第5章 5.記録のない依頼
センターに戻る途中、空はすっかり夕方の色になっていた。
王都のまわりを歩く人びとの足音や、屋台のにぎわいが、遠くから風に乗って聞こえてくる。
さっきまでの塔の静けさが、まるで夢だったかのように思えた。
「……ほんとうに、あれでよかったのかしら」
ティティがぽつりとつぶやいた。
「誰にも見送られず、荷物だけが空へ……ちょっと、名残惜しすぎますわ」
「でも、きっと必要なところへ届いたんですよ〜。神さまも、“もう持っていかれていい”って言ってましたから」
ミーナは、やわらかく笑っている。
ライクは無言のまま、小さな帳面をひらいた。
依頼内容をまとめるため、いつも書いている“センターのしごと記録”だ。
ページをめくり、今日の項目をさがす。
……が、見つからない。
「……ない」
「え? なにが、ですの?」
「今日の依頼……書いてない。いや、“書いたはずの場所”が、空白になってる」
ライクは帳面を持つ手を止めた。
依頼内容、日時、場所、報酬の記録——そういったものを、ふだんからきちんと書いている。忘れないために。
でも、そのページだけがぽっかり抜け落ちていた。書いた形跡すら、なかった。
「記録から、消されてる……?」
誰ともなくそうつぶやいたとき、グレンが足を止めた。
そして、ぽつりと——
「……依頼主はいなかった」
その声は、小さいけれど、ふしぎな重さがあった。
ティティもミーナも、何も言わなかった。
風がすこし吹いて、近くの草むらがカサカサと音をたてた。
しばらく歩いたあと、ライクがふと空を見上げる。
空はもう暗くなりはじめていて、昼の光の階段は、とうに消えてしまっていた。
でも——
「……名前がなくても、記録が消えても。
誰かが、あそこにいた気がする。
おれは……あそこに行ったことがあったのか?」
自分でもわからないまま、そんな言葉が口をついて出た。
ティティはうしろからぴょんと跳ねて、ライクの肩を指でつついた。
「ふふん、やっぱり“なにかあった”んですのよ。わたくしたち、ただの引っこし屋さんじゃありませんもの♡」
その言葉に、ミーナも静かにうなずいた。
「……神さまも、そう言ってます〜」
その日の仕事は、記録には残らなかった。
でも、風と光と声の残る“何か”は、たしかにそこにあった。




