多分聖女じゃないですが、聖騎士さまのメイドになりました。
聖女の身代わりIf 身代わりイベントが一切発生せず王都に連れてかれた場合
聖女が生まれると神託のあった年に生まれた女児(10)が王国中から王都にある大神殿に集められ、共同生活を送ることになったのが大体三年前のことである。
大体300人ぐらい、上は公爵令嬢から下は奴隷まで、生まれた年以外の共通点のない子供がひとところで暮らすとなればまあ、問題が起こらないわけがない。私は割と底辺寄りだったが、自分が聖女だとは思っていなかったし、最低限生まれ育った村から出られれば良しということで目立たないようにやってきた。
正直、村と神殿とどっちがマシな暮らしかって、判断に迷う。どちらも衣服も食事も質素なものだし。奴隷の娘だからって差別的な扱いされるし。名目上みんな聖女候補だから同格なんだけど、元々の身分というか後ろ盾はある人が強い立場になる。
正式に誰が本物の聖女かわかったら王子の一人と婚約することになるって話もある。まあ多分本物の聖女が貴族の生まれならともかく、身分の低い、平民以下とかだったら本物を幽閉して搾取して表向きは高位貴族のそれっぽい娘を聖女として表に出すんだと思う。でなきゃこんな混成住居にする必要がない。どんな形で聖女が判明することになるかはわからないが、別の建物で暮らしてたらすり替えるのは難しいだろうからな。
仮に私が聖女だったらそんなのは絶対御免だから亡命一択になると思うけど。奴隷だから搾取されるのは慣れてるっちゃ慣れてるけど、それに良い感情はない。
なんならこの王国に対する好意的な感情もあんまりない。善良な人間がただの一人もいないとは言わないけど、ぶっちゃけ性根の腐ったような人間で溢れてるので一回滅んだ方がいいくらいだと思う。
まあ、そんなことを思う私は聖女じゃないんだろうけど。
てっきり、早々にお前は聖女じゃないだろ、って言われて神殿から追い出されて元居た村に帰されるパターンもあると思っていたので、まだ神殿に留められているのは予想外でもある。まあ、私以外でも神殿から故郷に帰された娘などいないのだが。(命を落とした人はいるのでまったく減ってないわけではない)。
逆にこの方が聖女だという公式発表も全然ない。見つける方法もわからないのに集めたのか?
この国では、独り立ちできる最低年齢は大体15歳くらいなので、そこまでになんとか食い扶持を見つけたいのだが、聖女候補の神殿の出入り…外出?はかなり制限されている。私みたいに誰も聖女だと思ってない子はさっさと脱落させて外に働きに出させてほしいものだが、そういう素振りが全然ない。後の保証をする気もないだろうに、随分慎重なことだ。丁重な扱いをしてないんだから片手落ちだし時間の無駄だと思うけど。
まあそういうわけで、神殿に見切りをつけて外に出ようと思ったわけである。門番に普通に止められたけど。
「だって、神殿で出される食事も与えられた衣服も質素で飢えないだけ、凍えないだけ、レベルなんですよ。候補が多すぎて予算が足りてないのなら、私みたいに絶対外れだろう娘は外に働きに出る方が合理的じゃないですか。神殿は支出が減りますし町は労働力を得られます」
「確かにお前は聖女にしては貧相だが、ひとりの候補も見逃すなというのが上のお達しだ。限りなく可能性が低くとも聖女が誰かわかっていない以上、絶対聖女じゃないのは神託に当てはまらない人間としか言えない。神託は聖女がどんな姿をしているかは語らなかったそうだしな」
そこらの下働きとかはこれで丸め込めたのに、門番には通用しないようだ。ぐぬぬ、堅物め。
「――どうしたんですか?」
「騎士殿。実は、聖女候補の一人が、自分は恐らく聖女ではないのだから、外で働きたい、と言っていまして…」
「成程?」
