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MISSION3 食う奴/食えない奴

要の父、清はとある病院の顧問弁護士になるように頼まれる。実はこの病院、数日前に不祥事を犯していた。そして、同時期に院長の息子が女性化していて……

「あぁ、フォーチューンたん……。まさか復活してくれるなんて、ぼかぁとってもうれしいよ」

 日曜日の、麗らかな昼下がり。

 窓際で新聞を片手にコーヒーを啜る中年男が、一人。

 一面記事に大きく載せられた怪盗フォーチューンの文字を見ながら、うっとりと黄昏に浸っていた。

 そんな父親、天海清の姿を見て、息子の要はこう思う。

 ――何してんだ、このオッサンは。

 四十歳、弁護士。やややせ細った体系に、近眼用の眼鏡。一見真面目な堅物男だが、その実はフォーチューンの追っかけ、もといオタクである。

「はぁ……」

「なんだ、要。ため息なんて吐いて」

 そりゃあ吐きたくもなるだろ。そう言いかけて、要は視線を逸らした。

「フォーチューンたぁん、いつかきっと弁護してあげるからまってろよぉ!」

 萌えるどころか悶える父を見ながら、要は更に頭を抱える。

 ――その怪盗は、俺だっつーの!


 三日ほど前。巷を騒がす怪盗フォーチューンが復活した。

 半年ぶりに現れた彼女に、週刊誌、テレビ、新聞とあらゆるマスコミたちがネズミのように喰らいついた。挙句の果てには動画投稿サイトにまで彼女の姿がアップロードされる始末。

 その正体が、まさか男でしかも……。

「初代フォーチューンの双子の弟だなんて思わないだろうなぁ」

 要は清に聞こえないように呟き、白いため息を吐く。

「なんだ? 物憂げな顔して」

「いや、別に。それよりも親父、朝からずっと同じ記事ばっか読んでんじゃねぇよ。てかそろそろ新聞貸してくれ」

 清はムッと眉間に皺を寄せた。

「今私が読んでいるだろ。大体、普段新聞なんか読まないくせに、そんなにお父さんをいじめて楽しいか!?」

「明日までに新聞記事をひとつ取り上げてレポート作らなきゃいけないんだよ。分かったらさっさと貸しやがれ!」

「そうか、それなら仕方がない。だが、作るならフォーチューンたんの記事でレポートを作りたまえ。そして作ったら私に見せろ」

 ――何でだよ!? ふたつの意味で何でそうなるんだよ!?

 親父に見せる意味も分からないし、第一自分が起こした事件でわざわざレポートを作るのもどうかと思う。

 要は無愛想に新聞を受け取り、パラパラを記事を眺める。

 一面には、もちろんフォーチューンの記事。これはもちろん却下。あとは毎度のごとく政治家が良く分からない法案を作っただの、高校生が人を刺しただの、地域のコラムだのが載っている。

 しばらく眺めていると、ふとひとつの記事に目が留まった。

「ん? 『外科部長逮捕、患者の臓器を勝手に売りさばく』ねぇ」

 なんとなく気になり、記事を読み進める。

「この病院、海王市にある武多総合病院じゃ……」

「ああ、それはやめといたほうがいい。つまらない事件だ」

 ――最低だな、この親父。

 要が呆れた、そのときだった。

 ――ピンポーン。

 玄関のチャイムが、鳴り響き、要はゆっくりと扉を開ける。

「すみません、天海法律相談事務所はこちらでしょうか?」

 脂ぎった豊満なデブで肥満の中年男が、脂汗をじんわりと拭きながら現れた。


「私はこういう者です」

 そういって男は名刺を差し出す。

 そこには「武多総合病院院長 武多満」と書かれていた。

「ほう、ぶたまんさんと……」

「『たけだみつる』です」

 心なしか力強く、肥満男が言い放った。

「武多総合病院? はて、どこかで……」

「親父、例の事件があった……」

 要に説明され、納得したように清は頷いた。

「ああ。そうでしたな。大変深刻な事件だったと記憶しております」

 ――嘘こけ! あんたさっき「つまらない事件」とか言っていただろ!

 突っ込むのも面倒だったので要は黙って話の続きを聞くことにした。

「ええ。外科部長の篠田という男なのですが、非常に優秀な男でした。実は事件が起こる数日前に息子の胃腸の手術も執刀しましてね、信頼していたのにまさかこんな形で裏切られるとは……」

「それはお気の毒に……」

 わざとらしく抑揚をつけた声で清は頷く。

「あの事件のせいで病院はしっちゃかめっちゃかですよ。幸い、篠田と数人の医師が勝手に行ったことなので病院側の責任は薄かったのですが、評判はガタ落ちです」

「それはそれは……」

「そこで、今後こういった事件が起こった際に相談できる弁護士さんを探していまして……。恥ずかしながら、我が病院にはこれまでそういった顧問弁護士を設けておりませんでしたので。天海先生に我が病院の顧問弁護士になっていただきたく伺ったわけです」

「なるほどなるほど……」

 真面目な表情を浮かべて、清は腕を組みながら頷く。

 こうした父親の姿は、やはりプロの弁護士なのだなと要は思った。

「どうか、どうかお願いいたします」

 満が深く頭を下げた。

「頭をお上げください」

「それでは……」

「すみませんが無理です」

 ――えっ?

