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MISSION2 死ぬ者/生まれ変わる者

 要が病室に戻ると、既に女性が一人入っていた。太一の顔をしげしげと覗き込みながら、何かを思いつめたような表情を浮かべている。太一の母親かな、と要は直感した。

「あの……」

 要はおそるおそる尋ねる。

「あら、太一のお友達かしら? あ、もしかして太一をここまで連れてきてくださった方?」

 少しばかり緊張しながら、要はこくん、と頷く。

「あぁ、そうですか。ありがとうございます」

「いえいえ。太一の様子は、その……どうなんですか?」

 母親は再び太一のほうを向いて、そっと彼の頬に手を触れた。

「命に別状はないそうよ。どうして女の子になったのかは分からないけどね。それどころかね、とっても安らかな顔をしているわ。この子のこんな顔、久しぶりに見たわ」

「やっぱり、太一は……」

 何か悩んでいたんですか? そう聞きたいところではあったが、何故か言葉が出なかった。

「兄を亡くしてからかしら? 時々本当に辛そうな顔をしてたのよね」

 そうだ。

 太一が女性化する直前、要が絵画コンクールの話をした瞬間――。

『兄さん、に、謝らなきゃ……僕は……ダメ……な……うわああああぁああぁああ!』

 太一はそう言って女卵花にとりつかれたのだが、そのときの言葉が要にはどうしても引っかかった。

 もしかして――。

「すみません、太一は絵画コンクールで最優秀賞をとったとき、どんな様子ですか?」

 要が聞くと母親は首をかしげながら、

「そうねぇ。今思い出すと、そのときから一段と太一の元気が亡くなっていたのよね。思い出の海を描いて最優秀賞をとったのだから、もっと喜んでもいいはずなのにね」

 やはりそうか――。

「すみません、ありがとうございました!」

「ああ、こちらこそ。これからも太一のことをよろしくお願いします」

 その言葉を聞くや否や、要は病室を飛び出していった。


 母親が要を見送りながら、病室のドアを見つめている間――。

 カッ、と太一の目が開いたことに、母親は気づかなかった。


 家に帰るなり、要はおもむろに命の部屋に駆け込んだ。

「とりあえず、さっきのことを詳しく聞かせてもらおうか」

 手に持ったストラップをベッドに向かって乱暴に投げ飛ばした。

「ちょっと! 何すんのよ!」

 ストラップはよいしょ、と立ち上がって要を睨み付けた。

 このクマのストラップが、まさか双子の姉だとは傍から見たら誰も思わないだろう。正直、要自身も未だに信じられなかった。

「だから、二代目怪盗フォーチューンの話だよ! さっさとその話を聞かせろ!」

「だーかーら! この身体だと声がすごい響いて聞こえるから大きな声出さないで、って何度もいってるでしょ!?」

「ったく……悪かったよ」

 要は舌打ちをして、命を睨みつけた。

「とりあえず机の二番目の引き出しを開けてみて」

 言われたとおりに要は机の引き出しを開ける。

 そこには――。

 光沢のあるオレンジ色のレオタード、数枚のタロットカード、そして何か液体の入った水色の小瓶……どこかで見覚えのあるものが整頓されて入っていた。

 思い出した。

 これらはすべて、怪盗フォーチューンが使っていたものだ。

「まさかこれを……」

「着なさい」

 ボフッ!

 要の拳がベッドの中央に窪みを作る。命は間一髪といったところでそれを避けた。

「おいコラ! 誰がコスプレしたいといった!?」

「は、話を最後まで聞いて! 別にそのまま着ろって言ってるわけじゃないわよ!」

 命は呼吸を整えながら要をなだめようとする。

「いい? 太一君を助けるためには女卵花を封印するしかない。しかしそのためには女卵花がとりついた宝物をも封印しなきゃいけないの。だから怪盗としてそれを盗まなきゃいけない」

「そこまでは分かる。それをお前はやっていたわけだろ?」

「うん。でもね、流石にこの身体じゃそれはできない。だから、あなたにやってほしいの」

 要は頭を抱える。

「あのな、確かにそんな身体で怪盗をやれとはいわないけど、俺がやるのもそれはそれで無理があるだろ? 双子とはいえ、そこまで似ているというわけでもないし」

「まぁ、そうよね。普通なら。でも、そこでその瓶が活躍するわけ」

 瓶?

