挫けし者たちに捧ぐ 無名漫画家 本日も原稿料未払いです 見下され続けて30年
原稿料未払い、作品無断使用は当たり前……。
無名漫画家の絶望と挫折、諦めと忘却。
無名がゆえに差別される職業……、
卑賎な自己と相克に打ちのめされ、
どんなに刻苦勉励しても、
結果がすべての世界では
評価されない。
ただ、見下されるだけ!
無名漫画家は寝転んで吠える。
辛酸に満ちた漫画道、
マッチ1本の明かりほどの小さな才が
揺れまくる……、
誰かに認められたい……、
悔しくて、悔しくて、
寝返りを打って、のたうち回り、
枕元に栗の花一輪、二輪……、
毎日が悶々とした不愉快な目覚め。
そして、また陽は昇る。
希望はいまだ見えず。
足元に蠢く黒い絶望。
売れたい、
ヒット作が欲しい、
……浅い感情だけだが
絶望の底をぼんやり照らす。
成功は自信、失敗は経験と
呟いては立ち上がるが、
時は残酷なり。
金なし、宿なし、人脈なし、
歯はぬけ、毛はぬけ、魂ぬけ……、
寂寞の思いと裏腹に、
心の奥から地獄の窯を
煮詰めたような憤怒の感情。
見下され続けた負け犬根性の
熱量だけで書き上げた7万文字。
こっそりと生きた証に墓石としてここに置く。
ー2018年、漫画家生活を退職?した55歳のときに
書いたメモ書きを掲載しました
(2025年、アップするために再読しまして、
ほんの少し加筆した部分もありますが、
ほぼ2018年当時の書き物です)。
ーさらに漫画家の環境は変わったと思われます。
★はじめに
2018年5月某日、ネット上で月刊誌、週刊誌の休刊が相次ぎ、
ついに紙の出版物より電子書籍の売り上げが逆転したとの
ネットニュースが流れました(単行本、文庫、ムック本はすでに逆転)。
ネット上では、名実ともに「電子書籍 元年」との声も上がっています。
私は 無名ながらも漫画家として漫画、イラスト、カットを描き続け、
あるいはライター、物書きとして、出版業界の片隅で30年以上、
バイトもせずにそれなりに 頑張ってきました。
思い起こせば20年前でしょうか、大手出版社の当時、担当編集者から
「これからは電子書籍の時代なんだけど、印刷所、運送業、書店……、の手前、
すぐに切り替えれないんだよね」なんて話していたのを昨日のように
覚えています。
それから20年……、どうやら電子書籍を見る環境が整ったようです。
そのおかげで?、書店は激減し、コンビニから雑誌は消えつつあり、
電車内で雑誌を広げる人も少なくなりました
(ほぼ皆無といっていいのかもしれません)。
これからさらに漫画家の環境も劇的に変化していく、そんな矢先、
私は昨年、漫画家をやめ、フリーターとしてバイト生活をはじめました。
さすがにヒット作もない無名漫画家が、この雑誌休刊が相次ぐ出版不況の中、
漫画だけで生活できるわけもありません。
少し自慢話になってしまうのですが、私のような無名漫画家でも、
雑誌全盛期のころは月に20誌ちかく掲載していたときもありました。
創刊、創刊、増刊、増刊、また増刊……、
まさに仕事を選ばなければ、漫画、イラスト、カット……、
実力のない私でも手を変えを品を変え、
ドン・ピアーズ原作の「暴力脱獄」のルーク・ジャクソンのように
編集者の希望する内容(言いなり)で黙ってコツコツを仕上げれば、
それなりの仕事はいただけました(それを考えると私の場合、
漫画家と名乗るより便利屋と名乗った方がいいのかもしれませんが……)。
私が昨年、きっぱりと漫画家をやめたのは私のような無名漫画家が
掲載出来るような雑誌が潮が引くように一瞬でなくなったこともあるのですが、
決定的な原因はここ5年、出版不況?のせいで、原稿料未払い、無断二次使用、
三次使用の出版社、編集プロダクションが激増し、
「原稿料が未払いです、振り込みお願いします」
「作者に連絡もなく勝手に二次使用されているのですけど……」
そんな編集者とのやりとりに、ほとほと疲れ果ててしまったからです。
出版業界、沈みゆく泥船か、はたまた低空飛行を続けるボロ飛行機か……、
ダークブラック企業なのか……、というより、
無名漫画家を見下し過ぎといったほうが正解だと思います。
ここ10年、原稿依頼の第一声は、
「不況でね、原稿料、安いけど頼める?」でした。
それだけならまだ、いいのですが(よくないのですが)、
それに原稿料未払いですからね、
さすがに無名漫画家の私はギブアップです。
生活が出来ません。
未婚男性55歳、知人、友人、恋人なし、
孤独なワンルームアパート生活、
隣人の生活音が気になる薄すぎる壁、見下されて30年。
そんな無名漫画家の目から見た出版業界を書いていきます。
私が言いたのは、ひと言。
「出版社さま、原稿を依頼してきて、
原稿を納めたら、原稿料を支払ってください」
絶叫しようが、憤怒しようが、無名漫画家の声には誰も
耳を傾けません、相手にしません。
ーだからこっそりと、
ここに(モヤモヤとした)ストレスのはけ口として
書き起こしておきます。
実力もない無名漫画家のたわごとだと笑ってください。
★書籍掲載後に「原稿料を半額にしてくれ」って
言ってきた編集長
某出版社からの依頼で、ムック本にカットを20枚(1枚4000円)描きました。
しかし掲載本が、書店、コンビニに並んで、2か月、3か月……、
一向に原稿料が支払われません
(口約束では書店に並んで翌月月末だったのに……)。
不安になった私は、……3か月後、M編集長に電話をしました。
「5か月ほど前に○○コーナーでカット20枚を描かせていただいた○○です」
掲載ムック本の号を言ったところで、M編集長、どうやら私が依頼した漫画家であることに
気が付いた様でした。
「原稿料がいまだに振り込まれていないんですが……」
私がそう告げると、あきらかにM編集長は動揺し、早口になりました。
「ふ、振込先がわからなくて」
……振込先がわからなくて!
無名漫画家である私は、原稿料未払いが少なくありません。
そのたびに担当編集者、編集長、編集部内の経理に電話をかけまくり原稿料を請求してきました。
催促の電話をするたびに、担当編集者たちは見え透いた言い訳をするのです。
圧倒的に多いのが、「振込先がわからなくて」です。
私は、その見え透いた言い訳を聞くのが本当にイヤなんです。
他人のその場しのぎの嘘(?)、
……とても悲しく嫌なものです。振込先は仕事を始める前に必ず、伝えてあります。
対等の立場なら、正直に言い合って、笑って終わりなのに……。
「振込先がわからなくて」
だったら、私に電話をしてくるのが普通では……?、
なぜに掲載後3か月も電話してこないのか?
さらにM編集長は私を驚かせる言葉を吐いたのです!
「原稿料を半額にしてくれたら、今日中に振り込みます」
……私は、頭の中が空っぽになりました。
本当の本当のマジ話です。
確かに親鸞聖人が登場するまでは、この国ではモノを売ったり、穀物を育てたりすることは
窃盗やこ○きのすることだったらしいが、今……、この時代、この資本主義国家で……、
締め切りも守り、原稿を収め、掲載され、書店、コンビニに並んだのに、
依頼した側が、原稿料を支払う段階になって、
「原稿料を半額にしてくれ、だったら今日中に支払うよ」
なんて話……、この出版社では普通なのかな……。
無名漫画家、30年以上しがみついてきて初めて耳にした言葉でした。
えっ、まさか、
ギャグか?、
私が、「出版不況ですからねぇ、証券用インク3個でもいいですよ、
エヘへ……、大地主様、編集長さま」
なんて、笑顔で答えて電話を切ればよかったのか……。
ただただ驚くばかりでした。
M編集長は私に考えさせないように機関銃のごとく、
「半額にしてくれたら、いますぐ支払うよ、いますぐ、いますぐ、いますぐ」
電話口で声を震わせながら呪文のように喋り続けました。
……、
無名漫画家の私は原稿料未払いのたび、
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……、
編集部に電話をしてきました。
「原稿料が振り込まれていないんですけど……」
「担当は誰でしょうか?」
「編集Aさんです」
「お待ちください」
電話口から向こうから聞こえてくるんですよ、編集Aさんの声が(笑)……、
(「原稿料のこと?、面倒臭いなぁ、いないっていって」)
……、
「大変お待たせしました、(編集)Aは出掛けています、戻りましたら、
こちらから電話するように伝えておきます」
その瞬間、私はセミの抜け殻です。
もちろん、原稿料未払いを請求して、すぐに出版社側から電話がかかってきたことなんて
1度もありません。何度も、何度も電話をして担当編集者を電話口に出して、
ようやく経理の方に伝えてもらえます。
本当に精神的にも疲れます。
無名漫画家とはこの程度です。
最初から見下されています。
実際、いまだに原稿料未払いの出版社もあります(あとで書きます)。
バカらしいけど原稿料未払いで、こんなことばかりやっているのですよ、
無名漫画家は……。
で、結局……、少しでもお金をもらえるのならと、私はM編集長に言ってしまいました。
「お願いします」
……。
★原作者のスケジュールで無名漫画家爆死寸前三途の川を見る
15年ほど前の肌寒い10月末の事……、
某出版界のパーティーで、はじめて会ったばかりの
編集プロダクションの編集長Wさんに、
「200ページの描きおろし、頼める?」って、声を掛けられました。
出版社のパーティーといえば、無名漫画家たちにとっては「営業の場」
20代の頃は、内向的な私でも100枚ほどの名刺を握りしめてはせ参じたものですが、
当然、無名漫画家に声を掛けてくる編集者もいなくて、気が付けば、
売れている漫画家たちに群がる人々をおかしく見ていたもです。
現実を知った私は、それからのパーティーには名刺すら持っていくこともなく、
普段口にしたことのないような料理にむしゃぶりつくだけになってしまいました
(……昨今、出版社のパーティーにはまったく呼ばれなくなったので参加すらしていない)。
その日のパーティーも、漫画家と情報交換もすることもなく、いつものごとく、
美味しい料理をここぞとばかりにむしゃぶりついていると、編集者のほうから
仕事の依頼を話しかけてきました
(当時、私はそれなりの部数の週刊誌、月刊誌の
片隅で掲載していたので、「あぁ~、見ている人は
いるもんだな」なんて、ほくそ笑みました)。
こんなことは初めてのことで、まさに陸にあげられたお魚状態。
口は半開きのパクパク、身体は小刻みに震えだす始末
(かなりハイテンションになったのを恥ずかしく覚えています)。
カット、イラスト、4P、8P漫画が中心で、
ちまちま数だけをこなしてきた無名漫画家にとって
200ページ描きおろしは、久しぶりの大仕事でした
(デビュー当時は30P以上も描いたこともありましたが……)。
締め切りは4か月後の来年2月末。
買取契約で120万円、印税契約はありません。
これら、すべて口約束。
単行本も出ていない無名漫画家の私にとって、初めての私だけの書籍!
私の漫画本が書店に置かれる!
その喜びたるや、まさに天にも昇る気持ち。
無名漫画家の私でも、それなりの生活できる程度の連載を抱えていましたが、
とにかく「描きおろし」私だけの漫画本、形になる喜びで、二つ返事で、その場で引き受けました。
10月末、…締め切りは2月末、厳守!
4ヶ月あれば、いま、抱えている連載と同時並行でも大丈夫だと、自信はありました。
ところがです!
パーティー会場で出会ってから1か月、編集長 W さんからの連絡なし。
薄々は気が付いていたのですが、本当に編集プロダクションの編集長 W 、
本来なら私から電話をしてこの件に関して聞くべきなのですが、
私にはちょっとしたジンクスがあり、―というより、関わりたくないことがあり、
「今度、飲みに行きましょう」とか、
「今度、一緒に仕事をしましょう」
なんて甘い言葉は信用しないタイプなんです(性格がひねくれているからw)。
本当に私に用事、仕事依頼があれば 、 絶対に連絡を取ってきますから、
―という考えなので、自分から、「あの仕事、どうなりました?」なんて、連絡は取らないことにしています。
連絡を取り、聞けば、結局、相手の「嘘まみれの言い訳」を聞くハメになるからです
(私の経験上…)。…お互い嫌な思いをするから。
だから私からは「あの仕事、どうなりましたか?」なんて連絡はしないのです。
…、
今回の編集長Wさんの仕事依頼、……1か月が過ぎて、
なんの連絡もなかったので、残念だけど、1か月後に私はあきらめました
(無名漫画家の私は、自分から編集長Wさんに「描きおろし」の件を
問い合わせることはしませんでした。……とってつけたような「言い訳」を
聞きたくなかったからです、本当に私に仕事をしてほしいのであれば、
出版社側は電報でも打ってきます、……その昔、私、引っ越し中で
電話が繋がらず、電報を打ってきてくれた編集者さんがいました)。
大きな希望は大きな落胆を生む。
金銭的なことも提示してくれたので、編集プロダクションの編集長Wさんの話は
疑う余地はないと思っていたのに、ぬか喜びでした。
私の初単行本の話は、シャボン玉のようにキラキラと空高く舞い上り、
私のため息とともに、はじけて消えました。
漫画家になるなんて夢のようなことを語り、
実家を追い出された身としてはお正月、帰る故郷もなく、
静まりかった都内のアパートにひとり。
隣の部屋から嗚咽のような女性の喘ぎ声を聞くこともなく、
上の階から激しいベッドの軋む音も聞こえない、静かなお正月。
年賀状なんぞも中学生以来、1枚も書いたことがないため、
お正月の郵便ポストも無職の貯金通帳のような空っぽの世界。
知人の先輩漫画家には、年賀状も営業だからって、名刺交換をした編集者には出した方がいいよと、
アドバイスをしていただいたが、12月といえば、年末進行で、締め切りが早まり、タイトになる。
年内の仕事を終えると、ドッと疲れて、あとは爆睡。
漫画家という勝手なイメージで、年賀状には漫画絵を描かないといけないのでは?と、
思うと余計に描きたくなくなる。
―と、勝手に自分に言い訳を作っては寝正月と決め込んでいます。
そんな怠惰な私でも雑誌連載をしていれば、正月明けから、ありがたいことに編集者から
仕事依頼の電話、メールが来る。
これが唯一の社会とのつながりです。
すっかり編集プロダクションの編集長Wさんのことは忘れていた1月末、
突然、編集長Wさんから、
私のところに電話が来ました。
描きおろし200ページ漫画!
印税契約なしの買取契約で120万円仕事。
話を聞けば、「原作が出来たとのこと」
しかし、とりあえず……100ページ。
編集プロダクションの編集長で、原作者も兼ねる編集長Wさん、
「いろいろと多忙で、遅くなって申し訳ない」とのこと。
元大手出版社勤務から独立して編集プロダクションを設立。
オリジナル企画の単行本を多く出版している出版業界のベテランWさん、
……多忙なのはわかっています。
しかし仕事依頼から2か月後に原作とは……、
嫌な予感しかありません。
……。
翌日、打ち合わせにために編集長Wさんの編集プロダクション事務所へ……。
締め切りは、最初の通り2月末厳守とのこと!