そう言って私の方を見た騎士は目を丸くした。ん、なんかこの反応薄っすら覚えが…。…あ、村から神殿に連れてこられた時に護衛についてくれた騎士の人の一人だったか。他の騎士は、平民とはいえ一応村長の孫であるローザリリエの方を気にかけていたが、彼は私に積極的に話しかけて道中も気にかけてくれたのだった。お人好しなのだろう。
「そうですね…でしたら、私が雇いましょう」
「え?!」
「丁度、寮を出て都に屋敷を持てと言われて伝手の方に使用人を見繕ってもらう必要があったんです。住み込みのメイドなら、屋敷の中の仕事が中心ということになるでしょうし」
「お願いします、雇ってください!」
私はすぐそれに飛びついた。仕事と住居がまとめて手に入るならそれはとても都合が良い。メイドなら村でやってた仕事と大差ないだろうし。
「寮を出て屋敷を持つとなると、もしや、あなたは」
「ええ、叙爵されるにあたっていつまでも寮暮らしではいけないと後見の方に言われまして」
騎士はにこり、と笑う。
「私が雇うとなれば、神殿も彼女を見失うことにはならないでしょうから」
「それは、そうかもしれませんが」
「神官長には私から話を通しましょう。いいですか?モナ」
「あっはい」
彼の方もしっかり私のことを覚えていたらしい。だからこそ、雇ってくれるのかもしれない。多分私じゃないから神殿から追い出されたら働き口探すつもりだって、道中で話したもんな。なんか苦笑されたけど。
そのまま騎士についていって彼の用事のついでに私の出向の許可をもらい、明日から彼の屋敷に移るという約束になった。まあ私は身辺整理は勝手に済ませていたけど、彼の側に準備がいるそうだ。
翌朝迎えに来るという約束をして別れた。
彼に連れていかれた屋敷は割と王都の端の方にあった。中古らしい。元々はどこぞの貴族のタウンハウスで、私以外に雇っている使用人は執事と侍女が一人ずつ。この二人も住み込みらしい。
メイドの使う部屋として案内された部屋は村で暮らしてた部屋は当然、神殿の部屋より上等だった。
たぶん仮にも聖女候補なんだから下働きだからって酷い扱いはできない、ってことなんだろう。村にいた時は屋根と壁があって雨に濡れないのだから上等、って感じだったし、神殿では二段ベッド二つと四人分の文机と物入れがようやく置ける部屋に四人で詰め込まれていた。
対してこの部屋は隙間風なんて全然入らないし、ふかふかのベッドとクロゼットと机と書棚まである。なんなら村の普通の住民の家より上等かもしれない。そんなところを、一人で使っていいというのは、破格の対応なのではなかろうか。同室がいないのは単純にこの屋敷に住みこむ使用人が三人ぽっちだってのもあるんだろうけど。
村にあったどんな家より立派な屋敷ではあるが、騎士が一人暮らしなのもあり、タウンハウスとしては小さめのところを買ったらしい。使用人三人で手が回り切るものかはわからないが、まあ必要なら通いや追加の使用人を雇うことになるんだろう。
それから、クロゼットにはお仕着せなのだろう、エプロンワンピースが三着かけられていた。神殿に支給された修道着(二着)よりしっかりした生地の新品だった。こんなの着たことないレベル。村にいた時の服は比べるのが失礼なくらい。まあアレはボロ着レベルだったし…村から出される時には取り繕うためかリーリエの着なくなった服の地味なやつを着せられてたけど。私の私服と言えるのはそれ一枚しかない。
元々持ち物といえるものなんてなかったけど。母の遺品みたいなものもないし、父は誰なのかすらわからない。屋敷に持ってきたものもワンピースと支給された下着やペン、髪紐程度で小さな風呂敷に全部収まる程度のものだった。
風呂敷は縫物の勉強の時に作った奴。神殿も何とか誰が聖女か見つけようと色々と候補者たちに教育を受けさせたりしているのだ。まあ最低限のマナーとか神殿の教義とかは聖女が出来なきゃ困るものってことだったんだろうけど。縫物は過去の聖女に刺繍で相手に加護する者がいたかららしい。