 ああ、この水色の奴か。

 要はそれを取り出してまじまじと眺めた。

 少し甘い香りがするところから、香水か何かだと想像した。

「さっきから気になってはいたけどさ、これ何?」

「それはね、香水。でもただの香水じゃないの。なんとその原料は……」

「女卵花とかいうんじゃないだろうな?」

「あれ? 何で分かったの? 正解」

 ボフッッッ!!

 要の拳が再びベッドに突き刺さる。

「だ、だーかーら! 話を最後まで聞きなさいって!」

「聞く気失せるわ! んな危ないモン俺に使わせる気だったのかよ!?」

「いい? 確かにこれは女卵花が原料だけど、決して危ない代物じゃないから。一時的に身体を女性化させる作用もあるけど、同時に身体能力を向上させる働きもあるの」

「本当か?」

「なら試しに使ってみる?」

「いや……やっぱ信じます」

 はぁ、と命はため息をつく。

 しばらくして要もようやく落ち着いたのか、水色の瓶をポケットにしまいこんだ。

「あのさ、命……これだけははっきりさせておきたいんだけど」

 再び戻る要の沈みきった顔。それを見ると命も不安になってくる。

「何?」

「女卵花って男心とかの他に、“罪悪感”が栄養っていってたよな?」

「う、うん。いったけど……」

「ということは、だ。太一は何か罪を犯したのか? じゃなきゃとり憑かれたりしないんだろ?」

 要がそういうと、命も口を噤まざるをえない。

 が、間髪をいれず軽く息を吸って命は口を開いた。

「そうよ。本人がただ罪だと思ってるだけのことかもしれないし、もしかしたらとんでもない罪を犯したかもしれない。いずれにせよ、それが彼の心をかき乱しているポイントになっているのは間違いないわね」

 命がいったことは、要も大体理解できた。

 問題はそう、その罪悪感の正体が一体何なのか、だ。

「やっぱり、あの絵が関係しているのか?」

「絵?」

「あいつが最優秀賞を取った、あの絵だよ。あいつが苦しみだしたのは俺がその話をしたときだった。もしかしたら……」

「ふぅん」

 命は腕を組んで考え出した。

「その絵って今どこにあるの?」

「さぁ? 確か市の美術館に展示されるとか聞いた気がするけど」

「決まりね」

「えっ?」

「明日、夜の七時。フォーチューン復活祭といきましょう」

「復活祭って、おい!」

「場所は市の美術館。ターゲットはもちろん、太一君が描いた海の絵よ」

 あまりにも急すぎる彼女の宣言。

 要はしばらく黙り込んだ。

「ん? ここまできてなにを驚いているの?

