2話 魔の森を征く!
森の空気は濃く、緑の香りが濃密に漂っていた。
桃太郎とフェルは、陽だまりを縫うように西へと歩き続けていた。
「よーし、フェル! 今日の晩メシはなんだ?」
「さっき、いい獲物の気配がしたの。……あっ、あそこ!」
フェルが勢いよく茂みに飛び込み、数秒後、角のある立派なウサギのような魔獣を咥えて戻ってきた。
桃太郎は思わず手を叩いた。
「さすがフェル! 完璧だ!」
テイマー能力を得たことで、桃太郎には“仲間の狩りの成果”を最大限に活かす力、解体・加工・調理といった、サバイバルにおける職人スキルが自動的に備わっていた。
手際よく獲物をさばき、骨や皮を無駄なく処理し、近くの倒木を割って簡易の串焼き台を組み立てる。
「《火起こし》っと!」
スキルを起動すると、小さな火がふっと灯った。
じゅう、と肉が焼ける香ばしい音に、桃太郎の口元がほころぶ。
「これ……普通にキャンプライフ楽しいな?」
「あるじ、また焦がしちゃだめだよ?」
「うっ……フェル、前のことは忘れてくれって言ったろ!」
笑い声が森に溶けていく。
そんな、穏やかな時間の中――
「キャアッ……キャッ……!」
森の奥から、甲高い悲鳴が響いた。
桃太郎が振り向くと、フェルの耳がピンと立った。
「今の……サルの子?」
ふたりはすぐさま音のする方へ駆け出した。
そして見たのは、開けた谷間の小さな泉のほとり。
一匹の大きなサル、親サルだろうか、すでに巨大な蛇型魔獣に巻きつかれ、力なく垂れ下がっていた。
そしてその傍らで、震える子ザルが、蛇に追い詰められ、弄ばれていた。
(……もう、手遅れか?)
自分の遥か上位の暴力的な蛇の迫力に、桃太郎は一瞬、目を伏せかけた。
だが――
「見捨てるのが……正しいんだろうな、普通なら……。けど――」
ギリッと奥歯を噛み、前へ出る。
「助けるしかないだろ!」
その瞬間、フェルが牙を剥き、地を震わせるような咆哮を放った。
「ウォォォォォン!!」
その声には、誇りが宿っていた。
《それでこそ、わがあるじ》――そんな思いが、はっきりと桃太郎の心に伝わってきた。
巨大な蛇が振り向き、舌をチロチロと伸ばす。
その全身に漲る殺気が、空気を焼き、木々をざわめかせる。
だが、桃太郎はもう一歩も引かなかった。
背にはフェル。手には、信じる力。
「フェル、やるぞ!」
「任せて、あるじ!」
桃太郎とフェルは、連携を繰り返した。
フェルの俊敏な動きで攪乱し、その隙に桃太郎が武器を振るう。
だが――
「……効いてない!? くそ、こいつ、どんだけ硬いんだよ!」
大蛇の鱗はまるで鉄壁だった。
鋭い牙が閃けば、フェルが飛び込み、しなやかに受け流す。
巨大な尾が唸れば、桃太郎がスライディングで回避する。
攻防一体。
まるで一つの意志のように呼吸を合わせ、二人は“戦いそのもの”になっていた。
時間の感覚が曖昧になる。
何度フェルが跳び、何度桃太郎が叫んだか――もはや分からなかった。
だが、その均衡は突如として――破られた。
「――ッ!!」
ギィイン!!
桃太郎の左腕に、蛇の牙がかすった。
鋭い激痛。そして……ジリジリと身体が重くなっていく。
「マ、麻痺毒……!」
痺れる指。足がふらつく。
その一瞬の隙を、大蛇は見逃さなかった。
「あるじッ!!」
フェルが叫び、全身で体当たりするように桃太郎を弾き飛ばした。
だが――
ブォン!!
大蛇の尾が、フェルを襲った。
「――ッ!!」
木々が薙ぎ倒され、土が爆ぜ、風が砕けた。
地面に叩きつけられたフェルは、白銀の毛を赤く染めながら、ぼろ雑巾のように倒れ伏した。
「フェル……!」
動かない。
蛇はシャアァアアアッと、勝利の咆哮を上げた。
その視線が桃太郎に戻る。大蛇は、ゆっくりとその巨体をくねらせながら迫ってくる。
終わりが、近づく――そう思ったその時。
「キャッ……キキャッ!!」
桃太郎の前に、ふらふらと震えながらも、子ザルが立ちはだかった。
満身創痍の身体で、牙も爪もないその小さな命が、桃太郎をかばうように立つ。
(どうして……)
桃太郎の意識が、暗闇に沈みかけたその時――
『……お主には、テイマーの力があるぞい。』
神様の声が、頭の奥に微かに響いた。
桃太郎は、血で濡れた唇を動かす。
「……《テイム》……!」
キィイインッ!!!