屋敷で私がするべき仕事は、屋敷内の掃除と洗濯の類らしい。食事周りは侍女の人の担当。騎士の人は自分のことは自分でできるから、屋敷の維持が私の主な仕事ということになるらしい。執事の人は騎士の人の補佐とか色々な手配根回しの類が仕事らしい。
何にせよ、私は拍子抜けしてしまった。村にいた頃は朝から晩まで、何でもかんでもやらされていたし、休みも給料もなかった。週に一度水浴びできるかどうか、五日に一度くらい森に行って食べ物を見つけてこられるかどうか。ひもじくて月明かりの中でどうにか森の幸を探したこともある。
それがここでは仕事をするのは日の出ている時間だけで、途中に休憩時間もあるし、週に一度は休日ももらえる。それに給料がもらえるから、休みの間に自分のものを買いにいってもいいのだ。その上、騎士さんが一人で食事するのは辛いんだと言って使用人もみんな同じものを同じ卓について食べるのだ。朝夕ちゃんと栄養のある温かい食事を食べられる。破格にもほどがある。なんか騙されてるんじゃないかと思うくらい。
「モナ、何か困っていることはありませんか?」
「とんでもありません。ただのメイドなのにこんな扱いをされて、何かの間違いじゃないかって思うくらいです」
「間違いだなんて。あなたは聖女さ…候補なのですから、寧ろ粗末な扱いをしてしまっているくらいです」
村にいた時どころか、神殿での扱いより上等なのだからそれは間違っているのではないか。或いは神殿の候補者への扱いが不当だったのか。私には判断しかねる。しかしまあ、いずれにせよ、本気で私が聖女かもしれないと思っているのは王国でも彼くらいしかいないんじゃないかという気がする。
「シャロンさまの私への扱いが粗末だと感じたことは一度もありません。本当に…いつも良くしてもらって、申し訳ないくらいです」
ただの奴隷娘の私に返せる恩じゃない。メイドとしてだって、そこまで役に立ってないだろう。田舎者だし貴族のことはさっぱりわからない。労働力として下働きをするくらいしかできないのだ。
「そんな、モナが気に病む必要はありません。私はただ……あなたに健やかであってほしいのです」
「それは…何故、ですか?」
「何故、と言われても…何かおかしいですか?」
「そんな風に思われる理由がありません。…私は聖女候補の一人かもしれませんが、皆、万一その可能性もあるかもしれないから、くらいにしか思っていないでしょう」
「ええと。では、その…初めてあなたと顔を合わせた時に、一目惚れしていた、としたら…?」
「それはとても、趣味が悪いのではないかと」
「確かにあの村から出てすぐの頃は不潔でしたが、今は美しい方だと評しても否定はされないと思いますよ」
当時不潔だったのはまあ、間違いない。前日は水浴びできたが、五年くらい碌に体を洗浄も出来ていなかったし、髪が本当はどんな色かもよくわからなくなるくらい汚かった。神殿に連れてこられてすぐ体中徹底的に洗われて…髪は一度短く切られた。今は肩より下くらいまで伸びているが。清潔になった髪は淡い銀色をしていて、光の反射で七色に輝いた。
神殿では三日に一度くらいは水浴びの順番が回ってくるし、手と顔と、足ぐらいは汚れたら水で洗える。実家に金を出してもらえたら湯で洗うこともできるらしい。
屋敷に来てからどうかといえば、毎日朝になれば顔を洗うし、夜に濡れた布で躯を拭ったりできる。髪は週に一度は洗える。勿論手足は汚れたら洗える。今までになく清潔に過ごしていると言える。
かといって、美しいと言われるほどかはわからないが。シャロン以外に言われてない気がする。しかし、彼にとって美しいのだと言われれば、必ずしも否定できない、のか?