「あ、当たり前だろ。いきなり明日だなんて……」

「善は急げって奴。早くしないと太一君は完全に悪魔となってしまうわ」

「だからって……」

「大丈夫、ちゃんと私がアシストするから」

 そういって胸をポンと叩くクマのストラップ。

 安心半分、不安半分といった気持ちにさせられながら、要はもう一度引き出しの中を見た。

 明日、自分がこれを着るのか、とちょっと苦い気持ちにさせられる。

「あ、そうそう。そのタロットカードも忘れないようにね」

「タロットカードって、この引き出しの中の?」

「それ、ある意味一番重要なアイテムだから、ね」

 机の中のタロットカード。

 それはきちんと整理されてプラスチックのケースに収められていた。

 それを確認した後、要は再び固唾を呑んだ。


「はあ……」

 江西 弥生は洗い終わった皿を拭きながら、物憂げにため息を吐いた。

 ここのバイトが決まったのは先々週。土日とは違い、客があまりにも少なすぎるので、慣れない自分としてはゆっくり仕事を覚えたい。そう思っていた。

 しかし、今はそれどころではなくなっていた。

 今朝の出来事――。

「おい、江西!」

 学校に着くや否や、一人の男子生徒が話しかけてきた。それは自分のクラスメイトであり、昔からよく知った仲――天海 要だった。

「あ、天海君? どうしたの?」

「お前に聞きたいことがある」

 普段話しかけてくることのない彼の態度に、弥生もどぎまぎしてしまう。

「な、何かな?」

「太一の絵について何か知っていることはないか?」

 突然の質問の意図がまったく読めず、ただたじろぐしかない弥生。

 太一の絵について、彼女が知っていることといえば……。

「そういえばこないだあの絵が市の美術館に運ばれてくるところを見たよ」

「本当か?」

「うん。本格的に展示されるまでは三階の保管室に置いてある、って聞いたけど……」

「そうか、ありがとう!」

 感謝して、彼は教室のほうへと走り去っていった。

 結局彼の質問の意図は分からずじまいだった。

 そして、バイトにやってきた途端、知ったことがひとつ。

 ――今日、怪盗フォーチューンが再び現れるんだって。この美術館に。

 他のアルバイトの会話を聞いて、彼女も驚いた。

 美術館のカフェのバイト初日からこんな事態に巻き込まれるとは、全く持って思っていなかった。現にその話を聞いて数十分後には外からサイレンのような音が流れ始めてきたのだ。

「はぁ……」

 もう一度ため息を吐く。

 何事もなければいいのに、と思いながらも首を振ってなんとか仕事に集中させようと心を落ち着ける。

 時計の針が六時五十五分を指した、そのときだった。

「あの……」

 弥生に向かって一人の女性が話しかけてきた。

 少し年上ぐらいか、落ち着いた様子でにっこりと微笑んでいる。弥生もつられて微笑み返した。

「あ、はい。えーっと……」

「すみません。ひとつお尋ねしたいことが……」

 なんとなく彼女に見ほれてしまう弥生。

 男子でなくとも、本当に綺麗だと思ってしまう、そんな人だった。結ってある髪も、薄く施してあるメイクも、彼女の美しさにピッタリとマッチしている。

 ん?

