第十話 ~錬という名の運命~
肩から提げた水筒に付けていた口を離し、頭上を見上げる。この天狗の里は山の中でも結構な高さにある。麓と比べると雲は薄いが、それでもこの辺りは本来、玄雲海の雲が日光を遮り気温が低くなりやすい。だと言うのに、先程から真昼の太陽が頭上からじりじりと照りつけ、額からは汗がとめどなく流れ続ける。突然、荷車が後ろから猛然と駆け抜けていった。舞い上がる砂埃に顔をしかめながらも、足は止めることなく、歩み続けた。
「さーて、何処だったかなぁ・・・?」
天狗の里についてまだ数分程しか経過していないにも拘らず、エルミー達は早くも迷子になっていた。
それもその筈、エルミーがここを訪れるのは7年ぶりというのだから無理はない。幸い、天狗たちの中にはエルミーの事を覚えている者もおり、里にはすんなりと入ることが出来たし道も教えてもらった。ただ複雑な町並みの中では聞いただけで辿り着くのは難しい。
道案内が欲しいところだと内心呟く。しかし道を聞こうにも、殆どの者は7年ぶりに帰ってきたエルミーの事を覚えておらず、道を教えてくれる者などいない。ましてや道案内など、よほどのお人好しか物好きの暇人でもないかぎりしてはくれない。後ろを歩く大月も、あてもなく街中を彷徨うエルミーに若干苛立ちながらも、自分も道を知らないがために大人しく後をついてくる。
十字路を通る。右に曲がり、左に曲がり、また右に曲がる。このまま永遠の堂々巡りを続けるのではないのだろうかと少しばかり不安になる。錬の家について覚えているのは、裏に大きな工房があるということだけである。そのため手当たり次第に大きな家を訪ねて回ったが、結果は芳しくはなかった。
また十字路を左に曲がる。若干下を向いていた所為か、目の前に現れた人影に対応できずそのままぶつかってしまった。
「あっ、ごめんなさい」
咄嗟に身を離して頭を下げる。もしかしたら怒られるかもしれないと、身を硬くするエルミーであったが、相手は何も言わず、ただじっとエルミーを見つめるだけだった。
訝しむ様に顔を上げると、目の前にいたのは長身の男性だった。それも、エルミーの事を誰よりもよく知る。
その姿を見たとき、お互い無意識のうちに叫んでいた。
「錬様!?」
「エルミー!?」
突然目の前に現れた彼に、エルミーは驚愕していた。一方の錬は、まるで幽霊でも見たかの様に(幻想郷ではよく見かけるが)岸に打ち上げられた魚のように口を開閉させていた。
エルミー自身も、何から言い出せばいいのか分からずに、ただ錬の顔を凝視することしか出来ない。先程までは会ったら何を話そうかなどと色々なことを考えていたのに、目の前に現れると、いざ口火を切ろうにも何一つ言葉が浮かばなかった。必死に言葉を選ぶエルミーより先に、錬が口を開いた。
「エルミーじゃないか、7年間も何処へ行っていたんだ?」
「あ、いえ、大した事ではないのです。実はですね、外の世界に放り出されてしまいまして」
「外の世界に?じゃあ7年間ずっと外で暮らしていたというのか?」
「はい、戻ってきたのはつい最近です」
「そうか・・・いや何、突然何も言わず姿を消したものだから皆も酷く心配していてな、中には死んだと噂する者までおったぞ。私も最初は生きていると信じて疑わなかったものだったが、次第に周囲の空気も懐疑的になっていってな、いつまでも意地を張り続ける私に仲違いする奴もおったよ」
「そんな事が?・・・申し訳ありません、もっと早く戻っていれば、周囲にも迷惑を掛けずに済んだものを」
膝を屈して謝るエルミーに、むしろ錬のの方が驚いたようだった。
