1話 出会いは、巨大なイヌ(レベル99)
森の中に絶叫が響き渡る。
異世界に降り立った直後、桃太郎は状況も理解できぬまま、命からがら逃げ出していた。
背後からは、地響きを伴って迫る巨大な影。
全長3メートル。毛並みは鋼鉄のように硬質で、牙はナイフのようにギラギラと光を反射している。
獣、いや、化け物だ。モンスター犬。明らかに人間を狩るために生まれてきた存在。レベル99か?知らんけど。
「は、速すぎる……!」
息が続かない。足はもつれそうになり、視界がぐらつく。
そのとき、ザシュッと音がして、木の枝が頬を裂いた。
「っ、痛っ……!」
顔に熱い線が走る。血が滲むのがわかる。だが立ち止まったら終わりだ。
脳が煮えたぎるような恐怖とパニックで、まともな思考などできやしない。
(……無理だ。あれ、絶対倒せない。)
心臓は爆発寸前。喉が焼けるほど叫び、足がちぎれるほど走る。
けれど、その音――
ガルルルル……と喉を鳴らすような低いうなりが、すぐ背後まで迫ってきていた。
「うわああああああッ!!」
死の気配が、確かにそこにあった。
心が折れかけたその瞬間、桃太郎の頭に、あの髭もじゃ神の声が響いた。
『忘れるな、お主にはテイマーの力があるぞい!』
「……あっ、そうか!」
死の淵でかすかに残った理性を掴むように、桃太郎は震える声で叫んだ。
「《テイム》ッ!!」
光がほとばしり、魔獣の体を包み込む。だが――
ガアアアアッ!!
獣は吠え、光を振り払うように暴れ出した。テイム、失敗。
「くそっ……!」
心臓が潰れそうだ。それでも桃太郎は食いしばる。
「もう一度……《テイム》!!」
再び光。しかしまたしても、魔獣は牙を剥き、飛びかかろうと前足を振り上げる。
「っ……だめかよ……」
血がにじむ頬。焦げつくような傷み。だが、諦めきれなかった。
(信じろ、俺の力を……このスキルを……!)
「《テイム》――ッ!!」
三度目の光。今度は、眩しすぎるほどの閃光が森を満たした。
ピタリと魔獣の動きが止まる。
ゆっくりと、耳が伏せられ、唸りは静まり――
フリフリッと、巨大な尻尾が優しく左右に揺れた。
「……成功、した……?」
その瞬間だった。桃太郎の頬の傷が、ふわりと温かい光に包まれ――
スッと、何事もなかったかのように癒えていく。切り裂かれた服の下、無数の擦り傷や打撲までもが、
見る間に消えていった。
「な……何だ、これ……!」
一方、魔獣の漆黒の毛並みが、ゆっくりと淡い光に染まり始める。
黒が白に、白が銀に、まるで新たな命を授かったかのように、全身が神々しく輝いていた。
その瞳が、まっすぐ桃太郎を見つめる。
(あ……)
言葉ではない。だが、確かに感じた。
心の奥、まるで魂の中に、一本の糸が結ばれたような感覚。
魔獣との心のパスが、確かにつながったのだ。
『うむ。見事じゃ、桃太郎。しかもあれは、この大陸最強クラスの魔獣“神狼”じゃ。お主の忠犬となった
その瞬間、真の姿を取り戻したのじゃろうて。』
桃太郎は、膝をついた。だが今度は、絶望ではない。安堵と、胸を満たす不思議な感動だった。
「ありがとう……。よろしくな、相棒!」
こうして桃太郎は、異世界最強クラスの「忠犬モンスター」と、心を通わせた最初の仲間を手に入れたのだった!
膝をついた桃太郎は、白銀に輝く巨大な狼と静かに向き合っていた。
その瞳は、さっきまでの獰猛な獣のものとは違っていた。静かで、優しく、どこか切なげだった。
「……そうだ、お前に名前をつけなきゃな。」
魔獣に名前を与えることは、完全な契約の証。魂と魂が結ばれる儀式。
桃太郎はしばし考え、記憶の中から神話の名を呼び起こした。
「神の狼……“フェンリル”から取って、“フェル”ってのは、どうだ?」
狼が、ピクリと耳を動かした。
その瞬間――
ズワァッ!!
眩い光が再び狼の全身を包み込む。風が渦を巻き、草木が震え、光が一気に収束していく。
次の瞬間、桃太郎の目の前には――
「……えっ?」
ちょこん、と座る、小さな仔犬。
白銀の毛並みはそのままに、大きさはわずか50センチほど。つぶらな瞳が桃太郎を見上げていた。
「フェル、なのか……?」
桃太郎がそっと問いかけると、仔犬は小さく「くぅん」と鳴いた。
そして、口を開いた。
「あるじ。フェルは……魔獣の血を浴びて、黒い気持ちでいっぱいになって……暴走したの。」
その声は、幼くも澄んでいて、真っ直ぐだった。
背中に感じた凶気の正体。それは、フェル自身も望んだものではなかった。
桃太郎は、ゆっくりとその小さな体を抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。これからは一緒だ。お前はもう、俺の大事な仲間だから。」
フェルの体温が、ふわりと桃太郎の胸に染みこんでくる。
白銀の毛はふわっふわで、触れるたびに指先がとろけそうになる。
「……って、モフモフ最高すぎるんだけど……!」
桃太郎はフェルの毛並みに顔を埋め、無意識に頬をすり寄せていた。
フェルも気持ちよさそうに尻尾を振っている。
かくして、異世界最強の魔獣は桃太郎の忠犬となり、
その心に宿る光が、確かな絆となって結ばれた――。
* * *
老人は、長く伸びた白い髭を撫でながら、静かに語った。
「これが、冒険の始まりじゃ。仲間を集め、鬼を打ち取るのじゃ。
この魔の森を西へ……およそ一週間。そこに、“人族”のはずれの村ジーウィがある。
鬼の情報は、その村の長が知っているはずじゃ。まずはそこを目指すのじゃ。」
桃太郎は、静かに頷いた。
胸の中で何かが高鳴る。それは恐れではなかった。希望だ。期待だ。自分がこの世界で生きる意味が、確かにそこにある。
白銀の仔犬、いや、“フェル”が、足元で軽く跳ねる。
「あるじ! ジーウィに行こう! 冒険、始めよう!」
「……ああ、そうだな!」
風が吹いた。
木々のざわめきが、まるで旅立ちを祝福するように聞こえる。
桃太郎は、傷一つない頬を撫でながら、改めて背筋を伸ばした。
まだ何も持たない。ただ、信じる力と、最初の仲間だけ。
だが、それで十分だった。
「行こう、フェル。まずはジーウィへ。仲間を見つけて、鬼をぶっ倒す!」
そして今、物語が静かに、しかし力強く動き出した。
まだ誰も知らない、“桃太郎”という名の英雄譚が、異世界に刻まれようとしていた!
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