(いや、いや、お話をもらった2か月前から準備をしていたのですが……)。
表紙は、うち(編集長Wさんの編プロ)のほうで制作するから、
私には漫画だけを描いてほしいとのこと(表紙が描きたかったのにガッカリ)。
そして残りの100ページの原作は出来上がり次第、速達で郵送してくれるとのこと。
~無名漫画家」、初単行本企画で嬉しさのあまり
言いなり……(悔しい)。
私は舞台となる場所の資料写真とか、お願いできますか?と、訊ねたところ、
「ネットで調べて」との冷たい返事
(資料集めだけでも1週間は欲しい……)。
……まさに投げっぱなし。
……、
話を伺っている間に、私は、この仕事、無理だと思い始めました……。
「やはり、無理です。今、ほかの連載仕事も抱えているし……、
残り2か月200ページは無理です」
「すぐに原作を送るから、1か月もあれば大丈夫じゃない?」
「ほかの連載が……」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だって!」
編集長Wさんは終始笑顔でした
(これは憶測でしかありませんが、この仕事、他の漫画家たちに断られ続け、
最後の最後に 私に依頼が来た、そんな感じがずっと拭いきれませんでした)。
いま思えば、絶対に断るべきだった。
しかし、どうしても私だけの単行本、形になる喜びから、編集長Wさんと会話をしている間に、
だんだんと、「形になる」が大きくなり、2月末締め切りと言っていても雑誌ではなく、
描きおろしなので3月中旬までは大丈夫では、……なんて勝手にいいようにとらえ、
改めて200ページ描きおろしをすることにしてしまいました
(雑誌でも編集者は最終の最終の締め切りは漫画家には伝えません、
だいたい2,3日早めに締め切り日を指定します)。
「期待しているよ」と、笑顔で見送られたが、自宅兼仕事部屋のボロアパートに戻ってきたら、
やっぱり不安しかありませんでした。
ページ数が少ないとはいえ、当時、連載10本から15本程度抱えていて、
漫画、イラスト、文章で、だいたい50ページから80ページをひとり、
または知人のフリーな漫画家さんの助っ人Yさんでなんとかこなしてきた…。
今回、それプラス、2か月で200ページ。
……。
とにかく自分の初の単行本になるということで、とりあえずYさんに頼み、
他にフリーの漫画家さん2名、合計3名のスケジュールを抑えてもらった。
ちなみに、そのとき、私は40歳になったばかり。
20代の頃からお手伝いをしてくれているYさん(37歳)、
普段は連載作家O氏のところで専属のスタッフで働いてるTさん(39歳)、
たまたま、昨年末にO氏の連載が終了していて長期休暇中。
それから過去にも数回、お手伝いをしてくれたことがる女性Mさん(35歳)。
近くの家具屋で、折り畳み式の机と椅子の2セットを購入(1セットはすでにある)。
家賃4万円の狭い、狭いワンルームに、男3人に女性ひとり。
トイレの前に、常に大音響でラジオをかけっぱなしで、いざ、仕事に取り掛かる
(狭い部屋だとトイレの音に気を使います)。
私以外は、いろいろな漫画家さんたちのお手伝いもしていて経験豊富な人たちなので
安心して仕上げを頼める。とりあえず、最初にもらった100ページの原作をネームに起こすために
私だけ近くの喫茶店へ……。連載中の作品をYさんに頼み、Yさんの指示の元、
次から次へと上げていってもらう……。
漫画本というよりマニュアル本なのでとにかく、セリフが多い……。
それでもなんとか半日でネームを仕上げ、すぐに編集長Wさんに送る。
Wさんも締め切りが気になるのか、送った直後に「OK」の連絡。
とりあえず、何も考えず目の前の白い原稿だけを片付けていく……。
「エイ、ヤァーッ」である!
家賃4万円の狭い、狭いワンルームに、男3人に女性ひとり。
基本、毎日5日、来てもらって、1日休日で、また5日来てもらうことにした。
女性には朝9時から、夜8時まで、男性2人には朝9時から、夜10時までをお願いした
(とはいうものの、締め切りが近づくにつれ、徹夜、徹夜へと……)。
お互いのスケジュールに合わせて、男3人だけのときもあれば、男2人に女性ひとりも……、
しかし当然ながら私には休日なし。
群衆の人々、風景、消しゴムかけ、トーン……、
アナログな現場だった
(この翌年から、すべてパソコンでのフォトショップ、イラストレーションでの漫画制作に移行)。
私は連載仕事もあるので、そちらの仕事もこなしたりして、200ページ原稿は、私がラフを書いて、
Yさんの指示のもと、一気にペン入れもお願いした。
とにかく真っ白な原稿を埋め尽く作業だ。
下書き、ペン入れ、べた塗、トーン貼り……、
下書き、ペン入れ、べた塗、トーン貼り……、
下書き、ペン入れ、べた塗、トーン貼り……、
締め切りが超ハードだということを、みんな、理解してくれているので、ただ黙々と、みんな、
イヤホーンを耳に好きな音楽、ラジオを聞きながら手だけを動かしてくれている……。
感謝、感謝。
もう主な登場人物以外は、すべて彼らに任せた。
しかし、みんな、一生懸命頑張ってくれているのに、残酷にも時間だけは過ぎて行く。
性別、肌の色、年齢、身分……、差別だらけのこの世の中だけど、
時間だけはみんなに平等……、
いや、そんなことはない。
私たちがいるこのボロアパートだけは、絶対に、
世間の時間よりも早く進んでいる(ような気がする)。
私を含め、みんなの顔が、見る見る間に老けていくのが手に取るようにわかる。
そりゃそうだ、みんな寝不足なんだから。
労働基準法なんてここにはない。
あっという間に1月が終わった。
2月が始まった。
わかっていたのだが、2月は28日しかない!
原作者でもある編集者Wさんの残りの原作100ページもいまだ届いておらず……。
1日が過ぎ……、
2日が過ぎ……、
あっという間に1週間が経った!
(心の中では、編集でもあり原作者でもあるWさんの原作の遅れで、
漫画の締め切りも1か月は延びるな……、なんて思ってた)。
まったく仕事がないというわけではないので、ただ粛々と連載作品と
200ページ作品の100ページ分を仕上げて、編集長Wさんの速達を待つ。
気分は佐々木小次郎か、檀一雄か、はたまた岡村孝子か……、
……締め切りまで残り20日前後
マジかよ!
無理です!
もう無理です!
絶対に無理です!
お手伝いに来てくれているYさん、Tさん、Mさんからも全員、口をそろえて
「無理です」という力強いお言葉をいただいた。
…。
忘れもしません、2月6日。
その日は、ボブ・マーリーの誕生日で、1日中、
ラジオから「ノー・ウーマン・ノー・クライ」が流れていた。
「歌詞のように、そうだよね、ボブ、このまま突き進むしかないんだよね」
私は、「ノー・ウーマン・ノー・クライ」が流れるたびに自分にそう言い聞かせていました……、
なんて、ブ男が二枚目妄想しながら原稿に向かっていたときです……、
仕事部屋にピンポーン。
速達が来た。
差出人は編集長Wさん。
あぁ~~~。
編集長Wさんからの残りの原作コピー100ページが届きました。
「本当に、原作、来たんだ」
Yさんのひと言がおかしくて、おかしくて、みんなで大笑いしました
(みんな、睡眠不足のせいもあり……)。
私は、すぐに編集者Wさんに電話をしました。
「届いた、遅れてごめんね、そのまま描き上げちゃって大丈夫だから」
妙にあっけらかんとした編集長Wさんの声。
「えっ、えっ?、ネームを見なくて大丈夫ですか」
「原作通り、書いてくれたら大丈夫だから」
「……はい、で、締め切りは、本当に2月末ですか?」
「そう、そう、表紙は完成しているから、安心して漫画だけ作業に入って」
「……(いや、いや、残り20日で200ページ、安心して出来ないですから、
ほかの連載仕事もあるし、)」
「大丈夫、大丈夫~」
ガチャッ !
昨年の10月末に仕事の依頼を受け、締め切り20日前に
やっと200ページ分の原作が手元に来た!
しかも編集者、原作者のネームチェックなしでいきなり完成原稿を仕上げる。
絶対におかしいだろ!このスケジュール!
……やはり受けるべき仕事ではなかった。
もう笑うしかない。
締め切りまで20日あまり……、
残り18日、
15日、
10日、
8日、
5日、
……
「しっかりしてください!」
「しっかりしてください!」
「しっかりしてください!」
暗闇の中で、遠くから誰かが私の名前を呼ぶ……。
はっ!
私はみんなの声で気が付く!
……、
「……寝てた?」
私のつぶやきに頷くYさん……。
私はゆっくりと部屋を見渡し、現実に戻った。
どうやら私は机の前で寝ていたようだ……。
「あっー!」
私は大声を上げた。
今まで描いていた原稿が、私の机の上から消えている……?
原稿が消えた!
Yさんが冷めた声で、
「さっき目の前の原稿を、ふたつに折って、引き出しに仕舞いましたよ」
「えぇ~~~」
机の引き出しを開けると、本当に先ほどまで描いていた原稿が
きれいに二つ折りされ仕舞われていた。
「え、本当に私がやったの?」
「どうしちゃったのかなって、びっくりしました」
Mさんが心配そうに私を見つめる……。
まったく記憶にない。
……、
締め切り日、残り3日目……、
ここからスタッフには泊まり込みで手伝ってもらっている。
ようやく、私も細かい連載作品を終え、描きおろし作品に集中出来る。
下書き、ペン入れ、べた塗、トーン貼り……、
下書き、ペン入れ、べた塗、トーン貼り……、
下書き、ペン入れ、べた塗、トーン貼り……、
そして無能な私と、優秀なスタッフ男性ふたりと女性ひとりは禁断の作業に入っていく。
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
原稿をめくるたびにコピペ、コピペ、コピペ……、
まるでデジャブ状態。
ページをめくっても、めくっても同じ漫画絵の連続。
それでもストーリーが進んでいく。
大丈夫か?
まったく寝ていない……、
それでも締め切りに間に合うのか、どうか、わからない……、
うぎぃ~~~!!
パカラン、パカラン、パカラン……、
急げ!
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
バッフッーン
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
パカラン、パカラン、パカラン……、
バッフッーン
ヒッヒッ~ン
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
ハサミでカット、カット、カット……、
コピペ、コピペ、コピペ……、
半狂乱!
地獄絵図!
座りながら足がつる……、
もう何日も入浴していないので体臭が臭い……。
お腹は減っているが、ここで食べたら、必ず、死んだように眠ってしまうだろう、
いや、死んでしまうかも……
(そっと手首の脈を数えたりして……)、
又聞きだが、有名漫画家のスタッフのひとりは、徹夜仕事を頑張りすぎて、
早朝仕事終わり、先生、スタッフと朝食を食べに近くのレストランに行く途中、
倒れて亡くなったとか……、
また某編集者は徹夜仕事が終わり、早朝、タクシーに乗り込み、
自宅に帰る途中、後部座席で亡くなっていたとか……、
徹夜には気を付けろ!
どうして漫画家は徹夜をするのだろう……。
そういえば、20代のころ、パーティー、飲み会では、
みんな徹夜自慢をしていたなぁ……、
まるで勲章でも手にしたかのように……。
いまの若手漫画家たちも徹夜自慢をしているのだろうか?
(先日(2025年7月)、有名漫画家さんのお供で、S社の編集者たちと
居酒屋で話をしたとき、……って、いうより、漫画家を目指す若者が
全くいないとか……、さらにアシスタントなんて皆無だとのこと、
それに比べ、漫画原作者希望者は履いて捨てるほどいるとか……、
~漫画家の若死、アシスタントの薄給、過酷な労働環境~、
……製造業、サービス業からの情報社会になったお陰でもあるようだ、
聞けば、今や漫画家希望者の8割が女性だとのこと)。
……。
3 、4日、もうずっと頭の中が、ポワン、ポワンしてる。
大雑把に言えば、漫画家が頭を使っているのはネームを切るときだけ。
あとは作業だ!流れ作業だ!
時間との競争だ。
仕上げだ、仕上げぇ~。
だから徹夜作業も出来るのかもしれないが、やはり徹夜なんてしないほうがいい。
締め切り2日前の夕方、編集長Wさんから電話が掛かってきた。
「進み具合はどう?」
「スタッフ3人、がんばってもらっているので、なんとか(渡せそうですが)」
「それじゃ、明日3時ごろ、原稿を受け取りに行くからよろしくね」
「は、はい(本当に来るのか……)」
……、
電話を置いた私は、とりあえず完成しているコピペだらけの原稿を見た。
もう、ダメだ。
ひどすぎる。
目の前では、スタッフが寝ずに頑張ってくれている。
それでも、ひどすぎる。
はじめて自分だけの漫画で埋め尽くされた描きおろし単行本が、コピペ、コピペの真っ白け原稿。
最悪だ。
……、
もうこれは二度と描きおろしの仕事は来ないな(……案の定、来ることはなかった)。
ひどい……、
無名漫画家だからしょうがない…、
動きを止めたらその日が倒産の自転車操業の個人経営者だから
まともなスケジュールも立てられない…。
ここは、スッパリ、お金のためと割り切ろう
(悔しいけれど……)。
……。
200ページ、描きおろし、実際のところ、私が集中できたのは15日前後か……
(自分のオリジナルなら、いろいろ工夫が出来たのかもしれないが、
なんせマニュアル本……、セリフ重視だ)。
臨時できてもらった彼ら、彼女の3人のおかげでとにかく、全ページになんとか絵が入った。
「本当に、これで完成なんですか?」
みんなが心配してくれた。
「締め切りは今日の15時だから……」
目の前の原稿に手を入れながらボソボソ話す私。
会話をするのもかったるい……。
眠たい……。
……後悔だらけの人生だが、この描きおろし200ページほど悔しい思いをしたことはない!
私が描いた目的地までの道のりには、確かなる鉄製のレールが敷かれ、私の情熱は
その溝に沿って魂の爆音を響かせ一直線に走るはずだったのに……。
思いっきり希望は脱線した。
あぁ~、はじめての私の単行本。
「編集者都合の締め切りで、実際は1週間ぐらい余裕はあるんじゃないですか?」
長年の付き合いのYさんが優しいことを掛けてくれる。
「ボクもそう思うんだけどね……」
私はそう願った。
……。
15時少し前、飲み物とコンビニで見かけるケーキ類を袋いっぱい持って、編集長Wさん。
200ページの原稿を見て一言、いや、声が出なかった…。
「はじめのほうのページはしっかり描いているのに…、後半がね…」
絶句していました。
しかし編集者Wさんも原作が遅れに遅れたから、しょうがないと思っているのか、
それ以上、作品に対してなにも語らなかった。
初めての描きおろし単行本……、
思い描いていた先は、出来上がった200ページの単行本を自信満々に手に持って、
いろいろと出版社を回り、これからは、描きおろし漫画も描いていきたいと思っていました、
……原稿を上げる前までは!
今はただ、ただ、受け取ることさえも拒絶したい、書店、コンビニにも置いてほしくない!
受け取りたいのは原稿料だけ、……あつかましいけど。
お手伝いしてくれた3人に給料を支払わなければならないから。
本当にたまたま本の内容が気になって購入した読者がいたら、本当に申し訳ない!
