誰が為に紅葉は燃ゆる
この物語はフィクションであり、実際の人物・団体とは一切関係ありません。
また、特定の国家、部族、人種、団体を批判する意図は一切含まれておりません。
本作品には残酷な表現が含まれますので、R15タグを追加しております。
ある秋の日、犬山は寂れた公園を訪れていた。
市街地から離れて山の麓に作られたそれは、今や敷地全体を覆い隠すほど伸びた周囲の雑木のせいで日中も薄暗く、誰もが不気味がって近寄りたがらない。出来た当時は遠足や宴会に訪れる者で賑わっていたが、市街地から遠くない場所に新しい公園が設けられてからは、立ち入りを禁じられたかのように一切の客足が途絶えてしまった。今でもその公園を気に入って訪れるのは、ただ1人、犬山だけだ。
誰も近寄る者が居ないというのは、むしろ犬山にとっては喜ばしい事だった。彼は職業柄、知らぬ人というものを見ていると、どこか落ち着かない気分になってしまう。遠くの見渡せない場所で、1人で静かに過ごせるというのが彼にとっての理想で、公園はその条件を両方とも満たしていた。気に入っているところはもう一つある。敷地の中央に植えられた、まだ若い一本の楓の木が、秋になると小さな葉を真っ赤に紅葉させるのだ。細い木が薄暗い中で赤く色付くその様は、決して大木のものほど派手には映らない。だがそれは、残された力を全て振り絞り、その葉を自ら真っ赤に燃え上がらせているかのようにも見えて、切なく、だからこそ美しく感じられた。
5年前、その紅葉を見に来ていたのは犬山1人だけではなかった。もう一人、赤城という幼い頃からの友人もそこを気に入っていて、気に入った菓子や飲み物を持ち寄ってはベンチに座り、二人で語り合っていた事だった。彼もまた、小さく輝く若木の姿に心を奪われていた。犬山はともかく、赤城にはそこに惹かれた明確な理由がある。
彼には楓という、その木と同じ名前の、血の繋がっていない妹が居た。赤城の両親が離婚した後、彼を引き取った父親の再婚相手が連れて来た子だったが、赤城は彼女を本当の妹のように溺愛し、彼女の為ならどんな事でもすると心に刻んでいた。
問題は、彼女が中学校に上がる前、命に関わる難病を患ってしまったという事だ。
彼女を治療する為、膨大な金が必要になった。赤城の父は決して金持ちではなく、継母の収入もパート止まり。当時高校卒業を間近に控えていた赤城は、優秀な成績を収めていながらも、進学を諦め、少しでも資金を得る為に就職した。少しでも金銭が掛からず、安定した収入を得る事のできる職業。彼が選んだのは自衛隊に入るという道だった。
日常からかけ離れた訓練にも、厳しいしごきにも、妹の顔を見られない寂しさにも、彼は懸命に耐えた。妹の事を思い、彼女を助けたい一心で毎日を過ごしていたのだ。しかし無情にも、彼が必死に節制して貯め込んだ給料でさえ、日に日に悪化していく彼女を治し切るには遠く足りなかった。海外からの新薬取り寄せ、保険適用外の治療法、救う道はあっても、それを実現するだけの資金が無い。だが一生懸命に働いたとしても、それは短期間で稼げる額ではない。時間が過ぎれば過ぎる程、楓は衰弱していく。
追い詰められた赤城が頼ったのは、他ならぬ犬山だった。
「頼む。仕事をくれ」
犬山は滅多に自分の職業を明かす事はしなかったが、長年の友人である赤城には真っ先に伝えてあった。お互いに信頼し合っているというのもその理由の一つだが、最も大きな理由は、お互いの仕事に似ている部分があるという点だ。
犬山は傭兵、すなわち雇われ兵士である。傭兵となるまでの過程はあまりにも珍妙なもので、尚且ついくらか間の抜けたものであったが、結果としてそれは何のとりえも無いとされていた犬山の、兵士としての適性を見つけ出すきっかけになった。16歳の夏にその世界へ飛び込んでから3年の契約期間を終え、運よく生きて日本に帰ってきた彼は、今度は別の多国籍民間軍事企業に名簿登録し、次の任務に向かえる日を心待ちにしていた。そこに頼ってきたのが赤城だったのだ。