「でもやはり私は一目惚れされるような人間ではないと思うのですが」
「それでも、私があなたを一目見て…笑ってほしいと思ったのは事実なのです」
理解に苦しむ。彼は何故私を気にかけるのか。騎士爵を得るくらいだから、上位貴族は難しくても下位貴族の娘となら問題なく結ばれることもできるだろう。男爵とか子爵とか。私より美しい娘や、結婚して得のある娘はいくらでもいるだろう。だが、そういう娘たちは彼が私を気にかけることを快くは思わないだろう。
「私に良くしたところで、あなたの得にはならないでしょう?」
「徳が欲しくてあなたを気にかけているわけではありません。そもそも神は隣人を愛せと仰せです。これは聖騎士としてなんら恥じることのない、当然の振舞いです」
あまりにも堂々と言われるので、そんなものなのかと思ってしまった。後から思うとやはり、彼以外の騎士にそのような対応をされたことはなかったのだが。
屋敷の生活に慣れてきた頃、休憩時間中に行って帰ってこられるくらいの位置に小さな森があるのを見つけた。此処で働くようになってからひもじい思いはしていないものの、染みついた習慣というのは変わらないもので、つい森の中に食料を探してしまった。
村でも、神殿でも、こうやって森で木の実やらきのこやら食べられるものを見つけられなかったら私は飢え死んでいただろう。いつも満腹になるほどの食事は与えられていなかった。すぐにお腹が空いてしまって、空腹を誤魔化すために小石を舐めていたこともあった。当然美味しくないし、腹も膨れなかった。
森の中で見つけたのは、甘酸っぱい木の実だった。疲れた時に食べると気力がわいてくる。あまり保存できるものではないが、腹持ちはそこそこいい。数粒食べて、いくらか持って帰って土産にしようと決めた。森のものは取りつくしていけないが、人と分け合うものだ。まあ、母が死んでからは私に分け合う相手はいなかったのだけれど。
屋敷に戻る途中で、どうにも疲れた様子で地面に座り込んでいる人を見つけた。少し考えて、森で見つけた木の実をその人にあげることにした。
「どうしたんですか?お疲れなのでしたら、この木の実をどうぞ。きっと元気が出ますから」
「あ、ありがとう…」
雇われの身だし、屋敷の外のことには疎いから私にはそれ以上の助けは難しい。しかしどうも旅装束に見えるから、余所からやってきた行倒れ、のようなものなのだろう。
「…確かに、少し気力がわいてきたよ。君はもしや、聖女なのだろうか」
「私はただのハウスメイドですよ」
大袈裟なことを言う人だ。困っている人がいて、どうにかする手段を自分が持っているなら、手に負える範囲で手を貸すのも当然のことだろうに。人間は弱いから一人では生きていけない。それを補うために徒党を組むのだ。
「だったら、私が役目を果たしてきた後、私の元で働いてくれないか?」
「いえ。私は今の雇い先を気に入っていますので」
そもそもこの人の素性も知れないのだから検討に値しない。判断材料もないし。今の所クビの予定もないし、しいて余所に行く理由はない。
「では、私はこれで。休憩時間が終わってしまいますから」
「あ、ああ…」
屋敷に戻る時間は少し遅れたが、殊更に咎め立てされたりはしなかった。村だったら言いつけられた時間に間に合わないとぶたれてもおかしくなかったから、今は本当に甘くされていると思う。いや、ぶたれたりするのは嫌なので、今の方が好ましいのだけれど。
ある日、騎士さんが何処からか娘さんを連れ帰ってきた。それなりに整った顔をしているらしい雰囲気はあるが、如何せん手入れが行き届いていないし、衣服も粗末だ。ワンピースから覗いている手足は棒のように痩せている。親を亡くした孤児とかだろうか?と思ったら、執事さんと侍女さんがお嬢様と呼んで感激した様子で抱きしめた。
「アルカンナお嬢様、よくぞご無事で…」
「キーファ、フリーダ…シャロンさまが私を助けてくださったの。もしかして、二人が…?」
「神殿に連れていくかは君たちの判断に任せます。私が連れて行くと彼女こそが聖女だ、ということにされかねませんから」