 気のせいだろうか、彼女の胸が少しずつ膨らんできたような……。

 そのとき、時計の針が七時を指した。

「ゲームスタート!」

 彼女がその綺麗な顔をキッと見開いて叫ぶ。

 ぷしゅう、と大きな音を立てて彼女の膨らんだ胸から真っ白な煙があがる。

「げほっ、げほげほ! え、これは、一体……」

 甘ったるいにおいの煙が徐々に彼女の体力を奪っていく。

 そのまま、彼女は事切れるかのようにその場に眠り込んだ。

「すまん、弥生」

 ガスマスクをした女性が発したその声が弥生の耳に届くことはなかった。


 時刻は六時五十分。

 パトカーのサイレンがオーケストラを奏でながら、何人もの警官が外の駐車場に集合していた。

「おい、現在の状況はどうなってる?」

 イカツい風貌の刑事が近くの警官に尋ねる。

「はっ、今のところ異常はありません」

「そうか。しかし奴を甘く見るなよ。まだ予告の時間まで十分あるとはいえ、警戒は怠るな」

「はい!」

 難波刑事の指示に、警官たちは姿勢を正して敬礼する。

「クソッ、何が『引退したけど再び参上します』だ。アイドルかてめぇは!」

 昨日警察に届いたばかりの予告状を、恐ろしい表情でにらみつける。

「あの、難波刑事……」

「何だ!?」

「それが、その……先ほどから三階を警備している面々と通信連絡が取れないのですが……」

「何だと!? おい、誰か確認しに行って来い! あと防犯カメラはどうなってる?」

「刑事! 何故か三階の防犯カメラだけ作動していません!」

「ぬあにいいいいいい!? 馬鹿野郎! 予告時間前からグダグダじゃねぇか! さっさと直せ!」

 イラつきが治まらない難波の怒鳴り声が美術館外を響き渡らせた。

 そのときだった。

「刑事! 屋上に人影が!」

「何だと!?」

 呼び声に反応して、その場に居合わせた面々が一斉に屋上を見上げる。

 そこに、確かにいた。

 暗さと遠さが相まってよく見えないが、確かに人影がぽつり。シルエットから、ツインテールの少女ぐらいしか判断はできない。

「漆黒の闇に輝く、偽りの光。罪悪感に彩られし宝物を、運命の輪とともに頂きに参りました。今宵、怪盗フォーチューンここに参上!」

 彼女が現れる際の、お決まりの口上。

 半年振りとなるそれを聞いた一同は騒然となる。

「現れやがったな、怪盗め!」

 人影はやがてそれをいい終えると、ひゅん、と音を立てる間もなく屋上から飛び降りた。

「お、おい……飛び降りやがったぞ!」

 しばらく唖然となる一同。

 が、すぐさま我を取り戻し、難波刑事含め数人の警官たちがその地点へと走り向かう。

 しかし、そこには既に人の気配はなかった。その代わりに萎んだビニール人形の残骸がそこに落ちていた。

「クソッ、やられた……」



「で、何でこんなところ通らなきゃいけないわけ?」

 暗いダクトの中を匍匐前進で進みながら、フォーチューンは呟いていた。

 水色のツインテール、オレンジ色のレオタード、そして大きな胸――。数分前まで男子だった要にとって、それは動きづらい姿としかいいようがなかった。

「ここを通り抜けるのが一番手っ取り早いの。文句いってないでさっさと進む!」

 フォーチューンの肩の上で指示を出すクマのストラップ。こういう強引なところは相変わらずなんだな、となんとなく昔を思い出してしまう。

「なにニヤついてんのよ?」

「いや、別に……」

「そんな暇はないわよ。前を見なさい」

 前?

 いわれるがままに、フォーチューンは顔を挙げる。

 そういえばさっきから、自分が動く以外に、何やらガサゴソと音が聞こえてきたような――と、それに気がついたときには既に遅かった。

「おい、フォーチューン! そこまでだ!」

 ダクトの反対側からやってきたのは、いかにもな制服を身にまとった、警備員たち。

「ヤバ! おい、命! バックするぞ!」

「無理ね」<>br  フォーチューンの背後からも同様に……。

「ようし、挟み撃ちだ!」

「これでもう逃げられないな、泥棒!」

 警備員の声が、増える。

「お、おい! どうするんだよ、これ……」

「ま、このぐらいの手も見破れない連中じゃないからね。とりあえず煙玉」

「こんな狭いところでか!?」

「あんたは初心者なんだから私のいうことを聞く!」

 悩んでいる暇もなく、フォーチューンはポーチに入っていた煙玉に火をつけた。

「よし、すぐに“アレ”を使いなさい。使うのは『皇帝』よ!」

 煙玉から揚がった煙は、一瞬のうちにダクト内を真っ白に染め上げる。警備員たちは思わずケホケホと咳こむが、視界が染まるほかは思ったより煙たいと思わなかった。

 やがて、ダクトの外に煙が漏れると、視界が晴れていった。

「う、なんだこりゃ……」

 警備員たちが恐る恐る目を開ける。

 しかしそこに、彼らが目的としていた人物――フォーチューンは影も形もなくなっていた。

「なんだと!?」

「クソ、どこに行きやがった!」

「おい、引き返すぞ! 奴はまだ近くにいるはずだ!」

 警備員たちは一人、また一人と後退していく。

 そして、ダクトから抜け出して、またフォーチューンを探しにそれぞれ散らばっていった。

「ふぅ、危なかった」

 最後に抜け出した警備員が、部屋の中でため息をついた。

 警備員が帽子を脱ぐと、水色の髪がバサッと音を立てて流れる。

「上出来上出来! やるじゃない」

 警備員、いや、フォーチューンの肩の上でクマのストラップが喋る。

「おいおい、さすがにあんなところで煙出したら危ないだろ!」

「大丈夫、あれは人体に害のない煙だから。それよりも……」

 ストラップはフォーチューンが手にしたカードを指さす。

「“それ”の使い方は分かった?」

「ああ、まぁな。しかし、よくもまぁこんなもんを作ったもんだ」

「すごいでしょ、その『ファントムタロット』」

 フォーチューンが手にしたカードには、大柄な男が鎮座した絵が描かれている。

「間違えないようにね。ウエイトレスみたいな女性に変装するときは『女帝』、警備員みたいな男性に変装するときは『皇帝』のカードを左手の甲にあるリーダーにセットすること」

