第9話
その夜、僕はまた三日月に会おうと準備をした。パパのギター、電池を外した時計…これで完璧だと思い、ベランダへ出た。するとまた少しふっくらした三日月が声をかけてきた。
「奈音くん。」
すると僕は空の上にいた。
「お月様!」
「今日も会えたね。嬉しい。」
「うん、僕も嬉しいよ。」
「でも何だか元気なさそうだよ?」
三日月には僕の様子がわかっていたようだ。
「うん。もう幼稚園ではお月様と会った話はしたらだめだって。」
「そう…」
三日月は少し寂しげな様子だった。
「誰も信じてくれないんだ。」
「…そうかもね。」
「それにいじめられちゃうって…」
「そう…」
「ねぇ、手、繋ごう。」
「うん。」
僕は左手を、三日月は右手を差し出し手を繋いだ。それからその夜、僕と三日月の間にほとんど会話はなかった。それでも僕は幸せだった。すると三日月が言った。
「もうすぐ半月だから、暫く会えなくなるの…」
「え…」
僕は寂しかった。
「ごめんね、奈音くん。」
「ううん。絵本にも出て来ないから仕方ないよ。」
「じゃあ、満月の日に待ち合わせをしましょう。」
「光が項垂れた頃…だよね?」
「そう!」
「ちゃんとわかってるよ。」
「すごい!」
「だってお月様が大好きだから。」
「私も奈音くんが大好きだよ。」
「暫く会えないの寂しいけど…」
「うん…ごめんね。」
「ううん。僕さ、いっぱいギターの練習しておくよ。」
「うん。楽しみにしてるね。」
「絶対に上手くなってお月様を喜ばせてあげるんだ。」
「ありがとう。」
そうすると空は少しばかり明るくなっていた。
「あ、私…もう帰らなくちゃ…」
「また…ね。」
お日様が顔を出し始めた頃、気付くと僕はベッドの上だった。いつの間にかパパのギターを片付けて、時計に電池を入れたようだった。
お月様 だいぶふっくらしたね
お月様 誰でも折れそうにないぐらいふっくらしたね
お月様 会えてすごく嬉しかったよ
お月様 会えてすごく楽しかったよ
お月様 大好きだよ
その日の朝、僕は幼稚園へ行くのが嫌だった。少し怖かったのだ。もしかしたらいじめられるかもしれない、そんな思いがあったのだ。そんなことを考えているうちに出発する時間になり、ママに連れられて幼稚園へ行った。
「ねぇ、ママ。」
「なぁに?」
「お月様の話をしなければいじめられない?」
「そうよ。だから話さないこと!」
「はーい。」
「ママは信じてるからね。」
「ありがとう。」
そんな会話をしているうちに幼稚園に着いた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「今日もよろしくお願いしますね。」
「はい。奈音くんは特に気を付けて見ていくのでご安心ください。」
「はい。ありがとうございます。」
そう言うとママは帰っていった。
僕は相変わらず絵本を読んでいた。しかし、やっぱり「月夜に恋ひとつ」を越える絵本はなかった。僕は他の絵本を読みながら、三日月のことを考えていた。いつ満月になるのだろうか、いつ会えるだろうか、本当にまた会えるだろうか…不安と期待でいっぱいだった。僕は誰にも気付かれないように心の中で「月夜に恋ひとつ」を読んでいた。
絵本の中のあの子に僕は恋をした
そしたら世界はその子を三日月にした
絵本の中のあの子に僕は恋をした
そしたら世界はその子を青色にした
灯りが眠る頃 僕は君に会いに行くよ
時計を止めたなら 草臥れたギターと旅に出るよ
星ひとつない空を 君と手を繋いで見下ろしていたら
あっという間に意地悪なお日様が おやすみと言って僕を眠らせた
また…ね
絵本の中のあの子に僕は恋をした
そしたら世界はその子をまん丸にした
絵本の中のあの子に僕は恋をした
そしたら世界はその子を赤色にした
光が項垂れた真夜中 待ち合わせ
右手の薬指でラブレターをそっと海に書いた
星ひとつない空を 君と手を繋いで見下ろしていたら
あっという間に意地悪なお日様が おやすみと言って僕を眠らせた
また…ね
絵本の中のあの子に僕は恋をした
星ひとつない夜に…
何度も何度も読んでいたので一字一句暗記していたのだった。他の絵本を読むふりをしながら、心の中で「月夜に恋ひとつ」を何度も繰り返し心の中で読んでいた。そうするとあっという間にママが迎えに来る時間になっていた。