「銃の扱い方は分かる。体力も自信がある。足手まといにはならないから……」
「正気か?」
犬山は耳を疑い、そう聞き返した。傭兵が一度に受け取る報酬金は確かに大きい。だが、それは危険と隣り合わせなのだ。正規軍と違い国家権力で守られる事は無いし、補給の面で不安もある。戦争捕虜としての扱いも期待できない。こんな契約さえ結ばされる。「万が一にも捕虜になり、過酷な拷問を受けたとしても、社に対していかなる対処も要求しない」と。当然年金も無い。彼ら傭兵は使い捨ての戦闘力なのだ。先の事を考えるのなら、正規軍や自衛隊に努めていた方が良い。犬山は赤城に対して、ずっとそう忠告してきた。にも関わらず、赤城はいばらの道に足を踏み入れようとしている。
「頼む。今すぐにでも金が必要なんだ。どんな事でもやる」
犬山としても、出来る事があるならしてやろうと思っていた。だが、犬山自身の生活も決して楽という訳ではない。傭兵1人分の報酬額を丸ごと渡すという訳にはいかないのだ。力を貸せるとしたら、この妹思いの兄にその仕事を与えてやる事だけだろう。
「だが、こっちにも段取りがあるんだ。欠員でも出ない限り、お前を連れて行く事はできない」
次の任務に向かう要員は既に決まっているのだ。犬山と、もう1人は海兵隊出身のアメリカ人。2人1組の仕事で、報酬額の都合からそれ以上の増員は止められている。
「なぁ、赤城。もしお前が死んだら妹さんはどうなるんだ?親父さんとお袋さんもだ。お前が居なくなったらどれだけ悲しむと思うんだ?」
「どれだけ悲しまれてもいい。楓にだけは生きてて欲しいんだ」
犬山の問いに、赤城は真っ直ぐなまなざしを向けて答えた。犬山自身はもう既に根負けしている。前々から分かっている事なのだ。この男は全て犠牲にするつもりでいる。妹1人救う為ならば、どれほど大事なものでも投げ捨てるだろう。誰にも止められはしない。彼の愛はそれほど強大だった。
とはいえ、タイミングが悪い。
「しかし、こればかりは……」
犬山が何とかして彼を鎮めようと口を開いた時、彼の携帯電話が鳴った。番号は民間軍事企業のもの。犬山は深いため息をついて、電話を受けた。
幸か不幸か、それは欠員の連絡だった。犬山と組む予定だったアメリカ人が来られなくなったのだ。電話の主は事務的な口調で、他に手配できる人員も居ないと伝えてきた。
犬山はいよいよ赤城の頼みを断れなくなった。
「赤城、答えてくれ。お前の口からはっきり言ってもらいたい」
そう前置いてから赤城の目をしっかり見据え、犬山は問い掛けた。
「後戻りはできないぞ。それでもいいんだな?」
赤城は一瞬明るい表情を見せた後、口をぐっと食いしばり、決意の籠った眼差しを犬山に返した。彼は深く頷いて、はっきりと聞こえるように、だが落ち付いた口調で答えた。
「覚悟はできてる」
犬山は新たな人員が確保できた旨を連絡した。
3日後、二人は中南米のジャングルに居た。
「日本の夏より酷いだろ。ここの蒸し暑さは」
犬山は薄汚れたジーンズに黒いポロシャツという軽快な装いで、その上に黒いボディアーマー(防弾ベスト)とチェストリグ(胸掛け式の弾倉入れ)を装着していた。赤城の方はカーキ色の綿ズボンを穿き、他は犬山と同じような装いだ。彼らの着るボディアーマーは防弾繊維で作られたものにセラミックのプレートを組み合わせたもので、貫通力の高いライフル弾であっても止める事ができる。重量の増す装備だが、敵の武器を考えるなら着ない訳にはいかなかった。
彼らの装備は、犬山が籍を置く民間軍事企業の支部で受け取ったものだ。前日にそこで詳細な任務説明を受け、日が明けてからヘリに乗り、目標近くのジャングルに投入された。