「もう覚えたよ」

「カードはこれだけじゃないから、使うときになったら随時教えるね」

「はいはい……」

 しぶしぶと返事をして、フォーチューンは部屋を飛び出した。



 三階、保管室前――。

「ったく、フォーチューンの奴も来るタイミングを考えてほしいよな」

「俺、本当は今日合コンの予定だったんだぜ。勘弁してくれよ」

 仕事に身が入らないのか、他愛のない会話をする二人の警備員。ターゲットとなっている絵が保管されている場所の前にも関わらず、全くといっていいほどやる気が見えない。

「あ、でも合コンっていってもどうせアホ上司に誘われた奴だし、行かなくても……」

「ちょっと、何か聞こえないか?」

 コツ、コツ――。

 誰かがこちらに向かって近づいてくる。

「おい、まさか怪盗が来たんじゃないか?」

「バカいえ。こんな普通に来るわけが……」

 やがて、廊下の向こう側に一人の影が見える。

 それは、女性――いや、少女だった。

 白いワンピース、そしてそれと同化するように透き通った白い肌。長い髪をなびかせ、妖しげな瞳で保管室のほうへやってくる。

「おい、何してんだ! どうやってここに入った!」

「どいて……」

 少女は眉ひとつ動かさず、彼らを見つめる。

「さてはお前、フォーチューンだな! おい、捕まえろ!」

 そのとき――。

 少女は、一気に目を見開いた。

「な、なんだ、おま、え……」

 彼女の瞳を見つめた二人の警備員は、がくりとうなだれるようにそこに倒れこむ。

 少女は彼らを無視して保管室の扉をそっと触る。

「この中に、あるんだ……僕の、兄さんの絵が……」



 フォーチューンと命は、三階の様子に唖然とした。

 本来ならば一番警備が強化されているはずのフロア。しかし、そこに配置されている警備員たちは、まるで屍のように次々と倒れこんでいる。

「おいおい、いつの間にこんな……」

「わ、私じゃないわよ!」

 ゆっくりと、保管室へ向かうフォーチューン。

 ゾンビ映画みたいにいきなりガッと足をつかまれる心配もなく、難なく保管室の前までたどり着いた。

「まさか、ね……」

「おい、何か心あたりがあるのか?」

「時間がないわ、いくわよ!」

「ええい、もうどうにでもなれ!」

 自分が怪盗だということも忘れ、フォーチューンは勢いよく扉を開ける。

 彼女の目に飛び込んできたのは、ある種神秘的な光景だった。

 半開きになった窓に、月明かりがこぼれる。それに照らされたのは、壁にかかった海の絵。そして、その前に立ち尽くす、真っ白な少女。長い髪をなびかせながら、ゆっくりと彼女はこちらのほうを振り向く。