土下座したい。
無名漫画家……、あせってばかりで、どうしようもない。
目の前のニンジンに飛びついてばかりで、情けない。
もっと、地に足をつけ、自分が納得するような作品作りがしたい。
何度も何度もネームを切り、何度も何度も下書きをして、納得のいくまで描き直す…、
妥協なき仕事が1度ぐらいしたかった……。
余裕のない人生は哀れだ……。
……握りこぶしに力入れすぎて、奥歯が欠けた。
★作者名掲載忘れました
有名漫画家には多くのファンがいるから、たとえ2ページしか掲載されていない作品でも
雑誌の表紙には、雑誌名より大きく名前が掲載されることがあります。
かたや、雑誌が発売され、中身が真っ白なページでは読者に失礼だから、
「とりあえず」漫画作品でも掲載しておこう、なんて思われる無名漫画家の作品では、
作者名が掲載されていないことも少なくありません(私の体験上、誤字、脱字も多かったですw)。
担当編集者からも、なかなか名前も覚えてもらえません。
世の中には、流行好きで、流行に乗り遅れまいとする
売れている作品、人物にアンテナを張り巡らせている人がいる一方で、
私のように売れている作品、人物には、それほど興味がなく、
自分の好きなものだけにアンテナを張り巡らせている人たちもいると思います。
世間から見ると、俗に言う「変わり者」ですね。
私の知る限りでは、無名漫画家、売れない漫画家好きの多くは「変わり者」たちでした
(行方不明漫画家、無名漫画家ばかりを集め、連絡を取り、彼ら、彼女らの
作品、文章を電子書籍にまとめているそくげろ古書店の店主には頭が下がります)。
その中でも突出した才能を持った人たちはマニアのファンが集まり
商業として成立するのでしょうね(よくわかりませんが)。
もちろん世に出るということは、他人と比べられるということでもあり、
その中で売れる、有名なっていく漫画家の才能、努力は凡人の私には想像もつきません。
私は、残念ながら漫画家稼業30年以上、無名漫画家として終わってしまいました。
悔いはありませんといえば、嘘になりますが、50歳を過ぎてから、
漫画を描くのが辛くなり……、体力的に無理なので、きっぱりあきらめました
(コロナ過も凡人にとってはいい理由になりました)。
無名漫画家30年以上という底辺から、出版業界を覗けたことは、
それなりに面白い人生だったのかなと、思っています。
とりあえずは漫画を描いて原稿料を戴き生活をしていた
プロ漫画家なので高い山に登った風景も見てみたかったですけどね……。
……残念ながら、私は無名漫画家でした。
無名漫画家、俗に言う「便利屋」、
または「売れている漫画家に執筆を断られた最後の砦」、
……出版社にとっては、
編集者も口には出して言いませんが、出版社の営業利益を生み出さない描き手……、
その程度の漫画家です。
その程度の描き手には、その程度の担当編集者がつくものです
(可笑しいですけど……)。
その昔、佇まいからして、まったくやる気が感じられない
編集者Nさんが私の連載担当になりまして……。
いつものように私のアパート近くのチェーン店で打ち合わせ、
いきなり自分の大失敗を
薄ら笑いを浮かべながら話し始めた編集者Nさん。
「先月、大失敗しちゃいましたよぉ」
「どうしたんですか?」
「今月号、○○先生の名前を表紙に載せるのを忘れちゃいましてね」
(注:○○先生、成人雑誌では有名です)。
「……」
「あわててね、○○先生の自宅まで一升瓶を持って土下座しに行ってきましたよ、あはは……」
編集者Nは、やたらと自分の失敗談を楽しそうに私に話しかけてきました。
……、
しかし今月号、私自身の作品の表紙にも私の作者名は掲載されていなかったのです!
私の目の前で、俊敏な対応をした「オレは偉いぞ」みたいな顔をしている
編集者Nにそっとつぶやきました……。
「……私の表紙にも作者名、なかったですよ」
「えっ!……マジっすか」
普段、どことなくのんびりとしている編集者Nさんが、周りをしきりに気にしだし、
目線は私に合わすこともなく、飲み干したお冷のコップを口に運んでは、
テーブルに置くこと数回繰り返し、
やたらと額を指先で触り始める……、
まるで逃げ惑う鶏のごとく、一気に挙動不審となり、
一刻も早くこの場から立ち去りたいという雰囲気がひしひしと私に伝わって来た。
「本人が確認しているんですから」
私がそういうと、
「あっ、すぐに自宅まで一升瓶を持っていきます」
と、編集者N。
作者名が掲載されなかったり、作者名の誤字脱字なんて過去にも、
他誌でも、たまにあったし、もうすでに便利屋の無名漫画家として
出版業界の片隅に座らせていただいているだけでありがたいとも
思っている身としては、私の作品が陽の目を見て、
原稿料さえいただれければいいと、しっかりと無名漫画家として甘んじていました。
だから一升瓶などの手土産など、最初から期待していません
(私は普段から酒は飲まないし、それほど欲しいものでもない)。
案の定、その後、編集者がそのことで、私のアパートを訪ねることはありませんでした。
むしろ最悪だったのは、このことで気分を害したのか、
いきなり電話で連載中止を言ってきたのです。
大地主様の判断なので、無名漫画家の私が食い下がってもどうしようもなりません。
「また、機会がありましたらよろしくおねがいします」と、私は電話を切りました。
……私(編集者N)が、担当でいる間は、ずっとよろしくお願いしますと、
連載を始めたのに……、6話で完結~。
★これが編集者と無名漫画家の関係です
掲載するはずの漫画2P、勝手に削られました!
これは本当に悲しかったです!
私としては非常に珍しい4コマ漫画を連載させていただいたときの話です。
某週刊誌で始まった私の連載4コマ漫画。
新連載ということもあり、初回は8ページいただきました
(4コマ漫画の場合、たいていは4ページ連載)。
4コマといえども、一応、キャラクター設定もあり、8ページまでの流れがある漫画作品です。
担当編集者も、その流れでOKを出していただき、作品を完成しました。
第一話目が掲載され、書店、コンビニに置かれました。
ちゃんと作者名も掲載されています。
―しかし!
8ページ描いて、担当編集者にしっかりと漫画原稿8ページを手渡したのに、
6ページしか掲載されていません!
……2Pはどこ?
もしかして、これは印刷所が私の漫画作品を紛失……
(しかし、作者に連絡なしに掲載……)?
私は、すぐに担当編集者に電話をしました。
「あ、あの……、描いた2ページが載ってないんですけど……」
担当編集者はあえて無表情に話してきました。
「○○さん(有名漫画家)が、2ページ多く描いてしまって、
原稿料は、ちゃんと8ページ分、支払いますから、安心してください」
「(あ、安心してください)?……はぁ」
読者にしてみれば、有名な漫画家さんの原稿が2ページ増しで掲載していたほうが、
いいに決まっているのだが、……作品を掲載した本人、無名漫画家の私にしてみれは、
4コマでも流れがあった8ページなので、8ページのまま読者に見せたかった。
本当に名前がない作家、雑誌の戦力になっていないというのは不憫である。
やはり8ページで描いているので6ページでは話の流れが変でした。
もちろん、その後の担当編集者との打ち合わせはどこか他人行儀、
一緒にいい作品を作り上げようなんて気持ちは掲載されなかった2ページとともに
消え去っていました。
担当編集者も私に原稿(しかも新連載しょっぱな)を勝手に排除したのが悪いと思ったのか、
打ち合わせでは、私のネームにダメ出しも、自らアイデアを一度も出すこともなく、
ネームを見せれば、毎回、「それでいきましょう」のひと言でした。
いつも、もやもやした打ち合わせでした。
さらに残念なことに、連載10回続かず、本誌自体が休刊になるという悲運。
……まぁ、そんなものでしょ、無名漫画家ですから。
運も実力のうちですから。
勝手に二次使用、三次使用、四次使用
作者には知らせず、こっそり再録、事前に掲載許可の連絡もなし!
掲載後の見本誌の送らない!しかも二次使用料も支払いません!なんてこともあります。
当時、大手出版社の編集者Kさんの依頼でコンビニ売りムック本の表紙イラスト、
本文イラスト(全頁の3分の1)を担当することになりました。
のちに聞いた話では、思った以上に売れ、聞くところによると
重版、重版で30万部以上だったとか……
(編集者Kさん担当のときは重版するたびに、連絡もいただき再録料として少額ですが、
戴いていました)。
その後も編集者Kさんとの関係はよく、何度も仕事をさせていただきました。
しかし編集者というのは会社員なので、年齢を重ねていけば?、とりあえずは出世していきます。
新人作家や無名漫画家などの担当から外れていきます。
編集者Kさんとは3年ほどで私の担当を外れ、新人編集者さんが私の担当となり、
大手出版社とのお仕事は続けさせていただきました。
それから5、6年たっただろうか……、ふと、書店で、私は目を疑いました。
私の表紙のイラストと本文イラストのコンビニ売りムック本が
そのまま文庫本として売られているではありませんか!
なに?なに?
な、な、なぁ~にぃ~!
出版元を見ると、編集が某編集プロダクションに移行しているではありませんか!
えっ?えっ?
購入するのもいまいましいので、速攻、帰宅して自宅のパソコンで、
某編集プロダクションから出された
文庫本を検索してみたら、なんと!
さらに豪華保存版としてもう一冊同じ内容の文庫本が出版されていることが判明!
すぐに編集者Kさんに連絡をしたのですが、退社してしまったとのこと。
そして電話口に出た編集長に、編集者Kさん担当当時、
表紙、本文イラストを描かせてもらったムック本が、勝手に文庫本で売られていたことを相談したら、
「二次使用料とか振り込まれていないんですか?」
「はい」
「それはいけませんね、その編集プロダクションに連絡してみてください」
との他人事。
早速、その編集プロダクションに連絡をしたら、
「担当者がいない」
「夕方6時には戻ってきます」
「後日こちらから連絡します」
……、
電話口であの手この手で真剣に取り合ってくれない……。
1週間近く、毎日、何度も、何度も電話してようやく、この文庫に関わった編集者が出て、
以後はメールでのやり取りに……
((会社を)出たり入ったりなのでメールでしてほしいとのこと)。
直接、会うことは出来ないのだろうか……?、
メールで謝罪文を送って来た。
しぶしぶ、二次、三次、四次使用料を支払うことに承諾。
……どうなってんだ、ここの編集プロダクションは!
……長かった、
面倒臭かった。
無名漫画家は、こんなことばかりだから本当に嫌になる。
……って、結局、 こんなことばかりで嫌になって、漫画家をやめてしまったんですけどね。
余談だが、ここの編集プロダクションは、私の周りの同世代の漫画家たちからも、
非常に評判が悪い。 過去には、過去の掲載作品の著作権を守るということで、
作家さんたちに著作権使用の契約書類1枚をFAXで送って来た。
私のところにも届きました。
……すぐに編集プロダクションから電話が掛かってきて
「サインだけして送り返してほしい」とのこと。
FAXのつぶれた文字でわかりにくかったのだが、下の方に小さな文字で
「二次使用は編集プロダクションのものとする」みたいな内容のことが書かれていた。
私は知人に聞いてみようと思って、書類はそのまま放置。
たまたま、後日、某出版社のパーティーがあり、
その編集プロダクションの著作権使用のFAXが話題になってた。
聞けば、劇画家の人がサインをしてしまったらしく凄く落ち込んでいました。
とにかく、そのパーティー会場で「サインはするな」という話になっていました。
また、ごく親しい知人のカメラマンAの話によるとカメラマンBが
ここの編集プロダクションと仕事をして、掲載して預けてあった写真を許可なく
二次使用されていて揉めたことがあったそうだ。
知人のカメラマンAは、ここの編集プロダクションと仕事をする場合、
「勝手に二次使用したら1枚につき15万円の使用料をいただきます」と一筆書かせているそうだ。
……、
また聞きだが、とにかくこの悪質な編集プロダクション、
某漫画家さんが腕っぷしのある人たち数十名を連れて編集プロダクションに
乗り込んだことがあるとか……
(詳しい内容はわからないので、あくまでも噂です)。
2025年、現在、お世話になった編集プロダクション、
ほとんどが見る影もない状態。
……中には本当に誠実な編集者も……、ひとりいた。
★金にルーズな 編集者の恐るべき結末
無名漫画家である私の趣味と言えば、深夜ラジオと中学時代から通っている
ライブ会場、ライブ喫茶通い。
中学時代から深夜ラジオを聞きはじめ、すでに30年以上。
70年代、世の中、フォークブーム……、深夜ラジオのDJもフォークシンガーが
多く番組を持っていました(いまはテレビで人気の漫才師が多いが……)。
のちに読んだラジオ関係者の書物によると、すべてはテレビへの対抗で、
テレビに出ないフォークシンガーを使い、フォークソングをラジオで流しまくり、
ラジオ人気を煽ったそうだ。
その仕掛け話が大変、面白かった。
(フォークライブ会場も、観客会場内に大きく十字にサクラを座らせ、
歓声、拍手で盛り上げると
自然と周りの一般客は高揚する……とか、
開始7:00にしておいて、10分、20分しても、わざと歌い手は
出てこない……。
出てこなければ、出てこないだけ客は盛り上がったそうだ。
……そうしてフォークソングをブームにまで盛り上げたなんて聞いたこともある。
……いまでは会場の使用時間がきっちり決められているので、
開始時間ピッタリに始める歌い手が多いが……)
そんな仕掛けに、中学生だった私はまんまとハマったわけです。
まさにヒットの陰に仕掛け人あり
(いまでいうユーチューブの仕掛け人たちの話も聞けば面白そうですね)。
ビートたけしがDJのやり方を参考にしたという泉谷しげるから、
よしだたくろう、つボイノリオ、谷村新司、バンバン、海援隊、あのねのね……、
さらには小椋佳(FM夕方放送)……、私はフォークシンガーというくくりがあれば、
ひとり部屋に閉じこもり、聞きまくり、中学2年生から学校の授業そっちのけで、
ライブ会場、フォーク喫茶に 入りびたっていた(笑)。
それから30年以上もたつのに好きなものが、変わっていないという
精神年齢の低さに我ながら驚きますね。
50歳にもなれば演歌でも聞いているような大人にでもなっているのかと思えば、
昨今では、シーアとか、フランク・オーシャンとか好んで聞いていたりする。
いやはや……。
音楽好きのおかげで仕事をいただいたことも少なくありません。
実際に、好きなバンドの話を編集者にしたら、
来日したときにライブ取材記事を描かせてもらったりしました。
だから私は打ち合わせのときも、好きな音楽のこと、映画のことなど自分が興味を持っていることを
編集者に話すことにしていました。いま考えると、それが無名漫画家として30年以上、
やってこられた理由かな……、と思うこともあります。
しかし、そんなPRが逆に、いい加減な編集者と出会うと苦労することにもなるのです。
今回は原稿料未払いとは違う編集者とのお金でもめた話を書き留めておきます。
あれは確か9年前の、とにかく暑い8月ごろだったと記憶しています。
とにかく日差しが暑く、 駅の改札を出ると日陰ばかりを選び、急ぎ足で、
打ち合わせの場所である喫茶店まで向かいました。
喫茶店の入り口を開け、編集プロダクションの編集者Dがまだ、到着していないことを確認すると、
ドアから一番目立ちそうな席に座り、お冷を持ってきた10代らしき男性店員に、
目を合わすこともせず
「アイスコーヒー」を注文。そして一気に、お冷を飲み干しました。
まもなくして、細身の編集者Dもやってきました……。
編集者Dとの喫茶店での打ち合わせ中、仕事の話もそこそこに、また、好きな音楽の話に……。
私はここぞとばかりにPR……、仕事の話以上に、身を乗り出して語り始めました。
「12月には、Yのライブに行こうと思っているんです」
「えっ、Yですか、ボクもYは好きなんですよ、一緒に連れてってくださいよ」
「マジですか……」
「えぇ、お願いしますよ」
「じゃぁ、チケット2枚、買っておきますので、一緒に行きましょう」
編集者とライブに行くのは初めてではありません。
編集者とのプロレス格闘技観戦、ライブ、試写会は何度もあります。
ただし、すべて編集者のご招待です。
(雑誌の読者プレゼントとして映画観賞券なんかは、編集者のデスクの引き出しに
30枚以上の束で入っていて、たまに編集部に行くと『何枚、いる?』なんて言われたものです、
ライブも編集者に連れて行ってもらえると、関係者入り口から会場に入り、
関係者ばかりの人たちの席で見るので、少し自分が偉く思えたものです。
それが無名漫画家にとっては、情けないことに快感でもありました
(……いまは少しは大人になり、なにものでもない自分にとって、
それはみじめなことだと知りましたが……)。
今回は、私がチケットを購入して編集者とライブへ……。
まぁ、毎月、顔を合わせて打ち合わせをしているので、問題はないだろうと、
思っていたのですが……、
それが編集者D、とんでもない男だったのです!