現地では何十年も前から反政府組織が活動しており、さながら国軍との内戦のような状態になっている。国軍は圧倒的な装備を持っているが、ジャングルという悪環境が進撃を阻んでいた。木々に隠れては撃ちまくるゲリラは、まとまって動く事を念頭とした歩兵部隊を苦しめる。その上彼らは非戦闘時には民間人に紛れて生活し、少数のグループに分かれて隠れ場所の移動を繰り返している為、大規模攻撃によって殲滅するのが難しい。「聖域」と呼ばれる国外の隠れ場所を持っているらしい事も問題だ。
つまり、敵はベトナム戦争のベトコンや、アフガニスタンのタリバン等と同じ手を使っている。
よって国軍は戦略を切り替え、国内の反政府勢力支持者を排除する作戦を立案した。だがその中には麻薬ビジネスによって強力な武力を手に入れた者も存在する。政府とのパイプを持つ者さえ判明した。そういった状況下で国が直接手を出すのにはいくらか問題がある。
そこで頼られたのが傭兵だ。犬山と赤城に与えられた任務は、反政府勢力に援助を行っている資産家の1人を暗殺する事。言わずもがなの汚れ仕事だ。
「赤城、あそこだ。見えるか?」
木の間をくぐり抜け、草木を掻き分けてジャングルから這い出した犬山は、茂みに身を潜めたまま前方の建造物を指差した。赤城は彼の横に並び、静かに頷く。彼らの目の前には白い外壁の大きな豪邸がそびえ立っていた。
「歩哨が数名、屋敷の周囲を巡回してる。持ってる銃が何か分かるか?」
建物の周囲を警戒しつつ歩き回る緑色の戦闘服を着た男達を指して、犬山は問いかけた。自衛隊の訓練で触れる事は無かったが、赤城はその銃をよく知っていた。戦争の記録映像や戦時のニュースではおなじみの銃だ。そこに出てくるゲリラやテロリストは、必ずと言っていいほどその銃を抱えている。
「AK系のアサルトライフルだ。おそらくAK47」
「正解。俺達とお揃いだな」
犬山達の両手にも、敵と同じタイプの銃が抱えられていた。
AK47とはロシアで開発されたアサルトライフル(歩兵向けの比較的軽量、低反動な自動小銃)で、殺傷能力の高い弾丸を30発連続発射する事ができる。この銃の特徴は何より丈夫に作られているという事だ。泥の中に埋められても、大量の砂を浴びても、問題無く発砲する事ができる。その上、部品数を減らしてある為に整備が容易で、尚且つ整備を怠ったとしても正常に動作するほど信頼性が高い。悪環境で活動するゲリラにとって、それらの特徴はこの上ない利点だろう。安価な不正コピー品が大量に出回っているせいで、ゲリラやテロリストたちは容易にこの高性能な銃を手に入れられる。犬山達のものはAKMという改良型だが、基本的な構造はさほど変わっていない。
つまり、敵と同等の武器しか持っていないという事だ。
「歩哨の数が多い。中にも何人か居るだろう。正面から突っ込むのは自殺行為だ」
犬山達は這って一旦後退した。周囲を見回し、茂みが屋敷の反対側まで続いている事を確認して、犬山は赤城に伝える。
「裏側に回り込もう」
彼らは再びジャングルに潜り込み、30分程かけてゆっくりと屋敷の反対側に回り込んだ。そして再び木々の間から這い出し、茂みの中から屋敷の様子を窺う。犬山の判断に狂いは無かった。正面とは違い、裏側には二人しか見張りが居ない。彼らは狭い裏口を挟むようにして配置していた。距離は50メートル程。
「よし、ここから仕掛けるぞ」
犬山は伏せたままAKの安全装置を解除し、セミオート射撃にセットした。赤城も同じように銃を準備するが、その手つきはいくらかぎこちない。銃の扱い方が分からないという訳ではない。彼を戸惑わせているのはもっと別の理由だった。
「これから人を撃つんだよな……」