「とんでもない、お前に謝られる筋合いなど無いぞ?ほれ、久々に家にでも来て語らんか?外の世界にも興味があるしな。そこの可愛い小娘も喜んで招待させてもらうよ」
「し、しかし・・・」
そこに、大月が突然割り込んできた。
「ほらほらぁ、折角お誘いを受けたからには、断るのはかえって無礼っちゅうもんやろ?エルミーは変に遠慮するよりも、もっと図々しくならんと」
いつも以上にテンションが高い。可愛いと言われたのが嬉しかったのだろうか。
「その通りだ。お前は遠慮深いからな。まあ気遣ってくれるのは嬉しいが・・・」
しかし、と尚も言い淀むエルミーの事などお構い無しに、二人は錬の家に向けて歩き始めた。「ウチは逆八大月。あんさんは?」などと話している二人の後姿を見て、エルミーは膝を付いたまま呟いた。
「・・・あの二人には一生敵いそうも無い、か」
軽く苦笑すると、立ち上がって二人の後を追いかけるのであった。
◆◇◆◇◆◇
「うはぁ、こりゃ壮観やな」
錬の工房を見て、大月の第一声がそれだった。
真っ赤な光、飛び散る火花、金床を叩く音。ここは錬の工房。そこでは多くの弟子達が、忙しく動き回っていた。鉄鋼を溶かす熱で、建物全体が異様な熱気に包まれている。外の暑さが涼しく感じられるほどの熱気に、額からは先程より多くの汗が流れ落ち、水筒が圧倒的に軽くなっている事に気付いた。
一方の大月は、中に入るなりはしゃぎ出し、あちこちの道具を弄繰り回しては駆け回っている。この暑さの中、よく疲れないものだとエルミーは思った。
「どうだ?久々の工房の空気は」
「とても懐かしいです。実に7年ぶりですね、ここに来るのも・・・」
「そうだろう、やはりここに来ると無意識に体が疼く。この腕で刀を鍛えたいと、心が叫ぶようにも思える。お前もそうだろう?」
「とんでもない、私には鍛冶の才能なんてありません。せいぜい刀を振るくらいです」
「何だその言い草は。私が直々に鍛えてやったのに、その様な言い方をされてはまるで私の教え方が下手だと言っているようではないか」
「いえ、何もその様な意味で言ったわけでは・・・」
「分かっとる。冗談だ、冗談」
若干焦ったエルミーを見て、錬はさも可笑しそうに笑っている。エルミーも合わせてぎこちなく笑いながら、そこら中を荒らしてまわる大月を気にしていた。
「面白い娘だな、あ奴も」
「大月がですか?」
「ああ。ここに来て、しかも私の前であんなに暴れまわるものなど見た事が無い」
「ああ、確かに・・・」
錬が怒り出さないかと心配していたが、むしろ気に入って貰えたようだ。ただ、大月の後始末を余儀なくされている弟子達が少々可愛そうではあるが。
「やれやれ、馬鹿弟子どもが過労死する前に止めておくか」
ため息を吐きながら、錬は大月の方へ歩いていった。丁度そこでは、大月が大きな金槌を振り上げている所だった。弟子の一人が慌てて止めにかかったが、その重さに耐えかねた大月の指先から、金槌の柄が滑り落ちた。それは、後ろの金床に置かれた刀に直撃し、床へ落ちた。
「あっ!」
弟子が叫ぶ。しかし、すでにその時には、刀は無残な形に変形し、打たれた部分は原形を留めていなかった。そこへ錬が近づいてくるのを見て、弟子は真っ青になりながら額を床に摩り付けた。
「す、すいません!すぐに直します!」
錬は彼を一瞥すると、刀を持ち上げてしげしげと眺め始めた。
「ふぅむ・・・これは酷いな。お前には少々厳しかろう。これは私が直しておく。お前は・・・」
暫く視線を中に彷徨わせ、何かいい事を思いついたという風に口の端を吊り上げた。
「こやつを見学させてやれ」