編集者Dと私のチケット2枚分、合計1万8千円(+手数料)をコンビニで支払い、
チケット2枚を手に入れた私は、早速、編集者Dに電話……。
「Dさん、Yのライブチケット、手に入れましたよ」
「ありがとうございます」
「チケット代(9000円)、お願いしますよ」
「当日、そのとき、お支払いしますよ」
「まだ、2か月、ありますから、次号の打ち合わせのとき、よろしくお願いします」
「あっ、実はですね、先月号でうちの雑誌、休刊になったんですよ」
「えっ、突然?」(実は版元が変わった)
「ほかの雑誌もありますし、また新しい雑誌も出るようなんで、
そのときには、よろしくお願いします」
「は、はい、あの…・・・チケットは?」
「じぁ、また、こちらから電話します」
ブツッ……。
いきなり切られました。
それから、一向に編集者Dの電話はかかってこない。
編集プロダクションからの仕事依頼の電話もない。
……。
不安になった私は、後日、すぐに、編集者Dのいる編集プロダクションに電話をしてみました。
毎日、電話をするのだが、編集者Dは出払っているとのことで捕まらない。
売れっ子漫画家なら、編集者の携帯電話番号を知らされると思うのだが、
無名漫画家の私はほとんどといっていいほど編集者の携帯電話番を知らないし、
知らされてはいない。編集部内の他の編集者にDの携帯電話番号を尋ねたら、
「のちほど本人から電話させるように言っておきます」
とのこと。
……もちろんかかってきたことはないが……。
内向的、小心者の私は、もしかしら編集者Dは私にチケットだけ買わせてバックれるのでは……、
と思い始め、毎日、そのことばかりが気になり出しました。
9000円程度、あきらめたほうがいいのか……、いや、貧乏な漫画家にとっては大金!
毎日、編集プロダクションに電話しました。
そして、なんとか編集者Dが電話先に出た。
「電話くださいよ!」
「最近、忙しくて、すみません」
「チケット代、頼みますよ」
「ライブ、いつでしたっけ?」
「12月20日です」
「12月20日ですよね、必ず、現地で」
「必ずですよ!」
「えぇ、それじゃ、いまから打ち合わせで、外出しますので……」
ライブ前日、編集部に電話をしたのだが、捕まらなかった。
嫌な予感は的中!
約束の12月20日、夕方5時ごろ、ライブ会場の前、チケットを2枚、手にもって待つ私。
続々とライブ会場に入っていくお客たち……。
開演5分前まで待ったが、編集者Dの姿はなく、私への携帯電話へのメッセージもありません。
私は、はらわたが煮えくり返るような思いで、何度も会場の外を振り返りながら、
ライブ会場へひとり、入っていきました……。
もちろん、楽しいはずのライブが、クソつまらないライブとなった!
素晴らしい演奏、歌唱力、メロディー……、ファンの熱気なのに、
編集者Dのいまいましい顔が 脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶの繰り返しで、
盛り上がりを見せるアリーナにいて私だけが、
何も聞こえない静寂のからっぽの世界……。
翌日、年末進行のクソ忙しい時間にも関わらず、私は編集者Dのいる編集プロダクションへ直接、
向かった。編集者Dのおかげで無駄な時間、無駄な交通費を使いっぱなしだ。
編集者Dにの顔を見たら、いきなりぶん殴りたい気分だ(暴力は怖いから、しないけど……)。
しかし編集者Dを目の前にしたら、怒りで声は震え、血液は沸騰し、冷静ではいられないだろう。
そんな気持ちを抑えて、抑えて、編集プロダクションがあるマンションへと入っていった。
……。
「えっ、編集者Dさん、先週、退社している!」
私に対応してくれたのは、過去に担当だった、いまは編集長のAさんの前で、
私は素っ頓狂な声を上げた。
「でも、2日前にこちらに電話したら、さっき、いたけど、いまは出掛けたとか……」
「あぁ、やめてからも、出たり入ったりしていたからな」
私は編集長Aさんに、編集者Dが行きたいといったライブチケットを立て替えたことを話した。
すると、とんでもない返事が編集長Aの口から飛び出した。
「あいつ、作家さんのお金も踏み倒しているのか」
「えっえぇ~~~、なっ、なんですか、それは!」
「あいつ(編集者D)、編集部内でもお金を借りたまま、今日は持ち合わせがない……だの、
今日は借金返済で……、なんて、言い訳して金を借りまくっていたのよ」
「みなさん、返してもらったんですか?」
「無理、無理……、だから、やめてもらったんだよ、ここをようするにクビだよ」
「みなさん、泣き寝入りですか」
「私も2万円、貸して、そのまま……」
編集長Aは、うわべだけ、私に「すまなかった」と、頭を下げ、
編集者Dの自宅番号を教えてくれた。
その夜、私は公衆電話から編集者Dの自宅に電話をした。
私の声を聞いたとたん、Dは腰を抜かさんばかりに驚いていた。
おびえた子犬のようなDの声が電話から伝わった。
Dは携帯電話ではなく、自宅の電話にかかってきたのが、よほどびっくりしたのだろう。
Dは、明日、必ず、午前中には私の銀行口座に9000円、振り込みますと口約束をしてくれた。
私は、何度も、何度も念を押した。
そのたびに、Dは、「必ず」、「必ず」を繰り返した。
お金を貸した方が、いざ、取り立てると嫌な気持ちになるのはなんでだろう……。
友人にお金を貸すと、友情とお金が消える、なんてよく言ったものだ。
なかなか眠れない朝を迎え、朝11時ごろ、近くの銀行に向かった。
なんども、のらりくらりと約束をすっぽかしてきた編集者D、
……、
私は、また、Dの自宅の電話番号と、テレフォンカードを数枚持って、ATMの前に並んだ。
8台あるATMの前に10人ほどの列ができていたが、私が並んだ瞬間、列は動き、
私はすぐに一台のATMの前にいた。
まだ、入金されていないだろうな……、
そんな気持ちから、このまま午後になる12時まで、並んでいてもいいんだけど、
なんて思っているときほど、ATMの列はスムーズに進む。
急いでいるときほど列は動かない。
時刻は、午前11時10分……、
私は、ゆっくりと通帳記入をする。
カタカタカタ……
記入している、
どこかの出版社からの振り込みか……、
編集者Dか……、
ス―――
記入された通帳が戻ってきた、
私は、ゆっくりと落ち着いて確認する。
(あった)
編集者Dの名前が書かれて、9000円、振り込みがしてある!
……長かった。
「はぁ~~~」
やれやれである。
「しかし」である……。
ここまでの話なら、友人、知人たちの間では、よくある話のように
思われる。
出版業界の闇の本質を見るのは後日である!
それから半年後、私は、とんでもない情景を目にしたのであった。
出版社Cからの依頼仕事で編集部を尋ねたら、なんと!
そこに編集者Dが編集者としてデスクに座っているではないか!
呑気な顔をして……。
まさに驚きの二度見である。
Dが務めていた編集プロダクションでは、社内での金銭的問題、
さらに生活態度に問題ありということで「クビ」を告げられたはずの彼が、
また編集者として仕事をしている。
私は、もう二度と彼には関わりたくないと思い、見て見ぬふりをした。
Dも私には関わりたくないと思ったのか、私から目をそらした。
編集部内は、連載をしていようが、日々、立ち寄るような場所ではないので、私は冷静を装い、
依頼をしてきてくれた編集者が案内してくれたテーブルの前に座った。
それにしても、某漫画家さんが言っていた、
「昨今の編集者は回遊魚だから」
本当にあちらの出版社からこちらの編集プロダクション、休みもなく泳ぎ回っている。
しまいにはフリーになって、ライターになったり、編集プロダクションを作ったり……。
無名漫画家が、誌面の隙間があれば、そこに入り込み掲載を狙うように、昨今の編集者は、
少しでも待遇がよければ転職する。
携帯電話、スマホの普及に伴い、出版業界の衰退は激しくもあり、チャンスも大きい(?)。
新人のころ、某大手出版社の編集長に、
「生き馬の目を抜く世界にようこそ」なんて言われたが、
30年以上、出版業界の崖っぷちに立たされ続けたがあながち、
その言葉、嘘ではないような気がする。
まぁ、どこの会社も組織も厳しいと思うけど……。
私は出版業界しか知らないけど、しかも先頭ではないので風当たりもそれほどでもないけど、
やはり無名漫画家、「無視」「見下されること」ことが多くて、正直、辛いです。
有名な漫画家に、
「商業誌に掲載していれば、絶対に誰かが見ているから、手を抜かずに頑張れ」と
励まされたことがあったが、漫画家稼業30年あまり、途切れなく雑誌、ムック本、
描きおろし文庫などに掲載していたけど、誰からも、「見ていました」
なんて言われたことがない。
30年以上商業誌で作品を発表し続けても、1度も読者から「見ていました」って言われなかったら
透明人間になれるような世界にならないかな。
40歳を過ぎても童貞だったら天使になれるように……。
ちなみに編集者D、出版社Cでも問題を起こし、その後、出版社Tに移って……。
それからすぐに、また出版社Tもすぐに退社したとのこと。
いまは音沙汰知れずです
(知人漫画家情報)。
★とある地方出版社のいい加減さにはあきれるばかり
今回は、描きおろし依頼の仕事が来たのに、私にネームと取材だけさせて、一銭も支払わずに
トンズラした地方の出版社のお話を書きます。
3年前の夏の日のことです。久しぶりに編集者Hさんから電話をいただいた。
編集Hさんとは元大手出版社に在籍して、私と大変ウマが合い、何度もお仕事を
ご一緒させていただいた関係である。私の力不足でヒット作には恵まれなかったが……。
3年ぶりぐらいの編集Hさんの声だ。聞けば、現在フリーで編集を続けているとのこと。
話の内容は、地方の出版社が漫画描きおろし本を出版するにあたり、
都内の漫画家を紹介してほしいとのこと。
……で、編集者Hさんが私を推薦してくれたということ。
もちろん、過去に何度も連載を持たせてくれた編集Hさん、しかもプライベートで、
映画の試写会、ライブにも一緒に出かけている、信頼が置ける編集者。
二つ返事で引き受けました。
実は、知人の先輩漫画家が、地方の出版社と仕事をして、あまりにも仕事内容が、
お粗末、理不尽、雑で、「もう二度と地方の出版社とは絶対に仕事をしない!」なんて、
激怒していたことを聞かされていて、地方出版社とは仕事をするなということを
言われていて少しきになってはいましたが……。
地方の出版社とだと、やはり頻繁には会えない。
連絡が面倒だな……、なんてイメージを抱いたが、
編集者が都内在住のHさんだから安心して引き受けた。
電話をいただいた翌日、都内の喫茶店で久しぶりに編集Hさんと再会。
近況を語り合い、すぐに仕事の話に……、
大雑把に内容を話すと……、
描きおろし漫画の内容は、作家Aさんがすでに出版している自伝的文庫を漫画にすること。
描きおろし漫画本は200ページ。
Hさんから作家Aさんの自伝的文庫を受け取る。
……帰宅。
何度も文庫を読み返す。
漫画にして、絵的に面白そうなところをピックアップ。
……、
1週間後、編集Hさんから地方の出版社の会長とデザイナー兼編集者が都内に来るとの連絡。
会うことに……。
都内在住の編集Hさん、作家Aさん、私と地方の出版社の会長とデザイナー兼編集者、
5人で都内の喫茶店で打ち合わせ。
編集Hさん以外は初対面。
……作家Aさんが、あきらかに私が有名漫画家ではないことに憮然とした表情をしている。
地方の出版社の会長さん……、いやはや、声がでかい。
イメージ的には小さな町工場の社長みたいだ。
……実は、私は声の大きな人が苦手だ。普段から酒を飲まないということもあり、
酒の席で大声を出す人も苦手なのだ。
先月まで都内在住でデザイナーをして、今月から地方の出版社にデザイナー兼編集として
就職したとのこと。そして驚いたことに、私が表紙から本文イラスト、漫画まで
描きおろしたムック本の デザイナーとして関わっていた(この業界は狭いなぁ~)。
喫茶店でキャラと大まかな流れを話し合う。
180ページまで自伝的文庫でまとめ、残り20ページを作家Aさんの最新取材記事を漫画にする。
打ち合わせの内容は……、
会長、曰く、いまの政権を批判していれば、ある程度、書籍は売れるということで、
極貧をテーマに取材をする。
昨今、コミックエッセイの需要が高いのでコミックエッセイ風にする。
デザイナー兼編集者さんは1ヶ月後に、また上京。
その間は、編集Hさんを中心に進行……。
締め切り、完成は、とりあえず、来年はじめには書店に並べたいとのことで、
……この時点では、はっきり締め切りを決めず。
以上。
……。
早速、自宅に戻り、キャラクター設定と、180ページのネームに取り掛かる。
それにしても、編集Hさんが同席したみんなに、
漫画家の私を紹介してくれた時のみんなの顔……、
とくに作家Aさんの落胆顔、凄かったなぁ。
顔に「知らねぇ、もっと名前のある漫画家を連れて来いよ」って、描いてあった。
自伝的文庫を読むと、「なにがなんでも絶対に有名になる」って、力強さを感じるもんなぁ。
私は、声の大きな会長とか、自己主張の激しい作家Aさんのような人はとても苦手なのだ……。
編集Hさんの話によれば、会長が作家Aさんを凄くお気に入りで、
今回のコミックエッセイ風自伝の企画が通ったそうだ。
それにしても、この先、スムーズに書籍までたどり着くだろうか……。
不安しかない。
有名で金銭的に余裕のある漫画家ならば、乗らない仕事は引き受けないんだろうなぁ……、
つくづく、無名であることがイヤになる。
……。
1週間後……、キャラクターとネーム180ページを持参して、
編集Hさんと都内の喫茶店で打ち合わせ。
「キャラクターは、ぜんぜんこれで大丈夫ですよ、これなら主婦にウケますよ」
「毎回、Hさんのアドバイスのおかげですよ」
私は編集Hさんを信頼している。
「ネームの流れも、だいたい良いと思います、あとは読者である主婦が読みやすいいように
こちらでセリフを削っていきます」
「よろしくお願いします」
諸々、細かい指摘はあったものの、この流れで、地方の出版社のデザイナー兼編集さんに
編集Hさんは何度も連絡を取ってくれ、電話連絡でのネームのOKが出た。
ゆっくりとしたペースで下書きに入った4、5日目だっただろうか、
編集Hさんから電話連絡が入る。
「出版社の営業の方から作家Aさんの自伝では売れないってことで、
作家Aさんの取材レポエッセイ漫画に移行するそうです」
「取材って、今から……」
「出来れば、私と漫画家さんと作家Aさん、3人で取材してほしいそうです」
「どんな取材ですか?」
「テーマは貧困で、貧困関連のNPO法人や、シングルマザー、貧乏な人たちへの取材ですね、
○○政権になった途端に貧困になった……、みたいな」
「本が出来るのは半年先ですね」
「……1年後かも」