 要と満の顔が硬直する。

「いやぁね、正直ね、しょおおおおじきに言わせてもらいますとね、私もやってさしあげたいのですよ。でもねぇ、半年ぐらい予定が一杯でしてねぇ」

 ――嘘こけ、パート2!

 こんな貧乏弁護士事務所に予定なんてあるわけない。一日の半分以上をフォーチューンに悶えて過ごすような男だ。おそらく、半年の予定というのもいつ逮捕されるか分からないフォーチューン関連だろう。

「そこをなんとか……。お金は弾みます!」

「いえいえ、お金の問題じゃないんですよ」

 ――それは本当だ。なにせ、お金以前の問題だからな。

「本当にお願いします。他の弁護士さんにも断られて、もう頼れるのは天海先生しか……」

「ですからね、私のほうの予定が……」

「事件は起こるし、息子も突然女性化してしまうし、もう私はどうしたらいいのか……」

「ああ、そうなんですか、息子さんが突然女性化……」

 ――ちょっと待て!?

 要がその一文を聞き逃すはずはなかった。

「あの、ちょっといいですか?」

「えっと、君は?」

「あ、このダメ弁護士の息子で要っていいます。それよりも、今息子さんが女性化したって……」

「ええ。事件の後ぐらいですかね、息子が突然女性のような身体になってしまったんです」

 女性化。

 それは怪盗フォーチューンにとって、決して聞き逃してはならない言葉。

「女性化事件、でしたっけ。うちの病院にもそれで運ばれてきた患者さんが来たことがあります。まさか私の息子が女性化するとは思いもよりませんでしたが。」

「その息子さん、というのは?」

 清が尋ねる。

「ああ、こちらに写真が……」

 そういって満は懐から写真を取り出した。

「どれどれ……」

 清が手に取った写真を、要も横から覗き込んだ。

 案の定、そこに写っていたのは脂ぎった豊満でデブの肥満のブ男だった。間違いなく父親似である。

「うわ……」

 お笑い芸人にでもいそうな顔つきだったが、白衣を着ているところからおそらく医者だろう。名札には「武多悟里」と書かれている。

「ぶた、ごり……」

「『たけださとり』です」

 満は更に力強く言った。

「この間研修を終えて、今は医師として病院に勤務しています。父親の私がいうのもなんですが、医者としてなかなか見込みはあると思います。ただ、非常に臆病な性格で、精神的に脆いところがありまして……」

「あの、その息子さんですけど、女性化した後何か変わった様子とかありませんでしたか?」

 今度は要が尋ねた。

「変わった様子? うーん、最近はだいぶ落ち着いてきたみたいですが……。そういえば、何か私に隠し事をしているような気配が……」

 隠し事――。

 それが、この息子が女性化した原因である“罪悪感”の正体を示すキーワードなのかもしれない。

 女性化事件を起こしている原因は、女卵花という花である。この花が何かしらの物体に取り付いて、そしてそれを大事にする人へと寄生する。“男性ホルモン”と“優しさ”、そして“罪悪感”を養分として。