手元の銃を見つめて、赤城は静かに呟いた。犬山はこれまで散々人に向けて撃ってきたが、赤城は違う。彼がいつも撃っていたのは紙や板で作られたターゲットで、生きた人間ではない。その額に汗が滲んでいるのを、犬山は見逃せなかった。
「余計な事を気にするなよ」
そう声をかけて、赤城の肩を軽く叩く。
「現状と目標、この2点にだけ集中しろ。障害があれば排除する。訓練と同じだ」
「分かった」
赤城は何度か繰り返し頷き、何とか自分を納得させたようだった。
「ヘマさえしなければ生きて帰れるさ。無事に帰って妹さんを治してやろう」
犬山は努めて優しい口調でそう言い、一度深く息を吐いてから、無線機を使った。
「コマンドポストへ状況報告。これより行動開始。援護と回収用のヘリを要請する」
すぐに無線機の向こう側、民間軍事企業支所から了解の旨が連絡されて、犬山は通信を閉じた。回収用のヘリが近くまで来れば、そこで向こうから連絡が来る。それまでは2人だけだ。
「よし、左に居る奴を撃て。俺は右だ。準備はいいか?」
「OKだ」
犬山の声に、赤城は歯を食いしばって答えた。伏せたまま右肩にストックを押し当て、左手でハンドガードを支えて銃をしっかり保持する。右手は余分な力が掛からないようにグリップを握る。50メートルの距離に調整したリアサイトと銃身の先に付いたフロントサイトを合わせ、そこに歩哨が重なるように狙いをつけてから、二人は引き金に指を掛けた。
「撃て」
犬山の声で、赤城は引き金を引いた。弾は精確に歩哨の胸を捉え、背後の白い壁に真っ赤な鮮血を飛び散らせた。同時に犬山が放った弾丸は腹部に命中し、撃たれた男はその場に倒れ込んだ。
「ついて来い! 行くぞ!」
犬山が怒声と共に起き上がり、全速力で駆け出した。赤城は初めて人を撃った事について思いを巡らす暇も無く、彼の背後に続いて走った。茂みから屋敷までの開けた土地を大胆に駆け抜け、彼らは血のへばり付いた白い壁に取り付く。犬山は倒れた歩哨の頭を至近距離で撃ち抜いてから、ドアの側面に配置する。赤城は彼と向かい合うように、ドアを挟んで配置につく。犬山は息を整える間もなく声を上げた。
「突入!」
同時に身を翻してドアの前に立ち、体重を掛けるようにしてそれを蹴り開ける。続けて赤城が彼の目の前を横切るように飛び込み、間を置かず犬山も突入する。犬山の目の前に、浅黒い肌のメイドが立っていた。
「動くな! 伏せていろ!」
怯える彼女に銃を突き付けてそう命じ、すぐに目標を目指して移動する。事前に渡された建築時の設計図によると、裏口の付近に下働き用の階段があるという事だった。それを使って2階に上がり、屋上まで脱出する作戦だ。殺害すべき目標は2階の寝室に居る。
「犬山、こっちだ!」
犬山とは反対側を向いていた赤城が叫びながら手招きした。彼の目の前には狭い上り階段。犬山は彼の傍を通って階段に向い、赤城は後方を警戒しつつそれに続く。2階も1階も騒がしくなっていた。
2階まで階段を駆け上ったところで、犬山の目の前にAKを持った若い男が飛び出して来た。男は慌てて犬山に銃口を向けようとしたが、犬山の方が早かった。男の胸めがけて2発撃って倒し、その死体を踏み倒すようにして廊下の端に躍り出る。廊下はフロアを分断するように広がっていて、側面にはいくつか部屋のドアがあった。事前に渡されていた情報を瞬時に目の前の実物と重ね合わせ、目標の位置を特定する。ターゲットの寝室は犬山達が上って来た階段のすぐ傍だ。
非常時にすぐ逃げられるよう考えたのだろうが、それが仇となったのだ。お陰で犬山達は移動する距離が少なく済み、危険に身を晒す時間も最低限にできる。犬山は前方を、赤城は後方に銃を向けて、目標の部屋のドアに取り付いた。
「援護しろ。……手榴弾を使う」
