第二章:近づく距離、離れない影
それから、雨の日が少しだけ好きになった。
理由は単純だった。
あの人に、また会えるかもしれないから。
同じ時間、同じ駅。
偶然だと笑うには、少し出来すぎている再会が、三度続いた。
「またですね」
四度目に会ったとき、彼はそう言って笑った。
まるで約束していたみたいに、自然な笑顔だった。
名前を知ったのは、その日だ。
コーヒーショップの窓際、雨粒がガラスを流れ落ちるのを眺めながら。
「私は……美咲です」
名乗ると、彼は一瞬だけ間を置いた。
「……直人です」
その“間”が、なぜか胸に引っかかった。
まるで、本当の名前を口にするか迷ったみたいに。
それから私たちは、傘の下だけじゃなく、言葉を交わすようになった。
仕事のこと、好きな音楽、休日の過ごし方。
深い話はしない。でも、浅くもない。
近づきすぎない距離。
それが、心地よくもあり、もどかしくもあった。
「恋人は?」
不意に聞いてしまった質問に、自分で驚いた。
直人は、コーヒーを一口飲んでから答えた。
「いません。……今は」
その言い方が、また引っかかる。
“いない”ではなく、“今は”。
「美咲さんは?」
「私も、いません」
嘘ではなかった。
でも、胸の奥に、少しだけ痛みが走った。
それから、雷の鳴る夜が増えた。
天気予報を確認するたび、私はどこかで彼を探している自分に気づく。
一緒に歩く帰り道。
何気ない会話。
それだけなのに、心拍数が落ち着かない。
「雷、平気になりました?」
そう聞かれて、私は首を横に振った。
「いいえ。でも……前よりは、怖くないです」
彼は何も言わなかった。
ただ、少しだけ歩幅を合わせてくれた。
その優しさが、怖かった。
恋はもうしないと決めていた。
誰かを信じることは、期待することは、傷つくことだと知っているから。
それなのに。
直人の隣にいると、
心が勝手に未来を想像してしまう。
並んで歩く日常。
名前を呼び合う関係。
雷が鳴らない夜。
――その想像の端に、必ず“影”があった。
彼は、自分のことを多く語らない。
過去の話になると、話題を変える。
携帯が鳴ると、必ず少し離れて出る。
「踏み込んだら、壊れる」
そんな予感が、常に胸の奥にあった。
それでも私は、彼に会うのをやめられなかった。
ある夜、別れ際に雷が落ちた。
私は思わず立ち止まり、耳を塞いだ。
直人は、何も言わず、私の前に立った。
雷音から私を隠すみたいに。
その背中を見た瞬間、
胸の奥で、何かが決定的に動いた。
ああ、だめだ。
これはもう、ただの偶然じゃない。
近づくほどに、
離れられなくなる。
そして同時に、
失う予感だけが、はっきりと輪郭を持ち始めていた。
雷雲は、まだ遠い。
けれど確実に、空は嵐を孕んでいた。