 やがてそれらを全て吸い尽くした後、取り付かれた人間は完全な女性、そして悪魔へと変貌する。それこそが、女性化事件の全てだ。

「もういいですかな?」

 “隠し事”といっている以上、ここから先はこの院長に聞いても無駄だろう。

 ならば、あとは……。

「すみませんね、先生。バカ息子が変なこと聞いちゃって。こいつの友人もこの間女性化したものだから気が立ってて……」

「バカ親父」

「なんだ、バカナメ」

「病院にいこう」

「はあ!?」

 清があからさまに嫌そうな顔で返事をする。

「すみません、詳しい話を聞きたいので後日病院に伺います」

「本当ですか?」

「おい、要! 何を勝手に……」

 目を尖らせて怒る父親に、要はそっと耳元で、

「女性化事件が起こっているんだぞ、親父」

「それがどうした?」

「女性化事件があるところ、フォーチューンが……」

「分かりました、お話だけでも聞かせていただきましょう」

 本日一番の輝いた顔つきで、清が返事をした。

「ありがとうございます!」

 ――単純馬鹿な親父だ。

 司法試験ってこんな男でも受かるのか、と思ったが、それは他の弁護士の方々に失礼なので考えないことにした。

「なぁ、命」

 清たちに聞こえないよう、要はクマのストラップに話しかける。

「今更だけどさ、親父って実の娘に欲情……」

「要」ストラップの命はにっこりと笑う。「それ、考えないようにしていたことだから。二度といわないでね、お願いだから……」

 あはは――。

 何故か、要も釣られて笑ってしまった。



「いやぁ、ご足労本当にありがとうございます」

「いえいえ、これも弁護士の仕事ですから」

 高笑いをしながら清と満は病院のロビーをひたひたと進んでいった。

 その後ろで、ため息を吐きながら要がゆっくりと二人の様子を眺めていた。

「なんか気乗りしなさそうな感じね、要。この間は調べる気満々だったのに」

 心配そうに、命が尋ねる。

「ちょっと、な。あれから色々と思うところがあって……」

「思うところ?」

 要はふぅ、と一呼吸置いて、

「この間の太一は、元々割と女っぽい顔つきだっただろ? だから女性化しても正直全然気持ち悪いとか思わなかった。けど、今回は……」

「あー、なるほど……」

 命もようやく合点がいった。

 女卵花がとりついたのは、写真のデブ男。

 女っぽいとか男っぽいとかそれ以前の顔つき。そんな男が女性化した姿などはっきりいって想像がつかないどころかしたくもない。

 どんな人間が出てくるのかと思うと、不安で仕方なかった。

 そんなことを考えていると、ふと目の前に一人の女医が目に留まった。まだ二十代だろうか、髪はサラサラと長く、色白。優しい顔だちにふくよかな胸。思わず見とれてしまうほどに綺麗な人だった。

「じゃあね、ユウダイ君。退院したからって、しばらくは無茶したらダメだよ」

「うん、バイバイ。サトリ先生!」

 元気に手を振る男の子に、彼女はにっこりと微笑む。“天使”という比喩表現がここまで似合う女性もなかなかいないのではないかと要は思った。

「ほう、サトリ先生ですか。なかなかお美しい方で。そういえば息子さんと同じ名前で……」

「あれが先日女性化したうちの息子なのですが」

 えっ……。

 要は思わず、目の前の女性と写真の男とを見比べる。

 天使――。

 デーモン――。

 花――。

 鼻――。

 蝶――。

 蛾――。

 タケダサトリ――。

 ブタゴリ――。

「って、なん、じゃ、てえええええええええ!?」

 素っ頓狂な叫び声がロビーに響き渡った。

 元がこの男とは思えないほどの美人な女性。驚きとかそんなレベルの話ではない。要は改めて女卵花の恐ろしさを痛感したような気さえした。

「ははぁ、なるほど」

「天海先生、どうかなさいましたか?」

「いえね、これっていわゆるアレですよね? アリジゴクが成長するとウスバカゲロウになるという……」

「ちょっと言っている意味がわかりませんが……」

「私が言いたいのはですね、もっと生物学的に順当な進化を遂げるべきではないかと……」

「あなた、人の息子をポ○モンか何かと勘違いしていませんか!?」

 満はこめかみに力を入れながら力強く突っ込む。さすがに怒ったようだ。

 要はぼそり、とクマのストラップに向かって呟く。

「あのさ、命。今回ばかりは元に戻さなくていいんじゃないかな……」

「何馬鹿なこと言ってんの!?」

「だってさ……」

 などとやりとりを繰り返していると、悟里がゆっくりと立ち上がった。

「さて、と……」

 こちらの様子を気にすることもなく、ゆっくりと奥へと向かう。

「あ、行っちゃうよ」

「あぁ、はいはい」

 要は彼女をそっと追いかけていった。

 しばらくすると、彼女は病院の売店へと足を止めた。品物をしばらくの間品物をじっくりと見定めていた。

「すみません、あんパンとメロンパン、ポッキリーとワイフガード、あとグロレッツとついでにみかんください」

 美人の姿からは想像もつかない、大量買い。

 一体どれだけ食べるのだと要は口をあんぐりと開けながらあきれ果てた。

「おい、悟里!」

 後ろから、満の声がした。

「あ、お、お父さん……」

「お父さん、じゃない! またお前はこんなに買い食いして……」

「だ、だって……。お腹減っていたし」

「かといってこれは食いすぎだろう! いいか、お前はこの間胃腸の手術を終えたばかりなんだぞ」 

 ――ドクン!