大月を指差して言った。弟子は呆気に取られて錬を見ていたが、大月は一際大きく跳ね上がると弟子の手を引っ張って何処かへ行ってしまった。それを見届けた後、軽く微笑みながらエルミーの方を振り返って言った。
「さて、これで話す時間が出来たな」
やはりこの人には一生適いそうもないと、再び思い知ったエルミーであった。
◆◇◆◇◆◇
その後、錬は工房を出、エルミーを居間へ通すと自分は台所へ向かった。
質素な部屋だった。とても幻想郷一の鍛冶職人の住む部屋だとは思えず、訝む様に辺りを見渡していると、錬がお茶と煎餅を持って部屋に入ってきた。
「どうした、何か気に入らん事でもあったか?」
「いえ、随分と質素なお部屋だと思いまして・・・あ、お茶ありがとうございます」
錬の煎れたお茶を受け取ると、エルミーは言った。
「しかし、良いのですか?私などを居間へお通しになって」
「なに、お前とは付き合いも長い。文にもよくして貰っているし、家族のようなものだ。気にするな」
その言葉を聴いたとき、エルミーの心はえもいわれぬ嬉しさで満たされていった。錬に家族と認めてもらえた。その事が、堪らなく嬉しく感じられた。しかしその様な感情は一切顔には出さず、一口お茶を啜って、錬が勧めるので煎餅を口にした。
暫くは、外の世界の事や最近の幻想郷の事で談笑を楽しんでいたが、話すことが無くなると一変して煎餅を齧る音とお茶を啜る音だけが部屋の中に響き渡った。時折、外から蝉の鳴き声が入り込んでくる事があったが、エルミーが錬に対して遠慮がちなのもあって、少々空気が重く感じられた。
唐突に、錬が口を開く。
「なあ、最近、刀を持った少年が幻想郷に来たという事を知っているか?」
「刀を持った少年?もしかしてレイの事ですか?」
「そうだ。知り合いなのか?」
「はい。人里で会いました。人里でと言っても、その時は妖怪の襲撃に遭って大変でしたが」
「何と、そんな事が?という事は、最近妖怪が増えているというのはそのことか?」
「はい。人里も何度か襲われました。今はその事について調査しているのです」
「成る程な。で、情報通の文なら何か知っていると考えてここに来たという訳か」
「はい。しかし、文が居ないそうなので、錬様が文から何か聞いていないかと思いまして」
「ほう。そうか・・・」
顎に生えた無精髭を弄りながら錬は考え込む。文から聞いた話に、それらしいものが無いか思い出しているのだろうか。外では、山の上だというのに相変わらず蝉の鳴く声が窓から入り込み部屋中を騒がしくしていた。暫くして、錬が言った。
「・・・一つだけ、聞きたい事がある」
「何でしょうか?」
「お前達・・・エルミーとレイが異変に関わっている、という事ではないのだな?」
思わず錬の顔を見る。エルミーの事を心配してくれているのだと思った。そして同時に確信した。
錬は、この異変について何か知っている。
そしてそれは、エルミーやレイの前で堂々とは言えない事であると。
錬は、小さく溜息を吐いた。
「・・・関係しているのだな?」
「・・・はい。レイも、恐らく私も。何故その事を?」
「1週間ほど前に、紫が家に来て言ったのだ。『幻想郷に、未だかつて無い悲劇が起きようとしています。あの二人を帰って来させましたが、止められるかどうか・・・』とか何とかぶつぶつ呟きながら消えてしまったよ。あの二人ということは、そのレイとやらも元々は幻想郷の住人なのか?」
「さあ、そこまでは分かりません。本人は記憶を失っていますし・・・」
そうは言ったものの、錬の言う通りレイがもとは幻想郷の住人である可能性は捨てきれない。エルミーのように、何年かの時を経て外の世界から帰ってきたのかもしれない。