眩い光が、爆発のように広がった。
その中心で、大蛇の動きがピタリと止まる。
風が止み、世界が一瞬静止した――
そして光が収まった時、そこにいたのは――
「……う、そだろ……」
子ザルではなかった。
桃太郎の前に立つのは、体長5メートルを超える白銀の大ザル。
威厳と猛々しさ、そして気高さをその全身に宿した、伝説の魔獣級の存在だった。
「ウ、ウウウウ……ッ!!」
桃太郎の頭の中で、キンッ、キンッ、と硬質な金属音が響く。
限界を超えた精神が、次なる言葉を呼び起こす。
(ブーストだ――この力を、もっと……もっと高みに!)
桃太郎は、痺れる腕を大ザルに向けて突き出した。
「……ブーストッ!!」
ズオオォォッ!!!
白銀の大ザルが、さらに光に包まれる。
毛並みは光を帯び、瞬く間に――黄金へと変貌した。
金色の毛が輝き、空気が震える。
地を割り、風が唸る。それはまさに、“神猿”と呼ぶにふさわしい存在だった。
桃太郎の声が、震えながらも響いた。
「頼む……勝ってくれ、俺たちの正義を、見せてやれッ!!」
――黄金の咆哮が、森を貫いた。
意識が遠のいていく。
血が止まらない。毒が、じわじわと全身を蝕んでいく。
桃太郎は、倒れたまま空を仰ぎ、金色に輝く大ザルの背中を、かすかに見ていた。
(……頼んだ、ぞ……)
まぶしさが、世界を包んだ。
大蛇もまた、その光に怯み、目を細めて立ち止まった。
だが、次の瞬間にはその警戒心が怒りへと変わる。
「シャアアアアアアアッ!!」
再び殺意が解き放たれ、牙を剥いた大蛇が金色の大ザルに飛びかかる。
その巨体が振り下ろされれば、たとえ神話の獣といえども無事では済まないはずだった。
だが。
ズドォンッ!!!
金色の拳が、一直線に突き上げた。
その一撃は、これまで一切の攻撃を受けつけなかった大蛇の肉体を、あっさりと貫いた。
鼻面が潰れ、骨が砕け、鉄のような皮膚が内側から崩れる。
「ギャ……ギギギギ……!!?」
大蛇は、信じられないといった様子で目を見開いたまま、ズザザザザァッと地面を転がっていく。
地を裂き、岩を砕き、木々をなぎ倒しながら、バウンドするようにして弾き飛ばされた。
金色の大ザルは、一切表情を変えず、ただ静かに立っていた。
その目が、再び蛇を捉える。
(……まだ動くか)
大蛇は、全身を震わせながらとぐろを巻き、防御の体勢を取った。
それは、あらゆる攻撃をはじく鉄壁の構え。
この森の捕食者として幾度となく死線を越えてきた“絶対防御”――のはずだった。
だが。
「……キィィィッ!!」
金色の神猿は、一瞬だけ目を細め――
ドッ!!
次の瞬間、空間が歪んだかのように、金の影が消えた。
見えない速度で蛇の背後へと回り込み――
そのうねる筋肉の腕を、蛇の首元に絡めた。
ギリギリギリギリ……!!
「ギ……ギィィィィッッ!!」
圧が、肉を、骨を、神経を、同時に砕いていく。
地響きのような音が森に響き渡り、蛇はもがき、暴れ、木をなぎ倒した。
だが、大ザルはびくともせず、締めつける力を緩めない。
――バキッ。
何かが砕ける音。
そして次の瞬間――
ブンッ!!
金色の神猿が、そのまま蛇の頭部をちぎった。
ドシュウッ!!
巨体が崩れ落ち、大地が沈む。
血が大地を赤黒く染め、木々が静まり返る。
勝った――
金の神猿は、勝利の咆哮を空に向かって放ち、
その胸をバンッ、バンッと打ち鳴らす。
――それは、戦士の誇りのドラミング。
桃太郎は、その音をどこか遠くに感じながら、深い闇の中へと落ちていった。
彼の旅は、まだ始まったばかりだ。
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