「誰?」

 それは美しく、可憐な少女。しかしその顔にフォーチューン、いや要は見覚えがあった。

「た、太一!? 何で、ここに!?」

「何しに来たの? 邪魔、しないで」

 彼女の美しい瞳が次第に大きく恐ろしい色に染まっていく。

「予感的中。それも嫌な、ね」

 ストラップが冷静におびえている。

「危険って……」

「太一君の悪魔化が予想以上に早いわ。早くしないと、完全な悪魔になってしまうわよ」

「おいおい……」

 フォーチューンから冷や汗が大量に流れる。

「僕の、いえ、私の絵は……絶対に盗ませない。兄さんとの思い出を……」

 ゆっくりと、彼女が近づいていく。

「聞いてないぞ、こんなの!」

「私だってこの展開は予想外だったわよ」

「クソッ、今引き返しても警備員たちに捕まるだろうし、こっちはこっちでヤバいし……ピンチじゃねぇか!」

「諦めるのはまだ早いわよ!」

 強い声でストラップが叫ぶ。

「けど……」

「いい? どんなピンチもチャンスに変える、それが運命の輪、『フォーチューン』ってものでしょ!」

 ストラップが輪の絵が描かれたカードを手にする。

 フォーチューンがしばらく黙り込んでいる間、太一が一歩、また一歩と近づいてくる。そのうちに彼、いや彼女から温泉のように黒いオーラが噴出してくる。

「兄さん、この絵は僕が守るから……」

 彼女はそういって手を掲げる。そして、爪先が、ガッと一瞬にして伸びた。

「邪魔する者は、殺す」

 ザグッ! という音が立つかのように、彼女の爪がこちらに突っ込んできた。

 間一髪、その攻撃を左によけると、フォーチューンはしばらく呆然となる。

「なんで……お前、そんな奴じゃないだろ!」

「あなたは、僕の何を知ってるの?」

「知ってるよ。お前は、弱気で陰気で、あまり誰とも喋らない。けど、絵が上手くて、誰よりも優しくて、友達思いで、兄貴思いのいい奴だって!」

「兄さん……」

「お前を悪魔になんかしてたまるか! 絶対、救い出してやる!」

 フォーチューンが強く叫ぶと、突然太一がその場に膝をつく。

「兄さん、私、僕は、ダメ、な……」

 その体制のまま頭を抱える太一。

「どうした、太一……」

「ごめんなさい……僕は、僕は……兄さんの、絵を……わあああああああぁぁぁぁぁっ!」

 太一の声が部屋中に響き渡る。

 まるで土下座をするような態勢で、彼女は誰か――おそらくは亡くなった兄に謝り続けていた。

「まさか……」

 ストラップが何かに気づいたかのように言葉を漏らす。

「そういうことかよ」

 続けてフォーチューンも気づく。

「あの絵、本当はお兄さんが描いたものだったのね」

「それをこいつがコンクールに応募した。自分が描いたものとしてな」

「それがあなたの“罪悪感”の正体ってわけね」

 二人が推理を述べた後も、太一はその体制のまま小刻みに震えていた。

「自信がなかった……兄さんが、なくなる前にプレゼントしてくれたあの絵を、あの絵以上のものを描く自信が……」

「だから自分が描いたと嘘をついて応募したわけね」

「いや、それだけじゃないだろうな」

 フォーチューンは屈んで太一の頭にそっと手を添える。

「お前のことだから、多分兄の絵が日の目を当たらないままにしておきたくなかったんだろ。できるだけ多くの人に見てもらいたかった。この絵はそれだけの価値がある」

「要……」

「俺もさ、一応同じように兄弟を亡くした身だから分かるんだよ。本当はまだ生きているんじゃなかった、俺の近くにいるんじゃないか、なんて思うこともな」

 まぁ今では本当に近くにいるのだが、それはいわないことにした。

「お前にとって、あの絵は兄そのものだった。だからコンクールに応募して、たくさんの人に見てもらうことで、もう一度生き返らせたかった。違うか?」

 太一はまだ震えたままだ。

「もういいよ。お前は罪悪感なんて抱く必要はない。誰もお前を責めたりしないって」

「そう、私はもう、罪悪感なんて必要ない……」

 急に声色を変え、彼女はゆっくりと顔を挙げた。

「だって私は、“悪魔”なんだから!」

 間髪を入れる間もなく、太一は腕を振り上げる。

 咄嗟にフォーチューンは背後に避けて、そのまま尻餅をつく。

「ふふ、ふはははははははは!」

 立ち上がった彼女の瞳は先ほどのように、それどころか先ほど以上に恐ろしい色をしていた。

「ったく、せっかく人がいいこといったってのによぉ」

「そうよね。あんたにしてはいいこといったわよね」

「しゃーない。命、封印の仕方教えてくれ!」

「OK! 『運命の輪』のカードを手にとって!」

 いわれたとおり、運命の輪のカードを手にとる。

「そしてそれを絵に投げつける!」

「え、絵!?」

 フォーチューンは一瞬躊躇した。彼女から絵までは少し距離がある上、その前には悪魔化しかけている太一が立ちはだかっているからだ。

「早く!」

 もう考えている暇もなかった。フォーチューンはそのカードを、銭形平次が小判を投げるかのように、海の絵に向かって投げた。

「くっ!」

 幸い、攻撃と勘違いしたのか太一がそれを避ける。

 そして絵に貼りついたカードは、瞬時に淡い光を放った。

「今よ!」

「ああ」

 ストラップが手で大きな輪を作る。フォーチューンもそれを真似して大きな輪を作った。やがてカードに描かれた輪がグルグルと回りだす。

「あなたの、偽りの乙女心……」

「頂きます!」

「封印!」

 輪の回転が速くなる。そして、その絵からカードに向かって、次々と蔦が伸びていく。

「うわあああああああああああ!」

 太一が苦痛の表情で悲鳴を挙げる。

「た、太一……」

「大丈夫よ。それより今は集中して!」

 苦痛にゆがむ太一に申し訳ないと思いながら、フォーチューンは絵を封印する。

 ――ごめんなさい、兄さん。僕は……。

『気にしていないよ、太一』

 ――えっ!?