すでに180Pのネームを作り終えていたので、かなりへこみました。
また1から……か……。
しかも取材も同行か……、面倒だな……、
作家Aさんとはあまり関わりたくないなぁ……が、正直な気持ちでした。
数日後、編集Hさんから取材日が決定したとの連絡。
取材先は都内にある貧困に取り組んでいる団体。
交通費も出ないし、もちろん会社員でもないので、その日の取材費も出ない……、
出るのは私の愚痴とお金ばかり……。
ポジティブに考えれば、次につながるような取材が出来ればいいのだが……。
……取材をすれば、やはり知らないことばかりで、それは、それで面白い
(出来れば、私と編集Hさんだけの取材で書籍を出したいぐらいだ)。
作家Aさんの取材漫画なので、もう少し突っ込んで聞けばいいのにと、
一丁前に思ったりするのだが、 私の取材漫画ではないので、無言のまま、
ずっと聞いていた……。
いや正確に言えば、 漫画にしなければいけないので、
資料として取材をしている姿の写真を何枚も撮り続けた。
それから、1週間後、2度目は貧困で悩む女性を取材。
ところが、どうしても私に締め切り仕事があり、行けなかった。
編集Hさんに写真をお願いした。
なんとかこのまま取材を続けていれば、1年後には、
私の新しいチャレンジ「コミックエッセイ本」が
出るのかな……、なんて、少しうれしい気持ちにもなっていた。
とにかく無名漫画家、なんとか代表作が欲しい。
依頼される仕事は絵柄を変えてでもチャレンジします。
ここが私のダメなところでもあり、いいところでもあると思っている
(器用貧乏で30年間以上、バイトもせずに出版業界の片隅で
生活をしてこられた)。
そんな臨機応変、優柔不断な私だから、
バイトもせずに30年以上漫画家生活を送れたとこでは……、
なんて思っている。
そんな中、取材を終えた編集Hさんから連絡が入り、後日、会うことになった。
都内のチェーン店の喫茶店。
平日の昼間だというのに座る席を探すのに店内をぐるりと
見渡さなければならないほどの混雑ぶりだ。
コーヒーカップをふたつ置いたら、あとは何も置けないような真四角なテーブルに
向かい合って座った 編集Hさん編集Hさんと私。
店内のレジで購入したコーヒーをテーブルの上に置き編集Hさんは、
少し呆れ顔で話し出した。
「……今回の貧困企画、出版は無理みたいですよ」
「えっ……、」
私は思わず、声が出た。
「昨日、取材した貧困女性なんですが、夢があきらめられないミュージシャンなんですよ……、
結局、働けってことですよ」
「(私みたいだ)」
私はふと下を向いた。
編集Hさん、少し難しい表情になって、
「作家Aさんは、今後もそんな人たちを取材するようですが、
根本的に取材対象が間違っているような気がするんですよね」
「……」
「作家Aさんは貧困ではないし……、なんか、貧困が作家Aさんを
着飾るアクセサリーに感じちゃうんだよな、……今回の企画」
「読者は主婦ですよね」
「出版社の狙いは、TVの芸能ネタが好きな主婦が手に取ってくれるような
コミックエッセイです」
……さらに編集Hさんは熱く語り始めた。
「デザイナー兼編集さんに連絡をしたところ、今回の企画は、最初、
自ら実際に貧困で苦しんでいる人から話を聞き、
それをコミックエッセイにしたいと会長に話したところからはじまっていて、
快くOKが出たので、さぁ取材だと思っていた矢先、会長から、
なぜか作家Aさんの書籍になることになってしまって……
(作家Aさんのゴリ押しがあったとようで……)、
とにかく会長が作家Aさんをお気に入りで、作家Aさんの書籍をうちの出版社から
出したいようなんだけど……、営業部の方から止められて、企画が一転、二転して、
たどり着いたのが作家Aさんの視点から見た貧困コミックエッセイ……だ、そうです」
私は正直に金銭面の話をした、
「毎週、毎週連載記事なら原稿料戴けるのですが、描きおろしで、毎週、取材となると、
ボクはお金の面でも無理です」
(すでにネーム180ページもひとりで切っているのに、タダ働きだし)。
「えぇ、元出版社に勤めていた者が言うのも可笑しいけど作家との仕事は、
ほとんど口約束って、凄い世界ですよね」
「同じことを言うようですが、連載ならいいのですけど、
1年かけての描きおろしは、ちょっと……」
「こちらも地方に住むデザイナー兼編集さん、来月後半に上京する予定だけど、
電話やメールでは細かい連絡が出来ないから不便、不便で……、
……面倒な仕事を依頼してすみません」
編集Hさんは、すまなそうに頭を下げた。
「大丈夫ですよ、過去にお世話になっていますし、
常々、気持ちの中では売れるような作品を描いて
Hさんに恩返しをしたいと思っているのですが……ね、まだまだ実力不足で……、
今回の件もHさんにすべてお任せしますから」
「そう言ってもらえるとありがたいです、とりあえず書籍に向けて頑張りますので、
引き続きよろしくお願いします」
とにかく編集Hさんは私のような無名漫画家にも、さらには作家Aさん、
地方の出版社にも気を使い、獅子奮迅の大活躍。
……、
―で、結局、デザイナー兼編集さんが上京して編集Hさんとの話し合いで、
この企画はなかったことになった。
これは私の感想だが……、
デザイナー兼編集さんは、貧困で苦しむ主婦たちのコミックエッセイを出版したい、
編集Hさんは、貧困で苦しむ人たちから金を巻き上げる貧困ビジネスの裏の闇を取材したい、
作家Aさんは、とにかく自分の名前を売りたい、
会長は作家Aさんを有名にしたい、
まさに今回の企画の船に船頭が3人も4人もいる状態だ。
……何度かお会いして、そんな感じがした。
私といえば、とにかく次につながる書籍を出したかった。
キャラクター設定、ネーム180ページ、交通費、諸々は支払われず……。
後日、デザイナー兼編集さん、編集Hさんからの
お仕事にならずにすみませんという一筆添えた手紙が来た。
お仕事をいただける、(ヒット作がない、無名漫画家)謙虚に接すれば、
見下してくる人ばかり。
―ま、世間なんてそんなものです。
★食い逃げ編集者
10年以上前の話です。
某編集プロダクションから新連載依頼の電話連絡が入った。
編集部内の企画漫画だ。
担当になる編集Oさんが、
「ランチでも一緒に打ち合わせ、どうでしょうか?」と、
言ってきた。
単行本が出ないような無名漫画家は、とにかく切れ目なく
来る仕事を一生懸命してこなしていかなければ生活出来ないのである。
一生懸命描いて、描いて描きまくって人並みの貧乏生活。
それが無名漫画家
(太宰治の人間失格に書かれている無名漫画家のように、
お客の酒で酔えれば、無名漫画家も、それなりに
日々、滑稽かもしれないが、私といえば、口下手、下戸……)。
無名漫画家、来る仕事拒まず!
「よろしくお願いします」
私は電話を切った……。
翌日お昼前、私は編集Oさんと新宿駅で待ち合わせることにした。
小太りで、目がチカチカするような派手な衣装、私同様ブ男なのだが、
髪型だけはビシッと今風、メガネもファッションとしての主張が激しい……、
ひと目で一般的なサラリーマンではないとわかる風貌の編集Oさん。
見た目だけなら、絶対に友達になりたくないタイプ。
「好き嫌いはありますか?」
(どうして、主張した服を着ている人は声がでかいんだろう?……苦手だなぁ)
「ありません」
私は笑顔で答えた。
「近くに美味しいカレー屋があるんですが……」
「いいですね」
……、
お昼時だというのに、店内はかなりすいている。
それもそのはずだ、お勧めランチを見ても最低でも2000円。
編集Oさんは、手慣れた感じでメニューを開き、
「ここのお勧めランチカレーが美味しいんですよ」と、
私に勧めた。
私は、編集Oさんの勧められるまま、お勧めランチカレーを頼んだ。
さすがに2000円のカレーだ。
名も知れぬ大衆食堂で運ばれてくるような少し欠けた皿ではなく、
ましてや使い古され皿に描かれた絵が擦れて消えかかっているような絵皿でもない。
見た目からして食欲を誘う品のある絵皿に美味しそうなカレーが運ばれて来た。
不味いわけがない。
独身、無名漫画家のお昼なんて、カップ麺か、贅沢しても300円前後の鮭弁だ。
失礼な話、20代半ば、しかも編集プロダクションなのに、
ランチ2000円はリッチだな、と思った。
しかし新連載、打ち合わせということもあり、
多少なりとも編集プロダクションからお金をいただいているな、と思った。
その昔、大手出版社の編集者さんから、
「正社員1年目から作家への接待費が許されるんですよ」と、
聞いたことがある。
某出版社では、新人編集者、1年目から接待費月1万円が支給されると聞いたこともある。
当然、出版社、役職、さらには作家の有名、無名、様々な違いによって接待待遇も違ってくる……。
プライベートで食事をしても、しっかり領収書をもらい、経理には
「作家さんとの打ち合わせしていました」と報告して、
バンバン経費として引き落としていると編集者は少なくないと聞かされた。
おかげで、いつも打ち合わせの対象となっている某有名漫画家さんは、
某出版社内では打ち合わせが好きな作家として有名だとか……。
某有名漫画家さんにお会いしたときに笑いながら話していました。
「編集者の話だと、オレ、毎週、銀座で打ち合わせしてることになっているよ、ははは」
某有名漫画家さんは金持ちなので、そんな編集者たちの行為を笑って許していました。
うらやましい限り……。
―実際、無名漫画家の私でも、連載の打ち合わせとなるとコーヒー代、
食事代は担当編集者の接待となる。
社内での打ち合わせでも、社内の缶コーヒーではなく、わざわざ近くの喫茶店の
美味しいコーヒーを出前してくれたケースもあった。
食事をしながら、新連載の打ち合わせをする編集Oさんと私、とはいうものの、
編集サイドからの企画漫画なので、実際のところ、
編集サイドからのシナリオが来ないと始まらないのである。
まぁ、ようするに今回は、名刺交換と顔合わせである。
とりあえず、1週間以内には編集Oさんが取材をしてきて、
すぐにシナリオをメールしますという話に落ち着いた。
あとは例によって、たわいもないバカ話。
そして事件(?)は起こった。
食事を終え、席を立とうとしたその瞬間である……、
「ごちそうさまでした、それじゃまた」
そういうと、編集Oさんは伝票を持たず、勝手にお店を出ていくではありませんか……、
「あっ、Oさん、ちょっと、ちょっと!」
「えっ?」
私は伝票を手に取り、編集Oさんに見せた。
「私、いま、持ち合わせていないんですよ」
両手を広げ、すっからかんのポーズを取って、私の前でおどけて見せた。
えぇ~~~!
お前が昨日、ランチでもしながら打ち合わせでもどうですかって!
電話してきたんだろうが‼
どうなってんだ、お前の頭は!
おい!編集O!
内向的な私は伝票を持って蒼ざめ、ただただ店内で立ち尽くすだけでした。
編集Oは、勝手にすたこら、お店を出ていくし…。
ランチに4000円以上。
無名漫画家にとっては信じられない贅沢すぎるランチ。
1週間近く、500円前後のコンビニ弁当が食える。
それをランチだけで……。
うぎぃ~~~。
もう目の前には編集Oはいない!
(逃げ足も速い?)
内向的で小心者の私は、常になにかあったら困ると思い
バッグの底に小さなバックを隠し持っていて、
そこに1万札を忍ばせている。
その小さく折りたたまれた1万札を震えながら開き、
伝票と一緒にレジの女性店員さんに支払った。
その瞬間、私の頭上に巨大ブラックホールが現れ、
美味しかったカレーの味を一気に消え去った。
らっきょの形さえも……。
もちろん、その後、編集Oさんに何度も打ち合わせと称し誘われたが、
二度と彼に会うこともなかった。
忙しいと断った!
運が良かったのは、連載半年後に、担当が新人くんに変わったことだ。
しかし私はそこの編集プロダクションの方々とは一切、ランチはしない。
担当が新人くんとの名刺交換、顔合わせでの喫茶店での打ち合わせも割り勘だったから!
4000円程度、だからお前は売れないんだって、
このページを見てくれた人は失笑するのだろうな……。
おまけ……
今回は、よく似た話を知人漫画家から聞いているので書きます。
知人漫画家Nさんは、私と違ってお酒が大好きで、
頻繁に繁華街にひとり、出かけていきます。
彼も私同様、単行本が出ない漫画家で、とにかく掲載漫画、数をこなして
生計を立てている無名漫画家。
ある夜、歌舞伎町をほろ酔い気分でひとり歩いていると漫画家Nさんに声を掛ける、
むさくるしい男3人組。
Nさんはすぐに、以前、お世話になった編集者だとわかったそうだ。
3人とも同じデスクの編集者……。
「Nさん、キャバクラ行きましょうよ、キャバクラ」
いきなり、ハイテンションで、そう声をかけてきたそうです。
聞けば、男3人、仕事帰り。
漫画家Nさんも、そのとき、編集者との飲み会なら、ここは出版社接待……、
だと勝手に思い込んだそうです。
はじめに結論のある人ほど恐ろしい人はいない。
男4人、それなりにキャバクラで楽しんで、いざ、お会計になったときに、
事件(?)が起きた。
編集者たちが口をそろえて、「Nさん、会計、よろしく」の陽気な一声。
お会計、男4人で9万円弱……。
「えっ、そんな持っていないですよ」
Nさん、一気に酔いがさめた。
「カード、あるでしょ」
「目の前にコンビニありましたよ」
編集者たちが呪文のように耳元で囁いたそうだ。
「オレ、ひとりが支払うの?」
「だって、ボクたち給料前で……」
「カードは?」
「面倒だよ、とりあえず、ここはNさんのカードで」
なんやかんや編集3人にNさんは言われ、責められ、仕舞にはお店の人にもせっつかれ、
コンビニでお金を下ろし、9万円弱を支払ったそうです。
もちろん、その編集者たちから漫画家Nさんにその後、連絡、仕事依頼、一切ありません。
漫画家Nさん、かなり知人の漫画家たちに愚痴電話をしているから、
この話を知っている漫画家さんも少なくないかもしれません。
漫画家Nさんも、私同様、漫画家歴30年近くにもなるのに誰もが知る代表作がありません。
編集者がいうところの、作家には二種類いる……、
「その場で縁が切れてもいい作家」と、
「一生お知り合いでいたい作家」
私たちは間違いなく前者だ。
★漫画家の契約書について
何度も書きますが、私の経験上、出版社がブラック企業ではなく、
出版社に取って生産性のない無名漫画家を、編集者が「見下している」
ただこの一点のみだと思います。
60年代のアメリカのフォークソングではないですが、
♪「弱いもの」がさらに弱いものを叩く、叩く、叩く~。
「弱いもの」ではなく「差別されるもの」と訳したほうが
正しいかも……。
会社、大学のセクハラ問題、
政治家の暴言、セクハラ、
大学生のヤリサー、
親からの児童虐待……などの問題も、
人が人を「見下す」からではないでしょうか?