 悟里の表情が、一瞬引きつった。

「そ、それは……」

「もっと自分の身体に気を使え。医者の不養生など洒落にならんぞ」

「は、はい……」

 しんみりと顔を顰め、悟里はとぼとぼとその場を去る。

 ――キュイン。

 要とすれ違った瞬間、そんな音が聞こえた気がした。

 それも、文字通り悟里の“中”から。

「なんだ?」

「なるほど、ね……」

 命がぼそりと呟く。

 要はしばらく、悟里の後姿をじっと眺めていた。

「あっれー、天海君?」

「ん? この声は……」

 すさまじいほどに聞きなれた声。

 要はおもむろにその方向に首を向ける。

「え、江西?」

 何故かクラスメイトの江西弥生が、売店の売り場に立っていた。

「何でお前がここに?」

「ん? ああ、新しいバイト」

「バイトって……」

 そこまで言いかけて、彼女の家庭事情を思い出して口を噤んだ。

 要は一呼吸置き、咳払いをした。

「天海君はどうしてここに? お見舞い?」

「俺はその、親父の仕事の付き添いで」

「そうなんだ。仕事って院長さんと?」

「まぁ、な。なんかこの病院の顧問弁護士になって欲しいとかで」

「え、すごーい。そっか、天海君のお父さんって弁護士さんだったもんね」

 何がどうすごいのか分からないが、弥生は目を光らせて要を見つめる。

「でもさ、こういっちゃなんだけど、この病院って変な連中ばっかだな」

「うーん、まぁ、ね……。私もよくお客さんの噂話とか聞くんだけど、やっぱりあの院長の息子さんはいい話を聞かないな」

「そんなに評判悪いのか?」

 弥生は要に聞こえる程度に小声で、

「あくまでも噂なんだけどね、ほら、この間事件があって外科部長さんが逮捕されたでしょ?」

「ああ、らしいね」

「その外科部長さんと、あの息子さん、事件が発覚する前によく二人でどこか行っていたらしいんだって。それでなくとも病院内で二人が会話をするところをいろんな人が見かけているらしいの」

「んー、怪しいのか怪しくないのか……。単に仲が良かっただけじゃないの?」

「それだけじゃないの。とある看護師さんが言ってたんだけど、今は使われていない地下室に二人が向かうところを目撃したって。いくら仲が良いからって、そんな場所にいくのも変だよね」

「地下室、ねぇ……」

 要はしばらく考え込む。

 まさか、その地下室に何か彼の罪悪感となった原因のものがあるのだろうか?

 とはいえ、その何かが分からない以上、盗みに入ることは難しい。やはりいっそのことあの可憐な花のままにしておくべきか……。

 しばらく頭を抱え込んでいると、右肘にゴンッと何かがぶつかった。

「あ、すみません」

 彼の右側に、小柄な少女が立っていた。

 要より頭ひとつ分背が低く、黒いワンピースの少女。黒色の長い髪に冷たいような水色の瞳。彼女は無表情のまま、すたすたと売店へ向かった。

「コーヒー牛乳いただけるかしら?」

「あ、はい」

 彼女はコーヒー牛乳を受け取ると、そのまま静かに立ち去る。

 一瞬――。

 彼女はすれ違った瞬間、要を流し目で見つめた気がした。

 ただの気のせいではない。

「なんだろう、あの子……」

 要はじっと彼女を見つめていた。


「と、いうわけで……。命ちゃんの推理たーいむ!」

 家に帰ってくるなり、命は高らかに声を挙げた。

「わー」

「はい、そこ! やる気出す!」

「出るか! で、何だよ? 推理って」

 やれやれといった表情で命は首を振る。

「私の予想が正しければ、あの院長の息子、例の事件に加担しているわね」

「例の事件って、あれだよな?」

「そう。臓器売買」

 要は真剣な表情になってしばらく黙った。

「さっきあの院長の息子とすれ違ったとき、微かだけど女卵花の反応があったのよね」

「反応?」

「そう。彼の“胎内”からね」

 ――そうか。

 先ほど病院で聞こえた音は、その反応か。

「その顔から察するにあなたも感じ取れたようね。さすが二代目!」

「胎内って、どうしてそんなところから?」

「そこよ。それが今回のポイント」

 腕を組み、命は座る。要にはなんとなくクマのストラップが偉そうにしている絵面が気に食わないが、とりあえず黙って続きを聞く。

「つまり、身体の中にあるもの。それが今回のターゲットってこと。事件が起こる前に、あの院長の息子に何があったかしら?」

「それは、胃腸の手術を……」

 ――そうか!

「分かったかしら?」

「待て待て! まさか、そのときに密輸された臓器が、あいつの中に置かれているってことか?」

「ピンポーン」

 要はそこで自分なりに推理を進める。

 胃腸の手術を行ったのは、逮捕された外科部長。事件以前にあの院長の息子は外科部長と何度も一緒にいる場面が目撃されている。

 もしかしたら、彼は外科部長の犯行に加担していたのではないのだろうか? 脅されていたのか自分から言い出したのかは分からないが、おそらく自分の身体に合う臓器をそこで探していた。

「てことは、今回のターゲットはあいつに内臓された内蔵かよ!?」

 思わずくだらないことを言ってしまった。

 冗談じゃない。そんなものどうやって盗めと!?

