第4章 6.目覚めの言葉
陽が、少しだけ傾きかけていた。
引っ越しの準備は、ひととおり整っていた。
杭は立ち、地面はならされ、草は刈られ、通り道が見えている。
城の中ではロープが張られ、棚も椅子も揺れ止めが施され、書棚の本はひと箱ずつ、整然とまとめられていた。
あとは——この城が、自分の意志で、歩き出すだけ。
ライクは塔の下で、ロゼッタと並んで立っていた。
「もうすぐ……ですかね」
「さあね。でも、わたしにはわかるのよ。
あの子、今までよりずっと、静かにしゃべってるから」
塔の声は、たしかに少しだけ落ち着いていた。
「お茶……飲みたいなあ。あったかいやつ。
でも、どこにいけば、あの味にまた会えるのかな……
むかし、黙って飲んでた人がいて……なんて名前だったっけ……」
ティティは結界ロープの張り具合を確認してから、ふとつぶやいた。
「……誰かの記憶に、ちゃんと残ってるって、幸せなことかもしれませんわね」
ミーナは目を閉じて、静かに祈っていた。
グレンは、塔の根元に座ったまま、微動だにしない。
その姿は、まるで“沈黙”そのものだった。
——そして、そのとき。
ふと、風が止んだ。
草が揺れるのをやめ、音が、すべて引っ込んだようだった。
まるで、時間そのものが、一瞬だけ、立ち止まったかのように。
ティティも、ミーナも、ライクも、ロゼッタも、思わず動きを止めていた。
そのなかで——
ただひとり、グレンだけが、ゆっくりと立ち上がった。
城は、息をひそめていた。
誰も、何も言わなかった。
ただ、次の言葉を待っていた。
そして。
グレンは、口をひらいた。
声は低く、けれど、はっきりと。
まるで、石の下に流れていた水が、初めて地上に顔を出したような、そんな響きだった。
「……おまえは、もう……しゃべらなくていい」
塔が、わずかにきしむ音を立てた。
「おれが、きいてる。
だから、動け。
おまえの足で、行きたいとこへ行け」
その瞬間——城が、震えた。
地面が、小さく鳴った。
草が押しつぶされ、塔の先端が、ぐらりと揺れた。
ごごご、と、低いうなり声のような音。
「な、なにか始まりましたわよ……!」
ティティが思わず声を上げる。
「グレンさんの声で……」
ミーナが、胸元に手を当てたまま目を見開く。
ロゼッタが微笑む。
「……あの子、ずっと……その言葉を待ってたのよ。
“しゃべらなくていい”って、言ってくれる誰かを」
足音が——いや、“脚の音”が響いた。
大地が、小さく、けれど確実に、ずれるように鳴る。
草の丘が震え、古びた石の城が、ゆっくりと立ち上がるように、土からその足を引き抜いていく。
城は、しゃべらなかった。
ただ、静かに、一歩を踏み出した。
グレンは、それを見上げるでもなく、後ろを振り返るでもなく、城の前を歩き出す。
無言のまま、まるで、道案内をするように。
ティティがぽつりと漏らした。
「……グレン、いまの……かっこよすぎませんこと……?」
「神さまも、“静かな人はときどき全部持っていきます”って……おっしゃってます〜」
ミーナの声が、どこかうれしそうだった。
ライクは小さくうなずいて言う。
「……オレたち、ほんとに“引っ越し”してるんだな」
そして、静かに歩き出す城のうしろに、
元・勇者引っ越しセンターの一行が続いていった。
風がまた、ゆるく吹きはじめた。
——城は、黙っていた。
けれど、すべてを語っていた。