報道でしかわかりませんが……、そんな印象を受けます。
とにかく漫画家は売れなければいけません。
「見下されます」
―確実に。
今回は契約書について
とある有名漫画家はとても勤勉家で、自ら契約書を作成して出版社との交渉をしているそうです。
あとから続く若い漫画家たちにも参考になるからと、契約書の書き方も教えています。
自分が売れたから、それでいいのではなく、売れていない漫画家たち、これから出てくる
漫画家たちのために漫画界の環境を少しでも良くしようとしている姿には、本当に頭が下がります。
ネットなどの情報では、最盛期には2兆円産業であった出版業界もいまでは1兆3千億だとか
(1兆を切ったとの情報も)……。
確かに出版社からではなく、電子書籍ストアから漫画依頼も少なくないとは聞いていますから、
……イメージ的には電子書籍ストアの方がきっちり契約書がありそうですが、
どうなんでしょうか?
(先日、電子書籍の取り次ぎ業者が作家さんへの支払い報告を偽装してなんて話が
ネットに出ていましたが……)
漫画家を退いた私にはわかりません。
出版社、編集プロダクションとの仕事を多くしてきた私の場合は、すべて口約束でした。
文庫、単行本、ムック本、電子書籍が出ることになってようやく、契約書を目にします。
底辺漫画家の私からしてみれば、出版社側が、どうしても描いていただきたいと
哀願する作家のみに有効のようです(私の経験上)。
知人で、私同様、無名漫画家もあまりにも原稿料未払いが多いので、連載を始めるにあたって
某編集者に、契約書をお願いしたところ、後日、あっさりと連載の話はなくなったそうです。
私も、知人の編集者たちに私のような無名漫画家が、契約書を持って来たらどうしますか?と、
聞いたことがあるのだが、笑いながら、
「見ることはみますけど……、面倒なことは(上に通したりと)やめましょう」の一言でした。
……、
編集者も忙しい?ので、面倒な無名漫画家はお断り……
(お前の変わりは巨万といるから、面倒は勘弁?って感じです)。
無名漫画家なんて、その程度です。
私の経験上、「オレって、本当に無名漫画家だな」って、いつも思っていたのが、
締め切りです。
締め切りがハードなんてものではありません。
ある日、お世話になっている編集者から電話。
「ムック本の表紙、1枚、お願いできるでしょうか?」
なぜ、はっきり覚えているかというと、編集者が早朝9時ごろに
電話を掛けてくることは、まず、ないからです。
午後出社の編集者も多く、(メール連絡がなかった時代)電話連絡は、だいたい午後からでした。
「どんな表紙ですか?」
「似顔絵です……」
「で、締め切りは?」
「今日の夕方までに欲しいのですが?」
「えっ!今日の夕方……、表紙ですよね?」
「はい」
表紙はその本の顔(とよく言われます)、しかもカラー。
なにがなんでもやりたいという感情に任せ、二つ返事をしてみたが………、
締め切りが「その日の夕方」というストレス(?)からか、まったく思ったように描けず、
提出してしまった……。
―がっかり仕事。
無名漫画家たる悪循環です。
この件について、他社の編集者の話によると、
「とにかく本を出すことが重要なんだから……。
出版コードを守るためには、再録漫画作品ばかりでも、
(失礼だけど)適当な表紙だろうが、
書店、コンビニに置かなくてはならない。
出版社、書店、コンビニ……、
まぁ、とにかく可笑しなルールがいっぱいあるから」
また他社の編集者からは
「とにかく3000冊、売れれば赤字にはならないから、
あの手この手、確実に発売する前に3000冊を売り切るための誌面作りしているのよ、
例えば、昔のヤンキーの集合写真を掲載してやると、その仲間たちが、
ある程度、確実に買ってくれるのよ、オレが出てるぜぇ~、
なんて喜んでくれてね……。中には、ひとりで10冊近く買ってくれてヤンキーも
いたりするわけよ、……自慢したいんだろうね」
ヤンキーとか不良とかは絆が強そうだから、
出版社にとっては金づるかな、なんて思ったりもしました。
まったく友達、知人もいない私なんて、私の掲載した漫画作品の雑誌さえ誰にも知らせないし、
PRもしないからな。
親しい編集者に言わせると、
「おそらく1か月前から有名どころの漫画家さんたちに
依頼しているが、断られ、断られ……、
一流漫画家はダメ、
二流漫画家もダメ……、
三流漫画家が保留で、締め切り間近になってやっぱりダメ……、
で結局、締め切り当日、五流漫画家に依頼が行ったんじゃないの?
よかったじゃん、仕事をもらえて(冗談だけど)」
だ、そうだ。
私もおっしゃる通りだと思いました。
無名漫画家=便利屋。
すそ野が広かった出版業界なら私のような五流漫画家も、名刺に漫画家なんて書くことは出来たが、
出版社は大手企業に抱きかかえられ、タケノコ状態で電子書籍ストアが乱立……、
スマホで映画が見られる時代。
娯楽の時間の奪い合い。
漫画……、
どこへ行く。
★「コンビニ売り廉価本再録にあたり1000円振り込みます」だって
少し前に出版社から「1000円、振り込みます」との通知はがきが来た。
過去に描いた私の漫画作品がコンビニ売り廉価本に再録されるとのこと。
……再録は一律1000円。
1P、1000円ではありません。
20ページ描いていても、30ページ描いていても、再録料は一律1000円(笑)。
源泉徴収、振込手数料など引かれ、650円程度が振り込まれる。
もちろん、再録していいですか?とか、作品を使わせてもらっていいですか?
などという連絡は作者自身にはない!
勝手に 「1000円、振り込みます」との通知はがきが来るだけ。
掲載本が贈られてくることもありません。
……、
別の出版社では、再録料一律3万円なので、出来れば、単純に、そちらのほうがうれしいが……、
再録はやめてもらいたい。
すでに漫画家をやめてしまった私にとって過去の作品など見たくもないし、
発表なんぞしてもらいたくないというのが正直な話である。
ニール・ヤングの言葉を借りれば「過去の作品を褒められてもうれしくもない」
もちろん、私なんぞは他人様に褒められるような作品を描けなかったから、
漫画家としてして存続できなかったわけだが……。
出版社側は、
「ほら、お前のくだらない漫画作品を掲載してやったぞ、ありがたがれよ」
なんて思っているのだろう。
まぁ、いまさら、私の漫画作品をまとめて電子書籍にして売りだしたところ、
話題になることもないし、……出来れば私の作品は静かに風化させてほしい
(再録料一律1000円だもんね)。
漫画家をやめてしまったのに、たまに作者の断りもなく再録されるのは
なんとかならないものか……。
漫画家全員が再録を喜んでいるのだろうか?
私の場合は単純で、最初の段階でただひと言、「再録していい?」って、メールでも、
電話でも連絡を入れてくれれば、「よろしくお願いします」と、返事をするだけだったのに、
毎回、毎回……、黙って、勝手に再録しているからムカつくのだ。
ひと言もなく勝手に再録されるのなら、やめてもらいたいお決まりの結末で、
編集部に電話をすれば
「ご住所がわからなかったもので……」(支払い通知は来るのにね)、
「当時の担当が退社していて……」(もう聞き飽きたって)、
もう、面倒だし、ムカつくし、イライラするし……、とにかく関わりたくない、
掲載前に「再録していい?」って、電話してくれればいいだけのことなのになぁ……。
余談だが、原稿料未払いの出版社の編集者5人以上に会い(そのうちひとりは2回もあって)、
直接、原稿料未払いの話をしたのだが、
「それは大変ですね、編集長に電話した方がいいですよ」
「経理に電話した方がいいですよ」
「編集長に伝えておきます」
……などなど、その場では対応してくれるのだが、それっきり。
編集部、経理に電話をしても「後日、こちらから電話をします」って、
言っておきながら電話が掛かってきたことなんぞ1度もない……、
電話をしても、なんだかんだではぐらかされ……、
だから直接会ってと思い、行きたくもない原稿料未払い出版社のパーティー、飲み会に参加して
編集者に直接、原稿料未払いのことを話しているのに……。
どれだけ無名漫画家を見下せばいいのやら……、
あぁ~、バカバカしい
(もう絶対に関わらない‼)。
なにかあれば、最後はお金で解決するからと思っているのだろう……な。
先日、久しぶりに私から、いまだ雑誌連載をしている漫画家さんに
連絡をしてみた。彼が言うには、彼の知人の漫画家たちもほぼ廃業状態。
マンションの管理人、清掃関係、介護関係が再就職先だそうだ。
漫画しか描いてこなかった人たちなので、日々、かなり精神的にきついようだ。
私も漫画だけを描いてきて、50過ぎてのバイト生活なので、その悩みはわかるつもりだ。
しかし、ゆっくりではあるが時間が解決してくれる。
途中、ぎっくり腰になり体力的にも凹み、大げさに言えば、生きる希望も見出さなかったが、
ゆっくりと、ゆっくりとではあるが回復して、またバイトに行けるようになった…。
人間は環境にならされる。
この漫画雑誌が休刊、廃刊で、紙文化が時代の片隅に追いやられている時代に雑誌連載をしている
知人の漫画家は凄すぎる、まさしくプロだ。
しかし、そんな彼も、内心すでに出版社には見切りをつけているとのこと……。
自分の作品も、これから続々と出版社サイドから電子書籍販売されるのだが、そのたびにカラー表紙を
「無料」で描かなくてはならないから、………大変でねぇ…
(原稿料がちゃんと発生して描く漫画と、売れたらお支払いしますっていう漫画では、
机に向かう「意気込み」みたいなモノが違うんだよなぁ~、なんてぼやいていました)。
編集者からの依頼が「無料でカラーページ(表紙)、お願いします」だ、そうだ。
出版社が発売する電子書籍用の表紙は無料……、原稿料が出ないのか……。
出版社側からすれば、「電子書籍販売してやるから、表紙のカラーページは勝手に描けや」って、
ところか……。
昨今、単行本印税も出ないが単行本だけは出す、出してあげる……、なんてケースもあるそうだ。
実際、彼の単行本も印税なしで出版されている作品もあるそうだ
(名前があるから、とりあえずまとめて単行本化、しかし最初は印税なし、
1万部以上売れたら印税が発生する……そうです)。
私の場合は3000部(印税×5%)で、1万部以上売れたら印税×7%契約がありました。
単行本、電子書籍が出たら、出たで……、編集者曰く、
「出してやったんだから、テメーのSNSでPRしろよ」
らしい。
いやはやである。
売れている作品は、出版社あげてPRするけど、発売して1週間で反応がなければジ・エンド……、
それまでだ、そうだ。
漫画家は、いまだもって編集者のいいなりなんだなぁ……。
いったい、いつになったら人と人として対等の立場で仕事が出来るんだ……。
私が雑誌連載していたころよりさらにひどい環境だな……。
いや、やっぱり売れないとダメな世界なんだと実感します。
先日、出版社関係のテレビドラマで、
情熱のある編集長が、休刊寸前の雑誌編集部にやってきて……、
やる気のない編集者たちを叱るエピソードがあったのだが……、
「お前たちは、漫画雑誌を売りたいと思わないのか?
もっと面白い作品を世に出したいとは思わないのか?」
編集者たちは間抜け顔で呟く……。
「……ボクたち、契約社員なんですけど」
うろ覚えだが、こんな内容だった、
……面白くもないが、印象に残るシーンだった。
日々、バイトに明け暮れていて、
すっかり自分が漫画家だったことも忘れてしまった(忘れようとしている)が……、
それにしても、久しぶりに雑誌連載をしている漫画家さんと話してみたが……、
(出版社って、その昔は文系の人たちばかりだと思っていたが、
いつのまにかIT関係者ばかりになりつつあるようだ……、文系の人たちの退社が相次ぎ、
IT関係者の中途採用が激しいそうだ。余談だが、その昔は警察関係者は
柔道、剣道、スポーツ部経験者ばかりのような人たちの集まりかと思っていたが、
昨今は、語学力(英語、中国語)のできる人材が必要とされ、語学力の強い高校、大学に
警察関係者が頻繁にスカウトに来ているそうだ……、
時代とともに職業も人材も大きく変化していくんだな……当たり前だが……)。
……以前、大手出版社の編集者から聞いた話だが、コンビニなくして漫画雑誌が売れない
15年前ぐらいか……、コンビニ関係者が漫画雑誌の内容に口を挟むようになり
出版社サイドの編集者の意見が通らなくなったなんて編集者さんがボヤいていたが……、
いまではご存知のように漫画雑誌はコンビニから撤退寸前……、いやはや……。
あっ、それから知人の漫画家、こんな話もしていた。
1ページ1万円で引き受けた仕事が、振り込まれたら、1ページ6000円になっていた……。
もちろん、口約束だが、最近は口約束も守れない編集者がいるって、私に激怒していた。
それでも愚痴らず、自分の仕事を一生懸命している知人の漫画家、
素晴らしいなぁ(って、私同様、無名漫画家、臆病だから編集者とは同等の立場で仕事は
出来ないだろうな……)。
無名漫画家の生原稿なんぞはゴミ以下です
すっかりバイト生活にも慣れた今日この頃……、と、いいたいところですが、
……30年近くも無名漫画家として目の前の締め切りを目指しヨレヨレと、
オロオロと、生活してきたリズムは、 身体が忘れようにも忘れられないようで、
毎朝、同じ時間に遅刻しないように工場に通うのは
とてもしんどいです。
月曜日から金曜日まで朝8時から夕方5時までライン作業をして、
基本、土曜日、日曜日、休日がお休みです
(実はシフト制ですが、年齢的にもきついということで、毎日同じ時間帯にしてもらっています)。
まさに判を押したような生活です。
漫画家だったときには考えられない生活です。
目の前に規則正しく運ばれてくる商品……、
すべてが機械で作動するのが早いのか……?
人が機会になるのが早いのか……?
工場にいると、とても人として危機感(生き方)を感じます。
しかし考えようによっては、この規則正しいリズムある生活は年齢的にもいいのではと
考えております。
基本5日間働いて、2日間はお休み……。
バイト先の20代若者たちは、仕事中によくあくびをしています。
……きっと夜更かしをしているのだろうと想像します。単純作業がとても退屈そうです。
私の場合は、仕事が終われば、自宅でゴロゴロ、休日は、完璧までに動きません。
知人も友人も恋人もいないので相手の時間に合わせて行動することもありません。
炎天下にさらされたアイスクリームのようにダラダラとなにもしない怠惰な日常です。
そんな無気力な時間の中にいると、過去に編集者、若手の原作者たちに
見下された恨みつらみもぼんやりとしてくるようです。
なにかのきっかけで腹立たしさを覚えることもあるのですが、
最近はどうでもよくなってしまいました。
休日のほとんどは読書、そしてネット……。休日は、1日中、
なにもしないという自由さを楽しんでいます。
ところで、最近、ネットニュースで目にした話ですけど……。
有名な漫画家さんの生原稿が ネットオークションに出品されてニュースになっていました。
大まかな流れは、 出版社側が漫画家の生原稿をテレビ映画関係者に貸したら無くなった……、
その生原稿が古本屋に持ち込まれ、古本屋がオークションに出品……。
こんな流れでしょうか?
