
「用も何も、帰ってきたんなら顔見せに来てくれてもいいのに」
そう言うと、萃香は岩から飛び降りてエルミーの元に走り寄ってきた。
「ごめんごめん、最近ちょっと立て込んでてさ」
「立て込んでるって、何が?」
「色々よ」
「なにそれ気になるー!」
萃香はぴょこぴょこと飛び跳ねながらエルミーの腕にしがみついてくる。
「ああもう五月蝿いわね!ちょっと人里が襲われただけよ!」
「人里?そんな事よくあるじゃん。他は?」
まるで始めからすべて分かっているかのように、萃香は鋭い笑みを浮かべて言った。それを見たエルミーは、諦めたようにため息を吐くと、静かに切り出した。
「…あっきゅんが、消えたのよ」
阿求の姿を見たという萃香。彼女の話によると、阿求の側には人里でも見た赤い髪の女の姿もあったという。
次回、東方剣雷録第十二話「その者の名は」
乞うご期待!