 要は一層頭が痛くなった。

 少し考えた後、命は首を横に振った。

「確かに、彼の胎内から女卵花の反応はあったけど、本当に微かなものだったわ。おそらく取り付いているのは別のものよ」

「別のもの?」

「何かにとりついて、そこから女卵花の魔力が拡散したような……」

「随分曖昧だな。そんなんじゃ盗めないだろ」

「大丈夫。どこにあるかは分かっているから。実はさっきこっそり例の地下室に行ってきたの」

 いつの間に、と思ったがそこは突っ込まないことにした。

「生憎鍵が掛かっていて中には入れなかったけどね。でも、その中から強い気が感じ取れた」

「つまり、その中に取り付いたものがあるってことか」

「そっ。というわけで、今夜フォーチューン、地下室の何かを盗め大作戦決行よ」

 まじかよ、と要はため息を吐く。

「あのさ、やっぱあの先生は女性のままにしておいたほうが……」

「アホなこといわない。というわけで準備する!」

 ですよねー、と要はまたため息を吐いた。

 要は引き出しから水色の小瓶を取り出した。

「フォーチューンパフューム!」

 小瓶の中の液体が、粒子状に舞い、要の身体を湿らしていく。全身にそれがいきわたると、彼の身体が光りだす。

 尻が丸みを帯び、

 胴がくびれ、

 髪がゆっくりと伸び、

 そして胸が膨らむ。

 そうして出来上がったのは、一人の少女。

「さぁ、今宵も偽りの乙女心、いただきに参るわよ」

 やる気のない声で、フォーチューンは決意表明をした。


「ったく、またここの病院か」

 頭を掻きながら、難波は外から病院を眺めていた。

「ははは、難波刑事。夜分遅くにご苦労なことだな」

「何でお前がここにいるんだ、天海」

 背後に立つ清に、難波は突っ込む。

「それはもちろん、フォーチューンたんが今夜ここに現れるという話を聞いたからね。一応私もここの病院の関係者だからな」

「ったく、邪魔はするんじゃねぇぞ」

 警官を総動員させ、病院の周囲に警備を張る。

 野次馬たちがぞろぞろと集まり、警官たちはそれらを制止するのが精一杯だ。

「ああ、ついに会えるんだね、フォーチューンたん」

「会わせねぇっつーてんだろうが! 仕事の邪魔だ、バカ!」

「仕方ない。私は遠くから見学させていただこう」

「そうしてくれ」

 適当にあしらいながら、難波は相変わらず病院を深刻な目で見張る。

「おい、私の息子、いや娘は!? さっきから見かけないのだが……」

 遠くから男の声が聞こえる。院長の声だ。

「やれやれ、あっちもかよ」

 厄介な人間が二人。彼らが邪魔にならないことを祈るしかなかった。

 ――フォーチューン、今夜こそ絶対に捕まえてやる!

「おい、中の様子はどうだ?」

 難波は通信機で中にいる警備員と連絡を取る。

『はい、今のところ異常はありません。予告の九時まであと三十二分、しっかり見張っておきます!』

「さんじゅうにふん……?」

 難波はおそるおそる腕時計を見る。

 時刻は――。

「おい、馬鹿野郎! もう八時五十八分だ! 予告まであと二分しかないぞ!」

『ええええ!? でも、病院の時計は……』

 そこまで言いかけると、通信機がぷつん、と途切れた。

 ――ガツン!

 難波は勢い良く壁を殴った。

「やられた……」


 バタリ、と警備員たちがその場に倒れる。

 おそるおそる彼らの横を通り抜け、一人のナースが地下室へと向かう。

「ふぅ、危なかった」

 ナースは一枚のカードを翳し、ゆっくりと変身を解く。そこから、水色の髪の少女、いや怪盗フォーチューンが露になった。

「使い方覚えた? ファントムタロットの“節制”」

「ああ。しかしこれは卑怯じゃないか?」

 フォーチューンは手に取ったカードを眺める。そこには水瓶を持った女性の姿が描かれていた。

 節制のカードには、時間感覚を狂わせる能力がある。フォーチューンはその能力を用いて病院内の時計を三十分遅らせた。結果、充分な警備ができないまま警備員たちを退けることができた。

「だって嘘はついていないでしょ。私たちは予告どおり九時に現れたわけだし」

「ったく……。しゃーねぇな。とにかく行くぞ」

「オーケー! それじゃあ、ゲームスタート!」

 フォーチューンは一目散に地下室へと走った。


 その背後に――。

 一人の影があることにも気がつかずに。


 更にその背後には――。

 もうひとつ、影があった。



「鍵が、開いている?」

 地下室へと辿り着いたフォーチューンは、ゆっくりと扉を回した。

「まさか、誰かがここに?」

「おいおい、誰かって誰だよ?」

「嫌な予感がするわね……」

「マジかよ……」

 扉を開け、フォーチューンは中を見渡す。

 雑然とした部屋の奥に、ぽつりと巨大な箱が置かれている。どうやら冷蔵庫らしく、中からウィンという微かな機械音が聞こえる。

「あの中に、ターゲットが……」

「いくわよ、要!」

 冷蔵庫に向かって、フォーチューンは一気に走り出した。

 その瞬間――。

「それに触るなああああああ!」

 しなやかでいて、どこか野太い女性の声が背後から聞こえた。

 まさか、この声は――。

「そこには、ボクの、ボクの罪の証があるんだ……」

 やっぱり――。

 白衣姿の、美しい女医がゆっくりとこちらに向かってきた。

 それはもちろん、例の院長の息子、いや娘の武多悟里だ。しかしその美しい彼女の瞳は、血走ったではすまされないほど真っ赤に染まっている。まるで、そう――。

「ここにきて悪魔化が進んでいるようね」

「はは、マジかよパート2……」

 静かに……。

 悟里が近付き、そして、

「うがあああああああ!」

 獣のような雄たけびを挙げ、彼女の拳がフォーチューン目掛けて放たれる。

 ――ドゴオオン!