(ネット上のニュースを斜め読みしかしていないので詳しくはわからなくてすみません)。
今回は有名な漫画家さんの生原稿の話ではなく、無名漫画家だった私の生原稿の返却話を書きます。
基本、連載が終了したりすると、まとめて返却されてきますが……、いまだに、
返却してもらえない出版社、編プロも少なくないです。
1度こんなことがありました……、
大手出版社の中には、誠意あるのかないのかわかりませんが、
「45話だけ紛失してしまいました、必ず、探し出してお送りいたします(担当○○)」
なんて一筆手紙まで入っていましたが、それから連絡はありませんw。
それもそのはず、数年後、退職していました(いい加減なものです)。
返却されてもこんな感じです。
たぶんですが、いまだに返却されない私の生原稿はおそらく紛失していると思います(?)。
困ったものです。
生原稿の場合、手元になくて、なにがイヤかといえば、勝手に再録する出版社、編プロが
いるということです。
当時、何度も、何度も勝手に再録するので、電話をして、ごっそりと返却してもらったこともあります
(再録するにも勝手にするからムカつくのです)。
さらに15年前ぐらいから、ほぼデータ渡しになっているので、
作者の許可なく勝手に再録されるケースが
増えていきました
(前回も書きましたが、10P描こうが、20P描こうが再録料、全Pで1000円だから、
さらにムカつきます)。
丁寧な出版社になると、データのDVDを返却してくれます
(編集者さんやデザイナーさんたちの仕事も見られて、とても勉強になります)。
さてさて本題ですが……。
私の生原稿紛失も困ったことなのですが、さらに困ったことは返却される生原稿の中に、
「他人の生原稿」が入っていることが少ないということです。
信じられないようですが、私は3回ありました。知人の漫画家さんも多く体験しています。
管理が杜撰というより、ひとことでいえば、無名漫画家の生原稿の扱いはゴミ以下ということです。
1年以上連載した作品の生原稿が1話ごとB4サイズの封筒に入れられ100話以上、
まとめて段ボール、宅急便で返却されます。
過去の作品に全くというほど興味がない私ですが、まぁ、とりあえず荷を開き、
過去の生原稿を見るわけです……。
漫画のセリフ部分は編集者が写植という文字をセメダインで貼るわけです。
それが返却される頃には剥がれていたり、原稿と原稿がくっついたりしています。
それだけでも昔の生原稿を改めて見るのは苦痛です。
……わぁ~、下手くそやぁ、
つまんねぇ~、
これは売れんわなぁ……、
なんて自暴自棄になりながらぺらぺらと原稿を確認していくと、
「ん?」
あきらかに他人の生原稿……。
私の連載作品の中に他人の生原稿。
管理ひどすぎ。
はじめて私の生原稿の中から他人の生原稿が飛び出してきたときは、
漫画家さんの大切な生原稿だ、これは担当編集者も漫画家(本人)も
困っているぞ……と、思い、即日、編集部宛て(私の担当編集者)に返却しました。
しかし、担当編集者からいつまでたっても受け取ったとか、
「ありがとう」の電話もなし(期待するのも嫌らしいですが)。
まぁ、連載が終わり、私との担当編集者との関係も切れ、生原稿が返却されてきたので、
よほどのことがない限り、私に担当編集者から連絡はないのでしょう。
「ありがとう」のひと言を期待した私がバカでした。
それ以来、もう二度と、他人の生原稿が入ってきたところで杜撰な管理をしている
編集部宛てには返却しないぞ!と、心に誓ったものですw。
と、いうより、もう二度と他人の生原稿が同封されるような編集部なんてないだろうと
思っていましたが……、
……また!
違う出版社の編集部から2回目の他人の生原稿を受けとるとは……、
しかもまるまる一話分。
本当に無名漫画家たちの生原稿なんてゴミ以下です。
さすがに2回目なので、性格の悪い私は……、
自腹で送料まで出して編集部宛てに返却してやるか!と思い、
私の生原稿とともに段ボールの箱に入れておきました。
……しかし、性格が小心者というのか、心配性というべきか、私は小さいころから、
他人とのものの貸し借りとが出来ない性格で、
他人のものを借りるのも、貸すのも苦痛で、
他人に自分のものを貸すなら、あげた方がいい、
他人のものを借りるぐらいだったら、後日、自分で購入したほうがいいと考えでした
(それぐらい幼少の頃から、他人と関わるのが苦痛でした)。
他人の生原稿が、私の部屋にあることが気になって、気になって、
日々、その生原稿が入っている段ボールを見ていました。
1ヶ月後、他の出版社(編集部)でしたが出かける用事があったので、
しぶしぶ、足を延ばし、私の生原稿に他人の生原稿を忍ばせて返却してきた出版社に
届けに行きました……。
受付の女性に理由を言って、置いてきました。
もちろん、その後、担当編集者から、そのことについてなんの電話もありません。
さすがに、3回目はないと思っていましたが、またまた、
私の生原稿の中に他人の生原稿……。
1回目と2回目とは、また違う出版社です。
さすがに、これは私への嫌がらせかと思っちゃいました。
…なんて冗談ですが、ここまで無名漫画家の生原稿は、どこの出版社でも
ゴミ以下に扱われているかと思うとやるせないですね。
とにかく、無名漫画家の生原稿なんぞは
ゴミ以下ということです。
★無名漫画家の知人が亡くなった……
祈らずには眠れない夜、ひとり 両手を合わせ 救いを待っている。
知人の無名漫画家が先日、50代という若さでひとりアパートで亡くなった。
私より1歳年下の彼。
彼も私同様、編集者にとって誌面を埋めるだけの都合のいい漫画家でした。
何度も、何度も編集者たちの理不尽な言動に対し、激怒し、私に電話をしてきました。
そのたびに私は自分のことを言われているようで、
「お互い無名漫画家は辛いな」
「いつか、売れような……」
と、笑って言い聞かせました(自分にも)。
酒好きだった彼、いや、酒を飲んでみんなとバカ話をするのが好きだった彼は、
漫画作品を描き上げると、朝だろうが、深夜だろうが、飲める場所を求めて、
靴下の裏にスクリーントーンの切れ端をつけたまま
仕事部屋を飛び出していきました……。
賑やかな場所、大げさに会話する人たちが好きではなかった私は、
あまり彼と直接会って酒を酌み交わすことはしませんでしたが、
ーなぜか、彼は頻繁に私に電話をしてきてくれました。
彼にとって、無名漫画家で、(彼にとって)聞き上手な私は
編集者への愚痴を話すのはとても好都合な同業者だったのでしょう。
彼はひとりでいることをとても苦手としていました。
私といえば、どちらかといえばひとりでいることがあまり苦に感じない性格。
「誰かと会話したくて……」
彼はよく電話で私に、そう話していました。
私は昔から、自分の悩み事さえも他人に打ち明けることもなく、というより
悩みを打ち明けるほどの知人、友人も出来なかった、つくれなかった。
他人に自分のことを語るのは苦手だった。
気難しさが原因で(絵にかいたような)青春時代は私にはなかった。
他人と向かい合えば、どうしても、常に聞き役になってしまう。
……聞き上手なんていうのではなく、とにかく私は他人に自分をさらけ出せないのである
(漫画家になるには自分のお尻の穴まで読者に見せることなんていう
編集者さんもいましたが……それが正解なのか……、ヒット作も生み出せない
無名漫画家の私にはわからないですが……)。
彼が大病になったのは、昨年末でした。
彼から直接電話で聞かされました。
50代で、私同様、ひとり暮らしだった彼は食生活はめちゃくちゃでした。
ほぼ毎日菓子パンとコンビニ弁当、外食だった(らしい)しかも酒好き、愛煙家。
起きたい時間に起床し、寝たいときに就寝……、
年に1度の市の健康検査も破天荒な漫画家らしく?
1度も行ったことがない(……小心者の私は必ず行く)。
それでいて椅子に座り続けてなんぼという漫画家……。
お互い健康だったときには、「今日は30歩程度歩いたかな」なんてことを笑いながら、
不健康自慢をしたこともありました。
彼とは20代ごろ、出版社のパーティーではじめて出会いました。
とにかく彼ときたら、パーティー会場でも飲むわ、食べるわ、話すわ……、
仕舞にはその場で口から糞でも捻り出しそうな勢いなのである。
まさにタダ飯、タダ酒なら飲食しなけりゃ損、損って感じだった。
出版社のパーティーは見た目の華やかさとは真逆で欲望のドロドロマグマで、
見る人によっては地獄絵図だ。
親しくさせてもらっていた編集者が言っていた……。
「漫画家のパーティーとは漫画家にもっと面白い作品を描けという
圧力を植え付ける場でもあるんだよ」
「格差社会、ジャパニーズドリームを売れていない漫画家たちに
見せつける場でもあるんだ」
確かに、売れっ子漫画家たちの周りに編集者や有名漫画家たちが群がる、
無名漫画家たちは編集者にも声を掛けられず、ただただ会場内をまるで目隠しをされた
鬼のようにウロウロ彷徨うばかりだ。
10代でも売れている漫画家には次長、部長、編集長たちが揉み手をしながら寄ってくる。
50代でも無名漫画家なら10代の編集者さえも挨拶には来ない。
20代前半で大ヒット漫画を世に送り出した漫画家が長椅子ソファーにひとりで
ふんぞり返って、4、5名の編集者たちが、その周りでペコペコへらへらして
気に入られようとしている場面を、パーティー会場で目撃したこともある。
人に気に入られようとする人たちを見る機会が多いパーティー会場は、本当に息苦しい。
20代の頃、巨匠と呼ばれる人たちから「漫画家とは営業なり」という
暖かいアドバイスをいただき、出版社のパーティー会場に名刺を持参して
出かけたりもしたが、……営業の前に、「売れていなければ」話にはならない世界で
あることを知らされた。
とにかく無名は見下される。
認められたかったら売れろ、くやしかったら面白い作品を描け、絶対に商業的に成功しろ!
面白いことに無名漫画家たちほど並んだ食事のほうに寄ってくる。
招かるざる客だと気づかされた無名漫画家たちは、まるで海岸に生息するフナムシのように
ザワザワと豪華な食べ物を乗せた皿や飲み物を持ってパーティー会場の隅に集まるのである。
私と彼、無名漫画家同士、はじめて出会ったパーティー会場の端の端……。
皿にこれでもかというほどのレアな肉を乗せ、ひと目も気にせず、肉を口に運び
ひとり立っていた彼w。ふとしたきっかけで会話をしたら、
それがまた、面白い具合に気が合うのである
(お互いの中に無名という共感、他者を見いだしたのかもしれない……)。
会話好きで、武骨で、ある意味無神経な彼、私としては、彼のざっくばらんな会話を
聞いていればいいのだ。私としては気遣いをしなくて気が楽な相手だ。
仲間意識を前面に押し出している漫画家たちも裏でなにを言っているかわからない。
私は何度でも漫画家たちが売れっ子漫画家たちの批判を耳にしたこともある。
出版社主催パーティー、飲み会に出席したたびにSNSで、帰宅後、
「お疲れさまでした」「また飲みましょう」なんて、
親しくもないのに気を使いあうのが、私はどうにも好きではない。
自虐的?かもしれないが。パーティー会場で知り合った私同様、
無名漫画家なんて、連載を持っていない、有名ではない漫画家には興味がないから……、
私の体験上。
……集まりや飲み会が好きではないという私の個人的な僻みなのかもしれないが……、
どうにもこうにも労う関係が、どうにも居心地が悪い。たまにメールで、
最後に「ご自愛ください」なんて書かれるのも背筋が凍る思いなのである。
その点、彼はといえばSNSもやらなければ、パソコンも持っていない。
その場で、思いっきり言いたいことを言ってその場で、「じゃあまたね」だ。
自宅にひとりもどって、今日は楽しかったねなんて文字に起こさない。
こう見えてもといってもなんだが、私は意外と他人に対して気を使う方で、
と、いうより小心者で、人と会うと、決まって後日、人疲れしてしまい
「なんで、あんなことを言ってしまったのか?」
「どうしてあんなことをしてしまったのか?」
なんて考え込んでしまって一日中頭を抱えるハメとなる。
2、3日は自宅に籠り、セミのような空っぽの抜け殻になってしまう。
だから、私はSNSで自分の思ったことを呟けない
(だからSNSは手が出せない)。
彼と会話したあとは、なぜか、
まるでスルッとウンコが出たようなスッキリ感がある。
モヤモヤした気持ちもなく、何も気にせず帰宅することが出来、
翌朝も、なにもなかったかのように一日が始められる。
シンプルに考えると、彼は愚痴を吐き出す、私は共感しながら聞く。
……そんな関係か……、
彼も私も「こんなことを言ったら嫌われるだろうか?」
「怒られるのでは?」なんて考えず、お互いの前では、
まるで幼少の頃を知る仲良し兄弟のように
言いたいことはその場で言えていたのだろうと思う。
そんな彼が居なくなるなんて……、
もう二度と彼からの電話が掛かってこないなんて……。
……。
内向的な私は、漫画家になってから知り合った漫画家の(名刺交換した)知人には、
誰ひとり、自分から電話やメールをしたことがない……。
パーティー会場で名刺交換した漫画家、ほとんどの人たちは無名漫画家の私になんかに
興味がないからメールや電話はしてこない。
たまにメールが来たなと思えば、会費が必要な割り勘要員としての飲み会の誘いか……、
はたまたグループ展などのイラスト、同人誌のイベントのご紹介だ。
唯一、頻繁に私に用事もなく電話をしてきてくれたのは彼だけだった。
用事がなくても気軽に電話が出来る、訪ねてこれる、なんていうのが「友だち」と
呼べるなら、彼は私にとって大切な「友だち」だったのかもしれない。
……そんな彼の声がもう聴けないなんて。
……。
なにもかもが後の祭りだが、もう少し、私からも電話をすべきだった。
他人と関わりを持ちたくない、内向的な性格が非常に悔やまれる。
……。
もっと、もっと、もっと、私からも電話をすればよかった。
……。
5年前ぐらいから、原稿料未払いなどで一気に漫画家を持続していく気力がなくなり
(50歳を過ぎて体力的にも)、さらに紙の出版から電子書籍への移行のため
雑誌が次々に廃刊となり仕事激減に伴い、私は、キッパリと漫画家をやめ、
バイト生活に入った。彼もまた、仕事激減で苦悩の日々が続いていた。
50過ぎの無名漫画家の居場所は紙雑誌の世界にはほとんどなかった。
出版業界の崖っぷちの端の端……、私と彼は、お互い笑いながら、愚痴を言いながら、
泣きながら、両手で捕まっていたのだが…、私が先に手を放した。
……。
私が慣れないバイトで疲れ帰宅してもお構いなしに2時間、3時間と持ち込みをして
若い編集者に見下された話を私にぶつけてきた。
私は彼の漫画に対する情熱にいつも驚かされた。
50歳を過ぎても新作を作り持ち込みをしていた彼。
原稿料が出るのか、出ないのか、
雑誌掲載するのか、しないのか……、
はっきりしない立場で、50歳を過ぎて新作は描けない。
私には体力的に無理だった。
私は彼ほど漫画に対して情熱はない。
私は売れる漫画を描きたかった、ブームに乗りたかった。
彼は自分の描きたいビジョンがしっかりしていた。
お互い無名漫画家と失笑していたけど、私こそ出版社の奴隷で便利屋で、
価値のない無名漫画家だった。
……。
彼には漫画の情熱があったが、彼は作家性を必要とされない雑誌で
多く執筆していた(人によっては実力不足というだろう)。
漫画に対してやる気のない編集者(実際に彼を担当した編集者はすぐに転職する人が
多かった)と、漫画に対して熱過ぎる漫画家……。
決して交わることはない油と水。
キャラを作り、ドラマを描き、ページをめくるドキドキ感、ワクワク感を
盛り込みたいのに、いつも編集者の指示は
「原作の通りに書いてください」
「漫画が描きたかったら少年ジャ○プやヤングジャ○プに行ってください」
本当につらかっただろう。
……。
……彼が受け取る原作といえば、どこかの新聞、週刊誌の事件記事を
簡単にまとめたものか……、どこかの酒場で聞いてきた一方的な武勇伝……。
彼の同級生には刑務官や警察関係者がいて、彼の描いた、いや描かされた
犯罪漫画を見て爆笑、「盛りすぎだろ」「取材しろよ」って
いつもあきれられていたそうだ。
ハッキリとモノを言ってくれる同級生たちに、漫画家として認められなかったことも
悔しいって言っていた。
もっといろいろな角度から取材した事件モノが描きたいって……、
(知人の編集者にアイデア、ネームを出すが、その場では
「面白そうですね、上に相談してみます」と言ってくれたが、
いつも返事なしだったそうだ)。
いつかオリジナルで描きたいって……。
描きたい作品と描かされる作品……。
……。
昨年、平日の15時過ぎに彼からの電話。
「大病になっちゃった……」(彼から病状を詳しく聞く)
「えっ、実家に戻って療養したほうはいいよ」(彼の両親は健在)
「ちょっと本屋に行くにも母親に車を出してもらわないといけないかから、それがイヤで……」
(彼の実家は山奥)
「いや、いや、そんなひとり暮らしで朝夜逆転している生活なんて絶対に身体に悪いって、
しかも食事もインスタントばかりなんだろ……まずは療養だろ」
「……わかっているんだけど、今月末、知人の編集がオレの作品を見てくれるんですよ」
「えっ、漫画描いているの?」
「うん、持ち込み用の……」
「いや、いや、いまは病院だろ」
「病院は週2で通っていますよ」
「……漫画って体力使うだろ?、大丈夫か?」
「仕事もなく、お金もなくて……、最近、誰とも話していなくて…、
漫画でも描いていないと気が狂いそうなんですよ」
私は返事に困った……。
「月末に知人の編集者が新作を電子書籍にしてくれるみたいなんですよ」
「新作を電子書籍、凄いじゃん」
「なんかスキャナを貸してあげるから、データにしてくれって……」
「おい、おい、お前、パソコン、持っていなじゃん……」
「よくわからないけど、電子書籍にしてくれるって……」
「原稿料は?」
「電子書籍販売して1万円以上売れたら、お金が入るみたい……」
「原稿料なしで新作で……、パソコンもフォトショップも使えないお前に
電子書籍にしてやるから、新作漫画のデータをくれって……、
むちゃくちゃな話だって!もう一度、その編集者と話し合ったほうがいいって」
「……少しでも作品を見てくれる人がいれば」
「そりゃそうだけど、パソコンを持っていないお前にスキャナを貸すから
新作漫画のデータをちょーだいって可笑しな話だって、
いまは実家に戻って療養したほうがいいって」
「週2で病院通いますから……」
頑固過ぎる彼。
私は何も出来ない……、やはり彼の「愚痴」を聞くだけしか出来ない。
……。
それからしばらくして、すぐに彼から電話が来た。平日の12時過ぎだった。
「ははは……、寂しくて、また飲みに行っちゃいました」
「えぇ~!医者に酒、ビール、タバコは禁止って、言われているんだろ……」
「そうなんですよねぇ……、でも飲みに行っちゃって……、朝まで。
で、今日午前中、病院に行かなくちゃ行けなかったんですけどね、……起きたら昼でした」
「意思弱すぎだろ、やっぱり実家に戻れって」
「父親とうまくいっていなくて……、オレの顔を見るだけで喧嘩腰だから…」
「自分の部屋があるんだろ、引きこもり、引きこもり……」
「近くに本屋もコンビニもなくて……」
とにかく彼は大病にも関わらず、絶対に病気を治そうという意思が
こちらに伝わらず、私はとても歯がゆい気持ちになった。
……馬鹿野郎!