騎士さんの口ぶりからして、彼女は私と同い年なのだろう。そして、何か事情があって神殿の招集に応じていなかったらしい。まあ…三年経っても誰が聖女かわからないとなれば、漏れていたと考えるのも不思議な話ではない。
「その仰りよう、お嬢様は神託の聖女ではない、ということですか?」
「前にも言いましたが、私は誰が神託の聖女であるのかを知っています。ご自身がそうであると自覚のない内に無理に祀り上げるのは良くないと判断したので伏せているだけです。アルカンナ嬢の救出に手を貸したのは公爵との取引と、伯爵家の不正を知って放っておけなかっただけです」
物語であれば、彼女が聖女というのもなかなか珍しくないパターンだろう。伯爵家の娘が虐げられていて、騎士に助けられて自分が聖女だと知り云々みたいな。違うらしいが。
ふっと、騎士さんが私を見てふわりと微笑む。
「モナ、ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ、シャロンさま。…そちらの方は、暫くこの屋敷に滞在なさる、ということですか?」
「今すぐ神殿に向かうのでなければ、そうなるのでしょうね」
「では、客室の準備をした方がよろしいでしょうか」
「アルカンナ嬢、どうしますか?」
振り返った騎士さんの視線を追って彼女を見ると、酷く驚いた様子をしていた。そして、小走りで私に駆け寄ってきて跪いた。
「聖女さま!!」
「えっ」
彼女は祈るように手を合わせて指を組む。
「自分が聖女に選ばれるのだと思い上がっていた異母妹が三年経っても選ばれないのだから、神殿の招集に逆らって幽閉されていた私が本物の聖女なのではないか、と考えたのは大変な傲慢、思い違いでした!あなたに比べれば私なんてただの小娘です…!」
「あの、何か勘違いをされているのでは?私はただのハウスメイドですよ」
「いいえ、神託で聖女さまのお姿が語られていなかったのも当然のことでした。見れば判るのですから、態々語る必要がありません」
この人何で一人で盛り上がってんだこわ…。狂人ですかね…。
「アルカンナ嬢…」
「聖騎士として祝福を受けているシャロンさまも一目でわかる神々しさをまとっていますけれど、彼女は別格ですもの、そうなのでしょう?シャロンさまが保護されていたのですか?」
「…モナはちゃんと三年前に神殿に来ていたんですよ」
「えっ…?」
「はい。村を出ようとすれば、それが一番確実でしたから。私などすぐ聖女ではないと追い出されるものかと思っていたのですが、そのようなこともなく。外れと思われているのならとっとと放逐されて手に職付けられると良かったのですが、そうもいかなかったところ、シャロンさまに雇っていただいたのです」
「つまり、神殿はシャロンさま以外聖女が誰かもわからない愚物ばかりしかいないということですか!?」
それ自体は否定できないかもしれない。私が神託の聖女だという前提で言われているのがネックだが。三年かけて聖女を見出せないのはまあ、無能なのではないかと。
「…上層部は公表しませんでしたが、今回の神託の聖女は比喩ではない意味で神の子なのです。そして、神の子を産んだ聖母は、以降人の子を孕むことはできません。それを知れば今神殿に集められている候補者の大半は辞退することでしょう」
「成程。それは、なかなか認められないでしょうね。聖女である時点で、不貞の子であり、同腹の弟妹はいないということになりますから。私の異母妹にも弟がいます」
「言ってはなんですが、神殿に来た時点で己こそ聖女であるに違いないと自負している娘は沢山…殆どの方がそうだったと思います。すぐに外れだと追い出されるだろうと思っていた私が少数派なのです」
それこそ、同じ村から出たリーリエも自分こそが聖女だと、此処から成り上がるのだと思っていただろう。貴族令嬢の方たちに鼻っ柱折られたようだが。
「伯爵家に関しては血縁であるアルカンナ嬢が継がなければお家乗っ取りでしょう。伯爵は入り婿でアルカンナ嬢が成人するまでの繋ぎの当主ですから」
「ええ。まあ…お母さまの子ではない時点で、ラグワートは継承権のない子なのですが、バルチアさまはそのあたりを理解されていないらしくて」
