秀才、飲み会に行く 一
学院の門を出て石畳の通りを歩くと、ひんやりとした夜気の中に香辛料の匂いが漂っていた。
街灯の淡い魔導光が石壁を照らし、細かな影を落としている。
その先に、ひときわ温かな明かりを放つ建物があった。
喫茶兼酒場《風詠亭》。
木造の梁と古びた石床が心地よい響きを生む、小さな店だ。
昼は学生たちが講義の合間にコーヒーを飲み、夜は研究生や講師が集まって酒を酌み交わす。
この店の主人は学院の出身で、エリオットが学生の頃から変わらぬ笑顔で後輩たちを迎えてくれる。
料理はスパイスのきいた肉と温かなスープが定番で、値段も手頃。
そのせいか、ここは開店当初から学院関係者の憩いの場となっている。
少し建付けの悪い木の扉を押すと、鈴の音が小さく鳴った。
香ばしい匂いとともに、穏やかな笑い声が耳をくすぐる。その奥から、聞き慣れた声が飛んできた。
「先輩、遅いですよ!」
明るい声に顔を上げると、奥のテーブルで手を振る少女がいた。
ティナだ。
栗色の髪を軽く結い、グラスを片手ににこやかに笑っている。
「ごめん、ごめん。少し話し込んでてね」
エリオットは苦笑しながら答えた。
扉の外から吹き込んだ冷気を背に、店内の暖かさにふっと肩の力が抜ける。
こっちだと手招きをするティナの周りには、リアム、フラム、そして”赤髪の少年”の三人がすでに席についていた。
テーブルの上では湯気を立てるスープと、香草焼きの肉が並んでいる。
「もー、先に飲み始めちゃってますから、先輩も頼んでください」
そう言ってティナがメニュー表を渡してくる。
エリオットが席に着くと、リアムが軽く手を挙げた。
「ちょっといいですか。先輩の注文が来るまで少し時間もありますし......“彼”について、紹介もかねて自己紹介をしませんか」
リアムの隣にいた赤髪の少年が、少し緊張した様子で姿勢を正した。
「えっと、初めまして。カイ・ランデルといいます。今は学院の三年生です。
リアムさんの研究を手伝わせてもらっていて、来年から研究生になる予定っす」
各々が小さめの拍手をする中、隣に座っていたティナが手を挙げる。
「じゃあ、次は私から行きまーす!」
「ティナ・フリージアです。研究生一年目で、魔法生物や妖精に関する研究を主にしていて。好きなものはオシャレと可愛いもので~す」
そう言って、一息つくように手に持っていたグラスを一気に飲み干した。
その流れで、他の面々も自己紹介を続けた。
「フラム・アスターです。私もティナちゃんと同じで研究生一年目です。元々園芸が好きで、魔法植物の研究をしています」
「エリオット・シラーです。研究生二年目で、研究テーマは特に定めてないけど、しいて言うなら魔法そのものについてかな。あとは研究が趣味みたいなものだから、研究自体はテーマに縛られず結構雑多にやってるかな」
「皆さん知ってるとは思いますが、僕だけやらないのもむず痒いので。
リアム・サルビアです。主に魔法触媒の研究をしています」
「実は、エリオット先輩にも一度お会いしてみたいと思ってたんです。
学院でも有名なので……こうして”かの天才”と話せるの、ちょっと緊張するっす」
「面と向かって言われると少し照れるね」
エリオットは照れくさそうに笑った。
フラムが興味津々に身を乗り出す。
「カイくんは、どんな研究をする予定なんですか?」
「まだ正式なテーマは決まってないんですけど、魔力の増幅回路に興味があって。
リアムさんの実験を手伝いながら、少しずつ勉強してるところです」
「おお、やる気があっていいねぇ。研究の沼にはまりそうなタイプだ」
ティナが軽口を叩くと、カイは恥ずかしそうに笑った。
エリオットはその様子を見ながら、どこか昔の自分を思い出していた。
学院に来たばかりの頃、何もかもが新しく、手探りで進んでいた頃。
目の前の赤髪の少年にも、同じ熱が宿っている気がした。
「ようこそ、学院の泥沼へ」
エリオットが冗談めかして言うと、カイは苦笑しつつも真っ直ぐに頷いた。
「光栄です、先輩」
そんなやり取りに、ティナが楽しそうに笑っていると、タイミング良く追加の注文も届く。
「はーい、それじゃ自己紹介も済んだことですし、改めて発表会、お疲れさまでしたー!」
「「「「「乾杯!」」」」」
グラスが軽やかにぶつかり、澄んだ音が響いた。
ーーー
少し落ち着いたところで、フラムが聞いてきた。
「そういえば先輩、さっき話し込んでたって言ってましたけど、もしかしてシリル先輩ですか?」
「まーた天才同士で内緒話してたんでしょ?」
ティナが唇をつり上げる。
「......内緒話って。ただ研究の話をしてただけさ」
「ふふっ、言い訳っぽいですねぇ」
ティナの声は軽やかで、いつも通り遠慮がない。
エリオットは気恥ずかしくなり、誤魔化すように追加の注文をする。
「でも、なんか特別な空気ありますよね、シリル先輩とエリオット先輩って」
フラムが頬を少し紅くして微笑んだ。
「なんていうか......月と星、みたいな感じで」
「詩人ですねぇ、フラムちゃん」
あまりに純粋な表現に、ティナが笑いを漏らす。
「でも言われてみれば、わかる気がしますね。どっちも、遠くにあって手が届かない感じ」
「そうかな、俺からしたらシリルはもっと遠いところに居るように感じるけどね」
「エリオット先輩から見てもですか?」
カイが驚きを込めた声で聞く。
「少なくとも、彼女の”思い付き”には驚かされてばかりだよ。一見突拍子もないし実現不可能にしか聞こえないしね。だけど必ずやってのける」
エリオットは自分の思う、”本物の天才”を思い浮かべ、心の中で少し嫉妬する。
「その裏には相当な努力や経験があるはずなんでしょうけど、それを感じさせない立ち振る舞いがより超人っぽく映りますね」
リアムの言う通り、”魔女”といったような二つ名は、彼女の性格からも来ているのだろう。
「私なんか今日の発表も失敗ばかりで、シリル先輩の動じない感じ、憧れます」
フラムがそう言うと、他の面々もそれぞれ今日の発表会を思い出しはじめた。




