発表会のあと、天才と秀才
──「……よって、今回の実験結果から、一部の環境魔法における環境依存性は――」
淡々とした声が講義室に響く。
「......以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。」
研究発表会の静かなざわめきの中、マグノリア魔導学院の重厚な鐘が鳴った。
マグノリア魔導学院。その重厚な鐘の音は、創設された数百年前から変わらない。
かつて数人の賢者が築いた研究機関は、今や魔導を学ぶ若者たちの学び舎となっていた。
その講義棟の一室で行われている研究発表会、年に四度開かれるそれは、学院に所属していれば誰でも参加できる。
発表者は事前の申請が必要だが、聞くだけなら飛び入り参加も可能だ。
ここでは点数も順位もない。ただ己の理論を語り、互いに刺激し合うための時間だ。
この会は成績評価とは無縁の自由研究の場だ。だが、魔導を志す者にとって、ここでの発表は名誉であり、実力の証明の場でもある。
朝から続いた発表も最後の発表が終わり、各々が解散の準備をしている。
荷物をまとめ帰宅する者、発表を通して得られたアイデアをまとめる者、他の参加者と意見交換をする者。
参加者の一人であるエリオットは、今日の発表を頭の中で反芻しながら、それらの中に混ざり、帰宅の準備を済ませ部屋を出る。
「やあ、”秀才くん”、今回の発表もなかなか面白かったよ」
廊下に出ると、どこか揶揄うような口調で話しかけられる。”秀才”この学院で俺をそう呼ぶのは一人しか居ない。
「どうもありがとう、“天才”さんは、今回は登壇していなかったみたいだけど?」
やり返すようにそう返事をして振り返る。
そこには一人の少女が立っていた、夜空のような深い蒼髪を肩まで伸ばし、その瞳もまた、静かな深海のように澄んでいる。
彼女の名はシリル。エリオットと同じ学院に所属する研究生である。
そして、誰もが認める“天才”だ。
「思ったよりも良いものが出来そうだったからね、もう少し詰めようと思ってね」
「否定はしないんだな」
「事実を否定することになんの意味があるんだい?、とりわけ君と僕の仲だ、謙遜なんていらないだろう?」
軽口を返され、エリオットは苦笑する。
彼女の言葉はいつも正論で、だからこそ少しだけ癪に障る。
「確か……精霊の実在証明の研究だっけか?」
「そう。うまくいけば、あと数か月で“存在の痕跡”を証明できるかもしれない」
「なら、もう少しで精霊魔法の研究者は寝る暇もなくなるな」
冗談めかして言いながらも、エリオットの声にはどこか本気が混ざっていた。
精霊――それは、世界のあらゆる場所に”存在するとされている”魔法の根幹に関わるとされる概念だ。
誰もその姿を見たことはないが、確かに“いた方が都合がいい”存在。
何百年も研究されながら、確証は未だない。
だが、彼女ならやってのけるだろう。エリオットはそう思っていた。
「そう言う君だって、注目されてたよ。君の言う”純粋魔力”が実用化出来れば魔法の概念から変わりかねない」
「どうだろう、まだ思い付き段階だからね、大事なのはここからだよ」
「その”思い付き”が一番難しいのさ、何か手伝えることがあったら相談してくれよ。僕も山場はもう少しで超えられそうだし、久しぶりに君との共同研究をやりたくなった」
自他ともに認める天才からの指名に少し嬉しさを覚えつつ、表情には出さず、何でもないように答える。
「分かった、今回の発表でノルマは達成したし、取り敢えずはそっちが終わるのを待ちながら、今年はのんびりと進めることにするよ」
「ところで、今日はこの後どうするんだ?」
エリオットは肩の鞄を持ち直しながら尋ねた。
「今日の発表を聞いて、一つ思いついたことがあるんだ。それを書き起こしてから帰るつもりだよ。忘れないうちにね」
シリルは軽く笑って自分のノートを抱えて見せた。
「アイデアは新鮮さが命だもんな。このあと、リアムたちと反省会も兼ねて飲みに行く予定なんだ。良かったらどうだい?」
「君から誘うなんて珍しい、何かアドバイスでも欲しいのかい?」
シリルは心底不思議そうな顔で首を傾げる。
「いや、単に打ち上げみたいなもんさ。リアムは今回の発表が初めてだったしな」
「ああ、彼は今回が初めての発表だったか、内容も良く出来ていたし、受け答えもしっかりしていた」
「はは、あれでも本人はかなり緊張してたらしいけどな。昨日も遅くまで発表練習に付き合わされた。まあ、シリルから見てその評価ならなにも問題は無いな。それで、どうする?」
「お誘いは嬉しいけど、今回は遠慮するよ。今日は帰るのが遅くなりそうだしね。それにほら、”魔女”は群れないらしいよ」
”魔女”、どこか触れがたい雰囲気や彼女の数々の功績から、誰が言い始めたのか、学院内では彼女を畏敬の念を込めて”魔女”と呼ぶ者達がいる。
「分かった、じゃあ共同研究については来月までには研究概要をまとめておくから、そっちの研究が一区切りついたら教えてくれ」
「ああ、楽しみにしているよ。それじゃ、楽しんでおいで。私の分まで飲みすぎないようにね、秀才くん」
「心配性だな、天才さん」
その返しに、シリルは小さく肩をすくめて、静かな廊下の奥へと消えていった。
エリオットはその背中を見送り、ふと窓の外に目を向ける。
外では、学院の鐘が夕刻を告げている。
ーーー
講義棟を出ると、夕暮れの空は薄紫に染まっていた。
一日の終わりを告げる鐘の音が遠くで鳴り、学生たちの談笑が石畳の通りに響く。
「さて、急がないとな」
予定よりもだいぶ遅くなってしまったと、時計塔を見て少し焦る。
エリオットは軽く伸びをしながら、学院の門を出た。