 太一の耳に、突然そんな声が聞こえた気がした。

『お前の気持ちはありがたいよ。けど、あの絵はもうお前のものだ。そして、お前の人生もお前のものだ。お前が好きなようにすればいい』

 ――それじゃあ、僕は何のためにこんなことを?

『それを考えるのもお前だよ、太一』

 ――待って、待って兄さん!

『さようなら、太一……』

 そうして兄の声は消えていった。


 月明かりに照らされた保管室。

 ただ数分前と違っていたのは、壁に描けてあった筈の絵が跡形もなく消えうせていたこと、そしてそこに一枚のタロット――運命の輪が落ちていたことである。



 翌日、街は当然のことながらフォーチューンの話で持ちきりだった。

 新聞の一面記事、雑誌、ニュースのレポーター――ありとあらゆるマスメディアがまるで海王町に集結したかのように賑わった。

 難波刑事を始めとする警察も、皆揃って脂汗を拭きながら彼らのインタビューに答える姿がワイドショーに流れた。

「やっちまったな、俺……」

 要はいつもの海岸で、いつものように腰掛けながら半開きの目で海を眺めていた。

 初めての怪盗行為、しかもまさか女になってまでやるとは――。今にして思えばもう自分が何をしていたのか実感が沸かなかった。

 要自身、あの後どうやって脱出したのかはあまり覚えていなかった。確かすぐ後に警官たちが向かってくるのが聞こえて、そして窓の外に漫画の怪盗もので出てくるようなバルーンがいつの間にか準備されていて、倒れている太一を抱えてそこから逃げて、太一を安全な場所に寝かせた――そのぐらいしか記憶に残っていない。

 ただ、確実なのは自分が女怪盗フォーチューンとして盗みを働いたこと、そして――。

「ほら、しょぼんとするな! そんな顔していると女卵花にとりつかれるわよ!」

 肩から、ストラップの命が顔を出す。

「もういいよ、なんか疲れた……」

「ま、今回はお疲れ様。初めてにしてはなかなかやったわよ」

「はぁ……」

 要から重いため息が漏れる。

 そのとき、要の背後で自転車のブレーキ音がした。

「天海君」

 要が振り返ると、そこにセーラー服を着た少女が立っていた。彼女には見覚えがある、というよりもよく知っている。

「もしかして、太一か?」

「うん、そうだよ」

 驚いた。てっきり放っておけば自然に男に戻るものだと思っていた。そういえば、昔の女性化事件も男に戻るものだけじゃなくて女のまま普通に生活しているパターンもあったなと思い出した。

「へへ、びっくりしたでしょ。僕、女の子になっちゃった」

「なっちゃった、ってお前、本当にそれでいいのかよ?」

 太一は自転車を停め、要の隣にやってきて腰掛けた。

「うん。これでいいんだ。それにコンクールも辞退することにしたし」

「え!? おいおい、何もそこまでしなくても……」

「校長先生もそういってくれたよ。もう賞を取った後だし、今更気にする必要はないって。でもね、これは僕なりのけじめなんだ」

「けじめ?」

 太一は立ち上がる。

「そう、けじめ。ずっと兄さんに甘え続けてきた自分と決別するための、ね」

 要は開いた口がふさがらなかった。しかし黙って話を聞くことにした。

「よく分からないけど、なんとなく思うんだ。ここから新しい自分がやり直せるんじゃないかってね」

「新しい自分って、それじゃあ今までのお前は……」

「もちろんそれを否定するつもりはないよ。兄さんに甘えていた自分がいたことも、兄さんの絵を自分の絵と偽ってコンクールに応募した自分がいたことも……でも僕はそれらを全て受け止めた上で新しい自分として生きていきたいんだ」