生きてこそだろ。
……。
喫茶店で編集者が、彼の描いたネームの上にお冷を置いたままバカ話。
水滴が落ち、彼の一生懸命描いたネーム用紙が、びちょびちょになったので、
やさしく注意したら、ふてくされた編集者……。
その編集者の態度にムカついて電話をしてきた彼。
原稿料がいつまでたっても支払われなかったので、編集者に催促電話をしたら、
彼の本名の名前(漢字)が読めなくて、間違って申告(カナ表記してあるのに)…、
原稿料をそのまま放棄していた編集者……。
編集者の怠慢な態度にムカついて電話をしてきた彼。
再三、「原稿落ちますよ」と電話催促してきて徹夜、徹夜で原稿を仕上げ、
速達(自腹)で届けたのに……、3日後、用事があり、編集部を尋ねたら、
催促されて送った原稿が、封筒も開けられず、担当編集者のデスクの上に置かれていたと……、
3日後ですよ、送ってから3日も立っているのにと怒りの電話をしてきた彼。
たった3ページの漫画に、情報だけびっしりのわら半紙6枚分の原作、
しかもその情報を全部入れてほしいとの依頼に……、ブチ切れて電話をしてきた彼。
持ち込みに行ったら、20代の若い編集者が
「最近、売れている漫画、読んでいます?」
「売れている漫画をもっと参考にしてください」
……発狂寸前、怒りに震えながら電話をしてきた彼。
「オレの描きたい漫画は……」延々と彼の漫画論を聞かされる羽目に。
打ち合わせだと聞いて、夜の街に出掛けたら編集者二人分の
飲食代を支払わされたと……、激怒して電話して彼。
……その後、その二人が出版社を退社したことを知り、さらに大激怒して電話してきた彼。
ネームもOK、完成原稿もOK。
掲載された作品を見たら、一番盛り上がるシーンが真っ黒にベタ塗されていて、
さらに大ゴマのシーンが縮小され、横に変な広告が入れられていたと……、
すべて勝手にやられたと憤慨して電話をしてきた彼。
3日後締め切りで18ページの依頼(無名漫画家にはよくあること)……、
編集者に背景の資料を請求したら、すぐに届けますと言ったのに連絡なし……、
資料がなければ締め切りまでには出来ないって電話で伝えたら、
編集者がブチ切れ「裁判するぞ」と恫喝!してきたとか……、
で、彼も(怯えながら)ブチ切れて背景を「適当」に描いて無理矢理仕上げる……、
憔悴しきった声で震えながら電話をしてきた彼。
……まだまだ彼からの怒りの電話はあるのだが、
ここらへんで。
もちろん、怒りの電話ばかりではない。
それ以上に楽しいバカ話もいっぱいある。
彼は話好きで、面白くて、(私にとって)いい奴。
友だちだ!
無二の親友だ。
生まれてはじめて私にできた友だちだ。
お互い、仕事も順調だったころは、出版社主催の飲み会、パーティーでちょくちょく会っていた。
無名同士で、こんな漫画が描きたい、あんな漫画が描きたいって語っていたが……、
いつも最後は、こんなひどい漫画、商業誌じゃ掲載できねぇ~よで、バカ笑い……。
腹がよじれるまで笑った。
彼は、もうこの世にはいないけど、肉体と心(人格)は消えてしまったが、
彼の魂、彼との思い出は私とともに生きる……。
PS
……チャック・ベリーが亡くなった時、「キミがチャック・ベリーか」と言って
ベートーベンがチャック・ベリーを天国に招き入れてくれた海外の漫画が
掲載されていたが……、
漫画好きな彼もまた、漫画の神様に、そっと手を差し伸べられ
天国に招き入れられていたらいいなぁ……。
余談だが、彼の孤独死、ゴミ屋敷、漫画家、生ポをテーマに
フリーターが面白おかしく彼の話を編集者の話を
聞いて?、描いてくれたこともあり、彼を知る人たちがSNSで合掌してくれた.
しかし、彼をよく知る友人、知人たちの話がまったく出ていなかったので
残念だった。
……なくなる寸前、やはり、もう漫画は無理だと自分でも
判っていたのだろう、チャンスを戴ければ漫画を描きたいという気持ちは
十分あっただろうが……。
そんな彼が、ほんの少し脇道を歩み出した話をしておこう。
彼女いない歴年齢の彼は女性に対し貪欲でもあった。
とにかく知り合えば、ジェットエンジン搭載のイノシシの如き猛アタック!
……キャバクラの話を沢山あるが、ここでは遠慮しておき、
彼の最後の片思いの話を書いておこう。
某漫画家(舞台にも出演経験あり)の誘いで小劇場の舞台を見に行った彼、
終演後、楽屋で知り合った女性、社交辞令、次回の舞台の勧誘PRのため
彼女とメル友になる……、
イノシシ、いや彼は、早速、毎日、メール攻撃?、
彼女も舞台を見に来てくれるならと?、必ず、返信が来たそうだ。
そんな折、彼女の紹介で中国の(自主)映画監督の作品に出演する羽目に……。
ピチピチの衣装を着されられたバーテンダー役の彼が
フィルムの中で生きている。
彼、実は映画好きで他にもエキストラ経験あり。
……晩年、漫画家と役者、二足の草鞋、いいなぁ~、なんて
言っていた彼。
ー50代は若する。
★無名漫画家の原稿料
30年前、1988年頃、私は漫画家として雑誌デビューしました。
そのときの漫画原稿料は1P8000円でした。
当時、先輩漫画家たちから、「ここからが漫画家生活がスタート、
この原稿料が新人の最低ライン、これからはどんな漫画を描こうが、
原稿料は下がることはないから」と言われたことをはっきりと覚えています。
確かに、ヒット作もないけれど、地道に切れ目なく
10年、20年、30年と這いずりながら漫画家生活を続けていたので、
原稿料は少しずつですが上がっていき、最高のときは1P3万円以上出してくれた
大手出版社もありました
(凄くうれしかったです、もちろんめちゃめちゃ力入れて描きましたw)。
しかしバブルがはじけ、一向に景気もよく成らず、
雑誌休刊が相次いだ2010年頃、ついに1P7000円になってしまいました。
原稿依頼してくる編集者の第一声が、「原稿料安いけど、漫画、お願いできますかね……」
判を押したようにどこの出版社、編集プロダクションの編集者たちも言ってきました。
このころ編集プロダクションの編集者が、主婦の漫画家さんたちの
原稿料を中抜きしたりして、底辺漫画家たちの間では問題になっていました。
また聞きですが、4コマ漫画を1P1000円で描いていた主婦の漫画家さんが
いたそうです(編集プロダクションの編集者が4000円、中抜きしていたそうです)。
さらに、有名漫画家たちには原稿料が支払われていたが、無名漫画家たちには
原稿料が支払われす休刊になってしまった雑誌がありこれまた底辺漫画家たちの間では
問題になっていましたが、無名漫画家たちが声を上げたところで、
世間は誰も見向きもしませんでした。無名漫画家たちは日々の生活に追われ、
私のように泣き寝入りせざるを得ませんでした。
さらには底辺漫画家の環境は悪くなり、1P6000円になってしまいました。
30年目のデビューしたときよりも2000円も安くなってしまいました。
さすがに心が折れ、漫画家をやめた次第であります。
それにしても漫画家の原稿料って……。
たとえば、こんなことがありました。
私の後輩(6歳年下)にあたる知人の漫画家と私が、あるとき同じ雑誌で連載することに
なりました(ともに無名漫画家、名刺代わりとなるようなヒット作はない)。
知人の漫画家Y氏としよう……、
Y氏は雑誌の版元、大手出版社に持ち込みに行き、編集者から連載をもらう。
かたや私は編集プロダクションの編集者からの依頼で連載をもらう。
Y氏は1ページ1万2000円、
私は1ページ8000円、
雑誌の事情や編集部内の評価もあるから、私の独断で決めることは出来ないことは
重々わかっているのだが、この差はなんだろうって、ちょっとがっかりした……。
またこんなこともありました。
10年ほど前で、ムック本の表紙を描くことになった。
4色カラー1ぺ―ジ、10万円でした。
知人の漫画家は15万円でした。(ともに無名漫画家)
……知人の漫画家との差は、どのように決められたか知らないけど、
飲み会で知らされ、ちょっとがっかりした思い出があります。
さらにこんなお話。
その昔、超有名漫画家さんに誘われ、出版社のお偉い方々たちと飲む機会がありました。
周りは超有名漫画家さんばかり。完全に私ひとり浮いていました。
まさに白鳥の群れにアヒルの子、いや、いや煌めく星空に彷徨うよだか……。
そこでの会話です。
「漫画雑誌1Pの原稿料って、出版社が漫画家に支払える上限金額って、わかる?」
いますぐ帰宅したい私に超有名漫画家さんが話しかけてきました。
私は愛想笑いしながら「わかりません」と、答えました。
超有名漫画家さんはハッキリとした口調で「15万円」
私は驚くばかりです。
「言っている意味わかるよな」
超有名漫画家さんは笑顔でした。
「はっきり言わないでくださいよ」
編集者が苦笑いしていました。
……なにがなんだかですけど、本当に原稿料って、どうやって
決めているんだろう。
余談だが、バブル時代、好景気で、雑誌、増刊も多く発売された時期、
無名漫画家の私でも月10誌以上掲載していたこともあります(遠い目……)。
昔はパーティー会場が新宿、2次会はタクシー移動で銀座、編集者たちとのタクシー移動の中、
○○出版の編集さん、◇◇出版の編集さん……、みなさん、あちこちに愛人さんを囲っていると、
出版業界の愛人関係の自慢話を延々とタクシーの中で聞かされました。
まるで芸能界のように派手なイメージでした。
また、とある編集プロダクションの編集長は、増刊、増刊、また増刊を出版しまくりで、
頼める漫画家がいなくて、パーティー会場で知り合った漫画家が、
どんな絵を描くのかも知らないのに仕事を発注していたそうです(編集長自身から聞きました)。
さらにバブル時、凄かったのは、たまたまスナックで飲んでいた漫画家志望の若者。
隣の席に、これまたたまたま大手出版社の編集長。……ふたり話が弾み、
1ページ3万円で編集長の雑誌で新人漫画家さんをデビューさせています
(漫画界では有名な話です)。
今思い越せば、バブル時、漫画家のパーティーなのに芸能人、アイドルをよく見かけました。
賑やかで派手でした。
売れている作家が多くいたので出版業界の景気も良く、すそ野が広く、無名漫画家でも、
パーティー、飲み会に、漫画家として参加できました。
いい思い出です。
★あとがき
最後まで読んでいただきありがとうございました。
実のところを言えば、無名漫画家の底辺から覗きこんだ出版事情を
書くつもりはなかったのですが、 とにかく、原稿料未払いがひどすぎて、
つい書いてしまいました。
本当に書きたかったのは有名漫画家、有名編集者たちのエロ事、性癖に関する話です。
私なんぞ無名漫画家は、有名漫画家たちと漫画論を話し合えることもなく
出版社のパーティー、飲み会、集まりといえば、
有名漫画家さんのスタッフとか、無名漫画家さんたちとの「バカ話」が圧倒的に多いわけです。
またこれが本人たちの漫画以上に面白いわけです。
1度、出版社に持ち込みに行ったら、「実名で是非とも書いて出版しましょう」と、
いうことになったのですが、実名は……、私の判断でボツにしました。
ともあれ、今回、私の愚痴みたいになりましたが、……スッキリいたしました。
さようなら漫画家生活。
言いたいことはただひとつ
「編集者さん、無名漫画家でも仕事依頼をしたら労働賃金を支払ってやってください」
孤立むえん (著)