赤城にそう命じて、犬山はチェストリグにぶら下げたポーチからリンゴのような形をした破片手榴弾を取り出した。暴発を防ぐために巻いたビニールテープを剥ぎ取り、信管起動用のレバーを握り込んだ上で安全ピンを外す。
「爆破!」
ドアを僅かに開け、隙間から投げ込んでドアを閉める。壁の向こうでざわめきが起きるが、それらは数秒後に起こった激しい破裂音にかき消された。窓ガラスの破れた破片が舞い落ちる音が聞こえ、入口のドアは真っ二つになって吹き飛んだ。
「突入!」
合図と同時に犬山が先に飛び込み、続いて赤城が部屋に踏み込んだ。部屋の中は文字通り地獄絵図となっていた。部屋の中央に置かれていた机は粉々に砕け散り、金箔のあしらわれたクローゼットは開き戸を粉々にされて中身をぶちまけていた。入口に近い場所では緑色の戦闘服に包まれた赤黒い肉片が二つ転がっていた。
「赤城、ドアを見張れ」
犬山はそう命じて、銃を目の前に向けたまま部屋の奥へと進んだ。そこには、天井からカーテンの降りる、手の込んだ作りの2人用ベッドが鎮座していた。だがレースカーテンは引き裂かれ、近くに置かれたサイドテーブル共々、高速で飛散した破片によって切り刻まれている。
その上には恰幅の良い中年の男と、若い女が並んで横たわっていた。
「う……」
女の方がうめき声を上げた。犬山はその頭に銃口を突き付けて2発撃ち、女を黙らせた。続けて男の胸に銃口を向け、5回引き金を引く。血しぶきが吹き上がり、ベッドのシーツを真っ赤に染め上げた。
「ターゲット死亡確認」
犬山は踵を返しつつ、無線で連絡した。
「やったのか?」
赤城は信じられないという様子で、犬山の方を振り向いた。彼の鼻息はかなり荒い。ひどく興奮しているのだろう。犬山はドアに向けて歩きながら頷いた。
「ああ、確実にな。屋上に向かうぞ。お前が先に……」
犬山が言い終わる直前、ドアから飛び込んで来た者が居た。犬山は血の気が引いていくのを感じた。
敵が部屋に飛び込んで来たというのに、赤城はこちらを向いている。敵に背を向けて……
「赤城!」
男は鈍く輝くナイフを振りかざし、赤城の首めがけて突き刺した。刃は肩口に深く突き刺さり、彼は何が起こったか分からないという表情で、力無くその場で膝をついた。
「畜生!」
赤城の体が射線から外れたところで、犬山は男の頭を撃ち抜いた。倒れたところにもう一発撃ち込んで、すぐに赤城の傍に駆け寄る。彼は半分白眼をむき、ぼうっとした様子で口を開いた。
「犬……山……」
「しっかりしろ! 連れて行ってやる!」
犬山はもう1つ手榴弾を取り出すと、ドアから廊下に向かって投げつけた。数名のざわめきが起こり、間もなく爆音が響き渡る。爆発と同時に、犬山は赤城を引き摺ってドアから出た。壁が滅茶苦茶に切り裂かれ、血や肉片、緑色の布きれが周囲に付着していた。
「背後を援護しろ!」
犬山は床に落ちたAKを赤城に持たせ、彼のボディアーマーの背中を左手で掴んで引き摺り続けた。右手にAKを抱えて進み続け、階段に踏み込む。赤城は朦朧としながらも、廊下に向かって引き金を引き続けた。だが彼の出血はかなり酷い。2人が通った跡には、真っ赤な帯が塗りつけられていた。
赤城の体が引っ掛かって階段を上る事ができなくなると、犬山は彼の腕を掴んで引き上げた。左手で赤城の脇を掴み、右手に銃を持ったまま階段を一歩ずつ上っていく。途中で背後から足音がしたので、犬山は振り向かないままAKを後ろに向け、がむしゃらに何発か撃ち込んだ。赤城は既に銃を手放してしまっていた。
「コマンドポスト!重傷者1名!早くヘリをよこしてくれ!」
無線に向かい、すがるような思いで叫ぶ。だが応答がない。下を向いて無線機を確認すると、イヤホンとマイクを繋いだコードが切断されていた。赤城を引き上げた時に誤って引きちぎってしまったのだ。犬山は自分自身を呪った。
「犬山……お前だけでも……」
「馬鹿を言うな! 妹さんのところまで帰るんだ」