「新しい自分、ねぇ」

 要にはどうもピンと来なかった。

「それにさ、今なら描けそうな気がするんだ。兄さん以上に、この海を美しく描く自信が! すごいんだよ、女の子って。見る景色も聞く声も、男のときとは全然違う!」

 それも要にはピンと来なかった。一応彼もフォーチューンのときに女になったわけだが、そこまで感性を刺激させられるような出来事は何一つなかった。

「あ、ごめん。僕行かなきゃ! まだ学校にいろんな手続きをしなきゃいけないんだ」

「お、おう。まぁなんだ、頑張れよ」

「うん、それじゃあまた!」

 自転車に乗って走り去っていく太一を、要は目を丸くしながら見つめていた。

「いいのかよ、これで」

「いいのよ、これで」

 命が得意げに話す。

「だって、突然女になってあんな調子だぞ! もっと戸惑ったり下手したらノイローゼになったり……」

「要、このカードを見て」

 どこからか命はフォーチューンのポーチを持ってくる。そしてその中を小さな身体であさり、一枚のカードを取り出す。

 命が取り出したのは、真っ赤なローブを羽織った骸骨が描かれたカードだった。その手にはいかにも鈍そうな鎌が掲げられている。

「ってこれ『死神』のカードじゃねぇか!」

「そう、ピンポン!」

「ピンポン! じゃねぇよ! こんな不吉なカード見せてどうしろってんだよ!」

「ふうん、あんたには不吉に見えるんだ」

 命はまたまた得意げに彼を見る。

「そりゃそうだろ、こんないかにも危なそうなカード……」

「確かに、これは不吉な予兆を示すカードでもあるわ。死、とか終わり、とかね。でもそれだけじゃない」

 命は太陽のほうへそのカードを向ける。

「このカードには『リセット』という意味もあるの。確かに太一君のお兄さんは亡くなったけど、それは『お兄さんのいない世界』が始まるという意味でもある。太一君自身にも同様のことがいえるわ。彼は一回男である自分を殺し、女としてやり直した、ってね」

「このカードにそんな意味が……」

「タロットってね、不思議なものよ。見る人によってその意味合いも価値も変わってくる。人生もそうじゃない? その人の人生が本当に正しいかどうかなんて、その人自身にしか分からない」

 要は深くタロットを見た。いわれてみると恐ろしいはずの骸骨の顔が、なんとなくだが優しい老人の顔に見えなくもない。

「分かるかしら、要」

「ああ、そうだな」

 要はようやく笑みを取り戻す。

「ピンチをチャンスに変える怪盗フォーチューンか、悪くないな」

「えっ?」

「決めた、俺、やっぱりフォーチューン続けようと思う」

 要はすっと立ち上がった。

「本当に?」

「ああ。女性化事件がまたこうして起こるようなら、フォーチューンは絶対いなければならないだろ」

「まぁそうだけど、でも……」

「悪魔化しかけた太一に襲われたとき、俺は正直怖かった。あの太一をこんな風にした女卵花って奴は、すごい恐ろしい存在だ。もしこのままあいつが悪魔になっていたかと思うと、今でもゾッとするよ」

 要は拳を強く握り締める。

「だからさ、俺はそういう奴らを救ってやりたいんだ。命だってそういう気持ちでやっていたんだろ? だったら俺も、そういう風に生まれ変わらなきゃなって思ったんだ」

「要……」

「さて、帰るか。昨日はゴタゴタしてたからできなかったけど、久しぶりにお前とゆっくり話をしたいんだ。せっかくお前もこうして生まれ変わったんだしな」

「……うん!」

 要と命は、顔を見合わせて笑いあった。

 そしてそのまま海岸から家まで、一気に走り去った。それはまるで、かつて命が生きていたころ、仲のよい姉弟が二人ではしゃいでいる姿そっくりだった。



 真夜中――。

 ビルの屋上に、人影がひとつ。

 黒い髪をなびかせ、緑色のレオタードを身にまとった、その“少女”。彼女は手にしたカードを眺めながら、ほくそ笑んだ。

「二代目フォーチューン……見せてもらうわ、あなたの“正義”を」

 彼女が手にしたカードには、剣を掲げた男の姿が描かれていた。



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