 鈍い音と共に、彼女の拳が壁にめり込む。間一髪で避けたフォーチューンから冷や汗が垂れた。

「おいおい、マジかよパート3……」

「すさまじいパワーね」

「可愛い顔して恐ろしすぎんだろ、このブタゴリ……」

 悟里はめり込んだ拳を静かに引き戻す。

 あんな拳をまともに食らったらひとたまりもない。なんとしてでも早いところ封印をしなければ……。

 フォーチューンは一瞬、立ち止まってしまった。その瞬間――。

「ボクは、ボクはああああああ!」

「ヤバッ!」

 当たる!

 もうだめだ、そう思った刹那――。

 ――バシンッ!

「あがあああ!」

 一瞬何が起こったのか分からないまま、フォーチューンはゆっくりと目を開ける。

 悟里が、右腕を抑えたまま悶えながらその場に倒れていた。よく見ると、彼女の右腕には何やら矢のようなものが刺さっている。

「おいおい、一体何がどうなって……」

「だらしないわね、フォーチューン」

 物陰から聞こえたのは、見知らぬ少女の声――。

「誰だ!?」

 おもむろにフォーチューンは辺りを見回す。

「ふふっ、お久しぶりね」

 薄暗い地下室に、ゆっくりと第三の人物が現れた。

 黒くて長い髪を靡かせた、緑色のレオタード姿の少女。その格好はまるで自分と同じ――。

「怪盗?」

 まさか、自分以外に怪盗がいるなど……。

「あれは、まさか……」

 命が目を丸くして驚く。

 そういえばフォーチューンは元々怪盗集団「アルカナ」の一員だったはず。もしかしたらここにいる少女は――。

「いえ、初めましてといったほうがいいかしらね。“二代目”フォーチューン」

「!?」

 声も出せないまま、フォーチューンは驚いた。

 まさか、この怪盗は自分のことを知っている?

「不思議そうな顔をしているわね。もちろん知っているわ。あなたが天海要だということも、ね」

「な、なにをいって……」

「ふふっ、あくまでシラを切るつもりなのね。まぁいいわ。私は私のやるべきことをやるだけだから」

 そういって彼女は、懐から何かを取り出した。

 シャキン――。

 鋭い音を立て、その“何か”を悟里の喉元に近づけた。

「罪人よ、今宵あなたは悪魔となるわ。その前に、その罪を悔い改め死になさい」

 ようやく、“何か”の正体が分かった。

 銀色に光る、小型のナイフだ。

「おい、てめぇ!」

「何かしら?」

「まさか、そいつを殺す気じゃねぇだろうな!?」

「そのつもりだけど?」

 まるで罪悪感のかけらもないように淡々と話す、見知らぬ怪盗。

「ひ、ひぃぃぃ……」

 恐怖に怯えた表情で、悟里はただ目の前のナイフを見つめていた。

 間違っている。この状況に、次第にフォーチューンは怒りが溜まってきた。

「ふざけんな!」

「私は大真面目よ。ついでだから教えてあげるわ。この女はね、逮捕された外科部長と一緒に、臓器を貯めていたの。そのひとつを自分の胎内に隠して、ね」

「ボ、ボクは……」

「つまり、こいつは人の命を弄んだ罪人。命を弄んだ罪は命によってしか償うことはできないの。そこの冷蔵庫にはね、まだ見つかっていない臓器が隠されているの」

 冷淡で、どこか狂ったような声。

 彼女は怪盗でありながら、人の命を奪うこともためらわないのだろうか。もしそうだとしたら、何も傷つけないフォーチューンとは対照的だ。分かり合うことなど無理だろう。

「さぁ、懺悔ならいくらでも聞いてあげるわ。あなたが悪魔になってしまうまで、ね……」

「ボクは、ボクはああああ……」

 クソッ、どうすればいいんだ――。

 フォーチューンは己の無力さを呪うしかなかった。

「しっかりしなさい、フォーチューン!」

 肩に乗っていたストラップが、突然話しかけた。

「命……」

「もう、本来の目的を忘れていないの? 私たちは、怪盗でしょ? つまり、目的はただひとつ」

「そうか、そうだったな!」

 フォーチューンは怪盗の少女を睨みつけ、すぐさま冷蔵庫に向かった。

 ――この中に、こいつの罪の証とやらが入っているんだな。

 最早悠長なことをしていられなかった。どんな現状であれ、もう女卵花を封印してあの女医を元に戻すしかない。

「うが、がああああああああっ!」

「そう。もう悪魔になるしかないのね。それじゃあ、さようなら」

 もうひとりの怪盗は、更にナイフを喉元に食い込ませようとした。

 その瞬間――。

 バンッ!