だが、レイは外の世界で殺された瞬間を覚えていたようだし、服装からしても外の生活には余程慣れていたように見える。そうと断言できるだけの判断材料にはならなかったし、もしかしたらもう一人帰ってきた者がいるのかも知れない。エルミーが知らないだけで、もしかしたら何処かで異変に巻き込まれている人がいる可能性もある。
頭の中であれこれ考え悩むエルミーの耳に、錬の声が飛び込んできた。
「・・・すまなかったな」
「え?」
何故謝るのか、エルミーには理解できなかった。錬は、悲しそうに俯きながら続けた。
「思えば、その刀を抜いてからお前の運命は酷く残酷なものになったと思う。お前がそうなる事を望んだ訳でもないのに・・・」
「何を仰るのですか。そんな事はありません。この刀に出会う前から、私の運命は決まっていたのですから」
「いや、違うんだ・・・もういい。暫し話を聞いてくれぬか」
「はい」
無理矢理エルミーを黙らせたところで、お茶を飲む手を止めて錬は語りだした。
「その金属は、妖怪達の間では凶事を呼ぶと言われていてな。鬼でさえ恐れる代物さ。それを半ば好奇心で手に入れ、ましてやそれで刀を作るなどとは、愚の骨頂というのは正しくこのことではないか。私が、そのような罪深き刀を作ったばかりに、お前の運命を狂わせてしまった。本当に、申し訳ないと思っている」
思わず、否定しようと何か言い返しそうになったが、錬が無言で制するのを見て浮かせかけた腰を再び落とした。
錬は続ける。
「・・・最近、漸く理解できたんだ。ただの好奇心だった、見る見る内に成長していくお前の姿を見るのが、堪らなく楽しかった・・・それも、今ではただの言い訳にしかならんがな」
そう言って錬は自嘲気味に笑う。彼は、エルミーの身に降りかかる災難を、自分の所為だと思っている。そのことが彼の心に重く圧し掛かっているのだという事を理解したとき、エルミーは思った。
これじゃあ自分の方が錬に迷惑を掛けているようだ。と。
錬はまだ続ける。
「本当にすまなかった。こんな事になるなら、最初から鍛冶屋になどならなければよかったのにな。よくよく考えてみれば、あの時私がお前にしてやれた事なんて無い・・・いや、あったとしても、そんな事無駄だっただろうに」
もう、心が我慢の限界だった。無意識に口をついて出たのは否定の言葉だった。
「・・・違う」
錬は驚いたようにエルミーを見、次いで再びその表情は悲壮なものに変わる。やはりだ。錬を悲しませているのは自分自身だ。その自責の念がエルミーを突き動かした。
「違います。貴方は何も悪くない。好奇心なんて誰だって持ちます。貴方が鍛冶職人になって、私以外の多くの人を支えてきたのでしょう?それは無駄なんかではない。貴方のおかげで、私は錬と言う名の運命に出会えたのですから」
「錬という名の運命、か」
軽く、今度は自嘲ではなくやや可笑しそうに錬は微笑んだ。
「お前のその呪われた運命も、私の所為ではないというのだな?」
「違います。ただ、その責任を全て錬様が背負うのも間違っていると、そう言いたいのです」
「ふっ・・・ありがとう。少し、心が軽くなった気がするよ」
今度は少しばかり嬉しそうに笑うと、錬は立ち上がった。
「案ずるな。稗田家の当主はきっと見つかる。一昨日、山頂へ登って行く群れを見たと文が言っていた・・・必ず、友人を助けるんだぞ」
「・・・はい!」
エルミーは立ち上がり、そして、阿求を救うべく大月と共に天界へ向かった。
阿求の居場所の手掛かりを得た二人は玄雲海を越え、その先の天界へと行き着いた。そこにいたのは、天人と小さな鬼。ところが、2人は何やらエルミーの恨みを持っているらしく・・・?
次回、東方剣雷録第十一話「天界の萃鬼」
乞うご期待!