つまり彼女の家はお家騒動の真っ最中らしい。
「私は聞くべきではないお話しなのではありませんか?」
「モナ」
「私はただの…平民のハウスメイドです」
いや。平民どころか、奴隷の娘で実質奴隷として扱われていたのだが。
「いいえ、あなたは神託の聖女様です、ムーンダスト。あなたにとっては常のことすぎてわからないのかもしれませんが…あなたの暮らしている場所の周辺に祝福が現れ、大地の恵みがもたらされていることがその証拠です」
…。…シャロンさまが言うのなら、そうなのかもしれない。でも、そうなると、
「…シャロンさまが私に優しくしてくれていたのは、私が聖女だからなのですか?」
「それは……そうなるかもしれません。私は、聖女の神託が下されるより前に、聖騎士の祝福と共に神託を下されました。その力で聖女を守り支えよ、と。私が神殿騎士になったのは、聖女様を守るためなのです」
「聖女の神託が下るより前って、それはつまり…」
彼は私より年上といっても十歳も離れていない。確か、五つ上くらいだ。だから、私が生まれるより前に神託を受けていたとすれば、それはそれこそ、物心つくかどうかの時なのではないだろうか。
「あなたを守れるものになるために、幼き日から鍛錬を重ねてきました。私は一目であなたこそが私の守るべき方だとわかりました。私には、一目見てあなたが聖女だと判ったのに…他の者たちは何故か視界に入れようともしない」
「…村にいた頃は、ただの小汚く貧相な子供でしたから」
「そもそも村人のあなたへの扱いが異常だったのです。今のあなたなら、聖女と言われても頭ごなしに否定はされないでしょう」
「…いいえ。私が聖女のはずが…だって、私に人間への慈愛の心なんてないんです。この国の人間たちを救おうとも思えない。だから神殿を出ようと思ったんです」
村なんて滅べばいいと思っているし、神殿にはもう戻りたくない。碌な扱いを受けない場所にも留まりたくない。
「いや、虐げられてたなら相手を憎んだりするのも当然のことですよ!私だって父と後妻のことは嫌いですし」
「アルカンナ嬢」
「聖女だからって、この国を救う義務はありません。そもそも、神託も確か、聖女さまに愛を示さなきゃ滅ぶみたいなこと言ってたんじゃありませんでしたっけ?聖女さまが助けたくないなら見捨てていいと思います!…あ、いえ、まあ、見捨てられると我が家も困りますけど」
そう言われると、そんな気もしてくる。よく考えれば、私にこの国を救う理由なんて全然ないのだ。シャロンさまには助けられているけど…だからってシャロンさま以外に慈愛を見せる理由にはならない。いや、そもそも慈愛って何?
「モナ、私はあなたの意に背いてあなたが聖女であると公表することはしません。あなたに聖女として振舞う気がないのなら、ずっと名乗りでなくとも構いません」
「…それは、シャロンさまに迷惑をかけることになるのではありませんか?」
「前にも言いましたが、私はあなたに健やかであってほしいのです。このまま聖女が見つからなければ神殿は困ったことになるので…他の娘を聖女に仕立て上げるかもしれませんが…そうなった場合、私は偽聖女には仕えません。私が守りたいのはあなたですから」
「…私が聖女だから、ですよね」
「あなたを見つめるようになったのは、あなたが聖女だからですが、そうして見守っている内にあなた自身に好感を持っていました。モナ、聖騎士の祝福は私の意志を奪ったりはしません」
「シャロンさま…」
どう受け取るべきなのかわからない。私にはっきりと好意を向けてくれる他人なんて、彼くらいのものだから。彼はどうありたいと望んでいるのか。それとも、聖女の力に目覚めれば何かわかるようになるのだろうか。
「…これは、私こそお邪魔なのでは…?」
「…あ、すみません。ええと…アルカンナ嬢はどうしますか。私としては、仮の滞在場所を提供することは構いませんが」
「図々しいかもしれませんが、数日お世話にならせてもらいます」
少しして、聖女の権能が覚醒して、私が自分が聖女であると納得した。アルカンナさまを狂人かなって思ったのはとても失礼だったなと反省した。覚醒前から聖女がわかったのは、二人がそれだけ神への信仰心…この世界に神が存在していると信じる気持ちが強かったということのようだ。