 フォーチューンは勢い良く、冷蔵庫を開けた。そしてその中のものを見た瞬間……。

「へ、な、んだこれ……」

 一気に脱力した。

「おい、そこの怪盗」

「何かしら?」

 フォーチューンはゆっくりと息を吸った。

「お前、嘘は吐いていなかったんだな。なるほど、確かにこれは臓器だ」

 そして、ゆっくりと彼女を睨みつけると、もう一度息を吸った。

「臓器だよ、牛の、な……」

 しばらく、沈黙が走る。

「何が人の命を弄んだ罪人だよ!? ここにあるカルビも、そこにあるハラミも、肉屋にいけば普通に手に入るものばっかじゃねぇかよ!」

「ふふふ……」

 彼女は面白おかしそうに笑っている。

「ふざけんじゃねぇぞ、危うくてめぇは人を殺すところだったんだぞ」

「ごめんなさい。冗談よ、冗談。このナイフもおもちゃよ」

 そういってナイフを悟里から放し、先端を指で突っついて引っ込める。

 フォーチューンは頭が痛くなった。同時に、彼女の態度に一層腹が立った。

「う、がああああああああ!」

 ナイフが放されたことに気付き、悟里が勢い良く立ち上がった。その瞳は先ほどより濃い赤に染まっていた。

「要、とにかく封印よ。多分、この冷蔵庫の肉全部に女卵花が取り付いているわ」

「あーあ、もう。しゃーねーな!」

 要は懐から、ファントムタロットの運命の輪を取り出した。

 それをおもむろに冷蔵庫にあるホルモン類に重ねた。

「運命の輪よ、回れ!」

 絵に描かれている運命の輪が回りだし、冷蔵庫の中の肉が光りだす。

「封印!」

 輪の回転が速くなると、冷蔵庫の中の肉から蔦が伸びだし、カードに吸い込まれていく。

 しばらくすると回転が止まり、中にあった肉全てが消えてカードだけが残されていた。

「長いこと怪盗やっていたけど、肉を封印するのは初めてだわ」

「ったく……」

 パチパチ、と横から手を叩く音が聞こえた。

「おめでとう、合格よ。二代目フォーチューン、あなたの“正義”見せてもらったわ」

 怪盗少女が面白おかしそうに、拍手を奏でる。

「てめぇ……。俺を試していたのか?」

「そうよ。あなたという怪盗がどれほどの正義を持っているかを、ね」

 ふっと彼女は下にいる悟里を見つめた。安らかな寝息を立てながら彼女からは、もう襲ってくる様子など微塵も感じられなかった。

「次会うときは、同じターゲットを狙うライバル同士、かもね」

 チッと舌打ちをしてフォーチューンは彼女を睨みつける。

 そんなフォーチューンを気にかける様子もなく、彼女は踵を返して立ち去ろうとした。

「覚えておくことね。私は“怪盗ジャスティス”。正義を司る怪盗……」

 ぼわんっ、と音を立てて、煙玉が上がった。

「げほっ、なんだこりゃ?」

 しばらくすると煙は消え、彼女の姿は影も形もなくなっていた。

「怪盗、ジャスティス……」

 フォーチューンも命も、彼女のことで頭が一杯になっていた。


 警官たちが病院のロビーに集結していた。

「フォーチューンは?」

「はっ、調べましたが、不審な人物は誰一人いません」

「逃げた、か?」

 難波は壁を殴りつけた。

「クソッ、また、か」

「残念だ。フォーチューンたんには会えなかった……」

 いつの間にか難波の横に清が立っていた。

「お前、ここに来るな、といっただろ」

「いいじゃないか。もう仕事は終わったんだろ」

「あのなぁ……」

「あのぅ……」

 弱々しい声で、横から声がした。

「結局娘の悟里はどこにいるのでしょうか?」

 院長が汗を拭きながらおどおどと難波に聞く。

 難波は答えに困り、ゆっくりと視線を背けた。そのときだった。

「おーい、こっちにいるぜ」

 一人の少年が、女医を肩で支えながらこちらに近付いてきた。

「要、くん?」

「おお、悟里!」

 要は支えていた悟里を放して、静かにロビーの椅子に座らせた。

「ご、ごめんなさい、父さん……」

「悟里?」

「ボク、父さんの言いつけを破って、焼肉を食べたんだ」

「や、焼肉?」

 一同がぽかんと口を開けて呆れた。

「父さんは言っていたよね。胃腸の手術をしたばかりだから食べ過ぎるなって。特に焼肉なんてもってのほかだって」

「まさかお前、隠れて焼肉を食べたのか?」

「うん。どうしても食べたくて、あの外科部長の篠田に頼んで……。すごく美味しかった」

 悟里はうっとりした顔つきで空を見上げる。

「その後も何度か篠田と焼肉をしたんだ。万が一のことを考えて、肉をあの地下室に隠してね」

「あの、一応聞くけど、その外科部長さんの犯罪のことは……」

 要の質問に、悟里は首を何度も横に振る。