赤城は痛ましいばかりの、呻くような声で訴えたが、犬山はそれを一蹴した。だが、赤城が言った通りにするのが最善だとも思えた。何れにせよ、この傷ではもう長くない。それでも犬山は彼を離す事はしなかった。この男には帰らなければならない場所があるのだ。
何とか階段を上り切り、2人は屋上への扉に到達した。犬山は赤城を背負ったまま、迷わずドアを蹴り開けた。眩い日光が差し込み、体が光に包まれる。あまりの眩しさに、犬山は目を伏せた。
同時に、強烈な風が彼らに吹きかかった。
「風?」
それこそ吹き飛ばされてしまいそうなほど強い風だ。同時に爆音も聞こえている。犬山は全身から力が抜けていくのを感じた。それほどまでに安堵したのだ。やっと光に目が慣れた時、彼の目に映ったのは卵のような形をした小型のヘリコプターだった。ヘリは屋上に、犬山達とそう遠くない位置に着地していた。
「赤城、ヘリだ!」
犬山はありったけの力を振り絞り、赤城を連れてヘリまで駆けた。仲間の一人がヘリの助手席から援護する中、犬山はそこまでたどり着き、赤城を後部座席に座らせた。自身もその隣に乗り込み、急いでドアを閉める。
「乗ったぞ!」
犬山の合図を受けて、操縦士は即座にヘリを離陸させた。
「おい、赤城! 助かったぞ!」
遠ざかっていく白い屋敷を窓から目に焼き付けてから、犬山は赤城の肩を掴みながらそう言った。だが彼は何も言わず、安らかな微笑みを浮かべているだけだった。
「赤城……?」
恐るおそる彼の首に指先を当てる。脈が無かった。
彼の体は首の付け根から胸、胴体や手足に至るまで、その血で真っ赤に染まっていた。傷は深く、出血が多過ぎたのだ。
「すまなかった……」
血で汚れるのにも構わず、犬山は赤城の亡骸を強く抱き締めた。他にできる事は何一つ無かった。
犬山が日本に戻った時、真っ先に向かったのは赤城の実家だった。そして全てを話し、受け取った2人分の報酬を、全て赤城の両親に渡した。いや、彼らにではない。赤城の妹、彼が全てを賭けて救おうとした、たった一人の妹に、彼の遺したものを全て引き渡したのだ。
遺体もそのままの姿で連れ帰り、両親と、そして妹にも引き合わせた。彼らは酷くショックを受け、打ちひしがれていたが、悪意からの行動ではなかった。赤城という男が何の為に戦い、どう死んだのか、その目でしっかりと見て、理解して欲しかったのだ。それが唯一の弔いだと、少なくとも犬山は感じていた。
赤城の妹、楓は、その2年後に難病を克服。体力も回復し、去年の秋には結婚までした。現在は夫の実家でささやかに、幸せに暮らしていると、そういう文面の手紙があった。犬山はそれを受け取ると、若い楓の立つ寂れた公園に向かい、木の傍に置いた小さな箱にそれを収めたのだった。
赤城はずっと、この弱々しい木の紅葉に、自分の妹の姿を重ね合わせていた。力無くも、だが一生懸命に輝く赤い葉に、懸命に生きようとする命の光を感じたのだ。その木が少しでも太く、高く、健やかに伸びていく事を、誰よりもひたむきに願っていた。
犬山は、以前はただ何となく気に入っていただけだったが、今は違った。
真っ赤に染まる葉は、何も細い木から力を絞り出して燃え上っている訳ではない。若く細い木が冬を越し、温かい春を迎えるために、自ら切り離されて舞い落ちるのだ。血のように赤く燃え上がるのは、緑色に輝く命を振り捨て、ただ舞い落ちるしかない小さな葉が発する、最後の光なのだ。
犬山がその紅葉に重ね合わせて見るのは、他ならぬ赤城の、真っ赤に染まった最期の姿だった。
読了くださり、ありがとうございました。
短編発表会向け作品として執筆させていただきました。
テーマは紅葉と、大義ある死です。紅葉の美しい散り様に重ね合わせて、ある目的の為に戦った赤城の姿を、犬山が回想するという作りにしています。