第5章 3.名前のない物語
塔の階段は、きしむ音をたてながら上へと続いていた。
グレンは黙ったまま先頭を歩き、その後ろをライク、ミーナ、ティティがついていく。
途中にある窓からは、王都の町なみが遠くに小さく見え、空はもうすっかり夏の色をしていた。
「ふぅ〜、けっこう登りますわね。わたくし、体力にはあまり自信がありませんのよ……」
「でも、ちゃんとついてきてますよね〜。文句を言いながら、いちばん元気かもしれません〜」
ミーナの言葉に、ティティがむっとしながらも、口の端を少し上げた。
屋上へ出る扉は、やや重く、ギィィ……と音を立てて開いた。
その瞬間——
「……わあ」
ミーナが、ぽつりと声をもらす。
そこにはたしかに、**空に向かってのびる光の“階段”**のようなものがあった。
まっすぐではなく、少しだけ曲がりながら、ふわふわと揺れるように空の上へとのびている。
でも、その途中から先は、白いもやの中に消えて見えなくなっていた。
「これ……空に向かってるんですのよね? 登ったらどうなるのかしら……あ、でも、ちょっとだけ怖いですわ……」
ティティがその場で足を止め、帽子を押さえる。
「登るなってことだろ、きっと」
ライクが低く言った。
そのとき、足もとで何かが“パサッ”と音をたてた。
ティティがふり返ると、さっき運んできた木箱のひとつから、一冊の本がするりとすべり出ていた。
「あら……落ちちゃいましたわ。本って、たまに勝手に出てきますのよね〜」
ティティがしゃがみこんで本を拾い、パラリと開く。
中には、手書きの物語がつづられていた。
——とある冒険者たちが、魔王の城にむかって旅をする話。
ところが、その物語の中に出てくる人たちの名前の部分だけが、全部消されていた。
にじむように黒く、あるいは塗りつぶされたように、まるで“わざと”読みとれないようにされている。
「……なんですの、これ。読めないじゃありませんの。なにかの実験中の下書きかしら?」
ティティが不満そうにページをめくる。
ライクも本をのぞきこみ、ふと眉をひそめた。
「……これ、“知ってる”気がする。いや、気がするだけか?」
「知ってるけど、思い出せないってことですか〜?」
ミーナがそう聞くと、ティティも少しだけ神妙な顔になる。
「“名前を消す魔法”って、ほんとうにあるんですの。しかも、とっても古くて、とってもこわいやつ。名前が消えると、記憶もあやしくなって……誰がいたのかも、だんだんぼやけてきますのよ」
「名前を消すって、なんのために?」
「きっと、思い出されたら困る誰かがいるんですわね」
ティティがそっと本を閉じたとき、空のほうから一瞬だけ風が吹いた。
その風は、まるで誰かのため息のようにも感じられた。