「し、知らないよ。篠田とは一緒に焼肉を食べただけで、臓器密輸のことを知ったときはボクもビックリしたんだから!」

「胃腸の手術といっていたけど……」

「そ、そうだよ」

「まさか密輸された胃を移植されたとか、は……」

「そんなわけないよ。大体、手術はしたけど移植とかするようなものじゃなかったし」

 あーあ、なるほど。

 要は納得した。あの時悟里の胎内から感じた女卵花の気は、取り付いた肉を食べたからだ。

 つまり、今回の罪悪感の正体は……。

「父さん、ボクはずっと謝らなきゃって思っていた。ただでさえ病院が大変なことになっているのに、ボクが父さんに心配ばかりかけて……」

「全く、お前と言う奴は……」

 満は、ポンと悟里の頭に手を置いた。

 どうやら大丈夫だな、と要は思った。

「それはそうと、要」

 清が話しかけた。

「ん?」

「お前は何でこんなところに?」

 ――あっ。

「いや、その……。ほら、フォーチューンが来るって言うからさ、こっそり侵入したわけで……」

「バカモン!」

 清が大声で怒鳴る。普段ふがない親父のこんな声は、要も久しぶりに聞いた。

「な、何だよ。言っておくけど、フォーチューンには会えなかったぜ」

「そういうことを言っているんじゃない! いいか、いくら相手がフォーチューンたんとはいえ、ここが危ない場所には変わりないんだぞ! そんな場所にのこのこと潜り込むなど、お前は何を考えているんだ!?」

 親父……。

 ピシッ、と要の頬にビンタが飛ぶ。

「わ、悪かったよ」

「分かればよろしい。いいか、私にとって家族はもうお前だけなんだ。これ以上私に寂しい思いをさせるな!」

 そこまでいって、清は振り返る。

「帰るぞ、要」

「あ、ああ……」

 要はふっと笑みをこぼした。

「要、どうしたの?」

 命が心配そうに尋ねた。

「いや、な」

 要は父親の後姿をじっと見つめた。

「たしかに、親に心配かけるのは立派な罪だな、って思ってさ」



 数日後、昼休み――。

「えええええええ!? あの院長の息子、婚約したのかよ!?」

 学校の廊下に、要の素っ頓狂な声が響く。

「え、うん。何でも大きな病院のお坊ちゃんと。これでもう親に心配をかけることもないって」

 弥生が言い放ったまさかの展開に、要も驚くしかなかった。

 男に戻らないのは予想がついたが、まさかこれほどまでに早く婚約をしてしまうとは……。もしその婚約者が彼女の昔の姿を知ったらと思うと、気の毒でならない。

「いやいや、これは……」

「まぁでも相変わらずあの娘さん売店に来ては色々食べているんだけどね。でも、前より食べる量は減ったかな。今度はあの院長さんに心配かけないようにできたらいいんだけどね」

 そういう問題か、と要は突っ込みを入れたくなる。

 そんなやりとりをしばらくしていると、ゴンッ、と右肘に何かがぶつかった。

「あ、すみません」

「いえいえ、こちらこそ」

 ぶつかった人物を見て、要は驚いた。

「あんた……」

 頭ひとつ分背の低い、黒い髪の少女――。

 彼女とは以前にあったことがある。そう、あの病院の売店で。

「あら、奇遇ね。あなたもこの学校の人だったの?」

「あ、ああ」

 要はしばらく思いをめぐらせていた。

 ――あの売店以外に、別の場所で彼女と会った気がする。いや、絶対に会ったことがあったはず。

「どうしたのかしら? 私の顔に何かついているのかしら?」

「あ、いや。別に……」

「あああああああ!」

 突然、弥生が大声を挙げた。

「どうしたんだよ、江西」

「どっかで見たような顔だと思ったら、あなた、生徒会長の正木芹香さんですよね?」

 そういうと、彼女はこくんとうなづいた。

「お、おい。知っているのか?」

「知っているも何も、有名だよ。冷血生徒会長、でも時折見せる笑顔は薔薇のよう、正義を司る生徒会長、芹香様って!」

 ――正義を、司る?

 そのフレーズは彼もしっかりと覚えていた。

『覚えておくことね。私は“怪盗ジャスティス”。正義を司る怪盗……』

 あの怪盗、まさか……。

「ごめんなさい。今から生徒会の定例会があるものだから急いでいるの。それじゃあね、“天海君”」

 要は、はっとした。しかし、何故だか彼女に声を掛けることができなかった。

 そのまま立ち去っていく後姿を、しばらく要は見つめていた。

「天海君? どうしたの?」

「いや、別に……」

 怪盗ジャスティス。

 彼女の存在を脳裏に過ぎらせながら、要は言った。

「なんというかさ、“食えない人”だと思って、ね」

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