覚醒後は他の人間にもちらほらもしや聖女?と思われるようになってきた。私の何が変わったって、…何も変わってないわけでもないかもしれないが、見た目が変わったわけではないはずだが。
「いえ、モナさまは、はっきり後光が差しています」
「後光が」
「覚醒前は内側からぽわーっと光ってた感じですが、今はバックライトがぴかーっと」
そんなけったいなものを背負った覚えはない。しかし、聖女として持っている力がなんか、ぶわーっと溢れ出ていたり、するのかもしれない。よくわからないが。
聖女としての自覚が出たとはいえ、やはり神殿に入る気にはなれなかった。そもそも私が神殿に籠ったところでこの国は救われない。私の加護は私の認識していないものには働かないので。国中を行脚するくらいはしないと…或いは、地脈を完全に掌握して地脈を通じて加護を流すか。
それはそれとして、好感の持てないものに加護したくないし。
「…見てわかってしまう以上、いつまでも隠れていることも難しいかもしれませんし…」
「私が成人して伯爵位を継いでいれば後ろ盾に…いえ、公侯爵の方々に睨まれたら難しいですね、それも」
どちらにせよ貴族が成人を認められるのは最低でも15歳からだからアルカンナさまが女伯爵になるのは二年後以降だろう。頼りになるかどうかも正直わからない。入り婿に乗っ取られるような家だし。
「私がこの剣を捧げるのは神であり、聖女であるあなたです。あなたの望む道があるのであれば、如何様にでも」
「…例えば、大神官と国王の首をとれといっても?」
「あなたがそうすることがこの国のためになると仰るのであれば」
本気で言ってることがわかった。いや、極端な例として言っただけで、具体的なビジョンがあってトップの首を切れと言ったわけではないのだが。でも少なくとも大神官の信仰心はたかが知れていることがもうわかっている。国王はよくわからない。正式に顔を合わせたことはなかった…はず。とはいえ、一応一度はちゃんと顔を合わせるべきだろうか、斬るにしても。信仰心のないものを神殿から排除するのであれば、十中八九大神官は切ることになると思うが。王宮まで手を出すべきかは、どうなんだろう。
「…私の使命は地上に神への正しい信仰を取り戻すことです。けれど、それはつまりこの王国を救うことではありません。神さまは信仰心のないものを援けろとは言っていませんから」
「そんなにこの王国は…いえ、愚問でしたね。最も信仰に厚くあるべき神殿の人間が、私以外聖女さまに気付くことができず、粗末に扱っていたのですから。信仰を失ってしまっていると言われても否定できないでしょう」
積極的に滅ぼすべきとまでは思っていないが、正直、王国の民を救うべきかは私にはわからない。放っておけば勝手に滅びる気もする。
結局、私は神殿の人間を信仰心によって選別し、信仰心のないものは首を斬るか破門し、神殿の改革を行った上で神殿に入った。王宮からの王子との婚姻の話は断った。
聖女候補として神殿に集められていた娘たちは帰る場所のない者は修道女として迎え、帰る場所のあるものはそちらに帰した。まあ帰る場所はあるが修道女になることを希望する者や、帰る場所はないが俗人として独り立ちすることを選んだ者もいた。強制することでもないので自由にさせた。
そして修道女になった者から真面目にやっていけるものを選んで、豊穣の祝福を与えて各地の教会に派遣した。自他の愛を糧に働く加護だと伝えているので、うまくやれればその土地を救う事も出来るだろう。
「あるいは、聖女と呼ばれるかもしれないけど」
「モナが加護を与えた者を聖女と呼ぶのであれば、モナのことは神子と呼ぶべきでしょうね」
「呼び方なんて何でもいいでしょう」
正しい信仰が戻ればそれで構わない。私の望むことなんて結局、自分と自分の愛する人が飢えずに幸せに暮らしていけることなのだから。
「私が人間を見捨てるまでは、一緒にいてくださいね、シャロンさま」
「あなたが人間を見捨ててもついていきますよ、モナ」